第12話 実行と崩壊
次の日の朝。NES自社ビルの六階。
尚哉は自分の席につくと、長いため息をついた。
始業後、情シスから電話が来るはずだ。
いくらか緊張していた。
昨日と同じ報告書のまとめ直しを始める。
すると、夏海からラインが入った。昨夜の寝る前もラインをしていた。
(あと何回ラインのやりとりができるだろう……)
『おはよう。今日も忙しい?』
『おはよう。ごめん、今日も無理だ』
『そっか。あんまり無理しないでね。最近騒ぎがあったようだけど、影響ない? 大丈夫?』
尚哉は胸がズキンと痛んだ。
『大丈夫だよ。そっちはどう?』
『パパとママと、役員の人が対応してくれてる。わたしは何も手伝えてないけど、ママが言うには、やわな会社じゃないから大丈夫だって。だから尚哉は気にしなくていいよ』
尚哉は歯を食いしばりグッと堪えた。
『なら、良かった。仕事に戻るね。またね』
『またね』
尚哉は少し微笑んだ。
すると情シスから会社用スマホに電話がかかってきた。
「はい。古川です」
『古川さん、大きい声で復唱を。あなたの家のパソコンを今日中にフォレンジックで確認することになりました』
「僕の家のパソコンが今日中にフォレンジックされるんですか!? どうして?」
声を大きくしすぎて、周りの人がみんな注目していた。
『会社の調べであなたのパソコンが調査対象になりました』
「会社の調べでパソコンが調査対象にって、なんで僕のパソコンが家にあるってわかったの?」
村田が尚哉に近づいてきた。
『あなたの家に捜査が入りました。今日フォレンジックするので後で回収に行ってもらいます』
「家に捜査って……それじゃ不法侵入じゃないの?」
『とにかく、後で迎えに行きますから、宜しく』
「とにかく迎えに来るって……」
電話が切れた。
尚哉は気配で村田がそばに来ているのを察知した。
「古川、どうしたんだ? なんかあったのか?」
「ああ、村田さん。情シスが、今日中に僕の家のパソコンをフォレンジックするって……」
「家の……?」
「そう。酷い話です。誰かが不法侵入して僕のパソコンからハッキングの痕跡を見つけたとか……。なんで僕がこんなことに……」
「どんなパソコンなんだ?」
「ノートパソコンです。……どうして見つかったのか……」
後半は小声でつぶやいた。
「後で家に取りに行きます」
尚哉は肩を落として、椅子に座った。
村田は、少し怖い顔で、自席に戻って行った。
尚哉の握り拳と肩が震えていた。
◇
今日は情シスの人がすぐ迎えに来た。
「古川さん行きましょう」
「はい……」
二人は同じ六階の情シスのサーバルームに行った。
尚哉は、はーっと息を吐きながら胸を押さえた。
情シス室長の浅井が声をかけた。
「お疲れさま。うまくいったようね」
「見ていたんですか?」
「まあ……ね。証拠が見つかったら、すぐ警察に連絡するわ。あなたは今から自宅に取りに行く真似を。送迎の車にノーパソを積んであるから、戻った時はそれを持ってきてね」
「車まで案内するわね。杉田さん、よろしくね」
「はい。行きましょう」
◇
自宅への送迎車の中。
「浅井さんにノートパソコンがあるって聞いたのですが」
「ああ、これよ」
杉田聡美は黒いバッグに入ったノートパソコンを渡した。
これは村田を欺くためのダミーパソコンだ。尚哉の本物のノートパソコンは、情シスの奥の部屋で、罠を仕掛けられて待っている。
「ありがとうございます」
杉田が尚哉に話し始めた。
「私ね、古川君がそんなことするの本当に信じられなかったの」
「……」
「今でもよ」
そう言って杉田は笑った。
「……僕はドイツの研究所に行ってた時、中国の元締め研究所にも通っていて、その時に洗脳されていたのかもしれない……」
「洗脳か……。着いたわ」
尚哉が部屋に一度行ってこようとすると、杉田は注意した。
「念の為ね、あなたの部屋にカメラが仕掛けられているかもしれないから、気をつけてね。プロのスパイはなんでもするわ」
「わかりました……」
尚哉は注意された通り、気をつけてノートパソコンを持ち出すふりをした。
(もしカメラがあるなら、前回本物を持ち出した時に見られてないといいけど……)
カメラがあるとか考えたことはなかった。家でのことを見られていたかもしれないと思うと、背筋が寒くなった。
車に戻り、会社まで送ってもらう。
(もう僕のパソコンにアクセスしているのだろうか?)
「一度自席に戻ってから、情シスの部屋に来るといいわ」
「わかりました」
「それから捕獲するまでは、A会議室にいてもらうわ」
「はい」
(……夏海はこのことをまだ聞かされてないのだろうか?)
尚哉はパソコンの入ったバッグを抱き抱える手に力が入った。
◇
社長室。
真一郎は夏海を呼び出していた。
真理子もいる。
「あなた、大丈夫かしら?」
「村田が古川のパソコンに触った瞬間、情シスが警察に連絡する。村田は会議室に移動させる」
「逃げようとしない?」
「逃げたら現行犯になるし、奴もわかってるはずだ」
コンコン。ドアをノックする音。
鳴川がドアを開けた。夏海が部屋に入ってくる。
「パパ、今どうなってるの?」
「夏海には言わなきゃいけないことがある」
鳴川は一礼して退室した。
「今、社内に紛れ込んだスパイを捕まえようとしている」
夏海は驚いて口に手を当てている。
「信じられないかもしれないが、古川もスパイだ」
「何言ってるの?」
夏海は笑って続けた。
「パパは、私が尚哉と離れないからってそんな嘘ついてもダメよ」
真理子が夏海を諭す。
「夏海、嘘じゃないの……。本当に古川君はスパイなの」
「そんな……」
夏海の表情が一瞬にして曇る。
「古川は今は二重スパイの立場だ。プロのスパイを捕まえる罠を演じている」
「パパ……? 二重スパイ?」
夏海は混乱しているようだった。真一郎の袖を掴んだ。
「今は大事な場面だ」
「尚哉どうなっちゃうの?」
「スパイが捕まれば、法的措置になる」
「パパ! なんとかならないの?」
「失敗してはならない! 許すわけにはいかないんだ! 大勢の社員のためなんだよ。わかってくれ! お前も田端の一員なら!」
夏海は真一郎の怒声を聞いたのは初めてだった。
真理子が夏海の背中を支えた。
「さ、夏海。家に帰りましょう」
夏海の目から涙がポロポロ溢れた。
(尚哉……。どうして……)
◇
尚哉は会社に戻ると、自席のメモ帳を引き出しから取り出すと、同じ六階の情シスの会議室へ向かった。足取りは重かった。
途中、村田の視界に入り、尚哉を目で追っていた。
A会議室は十名だけ入る狭い会議室だ。
隣のB会議室は五十名入るほどの広い部屋だ。そこに後で村田が連行される予定だ。
尚哉はA会議室の席に座り、待機した。
たぶん、情シス総出で、フォレンジック用にミラーリングしているパソコンのログを見ているに違いない。
ミラーリングされている僕のノートパソコンが村田を罠へといざなう……。
この部屋には時計がなかった。腕時計を見るとまだ数分しか経っていなかった。
一分がものすごく長い時間に感じられた。
◇
「村田が接続したようです。パソコンのデータを削除しに来ています!」
浅井室長が大きい声で報告した。
「よし! 証拠は揃った。警察に連絡を。警備員の方と、二人は村田の席へ向かって下さい。お気をつけて」
田中部長が合図を送る。
慌ただしく皆出ていく。
◇
――六階の研究開発のデスク。
村田は自席のデスクトップパソコンのモニタを凝視して何かをしていた。
村田は近づいてくる気配に気づいた。目の前に情シスの男性二人と警備員が来たのを見て一瞬固まった後、天井を仰ぎ見て両手で顔を覆った。
「クソッ……。古川め」
「村田さん、B会議室に来て下さい」
村田は悟ったようにうな垂れながら席を立った。
周りの社員は、皆手を止めて見入っていたが、誰も喋る人はいなかった。
村田が会議室の前の廊下に消えていくと、ザワザワが始まった。
◇
B会議室。
「村田さんはここに座って」
浅井室長が座るように促した。
村田は椅子に座ると隣の椅子を蹴飛ばした。
ガシャーン。勢いで椅子は倒れた。
――緊張が走る。
警備員は体でブロックしようとしながら、椅子を戻した。
「手荒な真似をすると余計罪が重くなりますよ。すぐ警察が来ますから観念して下さい」
「イライラしてんだよ」
扉が開き、私服の刑事が数人と警察官が数名入ってきた。
「わかってると思うが、署にきてもらおうか」
「……ああ」
村田は手錠はかけられてないが、前後左右警察官に固められ、会議室を出ていく。
すると、隣の会議室にいた尚哉が出てきた。どうしても聞きたいことがあったからだ。
村田と尚哉は目があった。
「ごめんなさい、村田さん。……なんで僕に優しくしたんですか?」
「さあ? 昔の俺に似てたのかもな」
(最後まで古川は古川だな)
「さあいくぞ」
刑事が村田に言う。
六階の研究開発部、技術開発部の社員の前を通り、村田はエレベーターへ連れて行かれた。
今日はもう皆、仕事が手につかないだろうと尚哉は思った
尚哉は賃貸の家の始末をしてから自首するつもりだった。
情シスの浅井室長のもとに向かった。
「お疲れさま。これからどうするの?」
浅井が質問してきた。
「家の片付けをしてから警察に行きます」
「契約とかどうするの? 弁護士いるの?」
「いや、まだ何もしていません」
「とりあえず、弁護士探したほうがいいわよ」
「そうします。ありがとうございます」
その後、自席を整理する。書類を捨て、重要書類はシュレッダーへ。
総務に行き、セキュリティカード、会社貸与のスマホを返す。
尚哉は淡々と退職残作業をこなした。
「自主退職と言う形になってるから。書類を書いてね」
「わかりました」
(やっぱり、社長は優しい……)
印鑑は持ってきてあるので、サイン後押印する。
「何かあれば弁護士の方へお願いします」
「お世話になりました」
尚哉は頭を下げた。
(弁護士探すか……)
◇
田端家。
やっと夏海は落ち着いたようだった。
そばには真理子がいた。
「私が子供なのかな……」
夏海が呟く。
「そんなことないわよ」
真理子は夏海をハグした。
「私……尚哉が悪い人とは思えない」
また夏海はほろほろと涙を流す。
「大丈夫。私もよ」
「うぐっ」
夏海の嗚咽が真理子の肩に伝わった。
ハグを解くと真理子は聞いた。
「会社に戻る? 村田さん捕まったみたいよ」
「尚哉は?」
「今日か明日か警察に自首するみたい。さっき退職手続きしたわ」
「一目会いたい……」
「会ったら真一郎は激怒するわね。今は無理ね」
(いつか……会える?)
夏海は尚哉にまだ変わらない一途な想いを抱いていた。
◇
佐々木弁護士事務所。
「スマホはこれです。ロックは外しておきました。警察がフォレンジックしたいなら、どうぞご自由に、と伝えてください」
弁護士が少し意外そうに眉を上げる。
「……暗証番号の開示を拒んで、時間を稼ぐこともできますが?」
「必要ありません。中を見れば私の自供が裏付けられるだけです。それより、家の維持費の解約を始めてほしいんです」
尚哉はポケットからメモを出す。
「ガス、水道、電気、ネット回線。それから賃貸の解約通知。スマホの回線だけは維持してください」
弁護士がリストをチェックする。
「家財道具は?」
「全部処分をお願いします。警察の家宅捜索後、佐々木さんから業者に頼んで部屋を綺麗にして欲しい。敷金精算の代理もお願いします」
「承知しました。……あなたは、これから刑務所へ行くというのに、まるで海外へ長期出張にでも行くような手際の良さですね」
「それはたぶん……僕が弱いからです。現実を吟味できないから、早く進みたがってるように見えるのかもしれない」
「なるほど……。さて、あとは全てお任せ下さい」
「宜しくお願いします」
尚哉は頭を下げた。
事務所を後にし、最寄りの警察署に向かう。
その手前で、父親に電話した。幸い父は電話に出た。
簡単に説明すると、いつものように、『私のことは考えなくていいから、自分のことだけ考えろ』と言われた。
弁護士の連絡先を教えると、やっと一仕事終わったような感覚になった。
ほんの少しだけ足取りは軽くなり、警察署の入り口の階段を登った。
そこは自由と束縛の境界線だった。




