13.方向性の違いです
ま、藍の努力っていえばこんなものか、と、メイ姉さんはあきれて見ている。
雨が止んだのは昼過ぎ。行水・お手洗いテントのサイドを上に撥ね、湯沸かし竈に被せておく習慣だった、濡れてくたくたになってしまった段ボールを外し、ゴミの穴に石灰を撒き直す。そして、大きいテントの前壁と横壁も上に撥ねてテントの中が乾くようにした。
見れば、洗濯物干しにも、デッキチェアにも雨に跳ね上げられた泥が付いている。
「ねえ、メイ姉さん、雨が降ったら水たまりができるんだねえ」
『そりゃそうだろ』
「うん」
コンクリートとアスファルトで覆われたような都市で生きていた藍が、実際に見たことがある地面にできた水たまりといえば、整備された校庭や公園にできた形ばかりのものくらいだった。一戸建て住宅に住んだことがないので、雨が半日も降り続いたら家の外側がどのくらい汚れて、内部がどのくらい湿気るものかも知らなかった。だから、緑のテントが雨に跳ね返された泥で汚れてしまうのを実感して、うーん、と唸ってしまった。
水道がなくて、ホースもなくて、汚れたテントは乾くまで待って箒で泥を落とすくらいしかできない。藍にはそれがとても不潔なことに感じられた。
芝の種を買い、テントの周りに敷くようにジョイント式の人工芝を買った。湧き出してきた正方形の人工芝の山を見て、メイ姉さんはため息をつくだけだった。
藍は絶対に方向性を間違っている……。だが、姉さんはすでに学んでいるのだった。かなり追い込まれるまで藍の心の壁が突き破られることはないだろうと。
ネットショッピングにかじりついていた藍が、遂に“自分でできる、小屋の作り方”という本に目を付け、木製小屋のDIYキットの検索を始めた時、メイ姉さんの直感 (シックス酢センスだ!)が、いまが分かれ道、ここがポイントなんだと教えた。頭の中でレッドアラートがピコピコしている。さすが、前世では三人の子を育て、七人の孫と関わってきた祖母殿だ、経験値が高い。
メイ姉さんが、静かな声で話しかける。
『藍、あんた死ぬまでここで暮らすつもりかい?』
「え?」
『今、家を建てようとか思ってるよね。一体何年ここで生活するつもりだい』
「あ」
藍は、半日雨が降り続いたことでようやく、ここにも四季があるかもしれない、冬になって雪が降るかもしれないと思いついたのだった。寒いテントの中でメイ姉さんが風邪をひくかもしれない、獣医さんもいないのに。 メイ姉さんが熱を出しても薬もないし、こたつもないわ、とか迷走した。
そして、小さな石油ストーブくらいは使える木の小屋を建てたらどうか、キットがあるならどうにかなるかも、と暴走した。 藍のno筋で、たとえキットといえども、壁の部材を立ち上げたり、屋根組みの部材を屋根の高さまで持ち上げられるはずはないのだが。
柱を立てようとして部材を抱えたまま転んだり、上の方で作業をしようと梯子に登ったら、片手に小さな部材を持ったままバランスを崩して落ちる予想図しか描けない。
骨折なんかしたら、風邪を引くまでもなくジ・エンドだ。(この物語だって、いきなり終わる!)
そもそも風邪をひくなら自分の方が先だとは思いもよらないでいた。それは藍の天性の優しさから来るのかもしれない。メイベルは厚い下毛を持つ長毛種。積雪の多いメイン州の森の中で、平気で雪が積もった木の枝に伏せて獲物を待っちゃう猫種に属している。白地にグレーの美しい縞模様だって、実は非常に有効な雪中迷彩だ。
寒さで風邪をひき、熱を出して死にかけるのはむしろ藍の方なのだが。
「う、うん。 やっぱりキットで小屋でも、無理だよね」
『違いないね』
パソから離れてお湯を沸かし、コーヒーを淹れた藍はため息をついた。
「どうしよう」
メイ姉さんが、やはりため息をつきながらおやつの“ボンジュール”をひと舐め。
『そうだね、そろそろ頃合いじゃないのかい』
「うん」
『藍だってわかってるんだろう? ここに来てもう一カ月以上だよ、テント暮らしもそろそろ限界だろ?』
「そう」
『そういうことだよ。
様子を見ていたけど、大型の獣はいないみたいじゃないか。木を伝ってリスみたいのなのが来ただろ、鳩みたいなのと雀かコマドリみたいなのもいた。夜鳴く鳥もいた。だけど、狼とか熊みたいなのは声も聞かなかったじゃないか』
「うん」