027 【恐怖が彷徨う館】その3 ~逃走&不測の事態~
『ほんぎゃあぁあああああああああああああ!!!!!!!!!!??!!!!!!!!!!?』
背後から迫る濃密な殺気から逃れようと、転がるように通路を駆けていく。
鏡から這い出してきたマリアさんを模した化け物は、床を叩き割らんばかりの勢いで追随してくる。ドガドガという重い足音が、こちらの心臓を直接握りつぶすかのように響き、恐怖を倍増させた。
水晶の視界の端に映るティオとソフィーさんは、まさに『必死の形相』のお手本のような顔をしている。
正直、これほど取り乱しながらも足をもつれさせず全速力で走れているのは、もはや才能と呼んでいい。
だが、化け物との距離は約15m。一瞬の油断も許されない。
「ふ、二人とも、次のT字路を左だ!」
「わ、分かってる!え、えーと左ってどっちだっけ!?」
「あ、焦りすぎですティオ!お茶碗を持つ方です!こっち!」
「あ、そうか!……ってそれ章介さんに聞いた雑談!あなた左利きでしょ!?逆!」
「は!?そうでした!左はこっちでした!」
「二人ともちょっと落ち着け!」
絶賛大パニック中である。
この二人がここまでテンパる様子は、おそらく今後二度と拝めないだろう。
だが、さすがの運動神経というべきか、彼女たちは曲がり角を一切減速することなく鮮やかに走り抜けていく。
よし、このまま突き当たりの部屋に飛び込めば――。
「は!?」
「な!?」
「え!?」
角を曲がった瞬間、目に飛び込んできた光景に、ティオたちはつんのめるように急ブレーキをかけた。
そこには――。
「章介さん!通路が瓦礫で塞がってる!」
「そんな馬鹿な!?」
十メートルほど先の天井が崩落し、通路を完全に遮断していた。
人間が通り抜けられる隙間など微塵もない。
俺は何度も攻略情報を調べてきたが、このゲームにこんなギミックは存在しなかったと言い切れる。
初手から完全に想定外の事態だ。
背後からは迫りくる足音。
捕まればゲームオーバー。この世界に『リトライ』があるかは分からない。
だからこそ、俺はこのゲームのあらゆるデータを頭に叩き込んできたのだ。
「二人とも、左の部屋に入れ!右正面にあるクローゼットの中に隠れるんだ!」
咄嗟の指示に、二人は即座に反応した。
隣のドアを勢いよく蹴破るように開き、その勢いのままクローゼットへ飛び込む。
彼女たちが扉を閉めたのと、化け物が部屋に侵入したのは、まさに紙一重の差だった。
暗いクローゼットの中で、息を潜める。
二人は自らの口を手で固く押さえ、化け物が立ち去るのを待つ。
(コツ、コツ、コツ……)
獲物を探しているのだろう。重い足音が部屋の中を徘徊する。
(コツ、コツ、コツ……)
足音がクローゼットの目の前で止まった。
暗がりに見える二人の顔色は蒼白で、その体は小刻みに震えている。
化け物はしばらく無機質に佇んでいたが、やがて再び移動を始めた。
時間にして数秒だったはずだが、俺たちにはその数十倍もの永い時間に感じられた。
(コツ……コツ……)
足音はやがて部屋の外へと消えていく。
それでも俺たちは、呼吸することすら忘れたように固まっていた。
化け物が完全に戻ってこないことを確認し、ようやく肺の中の空気をすべて吐き出した。
洒落にならない緊張感だった。
俺はモニターの前で机に突っ伏し、彼女たちは魂が抜けたように脱力してピクリとも動かない。正直このまま現実逃避していたいが、そうもいかない。
このゲームの仕様では、一度隠れてやり過ごせば、プレイヤーが外に出ない限り化け物は再入室してこない。
つまり、今はここが一時的なセーフゾーンだ。
そのことを説明し、外に出るよう促すと、二人はノロノロとゾンビのような動きでクローゼットから這い出て倒れこんだ。
水晶もティオの手を離れ、コロコロと床を転がって止まる。
「……ねえ、章介さん」
床にうつ伏せのまま、ティオが蚊の鳴くような声で漏らした。
「……なんだ?」
「……このゲームって、化け物から逃げるんじゃなかったの?……なんでマリア姉が出てくるわけ?」
「……それは多分、お前たちが化け物に恐怖を一切感じてなくて、恐怖の対象がマリアさんしかいなかったからじゃないか?……ちなみにあれ、どっちの深層心理だ?」
「……私かもしれない。心当たりは、めちゃくちゃある」
「……物凄く心当たりがあります。私かもしれません」
「……そっかぁ……」
そのまま、重苦しい沈黙が流れる。
館に入ってわずか十分足らず。すでに精神は満身創痍だ。
だが、俺の頭には一つの疑問がこびりついていた。
通路を塞いでいた瓦礫の山だ。
あんなものは知らない。
攻略情報は隅から隅まで調べた。最初からクリアまで、何も見ずに解説できるレベルまで。
あんな廃墟のようになっている箇所はなかったはずだ。
(……待てよ、もしかして?でもそうなると……それに、あの時見間違いじゃなければ……)
「……どうしたの章介さん?」
「何かありましたか?」
ブツブツと独り言をこぼす俺に、多少復活した二人がもぞもぞと起き上がってきた。
「……さっき二階部分が崩れて通路が塞がっていただろ?本当なら、あそこは通れるはずなんだ。そこで一つ仮説を立てた。確認したいことがある」
「確認ですか?どのように?」
「館に入ってすぐの正面、あの鏡があった階段の裏側を調べたい。そこまで水晶を連れて行ってほしいんだ。それによって攻略方法が根本から変わってくる」
俺の説明に、二人の表情が引き締まる。……が、すぐに二人はちらりと目配せを交わした。
「……ちなみに調べるだけですか?その後は?」
「一旦攻略方法を組み直す必要があるから、もう一度この部屋に戻ってくるつもりだけど?」
「……っていうことは、どっちか一人で行けば十分だよね?」
「?まあ、そうだな」
それを聞いた瞬間、二人は弾かれたように立ち上がり、距離をとって向かい合った。
拳を構え、気合と共に突き出す。
「「最初はグー、ジャンケンポン!あいこでショ!ショ!ショ!ショ!」」
「よっしゃぁあ!勝ったぁ!ソフィー、行ってらっしゃい!」
「いやぁああ!負けたぁ!?部屋から出たくない!」
ジャンケンかよ。
どうやら、さっきの『マリアさん(仮)』が相当なトラウマになっているらしい。
負けたソフィーさんは、すでに顔色が悪い。
「……なんか、ごめんね?水晶が一人で移動できたらよかったんだけど……」
二人のパニックを客観的に見ていたせいで、俺の方は逆に冷静になっていた。
自分より怖がっている人間を見ると落ち着くというのは本当らしい。
「……うう、気にしないでください。負けた以上は仕方がありません。……ただ、その前にティオ」
「なに?」
「その鞄、色々なものが入っているのですよね?」
「そうだね」
ソフィーさんは神妙な面持ちで頷く。遺言でも残すつもりかと思いきや。
「……では。……替えの下着を持っていたりしませんか?下の方です」
俺は思わず吹き出した。
今、なんて言った?
……まさかソフィーさん……、そこまで怖かったのか……?
ティオが呆れ果てた顔で眉を寄せる。
「……ソフィー、あなた本気?下着なんてあるわけないでしょ?」
そう、残念ながら下着の類は入っていない。
用意した俺が言うんだから間違いない。
こんな状況、想定の範囲外すぎる。
「あったら、とっくに私が履き替えてるよ」
まさかのお前もか。
……よし、今度からは着替え一式も常備しよう。……そんな機会が二度とあってほしくはないが。
それにしても、俺が聞いてる前でよくその話ができるな。
彼女たちの羞恥心の基準が本気で分からない。
「……よし!それでは参りましょうか!」
『パン!』と両頬を叩いて気合を入れたソフィーさんは、水晶を抱え、ドアの隙間から外を注意深く覗き見た。
化け物がいないことを確認すると、足音を殺して素早く部屋を脱出する。
その動作だけを見れば非常に洗練されていて頼りになるのだが……。
どの程度かは知らないが、下は『大変なこと』になっているんだよな、これ。
俺は何とも言えない複雑な気分に包まれながら、ソフィーさんに抱えられてティオのいる部屋をあとにした。
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