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第21話 無精髭のノエル

 尚哉が独房で本を読んでいると、刑務官が声をかけてきた。


「差し入れが来たぞ。重い本だ。本来はこういう本は凶器になるから断られるものだが……」

「僕が頼んだんです」

 尚哉はその重い本を受け取った。


「まあいい。これでゆっくり勉強できるな」

「ありがとうございます」


 尚哉が改めて差し入れ品を見返す。

 専門書のリストと、重い三冊の本。

 検閲に引っかかる懸念からか、他には一切何もなかった。


 よく見ると一番最新図書の三冊だった。

 (リストだけで良かったのに。重かったろうな……)


 早速尚哉はノートと鉛筆を買いに行く。


 帰り、廊下の隅に固定された鉛筆削りの前に立った。

 無言でハンドルを回す。

 木の匂いが、わずかに立ち上る。

 それだけが、外の世界に近い感覚だった。


 独房に戻るとゆっくりとページを捲る。

 読んでいくうちに周りの音も、蛍光灯の明るさも遠くへ行っていた。

 

 尚哉の頭の中ではNESのラボが広がっていた。

 まるで目の前に実験道具があるかのような感覚だった。

 必死に実験結果と計算式の中に身を沈めていた感覚を、今は取り戻していた。

 

 ◇


 その日の夜。

 佐々木匠は、仲の良い弁護士仲間の中田忠温(なかたただはる)と居酒屋に飲みに来ていた。

 

 佐々木がビールから日本酒に変更した。


「……最近な、守るために全力尽くしてるのに、当人がそれを拒否する案件があってさ」


 中田が、佐々木に酒を注ぎながら言った。

「ああ……たまにいるな。《罰せられることで整合性を取ろうとする人間》」

「そいつはそうじゃないんだよなあ。恋人を騙したから忘れさせたいんだそうだ」


「贖罪ってやつか?」

「贖罪というより、自分が堕ちてしまうからと思ってるんだな」

 佐々木は、お猪口で冷酒を飲んだ。

「更生やら考えると納得できないんだよなあ」


 中田は手酌で日本酒を注いだあと、つまみを食べる。

「まあ、そうだな……。更生案とか出してみたらどうだ?」

「話聞くかわからないけど、作ってみるか……。ありがとう」


 中田はお猪口を手に持ちながら言った。

「弁護士は、諦めないのが肝心だからな」

 中田が笑うと、佐々木もつられて笑った。


 佐々木の頭の中には、いつも俯いて感情を表に出さない尚哉の姿が浮かんでいた。


 ◇


 次の日、仕事の合間を縫って志遠は尚哉に面会に行った。


 尚哉が面会室に入ると志遠が座っていた。

 尚哉の目には、志遠は以前より陽に焼けて生命力が溢れているように見えた。

 

「偉、你在吃飯嗎?」

「日本語でお願いします」

 刑務官が落ち着いた声で注意した。

 

「あ、ごめんなさい。偉、ちゃんと食べられているか? 寝られているか?」

「最近勉強しているからか、随分と寝られるようになったよ」

「勉強?」

「うん。夏海に頼んで専門書を持ってきてもらったんだ」

「夏海さんか……。たまにくるのか?」

「いや、前回来てくれたんだけど、もう最後にしてくれって頼んだんだ……」

「そうか……」

 志遠は表情が硬くなった。

 

「それより、工場建てるって言ってたよね? 今どんな感じ?」

「田端社長がバックアップしてくれるおかげで順調だよ。予定よりも早く竣工できそうだ」

 志遠は明るく力強く言った。

 

「それは楽しみだね!」

 尚哉も自分のことのように嬉しかった。

 

「……田端社長には感謝だね」

「そうだな。『頭』を向けて寝られないな」

「それを言うなら『足』だよ」

 そう言って尚哉が突っ込むと、志遠は朗らかに笑った。

 つられて尚哉も笑った。

 (笑ったの、いつぶりだろう?)


 不意に尚哉の目から涙が零れ落ちた。

 志遠が心配して覗き込む。

「大丈夫か?」

 尚哉は顔を見られるのが恥ずかしくて手で隠した。

 

「やっぱり、無理してるんじゃないのか?」

 志遠が心配そうな顔をする。

 

 尚哉は涙を指で拭って顔を起こした。

「感傷的になってただけだ。大丈夫」

 

「あと五分です」

 落ち着いた刑務官の言葉が狭い面会室に響いた。


「またすぐくるから。なんか欲しいものあるか?」

「筆記用具かな。ノートと鉛筆と消しゴム。シャーペンはダメだから」

「わかった。あとは技術系月刊誌でも買ってくるか」

「助かる。ありがとう」

「情色書籍?」

「ばっ! いらないよ! 中でも買えるし」

 慌てて尚哉は、刑務官の方を見たが、無表情だった。


「じゃあ、またな」

「ああ」


 志遠は手を振って出ていった。

 尚哉は下を向いて苦笑した。

 (変な親父……) 


 ◇


 閉店後の自社ビルのカフェ。

 夏海は、模様替えを手伝っていた。

 真理子が指示をする。

「ノエルの人形の飾りは、カウンターと窓際にお願い」

「これ全部?」

 夏海は足元のダンボールに入ったものを指差した。

「そうこれ全部ね」

 真理子は緩衝材を取りながら答えた。


 ダンボールには、素朴なノエルの人形がいくつも詰め込まれていた。 

 夏海は一体を取り出して、顔を眺めた。

 髭を生やしたノエル。ふと、無精髭の尚哉の顔が浮かんだ。

 夏海は頭を振って飾り付けに集中した。


 今回は大きいものがなかったので、小一時間で飾り付けは終わった。後片付けも終わるとやっと一息ついた。

 

「お疲れ様。ありがとうね」 

 真理子は、そういうとカウンターの店員にご褒美ケーキをお願いしようとした。いつも余ったケーキを無料で頂いていたのだ。

 

「あ、ママ。最近食欲ないから、ケーキは要らないよ」

「あら、夏海がケーキ食べないのはよっぽどね……。紅茶はどう? 少し休まない?」

「うん。頂く」


 真理子と夏海は窓際の席に座る。

 窓の外を見ると、外の建物もクリスマスの装いになっており、LEDの白や青の瞬きがあちこちで輝いていた。


 紅茶が二人に運ばれた。

「夏海、フルート再開してみたら?」

「フルートかー。うん。いいかも!」

 夏海は微笑んで、紅茶にミルクを注ぐ。

 

「クリスマス前だし、練習して聴かせてよ」

「わかった。練習しとく」

「久しぶりね、楽しみだわ」

 真理子はそう言って、紅茶を一口飲んだ。


 夏海はスプーンで紅茶をかき回していると、尚哉がフルート演奏で感動の涙を流していたことを思い出した。


 真理子が小さい声で囁いた。

「夏海……。パパがね、お見合いしないかって」

「……」

「私もね、気分転換にどうかなって思うのよ。断っていいし」

「断るの前提って、相手の方に失礼じゃない?」

 夏海はそう言って、ミルクティーを一口飲んだ。

 

「気にしてたらお見合いなんて出来ないわ。軽い気持ちでいいのよ。遊びに行く気持ちで」

「うーん……。まだ気持ちの整理ができてないし……」

 夏海はカップの温かみを手に移すようにカップを手で包んだ。

 

「何より真一郎がね、喜ぶと思うわ。夏海のことかなり心配してるのよ」

「……まあ、行くだけなら良いけど……」

「本当? パパ喜ぶと思うわ! 電話してくるわね」

「今?」

 夏海が聞き返すと、もう真理子は立ち上がってスマホを手にしていた。

 真一郎に電話しているようだ。


 (パパ……) 

 夏海は少しぬるくなったミルクティーを飲んだ。


 電話を終えた真理子が席に戻ってきた。 

「真一郎、喜んでたわ。そろそろ帰りましょう。車回してくるわ。食器返しといてね」

「はーい」


 真理子は、店員に「ありがとう。ご馳走様」と声をかけると外に出ていった。

 夏海はカップをカウンターに持っていった。

 

「ああ、すみません。ありがとうございます。恐縮です」

 店員は、すまなそうに言った。


「こちらこそ、遅くまで残ってもらっちゃってごめんなさい。ご馳走様でした」


「いえ、いつもディスプレイありがとうございます。社長ご夫人のセンスにはいつも感銘を受けています。いつもすごく素敵」

「そう言ってもらえると、やりがいが出ます!」

 夏海は笑って言った。


「ご馳走様でした」

 軽く会釈して夏海は外に出た。


 外は北風が吹いていていつもより寒くて凍えた。

 真理子が黒のBMWを店の前につけた。


 夏海が車の助手席に乗ると、真理子が言った。

「真一郎と雅代さんには食べて帰るって言ってあるの。軽く食べて帰りましょ」

「うん」

「食べたいものある?」

「ううん、特にないよ」

「じゃあ、鉄板焼きとかでも良いかしら?」

「何でもいいよ」

「そこのお店、新しくできたばっかりみたいで入ってみたかったのよ」

 

 しばらく車で走ると、真理子が「あそこよ」と言った。

 真理子の視線の先には黒い壁の一見料理屋には見えない店があった。

  

 車を近くの駐車場に停め、最近新しくできた鉄板焼きの店に入った。

 モダンでおしゃれなお店だった。

「いらっしゃいませ。こちらにどうぞ」


 コートを預かってもらい、席についてメニューを広げた。

「とりあえずサラダとステーキ頼もうかしら。ここステーキが美味しいらしいわ」

 夏海はメニューを悩んでいる。 

「何頼む?」

「ステーキもいいけど、三種類のチーズオムレツが美味しそう」

「じゃあ、焼きそばも頼むから二人でわけない?」

「どっちも量が多そうだからそれがいいね」

「サラダとステーキはやめようかしら。夏海は、お酒は飲まないの? 私は車だから飲まないけど」

「んー、じゃあシャンパン頂こうかな」


 真理子が店員を呼んだ。

 

「尚哉くんの面会に行ったって聞いたけど、差し入れとか持っていったの?」

「うん。本が欲しいっていうから技術専門書持っていったよ」

 (鳴川さんがパパに言ったのかな?)


 真理子が店員に注文した。

 

「ならきっと喜んだんじゃない?」

「多分……」

「今度いつ行くの?」

「わかんない……。けど、多分そのうち」

「もうしばらくしたら裁判が始まるわねえ。夏海は行く?」

 

 夏海は少し考えてから言った。 

「うん。もちろん行くよ」

 (尚哉がどうなるのかきちんと見届けたい)


「今頃どうしてるかね。元気そうだった?」

「疲れてそうだった」

「……まあ、そうよね」


 夏海は話題を変えた。

「さっき、カフェの店員さんが、ママのセンス褒めてたよ。いつもすごく素敵で、感銘受けてるって」

「そうなの?! それは褒めすぎよ。でもそんなふうに思ってくれるのは嬉しいわ」


 夏海は会社の仕事の話など、近況について真理子に話した。


 すると、料理が運ばれてきた。

「わあ、美味しそう」

「早速食べましょう。時間も遅いし」


 真理子は心の中で、夏海の様子から、面会が穏やかではなかったことを何となく察した。

 (尚哉くんのことだし、夏海になんか伝えたみたいね)

 

「半分に分けないとね」

 真理子は半分ずつ取り分けて、夏海と交換した。

 (真一郎に報告しないと……)

 

 真理子はこの先のことをうっすらと思い描いていた。

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