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22.知らないテントの天井だった

 

 ロン毛を振り乱して両手を広げながら走り寄ってくる大男を迎え撃って、忠さん! とか喜びの雄叫びを上げて抱き着くことなんて、藍には絶対にできなかった。いや、藍でなくても、大半の日本人にはできないだろう。

 近寄ってくる大男の圧力に耐えきれず、おもわず頭を抱え込んでその場にしゃがんでしまった!

 そして、この国のこの時代の男性としては当然の事なのかもしれないが、三年も探し回ってようやくあえた前世の妻が両腕で首に抱きついてくれる、思いっきり抱きしめるんだとか期待しまくって走って来たエッシェンフォルゲン少佐の膝は、見事に藍の顎にキマッタのだった。


 チーン~。 顎だけに。



 強烈に脳を揺らされて後ろに倒れ、勢いで後頭部も強打した藍は、生存すらも危ぶまれた。当然だ。首筋あたりで髪を縛っていただけでなく、後ろに派手な編み飾りがついた麦わら帽子をかぶっていた分だけ衝撃が吸収されたのが幸運だった。

 驚いたエッシェンフォルゲン少佐もさすがに格闘技を修めた軍人で、抱き上げてさつきー、とか叫びながら揺すぶるほどのあほではなかったところが、まあ、ぎりぎり、藍の命をこの世に留めた。


 目が覚めてから聞いたところによると、その瞬間メイ姉さんが藍の倒れた体の上に跳び乗り、全身の毛を逆立てて体積を倍に見せながら、シャーっと怒りの声を上げ正面から少佐を威嚇した。辛うじて少佐が立ち止まったのを確認し、ひと跳びでその胸に飛びついて怒りの爪出し猫パンチで左の頬に三本の長い傷を彫り上げたのだった。


 よくやった、姉さん。いや、もっとやってやれ! 体重が自分の半分しかなさそうなno筋娘に全力で突進してくる軍人なんて、どう反撃されても文句は言えない。

 だよね?



 大きな猫を引きはがして藍の様子を見ようと悪戦苦闘するものの、さすがの強面軍人がなぜか猫ちゃんの迫力に一歩、二歩と後退させられる。


 教えてあげよう、それは、その猫ちゃんが、キミが前世、今生を通じて世界でただ一人、機嫌を損ねてはならないと肝に銘じている、前世の文字通りの”糟糠の妻”だからだよ!


 躊躇いがちに抵抗しているうちに、上司を追ってきた銀髪紫目の柔らかな気配をまとった副官が、ようやく追いついてその肩に手を置いた。

「少佐、何やってんです」

「い、いや、いきなりこの猫が飛びついてきて」

「はあ」


 大暴れする猫と気おされ気味に格闘を続ける上司を放置して、副官は倒れている女性と怒りの猫ちゃんをしばし観察した。

「少佐、あの方がお探しの“前世の奥さま”ですか?」

「さつきだ」

「はあ、その大切な方があそこで倒れておられるのはなぜでしょう?」

「い、いや、よくわからんが、俺の膝が入ったようだった」

「あなたが悪いです」

「う」


「猫ちゃん、いや、守護聖霊殿、すいませんがもう少しそいつを押さえておいてくださいね」

 副官はそう言って藍に近づき、両瞼を開いて見て完全にフェイント・アウエイ状態であり、状況から見てどうやら脳震盪を起こしているらしい、この場から動かしてはならないと賢明にも判断した。

 後ろからヘロヘロになりながらもなんとか追いついてきた従卒から手持ちの水を受け取り、すまないけどこの女性はしばらく動かせないから、簡易テントを運んできてくれないか、今夜は少佐と自分はここで寝ることになりそうだよ、と半笑いで命じた。


 という次第で、藍が目覚めたのは昼過ぎだったし、目を開いて上を見たら、残念ながらそれは天井ではなくて、見慣れたイベントテントでもない、ちいさな簡易テントの布だった。


 うーん、キマらないなあ~。脳震盪じゃあ山道を運んだりできないし、せっかく藍が生涯に一度でいいから言ってみたい、あの”知らない天井だ“を口にする絶好のチャンスだったのだが、ここは仕方ないか。


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