第11話 覚悟
午後、尚哉はデスクに行くと報告書をまとめるふりをした。
(村田さんが帰るまでは仕事するふりをしないと……)
内線電話が入り、情シスに預けたスマホを取りに行った。
席に戻ると、やはり村田が近づいてきた。
「古川。情シスに呼ばれたんだって?」
「ああ、村田さん。午前中呼ばれてました」
「長かったよねえ。なんか疑われてんの?」
「僕が残業してたときに漏洩したみたいで、タイミング的に怪しまれたみたいです」
村田は同情するような表情をした。
「それは困ったね。でも晴れたんでしょ?」
「はい。じゃなきゃ席に戻って来れてませんよ」
そう言って尚哉は笑った。
「……今日飲みに行く?」
村田が少し顔を近づけて聞いてきた。
「今日は……あいにくデートなんです」
「そっかあ、残念。また誘うよ」
尚哉は愛想笑いをした。
(俺って芝居下手くそだな……。バレてないかな)
尚哉は席に戻っていく村田の方を見たが、怪しまれてはいなそうだった。
夏海からラインが入った。まだブロックはしていなかった。今は、する気が起こらなかった。
(社長は『会うな』とは言ったが、連絡するなとは言っていない、そう自分に言い訳をする)
『お疲れさま。今日会える?』
『今日は仕事で残業するので会えない。ごめん』
『そっか。忙しいんだね。頑張ってね♡』
『ありがとう』
『またね♡』
『またね』
尚哉はいたたまれず、トイレに行った。個室に入り声を殺して泣いていた。
少しして顔を洗って外に出る。鏡の前でチェックする。
(今は感情に流されるな! 村田さんは抜け目ない人だからな)
尚哉は贖罪をするように運命に向かい合っていた。
(僕が刑務所に入ったら父はどうなるんだろう。夏海が知ったらなんて言うんだろう……。いや、いまは感傷に浸る場合ではない。やらなきゃいけないことがあるんだ!)
尚哉はこう言う時こそ仕事に没頭したいと思った。
――もうラボにも入れない。
昔の報告書をまとめ直すことにした。
雑念を振り払うのに一生懸命だった。
◇
やっと定時を回った。まだ村田は帰っていない。
(もし帰ったと思って帰っていなくて怪しまれたら?)
嫌な想像ばかり頭をよぎっていた。
「よう、古川。まだやってくんだ?」
村田だ。
「この前出した報告書が間違っててやり直してて……」
「そっか、珍しいねしくじるの」
「最近の寝不足が祟ってたみたいだ」
尚哉は苦笑した。
「まあ、デートなんだろ? 早く行ってやれよ」
「はい」
尚哉は笑った。
「お先」
「お疲れさまです」
尚哉は用心してしばらく待ち、村田さんが戻って来ないのを確認した。
明日の最終確認のために情シスに行った。
情シスのサーバルームに行くと、浅井さんがいた。
「浅井さん、明日はいつぐらいに村田さんに話を持ちかけたらいいですかね」
「んー……日中決行させたいから、朝がいいかなあ。ちょっと待って確認します」
浅井は少し離れたところで誰かと電話している。部長の田中さんだろうか。
「やっぱり朝にお願いしたいわ。情シスから『今日中にフォレンジックで確認すると言われた』と伝えてほしいわ。頼むような口調でね」
「……わかりました」
「家のパソコンを私たちに知られた理由は……社長の探偵に見られた、と言うことにしておいてね」
「はい。わかりました」
「念の為、今日のように古川さんを家に送るので、家のパソコンを取りに行くふりをしてもらいます」
「はい」
「戻ってきたらソワソワしといてください」
「はい」
「その間、我々は接続監視していますので」
「わかりました」
「成功したら、古川さんと村田さんの処分がクリアになって進むと思うわ。失敗したら……最悪、村田さんは逃げるかもしれない。まだ色々方法はあるとは思うけど」
「だから……頑張ってね!」
「はい。頑張ります」
「今日はもう帰りましょう。お疲れさま」
「お先に失礼します」
尚哉はお辞儀した。
――もう戻れない。
僕にできるのは、役目を果たすことだけだ。逃がさない。
罠が成功すれば、村田さんは黒になる。僕の証言は立証される。
それでも、まだ完全には、村田さんがプロのスパイだと信じきれなかった。
◇
尚哉はコンビニに寄ってビールだけを買った。食欲はなかった。
部屋に入ると、ベッドに座り、缶を開けた。
プシュッ。
一気に飲んだ。
これからの未来が全く見えない。
明日はうまく行くだろうか。
僕は刑務所で何を感じるだろう。
夏海は……どれだけ悲しむだろうか。
夏海の人生にどれだけ影を落としてしまうだろう?
父の会社は? ――命は?
改めて自分のしたことの大きさに、押しつぶされそうになっていた。
軽くシャワーを浴びてベッドに入ったが、眠れない。
かと言って頭の中に情報は入れたくなかった。自分の揺らぎさえ怖かった。
夏海からラインが入る。
『こんばんは。今日情シスに行ったと聞いたよ。なんか巻き込まれたりしたの? パパもママも詳しいことは教えてくれないの。なんか知っていたら教えて』
『僕もよくわからないよ。僕が残業した時になんかあったようだ』
『ねえ、今電話していい? 家よね?』
『いや、仕事で疲れたから明日にして欲しい』
『尚哉、なんか冷たいよ?』
尚哉は、目を瞑り、深呼吸を二度した。
『ものすごく眠いから明日にしてほしい』
『わかった。お疲れさま♡ ゆっくり休んで』
『おやすみ』
『おやすみなさい』
頭の中には色々なセリフは浮かんだ。
――好きな人ができた。
――君が嫌いになった。
でも、無駄に夏海を傷つけたくなかった。
(そうだ。僕は意気地がない……)
僕はラインの文字を眺めた。夏海との過去のやり取りを。
夏海に近づいたのは、華陽科技の指示だった。
なかなか実行しない僕に指示が飛んだ。
田端夏海を落とせ。田端真一郎の懐に入れ。
華陽科技は、最先端の技術情報のためには手段を選ばなかった。加担した僕も同じだ。
罪もない会社を壊そうとした。
一生懸命使命に応えようとした僕が馬鹿だった。
一体どこで間違った?
……たぶん、最初からだ。
恩だとか、父のためだとか、
そんな言葉で自分を守っていただけだ。
――夏海。
夏海に会いたい。
僕は、今まで本気で人を愛したと思ったことはなかった。
素直で、優しくて、健気だけど芯が強くて。
よく表情が変わる子。
笑顔がすごく可愛いらしい。
何より僕を愛してくれた――
こんなちっぽけな僕を。
夏海に会いたい――
僕は朝まで寝られなかった。




