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第18話 始動

 NES社長室。

 

 真一郎は電話の受話器を取った。

「你是李崇德董事長嗎? (李崇徳社長ですか?)」


(以下、中国語)

 

「お前は誰だ?」

「私はNESの社長、田端真一郎だ」

 

「なんの用だ? 中国語を話せるのか?」

 

「話せる。学生時代に北京にいたからな。まず、率直にいう。志遠から、損害賠償を払うか、李氏精機の株を渡すか話があったはずだ。返事を聞かせてもらおう」

 

「ま、待ってくれ。今すぐには返事はできない。今は自宅だ」

「考える時間はあったはずだ。しかも、そんなに難しい選択ではないはずだ」

 

「こちらも率直にいう。李氏精機など小さい工場の会社で手を打つなんて何か裏があるんじゃないのか?」

「いや、うちは直属の半導体の工場を持っていない。それが答えだ。それに――こちらはスパイという証拠を持っている。そろそろ、そちらにうちの弁護士が訪問する頃だ」

 

 (ピンポーン)

 崇徳の家のインターホンで、執事と真一郎の弁護士とのやりとり。

「スパイの証拠資料と株譲渡の誓約書を持たせてある。では、宜しく」

「いきなりなんだよ!」

「そちらも分は悪くないはずだ。それに、君も頭は悪くないと思っているが違うか?」

「ふむう……。わかった……」

「では、宜しくお願いする」


 真一郎は電話を切ると深いため息をついた。

 一口水を飲み、心を落ち着ける。

 

「志遠に電話して」

 真一郎がそういうと鳴川が電話をかける。

 受話器を戻す。

「真一郎だ。今夜十九時、Bホテルの601号室に来てくれないか」

 

 ◇ 

 

 都内のBホテルでの会議。スイートルームの応接室。

 真一郎と、野坂、長谷川、百目木が座っていた。

 

 真一郎がスマホで誰かと話している。

「ご苦労だった。引き続き宜しく頼む」


 電話を切ると、真一郎が説明する。

「李さんを尾行しているやつがやはりいて、うちの探偵に追い払わせた。そろそろくると思う」


 真一郎が言い終わるか終わらないかのうちに、コンコンコンとドアをノックする音。

 

「俺出ます」

 百目木が立ち上がり、ドアを開ける。


「こちらへ」

 豪華な部屋に驚く志遠を導く。


「いらっしゃい」

「ようこそ」


 真一郎は軽く微笑みながら、鳴川に何か伝える。

 その後、野坂、長谷川、百目木を志遠に紹介した。

 

「李氏精機の李志遠です。この度は、大変ご迷惑をおかけ致して申し訳ございませんでした」

 志遠が深く頭を下げた。

 

「その話はもう進んでいるはずです。それより、半導体の工場について話しましょう」

 野坂が志遠に声をかけた。


「半導体の工場とは、うちの工場のことでしょうか?」

 志遠が聞き返すと、真一郎は慌てて言った。

「ごめん。まだ李さんには移転の話してない」

「そうなんですか!」

 長谷川が驚いている。

「李さん、李さんの身柄保護と管理方針から日本に李氏精機を移転する方針で考えているのだが、意見はありますか?」

 真一郎が説明した。

 

「あ……いや、従業員が皆中国人なので……困ります」

 志遠が困った表情をした。

 

「確かにそうだな」

 百目木が口を挟んだ。

 

「申し訳ないが、家族ごと引越ししてくれる人、単身で引越ししてくれる人、引越しは無理な人で分けると、何人くらい来てくれるだろうか」

「聞いてみないとわかりませんが、年寄りの家族がいる人は来ないかもしれません」

「技術者はなるべく欲しい」

「わかりました。聞いてみます」

 

「会社名も変えることになるがいいですか?」

「はい……。元々今の会社名も私が考えたものじゃなかったんです。半分出資してくれた崇徳がつけたものなんです。彼とは親戚ですので……」

 志遠は淡々と話した。


「じゃあ、会社名は一緒に考えましょう」

 長谷川が微笑んだ。


「ほか、何か気になることとかありますか? 李さん」

 野坂が確認した。


「崇徳が、うちを手放すか自信がありません……」

「李さん、その交渉はもう終わったよ」

 そう言いながら、真一郎は、崇徳のサインの入った誓約書のコピーをヒラヒラさせた。

 一同、どよめく。

 

「さっき行かせた弁護士からメールが届いた。うまくいったよ」

「さっすがー、社長!」


 志遠は、そのコピーを手にして凝視した。

「本当だ……」

 志遠の手は震えていた。

 

「これからの話をしよう」

 真一郎がそう言って、鳴川に目配せする。

「ワインやウイスキー、ビールなんでもあるぞ。とりあえずつまみは頼んだが、メニューがあるから食べたいものも好きに頼んでくれ」

 会議室は、宴会場に変わった。


「これからの李さんの会社にカンパーイ!」


 ◇


 次の日。A警察署。

 尚哉は刑務官から手紙を受け取った。夏海からのものだ。

 急いで手紙を開いた。そこには丸みのある、けれど丁寧に書かれた文字があった。


 手紙の内容は、尚哉の状態を心配している言葉と、自分は寂しいながら日々仕事をこなしているという報告だった。


「夏海……心配かけてごめん。寂しい思いをさせてごめん……」

 尚哉は、安堵と申し訳なさと切なさの混じったため息をついた。


 手紙を封筒に丁寧にしまい、机の引き出しの右端にしまった。 

「読み終わりました」

 通りかかった刑務官に告げた。


 離れた房で何やら暴れる音がした。

 (もしかして村田だろうか?)

 村田が、取り調べに嫌気がさして暴れているのかもしれない。

 

 (村田さんには見寄りがいるんだろうか……)

 

 僕には心を寄せる相手がいる。まだ父や夏海がいるだけいいのかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、今まで迷惑をかけた情シスの田中部長、浅井室長、罪を被せてしまった田辺、田端社長の顔が思い浮かんでいく。


 同時に恒久動源研究所の陳先輩、張所長の顔も浮かんでくる。張所長の言葉を信じてしまったばっかりに……。

 しかし、決めたのは自分だ。責任は自分にある。


 あれこれ考えていると、取り調べに呼ばれた。


 取調官がレコーダーのスイッチをオンにする。

「今日はドイツの研究所と中国の研究所を行き来していたところから再度聞きます」

「はい」

「一ヶ月ごとに行ったり来たりしていたと言いましたが、もっと細かく覚えている限りでいいので」

「あれは確か――」


 脳の記憶を引っ張り出される作業だった。

 曖昧であるほど行ったり来たりさせられる。矛盾があれば尚更だ。

 日に日に精神が削られてゆく。

 

「中国の研究所では、週に一度資料が配られていました」

「どんな資料ですか?」

「技術的な資料です」

「どんな技術ですか?」

「実験そのものの方法と、実験の結果を抽出するための資料です」

「結果を抽出するためとは、ネットワーク外部からのアクセス方法も含まれますか?」

「含まれます」

「おかしいと感じませんでしたか?」

「その時はまだそういうものだと思っていました」


「おかしいと思い始めたのはいつですか?」

「研修の後半です。ログの操作あたりからです」

「おかしいと思って何か行動しましたか?」

「張所長に問い詰めました。当時は信じていましたから」

「なんと言われましたか?」

「父の会社と、父の身柄について脅されました……」

 尚哉はここで初めて感情を表に出した。拳に力が入る。

 取調官のペンが止まる。

 

「具体的にどう脅されましたか?」

「父の会社の株は取られていたので、潰すと。父の命が危なくなるぞ、とそんな感じです。そう言われるまでは、所長のことを尊敬し、信じていました」


「他に何か言われませんでしたか?」

「NESという会社の悪事についてです。粉飾決済や汚職、賄賂が横行しているという話を聞かされました。今考えると、罪の意識を軽くするためのでっち上げでした」

「当時は信じていましたか?」

「当時は……そういうこともあるだろうと考えていました。確認しようとは思っていませんでした」


「休憩にしましょうか」

「はい」

 尚哉は紙コップの水を飲み干した。


 ◇


 隣の部屋では、村田の取り調べが行われていた。

「名前は?」

「……村田守」

「なんで捕まったかわかってますよね?」

「……」

「捕まった時、何をしていたか話せませんか?」

「黙秘します」

 村田は貧乏ゆすりをしている。

「タバコ吸いたいっす」

「休憩時間にならないと吸えませんよ」

「チッ」

「NESにくる前は、H製作所で働いていたようですが、そこではどんな仕事をしていましたか?」

「答えません」

「三年前に日本に帰化したようですが、なぜ帰化しましたか?」

「黙秘します」

「黙ってばかりだと不利になりますよ」

「……」


 尚哉と違い、村田は一切口を割らなかった。


 ◇


 田端家、夏海の帰宅後。


 家政婦の市川雅代が夏海に声をかけた。

「お嬢様、お手紙が届いておりましたので、お嬢様の部屋の机の上に置いておきました」

「ありがとうね」

 夏海は急いで部屋に向かった。

 (もしかして尚哉の手紙?)


 それは予想通り尚哉からの手紙だった。

 少し住所が違っていたが、なんとか届いていた。


 急いで封を開けて中を見る。


 夏海の目がだんだん潤んでくる。

 

 ――僕のことは忘れてほしい。

 

 (忘れて欲しい? 忘れられるわけないじゃない。どうして?)

 

 夏海は納得できず、返事を書きたくなった。

 返事を書こうとして出した便箋には、『どうして? どうして?』と書き綴ってしまう。

 

 ――どうして?

 

 だんだん『どうして?』と言う文字が涙で潤んでぼやけていった。

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