21.うわー、声の本体!
メイ姉さんと一緒に夜明けの森の中を歩く。崖の近くまで来たのは、六時過ぎだった。
「はあー、どうなるかなぁ」
『出たとこ勝負だろ』
「うまくいくかなー」
『なりきりな、女優になるんだよ』
「名前、変えようかなあ」
『マヤかい?』
「うん……」
崖の上に座って待っていると、眠っていないのにエッシェンフォルゲン少佐の声が頭の中に轟いた。
「さつきー、返事してくれ! 頼む」
「うるさいよ、あんたはいつも大声で、ちったぁまわりの迷惑考えな!」
藍、渾身のメイ姉さん真似であった。
「さつき、さつきか、どこだ」
「うるさい!」
「どこだ、それほど遠くはないな。 そうか、聖地か、上の聖地にいるんだな、それでわからなかったのか! そこでそのまま待ってろ、今すぐ行く!」
「うるさーい、来なくていいよ! うるさいから!」
エッシェンフォルゲン少佐の声は聞こえなくなったが、渾身の物真似で大声を張り上げた藍はハアハアと息を弾ませていた。
「メイ姉さん、あれでよかった?」
『騙されたみたいだから、合格さ、あたしってああいうかんじなんだねぇ』
「う、うん、どうかな」
似すぎるのも、問題か? 気を使う藍であった。
「ここって、聖地なの?」
『何かそんなこと言ってたね』
「なんだかマズい?」
『どうだかね。神殿みたいな施設が崖の真下にあっただろう?』
「うん、鐘楼の鐘がカ~ンとか鳴ったところ」
『あそこから上になるから、キノコや木の実を集めに来る人が入らないように聖地に指定してるとか、どうせそんなところさ』
「ふーん、でも大型の動物とかいなかったじゃない? 人が来ないようにするならなんかすごい肉食獣とかいた方がよくない?」
『ばか、藍はほんもののバカだね。そのすごい肉食獣が神殿や王宮まで降りてきて、神官をガオー、で、警備兵をガオー』
「あ」
『人が侵入していた時、問答無用で拘束できる口実が“聖地”なんだろうよ。上から見下ろされると、この都市の地図が描けちゃうからね。定期的に巡回してるだろうよ、崖の付近はね』
「なーるほどー」
「……ねえ、メイ姉さん、この先どうする?」
『忠さんが来たら、黙ってふくれっ面しておいで。平謝りしてくるまでぷんぷんしてりゃいいさ』
「五月さんって、強かった?」
『八百屋の女房だったねえ』
「そうか、気合い入れていかないとダメな時代だったんだよねえ~、生きててごめんね……私みたいな……」
『あほだねえ、藍は。頼れる人がめったに顔を合わせることもない叔父さんと伯母さんしかいない状態で、ご両親を亡くしてしまっただろう? まだ二十五かそこらの小娘だったじゃないか。あたしに言わせりゃ保険金目当てのクズ男に捕まらなかっただけで十分褒められるってもんさ。
藍は未来が突然変わったのさ。結婚して、ご両親に孫を抱かせてあげて喜んでもらう平凡で穏やかな未来は思い描けなくなっただろ? 代わりになる未来が急にはイメージできない、そりゃまあ、当然さ。
ここで立ち止まらないでいられるわけがない。ひきこもりが何だって言うのさ、誰にも迷惑かけずにひっそり生きてんだ、文句を言われる筋合いはないね』
「うん、そうかな……。三年は長い気もする。そろそろなんとかしなくちゃいけないのかも」
『そうかい、今回のことが切っ掛けになって、他人との距離が上手に取れるようになるといいね、藍の人生はまだまだ続くんだよ。
よく覚えておおき。どんな人生にも不運や苦労はあるんだよ。あんた、ガッコで習ったんじゃないかい、人間万事塞翁が馬、とか、禍福は糾える縄の如しとか。人生には波があるんだよ。誰かと自分を比べて幸せだの不幸だの、勝ち組だの負け組だの、たったその瞬間だけのことじゃないか。強さってのはね、藍、人と自分を較べない、嫉妬と驕りに支配されないように、自分の人生に巡ってきた運と不運を淡々と生きる平常心のことさ。藍はがんばってる。大丈夫さ』
「う、うん……、ありがと、メイ姉さん」
座り込んで人生訓を承り、ぼそぼそと話をしているうちにいるうちに、大声で怒鳴り合ったショックも納まった。おなかすいたねと言いながらサンドイッチとドライフードを食べて水を飲み終わった頃。
上り坂を全力で走って来たようで、ゼイゼイと息を乱しながらもとんでもないスピードで最後の距離を詰めてくる、バサバサ黒髪、サド目軍服の美丈夫があらわれた。
「さつき!」
げ、実物だ。大声付き……。




