008 プロローグの終わり
ツバメさんと知り合ってから数ヶ月が過ぎ、ティオとはすでに一年近い付き合いになる。
出会った頃は、これほど長く、ほぼ毎日のように通信し合う仲になるとは思いもしなかった。
特に出会って半年が過ぎ、異世界の存在を確信してからは、周囲の顔ぶれも賑やかになっていった。
昔からの悪友のように気が合い、遠慮のない男友達のようなティオ。
お淑やかで気さくだが、性的な話題になると暴走癖のあるソフィーリア王女。
普段は温厚で母性に溢れるが、怒らせると魔王より恐ろしいマリアメア。
表情筋と声帯は仕事をしないが、目元だけは非常に雄弁なツバメ。
次元の壁を隔てながらも、この四人とは深く、笑い合える仲になった。
実際に会うことは叶わなくても、間違いなく『友人』と呼べる関係。そう断言できるだけの時間を共有してきた自負があった。
だが、今思えばこれまでの驚きなど、これから起こる出来事に比べれば物語のプロローグに過ぎなかったのだ。
それは、彼女たちと関わり始めて以来最大にして、運命の歯車が音を立てて回り出した『あの日』の出来事だった。
―――――――――――――――――――――――
俺はいつものようにモニターの電源を入れた。
今日は土曜日、三連休の初日だ。仕事の心配はなく、午前中からティオたちと通信するつもりだった。
電源さえ入れておけば、誰かしらがふらりと顔を出すため、退屈することはない。
最近は趣味のゲームに割く時間が減り、彼女たちとの会話が生活の大半を占めていた。
その合間にプレイはしているものの、積みゲーが増えていく一方なのは言うまでもない。
あいにく画面の向こうの研究室は無人だった。俺はモニターをつけたままテレビのスイッチを入れ、撮り溜めていた録画を消化することにした。
「そうだ。ついでにこれもインストールしておくか」
俺はダウンロードしたままになっていた積みゲーの中から、一本のタイトルを起動する。
以前ティオとの会話で話題になり、『見てみたい』と彼女が言っていたものだ。
たまには消化しないと、一生プレイしないままになってしまう。
インストールには時間がかかるため、チャット画面を最前面に設定し、放置した。
そのまま録画の視聴に没頭し、ゲームのことは一時的に意識から消えていた。
三時間が過ぎ、昼食を済ませて録画も観終えたが、未だに誰も現れない。最近では珍しいことだ。
普段なら研究室の主であるティオが顔を出すし、来られないなら前もって伝言がある。
急用で連絡が途絶えることなど、ここ半年で数えるほどしかなかった。
「珍しいな、誰も来ないなんて」
テレビを消し、パソコンのモニターを覗き込むが、やはり画面は無人だ。
連休初日、たっぷり話せると思っていただけに、肩透かしを食らった気分になる。
まあ、こんな日もあるか。俺は大きく伸びをした。
「少し早いけど、夕飯の買い物にでも行くか。……一旦、消しておくかな」
財布とスマホを手に取り、モニターのスイッチに指を伸ばした瞬間――違和感に気づいた。
顔を近づけ、画面を注視する。
「……?揺れてるのか?」
かすかな地響きのような音が、スピーカー越しに聞こえる。
以前聞いた話では、ブラウバルト城の東側に位置する魔法研究棟は、実験の安全性を考慮して、城内でも屈指の頑強さと防音性を誇るはずだ。
ティオの第一魔導研究室も相当な補強がなされていると言っていた。
かつて彼女が魔道具を爆発させた際も、室外への被害はなかったほどだ。その頑強な部屋が、今、震えている。
訝し気に見つめる中、突如として轟音が鳴り響いた。
映像が激しく揺れ、研究室の一角が外側から無残に崩れ落ちる。
「な、なんだっ!?何が起きた!!?」
思わず叫んでいた。画面の中では棚が倒れ、薬品や魔道具が散乱している。
通信用の水晶は激しい振動に耐え、奇跡的に接続を維持していた。何らかの対策が功を奏したのかもしれなかった。
壁が崩れたことで、外の喧騒がダイレクトに流れ込んでくる。
悲鳴、崩壊音。そして――生物のものとは思えない、おぞましい咆哮。
明らかに異常事態だった。
緊張に息を呑んでいると、研究室の扉が勢いよく開き、見知った四人が転がり込んできた。
すぐに閉められた扉の隙間からは、真っ赤な火炎が覗いていた。
そして彼女たちの姿は惨憺たるもので、全員が煤にまみれ、傷を負っている。
先頭のティオはローブの片側が破れ、剥き出しの腕から鮮血を流していた。
片手には、意匠の凝らされた杖が握られている。
ソフィーさんは見慣れたドレス姿ではなく、動きやすそうな服の上に軽装の鎧を纏っていて、髪も一つに纏めていたが、擦り傷だらけだ。
マリアさんも、いつものメイド服があちこち破れ、土と血に汚れている。
そして、最も重症なのはツバメさんだった。
二人に抱えられ、意識を失っている。
額からの出血、ひしゃげた純白の甲冑。なにより、左腕が不自然な方向に曲がっていた。
「おい、ティオ!何があったんだ!?」
『章介さん!?よかった通信機は無事だ、固定しておいたのが大正解!これなら一か八かの賭けができる!』
俺の声に気づいたティオは、すぐさま仲間に指示を飛ばした。
『ソフィー、ツバメさんの応急処置を!左の棚付近から散らばった薬を探して!マリア姉は右の棚付近の魔石を可能な限り集めて、粉末に砕いて!』
『わかりました!!』
『わかりましたぁ!!』
二人が駆け出すのと同時に、ティオも作業に取り掛かる。
『ごめん章介さん、時間がないから端的に説明する。……王国がドラゴンの襲撃に遭った。討伐には成功したけど、王城の一部が崩落。研究棟は火の海だ。脱出路はもうない』
淡々と告げられた絶望的な状況に、背筋が凍る。
「そんな……救助は……救助は来ないのかっ!?」
『無理。今、城全体に余力がない。外まで火が回ってる現状、絶対に間に合わない』
「……っ」
『だけど、最後まで足掻いてみせるっ!』
ティオの瞳に宿る光はまだ消えていない。
ソフィーさんは薬をかき集めて手当てを始め、マリアさんは凄まじい速度ですり鉢を動かしている。
そしてティオは以前と同じように、水晶にケーブルのようなものを繋ぎ、床へと伸ばしていた。
「まさかティオ、それ……」
『周りに逃げ場はない。だから…次元間転移での脱出をする』
「ってことは人間を転移させられるようになったのか!?」
希望の光に声を張り上げたが、彼女の表情を見て言葉を失った。
『ううん。今確実に成功するのは、せいぜい拳大のサイズまで。人間が転移できる確率は、甘く見積もっても1%以下。正真正銘、一か八かの賭けだよ』
「……1%以下って……ほぼ確実に失敗するんじゃないかよ!仮に失敗したら…」
『……次元の壁に削り取られて塵になるか、永遠に次元の隙間を彷徨うか。……どちらにせよ、命はないだろうね』
「だったら――」『でも、このままじゃ100%死ぬ』「……っ!」
言葉が詰まった。彼女は馬鹿ではない。むしろ天才だ。
その彼女がこれしかないと言うのなら、本当にこれが唯一の道なのだ。
ならば、俺の言うべき言葉は決まっている。
「……何か俺にできることはあるか?」
『あるよ。というより、章介さんにはかなり迷惑をかけるかもしれない』
「構わない、言ってくれ」
即答すると、ティオは一瞬だけ目を見開き、そして薄く笑った。
『私たちはこのラインを辿って、章介さんの元へ跳ぶ』
「わざわざこっちにか!?そっちの世界じゃなく!?」
『新しくラインを繋げ直すには、どれだけ急いでも三十分はかかる。正直、章介さんとの通信が途絶えていたらその時点でゲームオーバーだったよ』
刻一刻とタイムリミットが迫り、ティオの声に焦りが混じり始める。
「で、俺は何をすればいい?」
『さっきも言ったけど成功確率は極めて低いし、無理に行った転移がどうなるか想像がつかない。最悪そっちの部屋の中が吹き飛ぶ可能性もあるから、大事な物を退避させといて』
「お前っ…!さすがに数分で部屋の片付けは出来ないぞ!?」
『ごめんっ!でもホントに時間がないの!あとで私が何でも言うこと聞くから賭けに付き合って。BETは私達の命!』
「アホか、死んだら賭け金も何もないだろ!……わかった、こっちのことは気にするな。その代わり『何でも言うこと聞く』って言葉、忘れるなよ。俺の部屋のコレクション吹っ飛ばしたら、何でも聞くって言ったことを後悔する程俺の文句を聞いてもらうからな!」
『……章介さん……』
「だから絶対に成功させろ、ティオ!」
俺はプレミア物のコレクションを掴み、部屋の外へ運び出す。慌ただしく動く俺の背中を見つめ、ティオは穏やかな笑みを浮かべた。
『……そうだね。文句、絶対に聞きにいかなきゃだよね。約束だよ』
「何か言ったか!?」
ティオの呟きに振り返ると、あちこちからの声が重なった。
『ティオ!処置が終わりました!』
『ティオ様。可能な限りの魔石を磨り潰しましたぁ!』
『よし、ありがとう!マリア姉それをちょうだい!ソフィーはツバメさんを床の中心へ!その周りに陣を描く!』
ティオは受け取った魔石の粉末に、赤い液体と混ぜると筆を突っ込み、床に魔法陣を描き始めた。
迷いのない筆致で描かれる、どす黒い赤の文様。
そのとき、研究室の扉が崩れ落ち、熱風と炎が室内に侵入した。
『ティオ、もうこれ以上は持ちませんよ!まだですか!?』
『あと少し……ここをこうして……よしっ、完成!魔法陣と水晶を繋ぐよ!!』
ギリギリで準備を完了させたティオは、全員が魔法陣の中央へ収まっていることを確認する。
その時点で炎はすでに部屋の一部を焼いていた。
『いくよ皆! あとは祈ってて!!!』
魔法陣の中央へ杖を突き立て、ティオが呪文を唱え始めた。
『■■■□□■■■〇■■■■■■■■■■□■■■■■〇●〇■■■■□■□■■■■■■』
俺は転移が始まったことに気付きモニターに振り返ると以前見た光景が映る。
以前見た時よりも巨大な陣が、呪文と共に赤黒く拍動し始める。
少しずつ魔法陣が赤く発光し始めるが、以前と比べペースが遅い。
『■■■□□■■■〇■■■■■■■■■■□■■■■■〇●〇■■■■□■□■■■■■■』
杖を中心に透明な球体が広がるが、直径30cmを超えたあたりで歪み、安定を失った。
ティオの額から大量の汗が噴き出してくる。
おそらくあの大きさが今確実に成功させられるサイズで、ここからが正真正銘限界を超えた一か八かの領域なのだろう。
『■■■□□■■■〇■■■■■■■■■■□■■■■■〇●〇■■■■□■□■■■■■■』
球体の直径が1mを超えた。
今にも捻じ切れて破裂しそうな不安定さで膨らんでいく。
意識のないツバメを抱きしめるソフィー、それを支えるマリア。炎はすでに彼女たちのすぐそばまで迫っていた。
『■■■□□■■■〇■■■■■■■■■■□■■■■■〇●〇■■■■□■□■■■■■■』
俺も荷物を運ぶ手はすでに止まり、モニターを食い入るように見つめている。
ティオの表情が苦痛に耐えるように歪み、俺の部屋にも異変が起きはじめた。
窓を閉めているのに空気が渦を巻き、家具がガタガタと悲鳴を上げる。
『■■■□□■■■〇■■■■■■■■■■□■■■■■〇●〇■■■■□■□■■■■■■』
転移は未だ始まらず、とうとう炎は魔法陣から僅か2mの距離まで。
俺の部屋も渦巻く空気を中心に揺れ始め、棚から本や小物が落ち始めた。
これ以上荷物を運ぶのを諦め、ベッドから布団を引っぺがすと頭からかぶり、ドアの外からモニターを覗く。
魔法陣が明滅し、ティオの杖に亀裂が入った。
『■■■□□……■■■〇■■■…■…■■■……■…■■■〇●〇■■■■□■□■…■■』
ついに炎は彼女らのすぐそばまで迫り、燃え移る寸前となる。
ソフィーさんは唇を噛み、マリアさんに強く抱き留められている。
呪文を唱える声が途切れ途切れになり、ティオの鼻から血が流れだし目は赤く充血している。
目を凝らしてよく見るとティオの体が揺れている。意識が朦朧としているようだ。
その姿を見た俺はドアから体を乗り出すと無意識に叫んでいた。
「俺の部屋をこんなに滅茶苦茶にしといて失敗なんて言うんじゃないぞ!お前が泣くほど文句を言ってやるから絶対に助かれ!ティオォオオ!!!」
それは俺の気のせいだったのかもしれない。
だけどそのときティオの口元が僅かに笑ったように見えた。
『……■■■…□□■■■〇■■■■〇●〇■■■■□!!!!!』
渾身の叫びと共に魔法陣が真っ赤に爆ぜ、杖が粉々に砕け散る。
急膨張した漆黒の球体が四人を飲み込み――。
次の瞬間、凄まじい衝撃波が俺を後ろに突き飛ばした。
痛む体を引き起こし、目を開ける。
視界にあるのは、暴風に荒らされた無残な自室。
そして、奇跡的に倒れず、何も映らなくなった真っ黒なモニターだけだった。
――そしてそこに、彼女たちの姿はなかった。
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