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第17話 一縷の糸

 NES社長室。

 真一郎は、副社長の野坂圭一、専務の長谷川真、常務の百目木強(どうめきつよし)を揃えて社長室の隣の応接室で会議をしていた。


 真一郎は、志遠と手を組んだこと、志遠の会社の買収、もしくはスパイ元締めの華陽科技へ損害賠償を求めたことを伝えた。


 常務の百目木が質問する。

「損害賠償は四十億円として、李氏精機の会社の資産はそれに見合うんでしょうか?」


 真一郎は全員に資料を配る。

「読んだらシュレッダーしてくれ」


 配り終わると説明を始めた。

 

「――李氏精機。

 この会社は、量産能力こそ持たないが、特定分野の半導体設計と試作において、世界でも指折りの技術を持っている。

 しかも、親会社が把握しているのはその一部に過ぎない。

 社長・李志遠の頭の中にある理論と設計思想を含め、その全てを、今日ここで紹介する」


「配った資料を見てくれ。次世代バッテリーに不可欠な半導体を、試作レベルで完成させている。まさに、うちの研究開発と噛み合う技術だ」

「……充電時間が五割短縮、放電ロス三割削減、か」

「そう。試作セルと制御用半導体を組み合わせた条件下では、な。航空機や宇宙用、大型EV向けでも理論上は成立する。世界でも類を見ない」


 技術に詳しい副社長の野坂が驚く。

「これは、我々が日本で求めていた物じゃないのか?」

 

 専務の長谷川もそれに続く。

「なかなか技術者が見つからなくて海外で探そうとしていたところだったよな」


「さきほどの常務の質問の答えになっているかと思う」

 真一郎が自信を持って言った。


 副社長の野坂が眉間に皺を寄せる。

「しかし、華陽科技が子会社の価値を釣り上げたりしたらどうするんだ?」

 

「いや、華陽科技が見積もる李氏精機の資産は多くみても十億だ。すんなり四十億支払うとは思えない。それにすんなり払ってもらえたらそれはそれで問題はない。こちらには歯向かえない強力なカードをこっちは持っているからな。どっちにも持っていけるさ」

 真一郎は皆を安心させようと明るく話した。

 

「資産少な過ぎないか?」

 野坂が突っ込む。

 

「その工場で量産してるわけじゃない。あくまで、研究と試作に特化した小規模工場だからな」


 そして、少し声のトーンを落として続ける。

「ただ……万が一だ。奴らは手段を選ばない……。それが問題だ」


「李志遠の身柄保護ですか?」

 と、長谷川。

 

「それも考えないとならん」


 空気が重くなる。


「それで君たちの意見が聞きたいわけだよ。一つでもタイミング、順番を外せば、全て終わってしまう」


「……なるほど」

 一同、声を揃えて頷いた。


「俺がやりたいのは、李氏精機を傘下にし、華陽科技の手の届かないところに持っていきたいんだ。華陽科技が気づく前にな」

 真一郎は腕を組んで険しい顔をした。


 しばらく沈黙が続く。


 百目木が閃いたような顔をした。

「あっ! 引っ越すのはどうです? ……会社ごと」

 

「……それいいんじゃない?」

 長谷川がにっこり笑う。


「まともな工場を立てるならどう早くしても一年かかるぞ」

 野坂が渋い顔をする。


「今の李氏精機と同じ規模なら早いんじゃないですか?」

 百目木が提案する。

 

「どうせなら大きいほうが良くないですか?」

 長谷川が意見を言う。


 みんな一斉に意見を言ってガヤガヤした。


 真一郎が静止する。

「みんな……聞いて。ストップ」


「今回の目的は何だ? 何のために引っ越す?」

 真一郎がみんなに投げかける。

 

「……そうか」

 長谷川が納得する。


「じゃ、決まりですね」

 百目木も納得する。


「どうするんだ?」

 野坂は聞き返す。


 真一郎は、笑いながら答える。

「速度重視だよ! 急いで工場を建てよう」


 真一郎は、野坂にNES遊休地が使えないか調査を求めた。他、一級建築士の手配、官公庁への書類提出など、それぞれに仕事を依頼して、こう言った。

「みんな集まってくれてありがとう。これからもしっかり頼む」


 ◇


 成田空港。

 志遠は尚哉に会うため、再度日本入りしていた。

 

 目的はもう一つ。

 

 NESの幹部らと会うため、ホテルの一室に行くことになっていた。華陽科技はスパイを飼うほどの組織だ。念の為のホテル会議となった。


 まずは、荷物をホテルに預け、弁護士の事務所に向かった。

 空港から弁護士事務所に向かう道中、誰かから見られている感じがした。


 事務所に着くと、佐々木は少し渋い顔をして言った。

「志遠さん、正直に申し上げて、状況は芳しくありません。華陽科技側の動きも無視できませんが、何より古川さん本人が、自ら進んで罪を認め、過剰なほどに反省している……。弁護士としては、もう少し彼に自分を守る姿勢を持ってほしいのですが、彼は『真実を話して、罰を受けたい』の一点張りです。閲覧請求も、当局が慎重になっていて時間がかかっています。今は、彼の心を守るのが先決です」

 

「わかりました……」

 志遠は目を伏せて心に刻んでいるようだった。


「さて、面会に行きますか」

 佐々木は立ち上がった。

 

 ◇


 尚哉は疲れた顔をして、面会室の椅子に座った。


 鍵の音がして、佐々木とその後に志遠が入ってくるのが見えた。


 尚哉が驚いて、志遠を見る。

「爸爸……」


 まず弁護士である佐々木が椅子に座った。

「古川さん、今日はお父様がいらしています。私に特に伝えることがなければ、お父様と変わりますね」

 尚哉は、小声で答えた。

「特にありません」


「志遠さん、では日本語でお願いしますね」

「わかりました」


 志遠が今度は椅子に座った。

「尚哉……寝られてるか? 食べれているか?」

「最近やっと少し寝られるようになったよ。ご飯は全部食べているよ」

「そうか……。ごめんな。ごめんな……」

 志遠は感情が高まって涙する。


「……父さんの方は大丈夫なの?」

「尚哉、心配するな。信頼できる強力なパートナーが見つかった。お前との生活を取り戻すために、父さんは勝負に出る」

「……無理しないでね」

 尚哉は察したのか、検閲を恐れてなのか、聞き返さずにそう言った。

「ああ。報告できそうなことがあればまた来る。まあ、なくても来る」

「忙しいだろうし、頻繁にはいいよ」

 志遠は答える代わりに笑った。


 警察官が「あと五分です」と言った。


 尚哉は不意に顔を上げてこう言った。

「もし、夏海にあったら……」

「夏海?」

 佐々木が説明する。

「NES社長の娘ですよ」

 

「ああ……。なんだ? 何を伝える?」

 志遠が訊ねるが、尚哉は答えない。


 しばらくするとぽつりと言った。

「いや、やっぱり自分で伝えるからいい」

「そうか。わかった。こっちの心配はしなくていいからな。自分のことだけ考えなさい」

「そろそろ行きますか」

 佐々木が志遠に声をかけた。


「じゃあ……またな、偉」


 尚哉は父親の背中を見送った。


 ◇


 尚哉は独房の小さな机の前に座った。

 手元には、わずかな小口預かり金の残高が書かれた控えと、数枚の便箋がある。

 

「……手紙か」

 小さく呟くと、ペンを握りしめた。

 

 慎重に文字を選ぶ。部屋の隅にある監視カメラが自分を見下ろしているのを意識しつつ、外に届く唯一の手紙を書いた。

 

「夏海……元気でいてほしい」

 少し手が震える。だが、震える指を抑え、検閲で弾かれないよう慎重に言葉を便箋に託していく。


 『夏海へ


 今までのこと、本当にごめん。

 僕はここで、少しでも前に進むために、耐えている。

 僕のことは忘れてほしい。


 返事はしなくていい。

 君が元気でいることを願っている。


 尚哉』


 それでも、書き終えた瞬間、尚哉は小さく息を吐く。


「……これでいい」


 手紙を折りたたむ手はゆっくりで、その指先には力がこもっていた。

 

 封をせずに便箋と封筒、そして郵送を願い出るための用紙を揃えて差し出し口へ置いた。

 

「お願いします」

 

 巡回に来た刑務官に手渡すと、それは数日間のチェックを経て、正式に外の世界へと届けられる。

 手紙は届くが、会えるわけではない――ただ文字でつながるしかない現実。

 それでも、尚哉は少しだけ息をついた。自分の想いが、この厚い壁を越えて夏海に届くかもしれない。そう思うだけで、独房の冷たい空気が少しだけ和らいだ気がした。


 ◇


 夏海は、鈴木と遠方の取引先に謝罪に行った帰りだった。


「今日で謝罪の旅もやっと終わりだね。長いことお疲れ様」

 都内の首都高を走りながら、鈴木は夏海に労いの言葉を投げた。

「私は何もしていません。ずっと運転していただいてありがとうございました。あの……一つお願いがあるのですが」

 夏海を下を向きながら言い出しにくそうにする。

 

「え? 何?」

「寄りたいところがあるので、途中で降ろしてもらってもいいですか?」


 しばらく考えて鈴木はこう言った。

「短時間なら車で待つよ」

「……どれくらいかかるかはわかりません」

「そうか。どっか駐車場止めようか? ていうかどこ行くの?」

 車は首都高を降りた。

 

「それは……言えません」

「なら出来ないな。言えないような場所になんて行かせたら社長に叱られる」

「……ならいいです」


 赤信号から青信号に変わる。車が動き出す。

「どこに降ろせばいいの?」

 鈴木がそういうと、夏海の表情が明るくなった。

 

「では、新橋駅でお願いします」

「駅でいいの?」

「はい」

「もしかして、A警察署じゃないの?」

「……そうです。父には内緒でお願いします!」

 夏海は頭を下げた。

 

「俺はいいけど、うちの他のやつには内緒にしとけよ。あいつのせいで客に謝りに回ってるんだからさ」

「わかってます。……すみません」

「いいよいいよ。会えるといいね」

「ありがとうございます。荷物は後で取りに行くので車に置いといてもらえるでしょうか」

「荷物は田端くんの席に置いとけばいい?」

「ご迷惑をおかけしてすみません。それでお願いします」


 ◇


 A警察署。

 夏海は受付で、震える手で面会申込書を記入した。

 

「古川尚哉さんへの、面会をお願いします」


 窓口の警察官は書類に目を落とすと、淡々と告げた。

「古川尚哉さんですね。……申し訳ありませんが、現在は起訴前ですので、ご親族以外の方との面会はできない決まりになっています」

「親族以外は……ダメなんですか?」

「はい。規程ですので。起訴が決まってから、改めて確認してください」

「手紙は、渡してもらえないでしょうか?」

 夏海はバッグから手紙を出して見せる。


「検閲が入りますが、よろしいですか?」

「……はい。宜しくお願いします」

 

 夏海はぺこりと頭を下げて、警察署を後にした。

 

 外の空気はピリッと冷たい。

 でも、いつ会えるかがわかったことで、胸のざわつきは少しだけ落ち着いていた。今は、自分にできることをやるしかない。

 

 夏海はコートの襟を立て、駅へと続く人混みの中に消えていった。

 

 その少し前、尚哉が書いた手紙が検閲へと回された。

 会えない代わりに放たれた言葉が、二人の間をつなぐ唯一の糸として、外の世界へ届く準備を始めていた。

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