第27話 隣にいて、別の場所
尚哉が収監されている刑務所。
スマートフォンの解体作業に没頭していた尚哉の背後で、刑務官の鋭い声が響いた。
「405番、面会だ。作業を止めろ」
周りの受刑者たちの視線が、一瞬だけ尚哉に集まる。
(佐々木先生かな……。父に何かあったんだろうか)
尚哉は汗を拭い、軍手を脱いで立ち上がる。
熱風が回るだけの作業場を離れ、ヒンヤリする面会棟へと続く廊下を歩きながら、尚哉は胸の鼓動が速くなるのを感じていた。
尚哉が面会室に入ると、佐々木弁護士が座っていた。刑務官の立ち会いはない。
佐々木は明るい表情で言った。
「古川さん。仮釈放の目処が立ってきましたよ!」
尚哉は驚いて聞いた。
「三年ではないんですか?」
「古川さんの模範的な態度、身元引受人もいますし、反省的な態度で再犯の恐れがないと見込まれての上で、です」
「仮釈放はしなくていいです」
「何言ってるんですか! 仮釈放を望まない人は、ほとんどいません。お父さんが待ってるじゃないですか。他にも……」
佐々木は汗を拭き拭き、尚哉を説得しようと試みる。
「仮釈放を、拒否するとどうなるんですか?」
「……保留になるだけですよ。なくなりません」
佐々木は困った顔をした。
「来週には、地方更生保護委員会の委員による面接があるはずです」
尚哉は俯いていた。
「冷静になってよく考えてください。外なら自分の好きなことが自由にできるんですから」
尚哉の手がピクッと動いた。
「検討します……」
「志遠さんに相談なさってください。声かけときますから。ではまた」
忙しいのか、佐々木はさっさと出て行った。
(仮釈放か……)
尚哉はしばらく自分の手を見つめていた。
◇
休日。
蒼と夏海は、海に近いテニス試合会場に来ていた。
「テニスなら僕が教えられることが多いと思ってね」
蒼は事前に日陰席を予約していた。帽子と冷たい飲み物も用意している。
「長丁場になるからね」
蒼は夏海に飲み物を渡す。
「ありがとう」
(完璧な人だな……)
――試合が始まった。
蒼は真剣な眼差しでコートの選手を見ている。
夏海はそんな蒼の表情ばかり見ていた。
(本当にテニスが好きなんだな、蒼さん)
「この選手、バックハンドが武器でさ」
「そうなんだ。すごいですね」
「テニスって、こんなに音がきれいなんですね」
夏海がポツリと言った。
「それはね、ストリングのテンションがちょうどよくて、いい音になるんだ」
「なるほど」
(答えじゃなくて、同じ気持ちになってほしかった。尚哉なら気持ちに寄り添ってくれたかも……)
後半戦。
ラリーが続く緊張した場面で、ボールが観客席に飛んできた。
蒼が腕を伸ばし、反射的に夏海をかばった。
「大丈夫? 怪我してない?」
「うん。大丈夫、ありがとう」
夏海は微笑む。
(優しい……蒼さん。でも、尚哉なら……)
最後の白熱場面。会場が一体になり、固唾を飲んで見守っている。
蒼は真剣な眼差しで試合の行く末を見ている。
夏海はそんな蒼を見つめる。
夏海は気づいてしまう。
――私、試合じゃなくて隣で一緒に興奮してくれる人を見てたんだ。
試合が終わり、帰りの車の中。
「美味しいイタリアンレストランがあるんだ」
「ごめんなさい。明日朝早いので、今日はこのまま帰ります」
夏海が俯く。
「そっか。じゃ今度行こう」
「はい」
夏海は微笑んだ。
夏海の家に着くと、蒼が柔らかい眼差しで彼女を見た。
蒼は夏海の右手をそっと包み込み、空いた左手の指先で、彼女の頬に優しく触れた。
夏海は、その体温の近さに、思わず一瞬体を硬くした。
「今日は、楽しかったです。ありがとうございました」
夏海はお辞儀をして窓の外を見ている。
「楽しんでもらえたなら、嬉しいよ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
夏海は車から降りて蒼に手を振った。
蒼も手を振りかえす。
夏海の背中を見つめていた。
ハンドルを握った手に力が入っていた。
◇
次の日、尚哉が作業していると、刑務官から声がかかった。
「405番、面会だ。作業を止めろ」
尚哉は汗を拭い、軍手を脱いで立ち上がる。
作業場を離れ、涼しい面会棟へと続く廊下を歩きながら考えた。
(佐々木先生かな? また仮釈放の話だろうか……)
「父親の李志遠さんが来ています」
扉の前で刑務官が知らせた。
尚哉は面会室に入ると、キラキラした目の志遠がいた。
「尚哉! おめでとう! まだ早いか……。仮釈放の話を聞いてね」
志遠は、頭を掻いた。
「親父……。仮釈放は迷ってるんだ。受けるかどうか」
「何言ってるんだ、尚哉」
志遠は、顔を近づけて少し小声で言う。
「実は、田端社長には内緒で、工場の端に全固体電池の実験施設を準備してある。中古のグローブボックスも借りられる予定になっている。あと、プレス機は今取引先を当たっている。他に必要なものがあれば言ってくれ」
「まじか……」
尚哉の目が輝いた。
「中古でいいんだけど、テスターと乾燥機もほしい」
「わかった」
志遠がメモを取っている。
尚哉は天井を見ながら、笑顔に変わった。
「他なんかあるか?」
「いや、大丈夫。……ありがとう」
(ありがたい……。爸爸、非常感謝)
「じゃあ、仮釈放はいいよな?」
喉から手が出るほど実験したい尚哉にとっては、仮釈放を受ける気持ちに変わっていく。
「うん。仮釈放受けるよ」
「よっしゃ! 環境揃えておくから、面接頑張れよ」
◇
翌週の平日。
地方更生保護委員による尚哉の仮釈放の面接が行われた。
面接室には三人の面接官、それと緊張な面持ちの尚哉が椅子に座っている。
正面には主査の委員が、その左右に補佐の職員が二人。計三人の視線が、尚哉の全身を射抜くように注がれていた。
初老の厳格そうな面接官が質問する。
「古川尚哉さんですね。……君の罪状は、機密情報の持ち出し。技術者としての倫理を問われる事件でした。今の心境は?」
尚哉は面接官のネクタイを見ながら答える。
「……取り返しのつかないことをしたと思っています。失った信頼は、一生戻らないことも自覚しています」
「身元引受人の李志遠氏からは、就職先も確保していると聞いています。君は外に出たら、また技術の世界に戻るつもりですか?」
「はい。……僕には、それしかありません。自分を信じて環境を整えてくれた人のために、僕が持っている技術を、今度は正しく社会に役立てたい。……そのためなら、日陰の場所で一生を終えても構いません」
面接官は眼鏡を直し、尚哉の目を見る。そこには、数週間前までの死んだ目はもうない。
「……わかりました。結果は後日通達します」
面接官は落ち着いた声で、そう言った。
「よろしくお願いします」
尚哉は深くお辞儀をした。
「では、お戻りください」
尚哉は、一礼して面接室を出ていった。
独房に戻る廊下の窓から、夕日の光が差し込んで、尚哉の顔を照らしている。
(僕が外に出たら、夏海が来るんだろうか……。いや、研究のことだけを考えよう……)
――それでも、尚哉の足取りは軽かった。




