第19話 守るための嘘
数週間後、尚哉の起訴が決まり、尚哉の身柄は拘置所に移された。
拘置所は、留置所に似ているが、壁に阻まれ少しだけプライバシーは保たれる。だが、狭いのには変わりがない。
数ヶ月もの間、裁判の判決が決まるまでは拘置所で暮らすことになる。
取り調べは無くなったものの、その分何もしない時間が増えていた。
(本読もうかな……)
尚哉は、官本と呼ばれる貸出図書を探す。
読もうと思える本がなかった。
尚哉は新聞の書籍広告を元にめぼしい本を見つけて、購入願を提出した。
(読みたい本がないな……。いっそ法律の本でも勉強しようか)
などと考えていると、弁護士の面会と言われた。
◇
夏海が社長室に向かおうとしていると、社長秘書の鳴川とすれ違った。
「お嬢様、社長は工場新設の下見でご不在ですが、何か御用でしょうか?」
「えと……あの……。尚哉のことで……」
「昨日だか、拘置所に移されて面会できるようになったようですね」
「そ、そうなんですか? ありがとう!」
鳴川に教わった住所と面会方法をメモした。
そして、鈴木課長に外回りの許可をもらいに行った。
(やっと……尚哉に会える!)
自然に笑顔になる。しかし、嬉しい反面、尚哉が書いた手紙の一文が夏海の心に影を落としていた。
『僕のことは忘れてほしい』
夏海が手にしていたメモは汗でぐっしょり濡れていた。
◇
葛飾区小菅の東京拘置所。
夏海は面会申請をした。
面会申請をしたあと、待合室で待つことになった。
一時間を過ぎたが、なかなか呼ばれない。
昼休みを超えて、始業の時間になってしまった。
それから三十分後、やっと名前が呼ばれた。
一方、尚哉は部屋で横になっていると、面会人がいると呼び出された。
「面会だ。用意しろ」
刑務官に腰縄をかけられ、移動する。
(また佐々木弁護士きたのかな)
面会室のドアの前で、刑務官が伝えた。
「知人の田端夏海さんが来ています」
「夏海……」
夏海に送った手紙を思い出す。
(傷ついただろうか……。ごめん。夏海)
面会室に尚哉が入ると、そこには夏海が座っていた。
尚哉は夏海と目を合わせなかった。
夏海は、尚哉の疲れた表情の無精髭の姿を見た。それだけで泣きそうになった。
尚哉は、息を吸うと話し始めた。
――僕は嘘をつく。
「今まで言ってきたことは、全て嘘なんだ。最後に本当のことを言うよ。最初から頼まれて君に近づいたんだ。君のことは何とも思ってない」
夏海はまっすぐ尚哉の目を見つめた。
尚哉は心の奥を見透かされるような気がして、慌てて目を逸らした。
「面会はこれで最後にしよう」
尚哉は重々しく言葉を口にした。
「どうして?」
夏海は尚哉の顔をじいっと見つめる。
――決心が鈍るから。
(言いたくても言ってはいけない言葉だ)
「お互い離れた方がいい。僕は前科者だ。君の人生に関わってはいけない」
「そんな……。なんとかなるわ! 二人でなんとかしていきましょう」
「世の中そんな甘いものではないよ」
落ち着いた声で尚哉は言った。
夏海には、尚哉に真一郎が乗り移っている様に見えた。
「一つだけお願いがある」
「何?」
「次世代バッテリー関連の専門書の著作名、著者、出版社、値段のリストがどうしても欲しい」
「わかったわ。買ってくるわ」
「専門書は高いから、自分で買うよ。それに三冊までしか手元に置くことができない。本のリストだけ欲しい」
「わかったわ」
「申し訳ないけど、それだけ頼む」
「他には何かある?」
しばらく尚哉は沈黙する。
「大丈夫だ。ありがとう」
夏海は、尚哉の顔をじいっと見ている。
尚哉は視線を合わせぬ様、下の方を見ていた。
「時間です」
刑務官が冷たく言い放った。
夏海は、「それじゃあ、またね」と言った。
尚哉は言葉を飲み込むのに精一杯で何も言えなかった。
夏海が扉を閉めるときに目が合った。
彼女の目は赤かった。
尚哉はそれを見た瞬間、胸に矢が刺さった様な鋭い痛みを覚えた。
◇
田端家の夕食。
真理子は座って何も食べない夏海に食事を促す。
「今日はあなたの好きなビーフシチューよ。冷めちゃうわよ」
「ママ……。今日尚哉に面会に行ったの」
「……なんて言われたの?」
しばらくの沈黙。
真理子も真一郎も黙って次の言葉を聞いている。
「面会は最後にしようって……。今までのこと全部嘘だったって」
夏海の両目から涙がポロポロ溢れて落ちた。
「前科者になるからって。前科だけで、まともに生きられなくなるの? パパ」
夏海は涙で濡らした顔を真一郎に向けた。
「古川は、スパイとしての指示でお前に近づいたのは本当だ」
真一郎は食器を置いた。
「古川はスパイとして養成された時期があったようだ」
夏海は驚いた様に目を開いた。
(そんな過酷な人生だったの……?)
「夏海を騙せたんだから、ある意味完璧なスパイだったと言える。恋愛感情すら偽装出来たんだろう」
夏海は、茫然としていた。
(それは本当なの?)
(私のことはなんとも思っていなかった?)
(でも、尚哉の態度は……愛情がないとは考えられない)
「ご飯はやめとくわ」
夏海はそう言って、自分の部屋に行った。
――ノックする音。
「入るわね」
真理子がおにぎりを持ってきた。
「雅代さんが握ってくれたわ」
「ありがとう。ママ」
「今は辛いと思うけど、きっといい思い出になるわ」
「……」
「もし……ね、尚哉くんが夏海のことを好きだとしても、あなたと結ばれても後ろ指刺されるのは、あなたよ。笑われてしまうことになるけど、一生背負って行ける? 営業のお仕事しているからわかると思うけれど、一度失った信頼はなかなか回復できないわよ」
「そんなに前科を十字架みたいに背負わなければならないものなの?」
「前科もそうだけど、尚哉くんは私たちを裏切ったのよ」
「尚哉のパパの会社、買収したじゃない!」
「それはまた別問題」
「なんで私と尚哉離れなければならないの……?」
夏海は頭を抱えたまま、投げ出すように机に身を伏せた。
真理子はそっと夏海の背中に手を乗せる。
「尚哉くんもそう決めたのよ。それはあなたに対する優しさなのよ」
「なんで……?」
夏海は泣いている。
「立場の違いをよく考えて見たらきっとわかるわ。落ち着いたら、おにぎり食べなさいね」
そう言って真理子は部屋を出て行った。
◇
真一郎の部屋。
真理子は夏海の様子を真一郎に伝えていた。
真一郎は、バスローブから部屋着に着替えている。
「あのアイデア発表会の原稿を読んだが……スパイ抜きで出会っていたら、あんな骨のあるやつは他にはいない。私の会社に必要な男だった」
「あなた、今日は感傷気味ね」
「そうだな。……弱い自分を見せられるのは君の前だけだしな。夏海に面会しないと言った彼の気持ちが痛いほどよくわかるからな」
「そうね。とってもいじらしいわ」
「ああ。夏海には可哀想だが、諦めてもらうしか……」
「そうね……」
真理子は真一郎のバスローブを手に取ると部屋を出て行った。
◇
夏海は親友の薫にラインした。
『こんばんは。明日会えない?』
『こんばんは。いいけど、珍しいんじゃない? この時間』
『いつもは、翔一さんいるから遠慮してるの』
『何よ! て言うかどうしたの? なんかあった?』
『彼が捕まったって言ったじゃない? 今日面会してきたの』
『会えたのね! 良かったじゃない!』
『それがね……。面会は今日が最後って』
『……理由は言ってた?』
『自分は前科者だから、君の人生に関わってはいけないって』
『そういうことか』
『どういうこと? 潔く身を引くってこと?』
『まあ、そうね』
『どうしたらいい?』
『どうしたいの?』
『このままで、別れたくないの』
『待つってこと?』
『うん』
『最悪何年になるかもわからないんでしょ?』
『今まで言ってきたことは、全て嘘。最初から頼まれて君に近づいたんだ。君のことは何とも思ってないって言われた……』
『あらら……』
『これは、振られたの?』
『言葉では……そうね』
『でもね……。目を合わせないの。本のリスト持ってきてって言うの』
『なるほど。明日詳しく聞くけれど、まだ相手の気持ちを決めるのは早いわ。会えたってことは、やっと取り調べ終わったところなんでしょ?』
『詳しいね』
『まあ、いろんな友達いるからねえ。とにかくやっと辛い時期乗り越えたんだと思うよ』
『すごく疲れてる様に見えた』
夏海は尚哉の姿を思い浮かべて、また涙が出てくる。
『とりあえず、明日全部聞くから。落ち着いて。何時にどこにする? ファミレスとかでもいい?』
『うん。十一時でもいい? 場所は、薫の家の近くのファミレスで』
『オッケー、開けとく。拘置所に特攻とか、変なこと考えないでよ?』
『大丈夫。薫に話聞いてもらって、少し落ち着いてきた』
『なら、良かった! いつでも夏海の味方よ』
『本当にありがとう! じゃあ、明日。おやすみなさい』
『おやすみなさい』
ラインが終わる頃には少し微笑んでいた。
その頃尚哉は、布団の中で横になりながら、胸のシャツの生地を強く掴み、脳裏に焼きついた夏海の顔を必死に消そうともがいていた。




