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34.帰ってきたら、いつも通りだった

 

 帰還陣の着地点は“もとソファがあった場所”ぴったりだった。ソファは聖地の倉庫に置いてきたから、立ったままだったけど。

 二カ月も留守にしていて、マンションは埃っぽい感じになっていたが、運がいいことに召喚された朝は洗濯物をバスルームに干して、生ごみは一階の集合ゴミ箱まで持って行った後だったので、ひどいことにはなっていなかった。


 まずこれ、と、背負って帰ってきた籠の中から毛布に包んだパソを取り出し、空中に消えている接続線をそっと引っ張る。

 ジップバッグを被せてタイバンドを巻き付けて保護していた接続部分が、ちょっと嫌々をするようにぐずったものの、無事にこちらに返ってきた。ほっと息をついてパソに繋ぐ。接続作業の終了を緊張して待ったが、難なく繋がった。藍は、「パソコンの神さま、大変お世話になりました。お供えは何がいいでしょうか」とかお祈りした。水はさすがにマズいだろう、壊れちゃうよね、ということで、水分がなさそうなキャンディとせんべい、おまけで充電器をお供えして感謝の気持ちを捧げたのだった。

 このパソがなかったら、森の中で迷子になって野垂れ死にしたかもしれないし、異世界に馴染んで気持ちに多少の余裕ができる前にあのエッシェンフォルゲン少佐の前に引っ張り出されてストレスのあまり立ち直れなかったかもしれない。ありがたい。


 帰還して、何がショックだったかといって、誰も心配してくれていなかったこと。スマホを調べても知り合いからの履歴はない。考えてみれば当たり前のことで、こちらから親しく連絡していた人もいなかったのだから、元気かどうか確認しようとする人も特にいなかった、というだけのことではあったのだ。藍は法事の時に母の妹夫婦と父の兄夫婦に来てもらっていたが、ちょうど命日にも当たっていない期間だった。

 自ら交友を断っていたのではあるが、二カ月間の留守に過ぎなかったと言っても、行き先は異世界、誰かちょっとくらい心配してくれてもよかったのじゃないか、と思うのは自分勝手でしかない。



 藍は、三年醸成ヒッキーを返上した。


 母の婚約指輪と、和箪笥から選んだ高そうな着物と帯を持って、母方の叔母に会った。ようやく形見分けができるまでに心の整理ができました、こちらを母の思い出に、と、告げるために。

 次に母の持ち物からダイアの指輪と真珠のネックレス、父の資産だった株を売ったお金を包んで父方の伯父に会いに行った。そして、しばらくオーストラリアに行く、あちらで結婚するかもしれないから、マンションを売りに出すと話し、両親の墓のお守りを頼んだ。


 メイ姉さんのいるところに行くにしろ、行かないにしろ、マンションは売るつもりで帰ってきた。行くならもう必要ないし、行かないにしても目に見える不動産資産を持っていて、しかもそこにひとりで住んでいるというのはあまりいいことではない。行かないと決めたら、賃貸マンションを借りて、信頼できる人と結婚したらその人と住む場所を決めればいいのだ。

 どうするか決められるまで、しばらくウイークリーマンションに避難していよう。



 メイ姉さんは面白いことを考えて藍に提案してくれた。貴族がいない日本で生きていると、貴族がいる世界のことは何もわからないだろう。だから、多少なりとも英語が話せるのだから、何か月かイギリスに行ってみたらいいのじゃないか、と。

 さらに、小柄な藍がこちらで住むとなると、常に大柄な人々に囲まれていることになる、だから、それに耐えられるかどうかも試してみた方がいい、とも。



 三年醸成ヒッキーの残り香を振り払うにもちょうどいい。イギリスに住んでいる学生時代の友達に「ヒッキーから抜け出すためにしばらくイギリスに行きたいの、どうするのがいいかよくわからないんだけど、相談に乗ってくれる人がいるかしら」と、メールを出した。

 藍が両親を亡くしてヒッキーしていることはわりと知られていたから、連絡をもらった友達は喜んで日本人に人気の語学学校を紹介してくれた。日本語で手続きをしてくれる会社を教わり、そこで渡航手続き、ビザ、住む場所の紹介も受け、藍は、思い切ってロンドンへと、半年間の英会話習得コースへと旅立った。


 まじめに英語の勉強をし、日本から来ている同じ年頃の女性とも知り合った。

 そして、たっぷりロンドン市街を歩き回り、ひとりで電車に乗って郊外にも行った。貴族の住む家を見て歩いたし、バッキンガム宮殿では、衛兵の帽子からメイ姉さんの毛並みを連想した。TVで、貴族院の議長や裁判官の衣装とかつらを見て、うーむ、イギリス版時代劇? とか失礼な感想を持ったりもした。


 慣れてきたころ、蚤の市開催されている広場を歩いていて、アンティークのオルゴールを見たとき、ああ、これはいいねえ、あちらでも作れるかもね、と思って、自分がそう考えたことに驚いた。その時はもうメイベルとハンスの住む世界を、自分のものとして受け入れていたのだろう。ハインツ? 忘れていた。忘れたままでいたい。

 その日をきっかけに、バネをジージーと回して鳴らす形式の古いオルゴールで、できるだけ小さなものを探して何点か買った。


 日本に帰ってからは、ネットで古い大きなディスク式オルゴールの設計図を呼び出して、構造がわかるようにひとつひとつのギアまで丁寧に描き写した。


 異世界の貴族になるのだったら、職人の技を高める助けになるのもいい。大きなオルゴールを作って、ローエングリン家かファンデル家の舞踏会や夕食会のような機会に披露すれば、きっと誰かが興味をもち、あちらの世界の音楽をオルゴールで再生しようとする人が出るだろう。

 アクセサリーもまた、工芸に刺激をもたらすだろう。貴族や貴族夫人が自分の領や実家の領で似た物を作らせようとするかもしれない。そうすれば、ルースの合成ダイアや養殖真珠が、こちらの世界とは違う趣の、すばらしいアクセサリーに加工される日も来るかもしれない。

 そうだ、ハンスが約束通りユキヒラ家を創設してくれるなら、老後のお楽しみで職人を育成するのも貴族らしくていいではないか。ユキヒラ・ブランドのアクセサリーを予約限定で作ったりして~、いいね!


 藍は、すべての資産を金に換えるのはやめ、アンティークのアクセサリーや、養殖真珠、合成ダイヤ、宝石とはいかないものの貴石に分類される石、そして、スワロフスキーをはじめとする様々な色形のビーズ類を買い集めた。



 帰還から一年、すべての準備を終え、藍はハンスが首に掛けてくれたロケットの蓋を開き、右手の中指を押し当てる。それが転移陣発動の合図だと教えられているから。


 さようなら、叔母さん、伯父さん、従弟の優君、従姉の明奈ちゃん、心配してくれたともだち。

 藍の上から召喚陣が降りてきて、足元に展開する。


 藍、元気で。



 Thank you for reading, Granite


こんにちは~、倉名依都くらないとと申します

アップするとすぐに読んでくださる方々、倉名はとても励まされています、ありがとうございます



このお話のオリジナルは、実はうたた寝の夢です。異世界で冒険しているお話を読んでいた時寝落ちして、夢を見ました。その夢に出てきた“せっかく異世界まで行ったのに、ショッピング機能が優秀すぎたためにそこから一歩も動こうとしない女の子”が面白かったので、物語に仕立てました


冒険はわずか300m、恋愛は2リットル入りペットボトルの水にコーヒーを小さじ一杯入れたほどの濃度しかありません。藍はハンスと恋に落ちればいいのに! そうしたら異世界恋愛カテゴリーに堂々と載せられたのに~ばか~、とは思いましたが、藍が藍なので、どうしようもありませんでした。

ちなみに、藍はハンスとケンカをして異世界が嫌になったら、もとのキャンプ地に逃げ出し、秘蔵の鍵を使ってテントその他を取り出して立てこもるつもり満々です。(そうだ、続編を書くなら、家出してテントでだらだらしていたら、敵国の不貞腐れた女性スパイと仲良くなってしまって、お互いに自分の亭主や上司の悪口を言い合って憂さを晴らすというバカ話はどうだろう。 あ、それじゃあまた異世界恋愛カテゴリーにならない~)


知将ハンス・アルベルト・ブルトカッセン・フォン・デム・ローエングリムさまにアドバイス

ハインツに土下座作法を学んでおくがよろしかろう~、がんばってね~



お読みくださってありがとうございます、またお会いできますように


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