第24話 背中の行方
季節は冬から春に差し掛かろうとしていた。
第三回公判。
今回は、夏海が証人尋問される予定になっていた。
夏海は証人控室の椅子に座り、緊張した面持ちで手を握りしめている。
深呼吸をして気持ちを調えた。
(思ってることを言えばいいんだ……)
「田端夏海さん、証言台にお願いします」
係員が呼びにきた。
夏海はスーッと息を吸い、静かに立ち上がった。
法廷の扉をくぐり、裁判長に一礼する。
被告人席の前を通る時、尚哉と目が合い、心臓がドキッとした。尚哉は不意を突かれたような表情をしている。
証人台に辿り着くまでの間も、尚哉の視線を感じていた。
「良心に従い、真実を述べ、虚偽を述べないことを誓います」
宣誓を終えると、検察官が口を開いた。
「被告人が家に来た時、不審な動きはありませんでしたか? 何か家のものを探るような様子は?」
「特に感じませんでした。私がフルートで演奏したのを聴いて、泣いていました」
「あなたと電話したあと、海外に会社のデータを流していた事実は知っていましたか?」
「法廷で聞くまでは知りませんでした」
「被告人は、あなたを利用したと認めています。間取りも把握し、書斎を狙っていた。あなたは騙されていた。そうは思いませんか?」
「私は今でも、騙されたとは思っていません」
夏海が言い切った瞬間、傍聴席に並ぶNESの役員たちが苦々しく顔を歪めた。
真一郎は驚いたように娘の横顔を凝視する。
尚哉は、白くなるほど拳を握りしめていた。
「弁護士、お願いします」
弁護側の佐々木弁護士が前に出る。
「あなたから見た被告人は、どのような人間でしたか」
「優しくて、技術に対して情熱的で、夢に向かっている姿が素敵でした。今も、技術情報の勉強をしているはずです」
「被告人は実刑を望んでいます。それほどの罪に値する人物だと思いますか」
「私のために、重い罰を背負おうとしているんだと思っています」
「意義あり!」
検察官の鋭い声が法廷に響く。
「今のは被告人の印象操作を誘導する尋問です」
「意義を認めます」
それでも佐々木弁護士は淡々と続けた。
「被告人は拘置所内でも最新技術の研鑽を続け、社会復帰への強い意欲を示しています。情状酌量の余地があります」
裁判長は被告人へ視線を向けた。
「被告人、何か言うことはありますか?」
「僕は……自分のことばかり考えていた。弱かった……」
尚哉は俯き、肩を震わせている。
夏海を前に、以前のような虚勢を張れなくなっていた。
「弱くないわ! 弱い人が、刑務所に行きたがる?」
夏海はまっすぐ尚哉を見据えた。
コン、と木槌が打たれる。
「証人。発言は質問に対してのみ答えてください」
「被告人、他に述べることはありますか」
尚哉は最後の力を振り絞るように言った。
「彼女とは、もう何でもありません。適当に付き合っていただけです。好意はありません」
「適当って……。私には、嘘だってわかるのよ」
夏海は小さく呟いた。
尚哉は俯いたまま、夏海の方を見なかった。
法廷の空気は、息を潜めたように張り詰めていた。
その日の証人尋問は、そこで終わった。
◇
一ヶ月後の最終公判。
検察官の論告求刑が始まる。
「……被告人は、NES、ひいては日本の技術資産に対し、五億円もの損害を与えました。懲役五年が相当です」
佐々木弁護士の最終弁論。
「……NES顧問弁護士との示談金二億円の賠償も約束しています。何より、本人の反省は明らかです。執行猶予とし、社会で更生させるべきと考えます」
尚哉の最終陳述。
「刑務所に行って、罪を償いたいです。それが、僕にできる唯一の責任だと思っています」
夏海は傍聴席から、尚哉の背中をじっと見つめていた。
尚哉は最後の一礼をして席に戻る時、どうしても抗えず、一度だけ夏海を見た。
そこには、泣き崩れる姿ではなく、自分を射抜くような、凛とした夏海の瞳があった。
(まだ、……)
胸の奥に、じわりと温かいものが広がる。
◇
桜が咲き誇る春の日。
とうとう志遠の新しい次世代バッテリー半導体の工場が出来上がった。
真一郎は、満開の花びらを一枚手に取ると、ふと隣に立つ志遠に笑いかけた。
「いやぁ、遂にここまで来たね。志遠さん、立派な工場だ」
志遠は軽く頭を下げ、控えめに答える。
「皆さんの支えがあったおかげです。これで次世代バッテリーの開発も順調に進むと思います」
二人は工場正面のプラットフォームに立ち、記念のテープカットに向かう。
桜の花びらが風に舞い、白とピンクのカーテンのように二人の周囲を包む。
「田端社長、正直、ここまで順調に進むとは思っていませんでした」
「ハハ、俺もだ。志遠さんの素晴らしい設計のおかげだよ」
「いえいえ」
二人の笑い声が春の空に溶けていく。
カメラや関係者の視線が向けられる中、二人は肩を並べて工場の入り口を見つめる。
「みんな引っ越しも完了したし、あとは軌道に乗るのを待つだけだな」
「そうですね」
並んだ満開の桜の花が祝福するようだった。
◇
判定公判。
法廷は重苦しい空気に包まれ、初夏の光が窓から差し込む。
裁判長がゆっくりと木槌を打つ。
「古川尚哉被告人の判決を言い渡します」
傍聴席の夏海は、手を強く握りしめ、息を詰めて見つめる。
尚哉は肩を落とし、俯いたまま、判決の言葉を待った。
「被告人は、本件において計画的な情報窃取の行為を認めたこと、また社会的責任の重大さを十分に認識していることを考慮し」
夏海の胸がドクンと跳ねた。
「懲役三年。執行猶予はありません」
その瞬間、法廷内の空気が凍りついたように静まる。
尚哉はわずかに肩を震わせ、頭を下げた。
目は夏海を避けるように伏せられている。
夏海の目から涙が一雫落ちた。
(尚哉……)
志遠は、無言で深く息をついた。
周囲の人々も、判決の重みを噛み締める。
尚哉はゆっくりと顔を上げた。
刑務官に促され、尚哉は法廷を後にする。
その背中を、夏海はいつまでも見つめていた。
言葉にできない想いを抱えながら、彼が向き合った現実の重さを、心の奥で受け止めるしかなかった。
◇
判決から数週間後。
尚哉と同時期に捕まったプロスパイ村田守は、黙秘を続けているため、未だ拘置所で裁判中だった。
ベビースモーカーの彼は、留置場の時こそニコチン切れで暴れて手を焼かせていたものの、すっかりニコチンは切れてタバコもやめられていた。
尚哉が刑務所に移送される際、拘置所の廊下で、村田とすれ違った。
村田は尚哉を見てニヤリとした。
(上手くやったな。はえーな)
その視線を無視して、前だけを見据えて歩き出す。
尚哉は早朝、護送バスに乗せられ、遠く離れた刑務所へと運ばれた。
尚哉は、窓の外に見える見慣れた景色を眺めながら、心の中で、ただ一人の名前を呼んだ。
(夏海、君のいる街が遠くなっていく。三年……。戻ってきたとき、君の隣に僕はいないだろうけど。それでも、君が幸せでいてくれることだけを願うよ)




