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第1話 出会い

https://49829.mitemin.net/i1095228/

 田端夏海は、NES自社ビル一階のカフェにいた。

 昼休み。いつもならお弁当を持ってくるのだが、今日は家政婦の体調が悪く、さらに寝坊もしてしまい、軽食で済ませることにした。

 カウンターでコーヒーとミックスサンドを頼むとトレーを抱えながら席を探す。

「混んでるな……」

 よそ見をしたその瞬間、外から入ってきた男性とぶつかってしまった。

「きゃっ」

 コーヒーのマグカップが倒れ、男性の服を汚してしまう。

 男性は優しくトレーと夏海の体を支えた。

 夏海は慌ててマグカップを戻す。

 

「申し訳ない。すまない」

「こちらこそ、ごめんなさい!」

 夏海は自分のハンカチで男性のスーツを拭いた。

 

「やけど……大丈夫ですか?」

 夏海は男性の顔を覗き込んだ。

「大丈夫。幸いシャツまでは染みてない」

 男性はスーツの中を確認した後、上着を脱いだ。


 夏海は済まなそうな顔をして俯いて言う。

「クリーニングさせてください。二階にクリーニング店があるので」


 男性はにこやかに笑いながら、カウンターを親指で示す。

「その前にコーヒー買い直さない? 僕も昼飯、買いたい」

「そうですね」

 夏海は少し微笑む。

「じゃ、行こう」


 夏海は、またコーヒーを頼んだ。

 男性は、ブラックコーヒーとエッグチーズベーグルサンドを頼んだ。

「あ、私払います」

「ここはさっきの件と別でいいよ。僕が払う」

 男性は、サッと支払ってしまった。


「ごちそうさまです」

 夏海はお礼を言う。

「礼を言われるほどのことでもないよ」

 男性は笑った。


 席につくと、夏海は男性の首からぶら下げているカードキーが気になって切り出した。

「ここの社員さんですか?」

「ああ、そうだよ。技術開発部の古川尚哉。よろしく」

 尚哉は、右手を差し出した。

「営業部の田端夏海です」

 夏海も右手を差し出して軽く握手した。


「田端……。まさか社長の……? 違うか」

 尚哉はベーグルをほおばる。

「そうです。父は社長です」

 尚哉はベーグルがのどにつかえたようで、慌ててコーヒーを口にした。

 

「ゴホ……、失礼。……そうか」

 尚哉は、言葉もなく夏海を見つめていた。 

 夏海は少し恥ずかしそうにサンドイッチを口に持っていく。


 尚哉の視線は、食事のあいだも逸れなかった。

 夏海は耐えきれず言った。

「あんまり見つめないで……」

「ああ、ごめん。つい……」

「上着、クリーニングに出させてください。代金は払います」

「ああ、これ?」

 尚哉が畳んだスーツの上を持ち上げる。

「はい。私がよそ見をして汚してしまったので」

 そう言うと、夏海はサンドイッチを食べ終えた。

「気にしなくていいのに。こっちも悪かったし。でも……せっかくなので、気持ちいただきます」

 そういうと尚哉は優しく笑った。


 夏海は上着を受け取ると、思っていたより重いことに気づいた。男物のスーツを持つのは初めてだった。

「たぶん明日にはできると思うので、六階まで持っていきますね」

「ありがとう」

 尚哉は、ポケットから名刺を取り出して夏海に渡した。


 ――株式会社 NES 技術開発部 研究課 古川尚哉。


 夏海も名刺を渡す。


 ――株式会社 NES 営業部 法人営業課 田端夏海。

 

「もう昼休み終わってしまうね」

「今日は、本当にごめんなさい」

 夏海は立ち上がり、頭を下げた。


「いや、俺も悪い」

 尚哉も頭を下げる。


 目が合い、お互い笑った。


 二人とも食器を片付けると、階中央にあるエレベーターまで一緒に歩いた。

 

 昼休みが終わり、エレベーター前には部署に戻ろうとする五人が待っていた。

「古川さんて、入社されて長いんですか?」

「いや、中途で入って、まだ二年足らずかな。というか、敬語使わなくていいよ」

 誰も乗っていないエレベーターが一階に止まり、みんなで乗り込む。


「あ……。営業しているので、いつもの癖です。父が変な社内規定作ったから……」

「変ではないよ。社員同士は敬語使うな! は斬新で面白いと思ったもん。考え方がベンチャーぽいよね」

 そういって尚哉は朗らかに笑った。


 二階で止まった。

「降ります」

 夏海はクリーニング店に行くため、降りた。

 尚哉が手を振る。

「またね」


 両手でスーツを抱えてクリーニング店に入る。

「仕上がりは明日の十三時頃になりますが、よろしいですか?」

「お願いします」


 夏海は自分の部署、五階の営業部に向かった。荷物を持ってないからなのか、足取りは軽かった。


 ◇


 夜、父が帰ってきたとき、夏海は古川のことを尋ねてみた。

「ねえ、パパ。今日技術開発部の古川尚哉さんて人と話をしたんだけど……どんな人?」

「あ? ……うーん。誰だっけかな。社員全員把握してるわけでもないしな」

 社長――田端真一郎がネクタイを外しながら答えた。

「二年近く前に入ったって言ってた」

「あー、じゃあ、新規開発の欠員募集の時かな」

「そうなんだ」

「なんだ。気になるのか?」

 真一郎はスーツのジャケットをハンガーにかけた。

「ううん。今日カフェでその人とぶつかってコーヒーこぼしちゃったの」

「そそっかしいな。怪我はなかったか?」

「大丈夫」

 夏海はそう言うと、父の部屋を出て行った。


 ◇

 

 次の日の午後、夏海はクリーニング店にスーツを取りに行く。

 

「お待たせしました」

「ありがとうございます」

 夏海はクリーニング品を胸に抱え、六階の技術開発部に急いだ。


 座席の位置は調べてある。

 夏海のカードキーは、どのフロアにも入れる設定になっていた。

 座席に行ったが、古川はいなかった。

 クリーニング品だけ置いていくのも気が引けたので、近くの男性に声をかける。

「あの……営業部の田端といいます。古川さんは戻られませんか?」

「古川は今日はラボですねえ。戻るのは夕方かな。何か伝言しときますか?」

「これ渡しといてもらえますか? それと会社の携帯番号教えるので伝えてもらってもいい?」

「了解です」

 メモをもらい、番号を書く。

 メモとクリーニング品を渡す。

「よろしくお願いします」

 夏海はお辞儀をして、その場を離れた。


 ◇


 夕方、夏海の携帯に電話があった。尚哉だ。


「はい」 

『田端夏海さんですか?』

 昨日聞いた声だ。

「田端です」

『クリーニングありがとう。あの……君が嫌でなければ、お礼をしたいのだけど、定時後時間ある?』

 突然の誘いに夏海は戸惑ったが、こう返事した。

「大丈夫です」

『ほんと? なら十八時に……カフェの前で待ってる』

「わかりました」

『じゃ、また後で』

「また……」


 夏海は少しの間余韻に浸っていた。


 ◇


 十八時。夏海がカフェの前に行くと、尚哉が既にいた。

「お待たせしました」

「お疲れさま。近くのレストランに予約したんだ」

「お疲れさまです。最近、外食してないから、久しぶりですね」 

 夏海は笑って言った。


 雰囲気のある個人経営の小さなレストランだった。

歩いて五分ほど、ふと見落としてしまいそうな場所にある。

 

 尚哉が扉を開けてくれ、夏海が店に入ると奥の席に通された。

 尚哉は夏海のコートを店員に渡す。

「ここ、かしこまりすぎないフレンチだから、たまに来るんだ」

 尚哉は夏海の椅子を引きながら言った。

 夏海は、エスコートに慣れている人は珍しいな、と思いつつ、どこか胸がくすぐったくなった。


 夏海はフランス料理は久々だったので、嬉しかった。

 簡単なコース料理だった。

 前菜にはサーモンマリネ。

「口に合えばいいけど……」

 尚哉が使い慣れてるようにフォーク・ナイフで食べながら言う。

「うん、美味しい。フレンチ久々で嬉しいの」

 夏海が笑う。

 

 次は、湯気を立てるオニオングラタンスープ。

「僕は、次世代バッテリーの開発部署で仕事してるんだ」

「あっ、そうなんだ。忙しいの?」

「今はそうでもないよ。ピークは超えたかな」

 

 白身魚のポワレを経て、最後は鴨のローストが運ばれてきた。

「夏海さんは、どんな仕事を?」

 夏海は名前を言われて少し驚いたが、嫌悪感はなかった。

「私も次世代バッテリー絡みで、顧客販路調査とかプレゼン資料作成とかだよ」

「なるほど。会社としてはかなり力入れてるんだね」

「そうね」

 

 最後は、デザートのクレームブリュレ。

「美味しい……」

「甘いのは好き?」

「うん。結構、甘いのには目がない」

 夏海はそう言って茶目っ気たっぷりに笑う。

 

「可愛いな。夏海さん」

 尚哉は夏海をまっすぐ見て言った。 

 夏海は俯いて赤くなった。

「面と向かってそんなこと言われると……照れます」

 尚哉は、真っすぐ夏海を見てこう言った。

「夏海さんと食事するのが楽しかったから、また食事誘ってもいいかな?」

「……はい。私も……楽しかったです」

「わあ、そんなふうに言ってもらえるのは、すごく嬉しいな」

 尚哉は嬉しそうに笑う。

「でも、今日はお腹いっぱい食べすぎました。次は私がお店選びます」

「そっか、そりゃ悪かった」

 尚哉がそう答えると、二人で笑った。


 帰りはタクシーを呼んで、夏海の家の前まで送った。

「今日はごちそうさまでした。とっても美味しかったです」

「それは何より」

「また近々連絡する。おやすみ。ゆっくり休んでね」

 尚哉はそう言うと、手を振りながらタクシーに乗り込んだ。

 夏海は、お辞儀をしてタクシーを見送った。

 家のマンションを見上げると、長いため息をついた。

 空には綺麗な三日月が輝いていた。

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