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第16話 三枚の設計図

 夏海は、アイデア・発明発表会の資料を整理していた。


 アイデア・発明発表会とは、社内イベントで、日頃思いついたアイデアや発明をもう少し実用レベルにまで落として、発表し合う会だ。


 総務部と営業部が主催で、強制ではなく任意参加となっている。だが、人事評価に響いてくるのでそこそこ参加者が多い。

 優勝者には温泉旅行券や金一封が出る。


 事前の社内アンケートの点数と、発表会当日の審査員の点数で競う。


 夏海は、審査員に配るための資料をまとめていた。

 すると、テーブルの端のダンボールに大きく《シュレッダー廃棄》と書かれた書類があることに気づいた。


 中を見ると、尚哉の仕事の資料だった。検閲が終わった後のものだろうか。


 赤文字で『ここ重要!』と書いてあったり、手書きの計算式が書いてあったりする。何度も消しゴムで消しては書いた後もある。夏海には尚哉の研究の足跡に見えた。

 指で字をなぞると、胸がキュッとなった。


 夏海はその三枚の設計図を四つ折りにしてポケットにしまい込んだ。

 

 周りを見回したが誰にもみられてはいないようでホッとする。


 夏海はホチキスで止めた資料をまとめて会場の会議室に運んだ。

 

 ◇


 午後の発表会。


 審査員に候補者がプレゼンしていく。

 

 次世代バッテリーの高容量化、安全性向上。

 発表者の言葉はどれも正しくて、よく整理されていた。

 それなのに夏海は、尚哉の設計図にあった計算式を思い出していた。

 ――あれは、もっと無茶で、もっと先を見ていた。


 少し離れたところに立っている総務の二人がこう言っているのが聞こえた。

「本当なら古川が候補にいたのにな。アンケートも上位だったし、もったいねえ」

「シッ。そこに田端夏海がいるよ」


 夏海は聞こえなかったふりをする。発表が終わった候補者に拍手を送った。


 ――審査員の審査の結果、

 最優秀賞は

 『未来を支える次世代バッテリー構想』

 に決まった。


 そして夏海は思った。

 (それ、尚哉が言ってた言葉に、少しだけ似てる)


 社長の田端真一郎から、温泉宿泊券と金一封(十万円)が贈られた。

 受賞者の田辺仁は、マイクが渡され、コメントを求められた。

「ありがとうございます。一時はどん底に落ちていましたが、めげずに努力してきた結果だと思います。こんな賞もいただきありがとうございます。これからもがんばります」

 周りから拍手が湧いた。

 

 最後の社長のコメント。

「恒例のアイデア・発明発表会、皆さんお疲れさまでした。


 今日の発表を聞いて、

 次世代バッテリーが《製品》ではなく、

 《未来を支える土台》であることを改めて感じました。


 完成しなかった案や、

 途中で止まった設計も、

 決して無駄ではありません。


 誰かが本気で考えた時間は、

 必ず次につながります。


 これからも、

 未来を諦めずに考え続けていきましょう」


 ◇


 仕事が終わり定時後。

 夏海は家に帰ると、自分の部屋に着くなり、バッグから尚哉の三枚の設計図を取り出した。


 深く深呼吸する。

 ゆっくり広げてみると、丁度、アイデア・発明発表会に出すための資料らしかった。


 紙の端に殴り書きがあった。

 『いつかこのバッテリーが世界を変えることを願う。

  電気飛行機が飛び、温暖化がなくなり、気候変動も落ち着いていく。量産され安価になれば、世界の家庭を支えていくだろう』

 

 夏海は、出会った頃の尚哉の言葉を思い出した。

『僕は、次世代バッテリーにかけてる。開発が実現して、一般に浸透したら、世界の発展に寄与する。そのためには僕は労力を厭わない』


 夏海は尚哉の情熱を思い出した。

 ――やっぱり、あれは嘘じゃない。


 そう思い直すと会いたさに涙が溢れる。

 

「もう少しで、会える……」

 

 今はただ、面会が解禁になるまで我慢するしかない、そう思った。


 ◇


 尚哉は単独留置だった。

 何日経ったのかわからなくなりそうだった。

 

 夕方、鉄格子の向こう側からドタドタと足音が響き、小さな差し入れ口がパタンと開く。

「古川、夕食だ」

 差し出されたのは、プラスチックの器に入った冷めた弁当。

 

 尚哉は、配られた弁当を黙って食べた。

 弁当の味はほとんどしない。ただ、胃の中に何かを詰め込んでいる感覚だけがある。

 

「ごちそうさまでした」

 食べ終わると、食器を戻し、また元の位置に座る。勝手に立ち上がることも、横になることも許されない。監視カメラと、時折通りかかる刑務官の視線が、尚哉の皮膚をチリチリと焼く。


 しばらくして、尿意を覚えた。しかし、部屋の隅にあるトイレへ勝手に行くことはできない。

 尚哉は少し躊躇した後、おずおずと右手を挙げた。

 

「……巡回の方、トイレいいですか」

「ああ、いいぞ」

 

 刑務官の無機質な声。見られながら用を足す屈辱感。音も、姿も、すべてが管理されている。

 トイレは許可制になっている。自由に使えるわけではなかった。洋式便器で、仕切りは腰ほどの高さしかなく、頭の上は何も遮られていない。


「布団敷け。就寝十五分前だ」

 号令と共に、自分で布団を広げる。シーツに潜り込んでも、部屋の明かりが完全に消えることはない。防犯のために薄暗い光がずっと点いている。

 天井の隅にあるカメラを見つめながら、尚哉は目を閉じた。


 布団に横たわると、体は疲れているのに眠気は来ない。


 まぶたの裏に浮かぶのは、あの日、夏海の家の前で交わした会話。

 『窓から出て、外見てみて』

 『遠くからでいいんだ。君の姿が見られるなら』

 

 (あの時から、僕の中で君が一縷の希望だった)

 

 尚哉は心の中で呟く。

 窓越しに手を振り、愛を囁き合った。あの夜、二人の間を隔てていたのはただのガラス窓だった。でも今、二人を隔てているのは、冷たい鉄格子と、自分が犯してしまった罪の深さだ。


 『愛してる』

 『私も。……おやすみなさい』

 

 耳に残る夏海の優しい声。

 彼女は今、あのあと自分がデータをアップロードしたことを知っているだろうか。あの夜、必死で隠した手の震えの意味を、彼女はどう受け止めるだろう。

「夏海……ごめん……」

 声に出せない謝罪を飲み込み、尚哉は冷たい布団の中で体を丸めた。

 窓のないこの部屋では、朝日が昇るのを、刑務官の足音でしか知ることができない。

 今日も尚哉はあまり眠れなかった。

 

 ◇


 華陽科技の北京本社、二十階の応接室。

 景色のいいガラス張りの窓から望む北京の夜景が広がっている。

 志遠は、ソファの端に座った。

 扉が開き、秘書の女性と華陽科技の社長、李崇徳が入ってきた。


「李社長、報告があります」

 志遠は静かだが、声に鋭さがある。


「……なんだ? 夜に呼び出して」

 崇徳は顔を上げ、軽く眉をひそめた。


「NESの田端社長から、四十億円の損害賠償を請求されました」

 志遠の声は落ち着いているが、視線は鋭く崇徳を捉える。


 崇徳の目が一瞬鋭くなる。

「……四十億? お前、何を言ってる?」


 志遠はバッグから資料を取り出し、崇徳の机の上に叩きつけるように置いた。

「事実です。支払わなければ、会社もあなたも法的に追及されることになります」


 崇徳は一瞬言葉を失い、眉間に皺が寄る。

「ふん……つまり、私に責任転嫁するつもりか?」


「いいえ、責任は明確にしてあります。ただ、あなたが協力しなければ、損害はすべて現実になります」

 志遠は冷静だが、底知れぬ圧力を崇徳に伝える。


 崇徳はわずかに肩をすくめ、低い声で呟いた。

「……なるほど、面白い状況だな。だが、我が社の立場もある」


 志遠は微笑まない。目には決意が光る。

「四十億が高いとおっしゃるなら、どうぞ裁判で争ってください。村田という男が、恒久動源研究所の誰の指示で、いくらで動いていたか……その証拠もすべてNESは掴んでいます。裁判になれば、あなたの会社の名前は世界中のニュースで『泥棒企業』として流れることになりますが、よろしいですね?」

 

 崇徳の額にうっすら汗が滲む。

 

「立場がどうであれ、損害は現実です。あなたの対応次第で、被害を最小限に抑えることもできます。

 四十億が惜しいなら、別の解決策もあります。……あなたが奪った私の会社の株を、すべてNESに譲渡してください」


 崇徳は短く息を吐き、机に手を置く。

「わかった……少し考えさせてもらおう」


「では、宜しくお願いします」

 志遠はそういうと、応接室を出て行った。


 外に出ると、ようやく緊張が解けて肩を緩めた。

 (尚哉……ようやく父らしいことができそうだよ)

 志遠の目にはうっすら涙が溜まっていた。

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