第26話 熱風と冷製ジュレ
平日の刑務所の作業は単調だった。
尚哉は、使い古されたスマートフォンを無言で解体し続けていた。
作業場の高い天井で、巨大な扇風機が虚しく熱風をかき回している。
じっとしているだけで、作業服の下を汗が這い回り、意識が遠のきそうになる。
蒸された作業場の気温の中でも、尚哉は作業を続けながら、頭では計算式を回していた。
アイデアがいくつも湧いていて、早く外で実験したいと感じていた。
実際に実験できない代わりに、計算で想定し、実験値を求めていた。
独房のノートには計算式がびっしりと書き込まれていた。
刑務所内には、《領地》と呼ばれる独房以外の保管スペースがある。
本やノートなどの私物をいくつも置ける場所だ。
だが、出し入れには刑務官の許可が必要で、手続きにも時間がかかる。
手元に置けるのは本やノート、それぞれ数冊だけだった。
書き終わったノートは、《領地》に積み上げられてゆく。
尚哉はノートに記述した事柄をほぼ暗記していた。今まで書いたノートは二十冊を超えていた。
(父の第三回路と僕の最新技術で、これまでにない安全で大容量の全固体電池ができるはずだ……)
「405番! 作業が遅れてるぞ」
「は、はい!」
尚哉は慌てて、解体作業を続けた。
◇
とある休日。
夏海は、水沢蒼ととあるビルの入り口で待ち合わせをしていた。
蒼からは『家まで迎えに行くよ』と言われたけれど、夏海は丁寧に断って、劇場の近くで待ち合わせることにした。
まだ、自分の生活圏内に彼を招き入れる心の準備ができていなかった。
「お待たせしました! 夏海さん」
「私も今来たところです」
電車の時間で少し早く着いたが、そう言った。
「ならよかった。行きましょうか」
『夏海はすぐ気を使うからな』
ふいに尚哉の言葉がよぎった。
カフェの前で待ち合わせをしていたとき、夏海の手の冷たさから、彼女が気を使っているのが尚哉に見透かされていたことを思い出す。
「……さん?」
「夏海さん? こっちこっち」
「あ、ごめんなさい」
「夏海さんは、ミュージカル好き?」
「あ、はい」
夏海は笑顔で返す。
「これって観たことある?」
蒼は、チケットを差し出して見せた。
「観たことないです」
「良かった! 聞いてから買えば良かったんだけどね」
蒼はそう言って笑った。
夏海も微笑んだ。
劇場の席に着くと、思ったより後方だった。
それでもミュージカルは有名な物語で、夏海はのめり込んで観てしまった。
蒼はそんな夏海の横顔を見つめて微笑んでいた。
――カーテンコール。
舞台上に役者が並び、挨拶する。会場は拍手に包まれた。
時折、夏海の横顔に視線を向けていた。
夏海は拍手をしながら舞台の方をずっと見ていた。
劇場を出ると、蒼は食事に誘った。
「まだちょっと食事の時間には早いけど、和食のいい店があるんです。どうですか?」
「はい」
夏海は微笑んだ。
「車、駐車場に停めたから」
駐車場に着くと高級車の赤い車だった。
「助手席に女の子乗せるの初めてだよ」
「本当ですか?」
「ほんとほんと」
車で五分くらいで目的のお店に着いた。
そのお店は会員制の店だった。
個室の中庭が見える席に案内された。
「お任せコースでいいですか?」
「はい」
「ここの大将、実は僕の大学の先輩なんだよね。こだわりが強くて、毎日自分で市場まで行くんだってさ。……あ、でも、難しく考えずに食べてね。美味しいものを楽しく食べるのが一番だから」
そう言って蒼は笑った。
「……そうですね。ありがとうございます、蒼さん」
蓴菜と毛蟹の冷製ジュレ。
涼しげなガラスの器に、つるんとした蓴菜と、贅沢な毛蟹。
「この喉越し、夏って感じがして最高」
「うんうん」
鱧の湯引き、梅肉ソース和え。
口に入れると、淡白な白身がホロホロと解けるような、すごく繊細な食感。ほんのりとした甘みにキリッとした酸味の梅肉ソースが合わさることで、口の中がパッと爽やかな美味しさが広がる。
「夏海さん、どう?」
「とっても美味しいです。食べすぎちゃいそうです」
そう言って夏海は笑った。
「気に入ってもらえて良かった」
賀茂茄子と万願寺唐辛子のオランダ煮。
ナスの身に油のコクと出汁の旨味が染み込み、少し甘めの醤油ベースの出汁に、トウガラシの香りが移り、冷たいのに、奥行きのある味わいだった。
「この賀茂茄子、一度揚げてから煮含めてるから、旨味が逃げてないね。手間かかってる」
「そうなんだ」
夏海は食べながら頷く。
稚鮎の塩焼き。
まるで籠の中で泳いでいるような盛り付けになっている。
「この苦味が大人の味だよね。夏海さん、苦いのは大丈夫?」
「大丈夫」
最後は、氷見うどん。
「料理、詳しいんですね」
夏海が食べる前に話しかけた。
「食べに行くのが好きだから、いろんなところに行くよ。夏海さんも一緒にどう?」
「そうですね。行ってみたいです」
「なら、いい場所探しておくよ」
蒼は爽やかに微笑んだ。
――帰りの車の中で。
「実はスポーツ観戦と迷ったんだけど、夏海さん、ミュージカルの方が好きなんじゃないかと思ってね」
蒼がチラッと夏海の顔を見て言った。
「お気遣いありがとうございます。じゃあ、今度はスポーツ観戦で」
夏海が照れながら言った。
「嬉しいな! 空いてる日教えてくれたら、予約入れておくよ」
蒼は嬉しそうに笑う。
夏海はふと冷静になる。
(きっとこれでいいんだ……)
「もうすぐ夏海さんの家に着くよ」
蒼はそう言いながら心の中で誓った。
(元彼のことなんて忘れさせてやるから――)
車から降りて夏海は手を振った。
蒼は車の中から手を振る。
「また連絡するから。またね」
夏海の胸の奥の片隅には、罪悪感が疼いていた。
◇
次の日の日曜日。
夏海は、親友の薫の新居に遊びにいく約束をしていた。
「迎えにいこうか?」
薫が迎えに来てくれた。
車で三十分くらいの少し離れた郊外の方だった。
「今日はね、翔一はいないから」
「あら、そうなの? 残念」
「うるさいのいない方がいいの」
薫はそう言って笑う。
薫は音大からの友達で、薫はヴァイオリンを弾いていた。
よく夏海のフルートとアンサンブルを組んでいたものだ。
夏海はケーキを買ってきた。
「あー、ありがとう。美味しそうなケーキ! さすが夏海はケーキのプロね」
「プロって何」
夏海が突っ込むと、薫は笑った。
「水沢蒼さん……だっけ? お見合い相手」
「うん」
「どんな感じ? デートしたんでしょ?」
「素敵な人だよ。一言で言うと爽やかな人」
「なるほど……。夏海、何飲む? コーヒー? それとも紅茶?」
「コーヒーにするかな」
「夏海ってさ、大学の時もそうだったけど、性格だけをみて好きになるじゃない?」
「そんなことないよ」
「大学の時に好きになった彼って、はっきり言わせてもらうとオタクタイプだったじゃない?」
「失礼ね」
夏海は口を尖らせながらケーキを分けた。
「でも、小宮くん、いいとこあったんだから」
「夏海が振られるとかも考えらんなかったけどね。マジあり得ない」
「もういいじゃん。さ、ケーキ食べよ」
「いただきます」
「美味しい」
「ね」
「これからは、『蒼くーん』になるのかな?」
薫がニヤニヤして言った。
「それがね……」
フォークを置いて夏海が真顔になった。
「なんかあったの?」
「比べちゃうんだよね。尚哉と」
「……仕方ないよ。まだ一年だしさ」
少し間を置いて、言う。
「そんな簡単に消えないよね」
「いや、それがね」
「何?」
「まだ、毎日考えちゃうの……尚哉のこと……」
夏海は少し暗い顔になった。
「……まだ好きなの?」
「多分……」
薫が夏海のことをまっすぐ見つめる。
「夏海はどうなりたいの?」
夏海はしばらく沈黙していた。自分の気持ちを確認しているかのように。
「やっぱり……尚哉に会いたい」
夏海の目からポロッと涙が落ちた。
薫が夏海を抱き寄せた。
「そっかあ。尚哉くん、夏海のこと考えて冷たいこと言ってるかもだしね」
薫の手が夏海の背中をポンポンとする。
しばらくして、夏海が涙を拭きながら離れた。
「……ごめん」
「いいよ」
「ちょっとスッキリした」
夏海はそう言って微笑んだ。
「いつでも、吐き出しに来てよ。今度は翔一いる時でもさ」
「うん。ありがと」
薫は夏海を見て考えていた。
(一年経っても変わらないのか――不憫だな。なんとかならないかな……)
◇
工場でラインの監視をしながら志遠は考えていた。
次世代バッテリーには、それ専用の半導体がないと動かない。
――尚哉、日本ではこの半導体を生産している会社が少ないそうだ。
今では、NES以外の会社からも発注が沢山来ている。
本当に真一郎さんには感謝だよ。
お前も早く出てこい――待ってるから。
◇
夜、尚哉の独房。
本を枕代わりにし、蕎麦殻の小さな枕を抱いて寝ていた。
扇風機はあるが熱風しか来ず、背中や腕に汗がじっとりと張り付く。
寝返りを打つたびに床板の冷たさがわずかに伝わるが、暑さで眠れない。
夏海に向かって心の中で話しかける。
(夏海、いいアイデアが浮かんできたよ。実現できたら、夢が叶いそうだよ。そのためにも、頑張るよ)
尚哉の目尻に筋ができていた。




