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32.ハンスは全力で説得する。藍の反論もなかなかいい。だが、強敵である

 

 ハンスは説得に取り掛かった。彼にとって、藍がメイベルに脳内会話で相談できない今こそが、絶好のチャンスなのだ。メイベル? 今は集中していて藍のことは忘れているはずだ。こんなチャンスは二度とないだろう。


「いろいろと不安はあるでしょう。ですが、私が全力でお守りします。

 藍は、私の甥ハインツの妻を護って、異世界まで来てくれた人です。ファンデル家にとってもローエングリン家にとっても恩人です」

「いえ、私は巻き込まれただけですから。メイ姉さんは猫の姿をしていましたけど、脳内に話しかけることができたのですから、ひとりで召喚陣に現れても問題なかったでしょう?」

「そうでしょうか。私はそれではおそらく質量が足らなかったのではないかと思います。私は人間一人を召喚したのです。まさか猫とは思いませんからね。

 猫一匹だと、召喚は失敗したでしょう。実際、一度目は失敗したのです。ちょうどメイベルさまが藍に抱かれていたからこそ二度目は成功したのだと思います」

「え? そうなの?」

「ええ、場所はズレましたけどね」

「そうだったの、よくわかんないけど、ハンスって優秀なのねえ」

「ファンデル候から与えられた私の仕事だったのです。できないとは言えないのですよ」


「少佐とは叔父と甥の間柄と聞きしましたけど?」

「ええ、私はファンデル候の年の離れた弟です。母は前侯爵の後妻ですが、この国の王女殿下です。一度隣国の王家に嫁しましたが、結婚後まもなく未亡人となり帰されてきたのです。その王女殿下を当時侯爵だった父に預ける形の結婚でした。ふたりはかなり歳が離れていたのですが、意外というか、相性が良かったのでしょうか、私が生まれました。

 年の離れた弟といえ王女の子なので、侯爵家の後継ぎ争いにならないように、近しい縁戚であるローエングリン家の養子となりました。

 求婚ですから正式な名を名乗りましたが、ブルトカッセンには王女の子であり女系血筋の王位継承権を持っているという意味があるのです。ファンデル家を離れても、それは私固有のものですから」

「ああ、それで」

「何です?」

「あ、いえ、失礼なことを」

「言ってごらんなさい?」

「え、うん、怒らない?」

「心に伏せていないで、話してみてください」


「うん、えーっと、なんかいろいろなところに押しが強いなって…思ってた…」

「ああ、それね、まあその通りです。

 だから、あなたを妻に望んでも反対する人はいない、ということでもありますね。

 王の甥で侯爵の弟、姪は公爵夫人ですからね」

「うわー、大変そう、ってか、おかあさまが王女殿下だから後継争いになるって、養子に出されるとか理不尽じゃない?」

「王家の事情ってやつですよ、このくらいはよくあることです」

「貴族って大変ね」


「考え方一つですよ。後継者争いに顔を出さない限り、大概の問題は私の力押しで解決できるということです。なかなか優れた結婚相手だと思うのですが。おすすめですよ?」


 え~なにこれ、自薦?



「端的に言って、私がこの世界の人間じゃないから、後継者争いに影響しないことが評価されていると思っていいのね」

「もちろん、それは大きなポイントですよ。ファンデル侯爵家とローエングリン伯爵家にとって恩ある人というのも大切なポイントです。ですが、私個人として、藍と出会い、藍と話し、藍をこのまま帰還陣に乗せて二度と会えなくなるのは寂しいと思います。

 妻として適切であると同時に、失いたくない人だということです」

「事務的ですね、まあそれはいいです。一目惚れとか言われたら、この場で断ったと思いますし。

 じゃあ、一応確認します。いいですか?」

「受けて立ちましょう」


「婚約者か恋人はいないのですか」

「恋人ならいました」

「今は」

「いません、令嬢の実家が私を伯爵家の跡取りにしようという思惑を持っていることがわかり、結婚を言い出さなかったので振られました」

「なぜまだ独身で? すごくもてるでしょ?」

「正直に言いましょう、この三年、忙しすぎたからです。召喚陣の調整とハインツのお守りで。結婚相手を探して、こまやかにお付き合いを進める暇はありませんでした」


「そうでしょうねぇ、ハインツ・エッシェンフォルゲンを制御することができる唯一の人、と尊敬を集めているのですよね」

「今はその地位をメイベルに譲りました。もう忙しくなくなるはずです」

「だから結婚を?」

「違います、藍を妻にしたいのです」


「なぜ? 異世界人ですよ? 遺伝子不適合で子ができない可能性がすごく高いのに?」

「それが理由のひとつといったら軽蔑しますか? 藍は元の世界に戻れば子を持てますよね」

「いや、それはわかりませんけど。 子ができないことが何故理由に?」

「そうですね、さっき話したように、私の立場は非常に複雑です。

 王女の子で、侯爵の弟、次代侯爵の叔父です。今代伯爵の養子でありながら、生まれながらの身分は兄弟中で最も高い。次代伯爵の地位を義兄から奪いかねない」

「理不尽ですねえ、本人にはそんな気はないのでしょう?」


「その通りなのですが。私が誰を妻に迎えるかは、大注目です」

「でしょうねぇ、うーん。

 私が都合のいい結婚相手であることはわかりました。子どもが生まれない方が王家の安定と伯爵家の平和な相続に繋がることもわかりました。子がなければ、ブルトカッセンも継承されないのでしょうし、確かに混乱は防げますよね。

 でも、それじゃあ私の利益は何ですか、あなたと王家、ファンデル家、ローエングリム家が楽になって、私に何かいいことがありますか? だって、私はこことは違う文化を持つ世界の庶民ですよ。特に取りえもありません。こちらの貴族としてやっていくのは無理だと思いますけど。

 ましてハンス・ブルトカッセン氏は、王位継承権保有者なのでしょ? 身に余ります」


 結構いい反論だと思うのだが。

 残念ながらハンスの長いフルネームを一度では覚えられなくて、ちょっと迫力が欠けたかも。



「それではますます気合いを入れて説得に掛ることにしましょう」


 諦めないなぁ~、どこの令嬢でも“あ、ラッキー”とか言って、ルンルン嫁いでくるだろうに。わざわざ異世界から来た女性を妻にして、一から貴族教育する意味がある? 藍は苦労するし、義妹メイベルには無理をさせるなと叱られるだろうし、ましてハインツには妻を怒らせるなと殴られるに決まっているのにね。

 まあ、聞いてみようか。


 藍の利益は、ひとつ、メイベルさまと一生お付き合いできること」

「それはもちろん魅力的ですよ、でも結婚する必要ないですよね、あなたと」


「ふたつ、メイベル様のお産みになるお子の世話人になれること」

「え? マジですか?」

「はい、乳母は下位貴族から選びますが、養育係は縁戚の妻から選ぶのが普通です。ハインツの叔父の妻とか、競合相手はいませんよ」

「うわー」

 藍の頭の中に、あぶあぶ言っているかわいい赤ちゃんをメイ姉さんと一緒にあやしているすばらしい映像が浮かんでしまった! ハイハイなんかされた日にはよだれ垂らすのは自分の方かもしれない。


「みっつ、最初の男子の後ろ盾は無理でしょうが、二番目なら後ろ盾になれるでしょう。まして女子であれば名付けを任されて名付け親になることができるでしょう」

「え? 名付け親?」

「ええ、両親に頼まれて、子に名をつけるのです。子に名をつけると、一生第二の両親として付き合うことができますよ」

「うわーーー」

「よっつ目」


「まだあるんですか?」

「まだ五つほど」

「え?」

「四つ目は、生涯裕福に暮らせること、私には王家と侯爵家からの養子縁組支度金だけでなく、母が持参金として侯爵家に持ってきた領地や宝飾品のような資産がたっぷりついていますからね。

 五つ目、おそらくメイベル様のお産みになる子のうちからおひとりを後継ぎに迎えることができること。

 六つ目、私が次の戦役で間違いなく武功を上げるので、その時新しく家を建ててその女主人になれること。

 七つ目、新しい家の名を、ユキヒラとすることをお約束すること。

 そして、最後になりましたが、もっとも重要なことです。生涯あなただけを愛すると誓います」


「ううーーんん」

「説得されました?」

「ええーっと……少し」


 おお、善戦したな、ハンス。よくやった。特にユキヒラ家の創設というところが振り切れている。なんぼ異世界から来た女性を妻に迎えるためといっても、よく思いついたな、おい。


 藍、メイベルに相談するのだ! 藍単独では到底対抗できないよ、メイベルに知恵を借りるのだ!


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