第25話 陽の傍ら、陰のそば
二度目の春。
尚哉は手紙を読んでいた。
夏海はたまに本のリストを封書で送ってくれるのだった。
封書には、近況が書かれた手紙が入っていた。
『志遠さんの工場によく行きます。機械が動いているのを眺めていると時間の経つのも忘れて見入ってしまうの。技術者の素質があるのかな? 来年から生産ラインを増設する話を聞きました。志遠さんのことは心配しないで』
尚哉は手紙を読むと顔がほころぶ。だが、返事は出せずにいた。返事を出すことで夏海の人生が停滞してしまうのではないかと思い、怖かった。
一方、仕事に精を出していた夏海だが、薫の結婚式の招待状が届いた。
『六月に結婚することになったの。小さな式だけど、夏海も是非来て』
幸せそうに二人で写る写真と共に、メッセージが添えられていた。
『夏海も早く幸せになって』
薫に昔言われた言葉を思い出した。
――夏海には選択権があるのよ。
――夏海が好きで居続ける義務はないのよ。
あの時から、胸に刺さっていた言葉だった。
薫の気持ちを考えると、胸が暖かくなった。
尚哉と付き合っていた頃の薫の話を思い出し、月日の経った長さを思い知った。
◇
李志遠が社長を務める半導体工場、NES Li-Techの創立一周年記念パーティーが開かれた。
倉庫の一室を整理して、ケータリングサービスを利用した簡単なパーティー会場だ。
NES社長の田端真一郎が挨拶する。
「去年と同じ桜の下で、一年前は創立、そして今年は生産ラインの増設、ますます勢いを増しています。日本を代表する半導体生産の工場と言っていいと思っています。最先端の技術、最大シェアの工場、今後とも宜しくお願いします」
盛大な拍手。
次は隣の李志遠の乾杯の挨拶が始まる。
「田端社長の話にもある通り、一年で急成長できたことは、ここにいる社員の皆さんのおかげです。中国からついてきてくれた人もいる。本当にありがとう。今後の発展を祈念しまして、乾杯!」
会場のあちこちで、中国語と日本語の祝辞が交差する。
「そう言えば、株式会社ソーンからも取引したい申し入れが来たそうだよ」
真一郎が、グラスを傾けた。
「いやあ、それならライン増設してもますます忙しくなりそうですね」
志遠は顔をほころばせた。
(尚哉がいたらなあ……)
真一郎は、別の人に話しかけられ、会話している。
夏海が志遠に気づくと近寄り、祝いの言葉を投げた。
「志遠さん、おめでとうございます」
「夏海さん、ありがとう」
夏海は志遠のグラスにビールを注いだ。
「この前、尚哉の面会をしてきたんだが、うちの会社は継がず、自分の会社を立ち上げたいと言っていたんだ。まだまだ先の話だがね……。今までやってきた研究をまだ続けたいらしい」
「尚哉とは面会できないから、話を聞くのは嬉しいです」
「そうだよね。愚痴る相手が違うかもしれないけど、社長にはこの話、内緒ね」
志遠はそういうと、従業員が集まる輪に入っていった。
志遠の面影は、尚哉に似ていた。
夏海は志遠の隣にいると尚哉の隣にいるような感じがするのだった。
真一郎が夏海に近づいて話しかける。
「何の話してたんだ?」
「別に」
「次のお見合いの話持ってくるぞ。前回は焦って失敗したが、あれはすまなかった……。そろそろいいだろ?」
「……断ってもいいの?」
「相手も真剣に受けてるんだ、軽く断らないでほしい」
「なら、しなくていいよ」
「夏海も会社のことを考えてくれ。田端の一員なら」
「……わかった」
夏海がそういうと、真一郎の機嫌が良くなった。
「そうか、ありがとう。じゃあ、また後で」
真一郎は志遠に「帰るよ」と言った後、会場を後にした。
(もうお見合いの下準備出来ているの?)
夏海は真一郎の後ろ姿を眺めながら思った。
◇
薫の結婚式。
小さなチャペルの中は、六月の柔らかな陽光に包まれ、温かく穏やかな空気が漂っていた。
遠藤薫は白いドレスに身を包み、少し緊張した笑顔で父親の腕を組みながらバージンロードを歩く。
母と兄、妹が温かく見守っている。
高橋翔一も少し照れくさそうに微笑みながら、祭壇の上で薫を待っていた。
薫が父親と離れ、二人が向かい合う瞬間、会場には静かで優しい空気に包まれた。
誓いの言葉を交わす二人の声に、家族の表情が柔らかく輝く。
兄妹の微笑み、両親の優しい視線、そして夏海の温かなまなざし。
外に出ると初夏の風がそっと吹き、薫の笑顔が光の中で輝いた。
階段の上で薫が夏海を呼んだ。
「夏海ー!」
薫が投げたブーケが夏海の前に飛んだ。
夏海がキャッチする。
「次はあなたよー!」
薫がそう言って笑った。
夏海はそのブーケをずっと見つめていた。
◇
お日柄の良き日。
午後の日差しが窓から差し込み、庭園の芝生と花壇が優雅に広がるラウンジ。上品なティーセットとスイーツがテーブルを彩っていた。
「こんにちは、はじめまして」
水沢蒼が少し緊張した笑顔で挨拶すると、夏海も丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
両家の両親もそれぞれ席に座り、軽くお辞儀を交わす。
今回の相手は、次世代バッテリー開発部門がある、大手家電メーカーの社長の長男だ。
水沢駿介社長が挨拶する。
「今日はお越しいただきありがとうございます」
「こちらこそ。ラウンジの雰囲気も素晴らしいですね」
真一郎が座りながら言った。
水沢瑠璃子夫人が小さく微笑みながら、スイーツの一つを指さす。
「こちらのケーキ、とても評判みたいですよ」
「じゃあ、せっかくなのでいただきましょうか」
蒼が夏海に言った。
「夏海はケーキに目がないから……良かったわね」
真理子がそう言うと、夏海は照れて俯いた。
「夏海さんはどのケーキがいいですか?」
「ショートケーキを……」
「夏海さんのお仕事は何を?」
「私は営業をしています」
「蒼さんのお仕事はどのような?」
「僕は経営企画ですね」
ラウンジには落ち着いたクラシックジャズが流れ、ウェイターが丁寧におしぼりを差し出す。蒼は、ケーキを二つ注文した。
窓の外の庭園を眺める仕草やティーカップに手をかける動作一つ一つが、品格と緊張感を同時に醸し出す。
駿介が蒼と夏海に話しかけた。
「我々は、あちらで仕事の話をしてくるから、ゆっくり二人でね……」
親たちは少し離れた席に移動していく。
蒼は、夏海に優しく話しかけた。
「夏海さんはいつも休日は何されてるんですか?」
「フルートを吹いたり、読書、映画鑑賞ですね」
「フルートを? ぜひ今度、聴いてみたいな」
蒼は、朗らかに笑った。
ケーキが二人の前に置かれる。
「蒼さんは何をして過ごされているんですか?」
「僕は体を動かすのが好きなので、ジョギングは毎日欠かさずやっています。あとはテニスかな」
「活動的なんですね」
「スカッとして、気持ちいいですよ。夏海さんもどうですか?」
「私は運動が得意ではないので……」
「大丈夫。僕が教えますよ。インストラクターの資格もありますから」
「すごいですね!」
「はは。ただ長くやってるだけですよ」
夏海は、蒼が色黒で健康的な体格をしていることに気づいた。
対照的に色白になった尚哉を思い出していた。
「夏海さん、ケーキ食べませんか?」
「あ、はい」
夏海はケーキが好物だが、味がしなかった。
「美味しいね」
蒼は、チーズケーキを頬張っていた。
「はい」
夏海は少し微笑む。
(蒼さんて、優しい人?)
まだ出会ったばかりだが、なんとなく夏海はそう思った。
「僕は、お見合いが初めてなので、正直どんなものなのか緊張してました。夏海さんのような方で良かった」
蒼は、朗らかに笑った。
「私は……二回目です」
「あっ、そうなの? ……正直に話してしまう夏海さん面白いな」
蒼は笑った。
夏海は俯きながらはにかんだ。
近くの席で仕事の話をしながら真一郎は、夏海を見ていた。
(あの二人、悪くないな)
真理子も、駿介も瑠璃子も、あの二人に注目していた。
瑠璃子が一言言った。
「あの二人、お似合いね」
皆、微笑んで見守っていた。




