31.藍とハンス
藍が与えられている客間のドアをハンスがノックしたのは、まだ日が残るころだった。
「藍、ハンスです、お茶にしませんか」
「はい」
ハンスは、「エリザベートと自分は、今夜新婦に何かあったらすぐ呼ばれるんですよ、なにもあるわけありませんけどね。でも居場所ははっきりしてなくてはならないので、申し訳ありませんが私の客間に来ていただけますか」と言いながら、エスコートのために左腕を差し出した。
客間には、藍がテント暮らしから持ってきてハインツが大喜びしたコーヒーと、新郎新婦から来客に贈られた甘い菓子が用意されていた。
しばらく今日の儀式について、藍の質問とハンスの答えという会話が続いたが、やがてハンスが何気なく話題を変えた。
「藍、この後あなたはどうしますか?」
予想通りの質問だったし、藍はプランAから詰めてみることにしていた。
「帰還の陣があるなら帰りたいです」
「……そうですか、そうでしょうとも、藍は巻き込まれただけとも言えますからね。もちろん帰還の陣は用意します。来た場所がわかっているのですから逆転の陣を描くだけです。
ですが、藍、メイベルさまと会えなくなるのは寂しいのではありませんか?」
「はい、それはその通りです。ですが私はこの世界の人間ではありませんから」
「そうでしたか」
「藍、確かにあなたの言う通りです。ですが、私の提案も聞いてみてくれませんか」
「え? はい、いいですけど?」
ハンス・ローエングリムは、立ち上がって藍のソファの前で片膝をついた。藍が右手に持っていたカップをそっと取ってテーブルに乗せ、その手を自分の手の平に乗せた。藍はただ、驚いてじっとしている。
「行平家のひとり娘、藍さま、ローエングリン伯爵家第二子、ハンス・アルベルト・ブルトカッセン・フォン・デム・ローエングリムは、わが全霊の誠意を以って、結婚を申し込みます。どうぞ我が妻に」
どひゃー! 何じゃこれは!
日本じゃ、ただ「結婚してください」という一言だってろくに言えない男が多くて、友達からは「そろそろ親に会ってくれない?」とか、「今のままじゃいけないと思うんだ」とかいう、箸にも棒にもかからないようなプロポーズを受けて、それを脳内通訳させられたんだよ~と嘆かれたというのに、なんという丁寧な。
あわあわしているうちに爆笑が零れるかもしれないと、そっとハンスを見たが、何と、少し泣きそうな真剣な顔をしている。
からかわれている訳じゃないんだ。
「えーっと、困りました」
「考えてもらえませんか」
「はい。……突然だし、意外だし、驚いています。でも、まじめに言っているみたいですよね。
すいませんけど今から考えます」
ハンスは、にっこり笑って手を戻してくれて、
「相談に乗りますよ」
と、微笑んだ。
うひゃー、腹黒発言~。




