婚約破棄の瞬間、異世界の元婚約者が現れて全員黙らせました
「──よって、伯爵令嬢リリアーヌとの婚約を、ここに破棄する」
王子の冷たい声が、王宮の大広間に響き渡った。
見下すような視線。周囲には貴族たちが集い、ざわめきと笑いが私を包む。
「理由は、令嬢の度重なるわがままと、侍女への嫌がらせだ。お前のような者と結婚など、冗談にもならぬ」
侍女──元々平民だった少女は、王子の腕に抱かれて、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
私は黙っていた。
否定もしなかった。
どうせ、何を言っても無駄だとわかっていたから。
「反省もないのか。やはり、お前は──」
そのときだった。
空気が裂けるような音がした。
──空間が歪む。
──銀色の閃光が、私の足元に落ちた。
「……間に合ったか」
低く、けれどどこか懐かしい声。
そこに立っていたのは、黒いコートを翻した、一人の男。
目を見開いた。
「──シオン……?」
「よう、リリア。久しぶりだな。……数年ぶりか?」
彼は、私の“元婚約者”。
ただし、この世界の者ではない。
異世界の滅界王──それが彼のもう一つの名だった。
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私は幼い頃、一度だけ異世界に召喚されたことがある。
理由はわからない。ただ、気づいたときには、神殿の中にいた。
そして、彼に出会った。
冷たく、孤独な瞳をした少年。
世界に忌み嫌われ、神に見放されたという、世界最強の魔導王。
そんな彼に、私は言ったのだ。
「──じゃあ、私があなたの味方になってあげる」
彼は笑った。氷のように、けれど確かに温かく。
「ならば、約束しよう。いずれ必ず迎えに行く。君がどんな世界にいようと」
その言葉を最後に、私は元の世界に戻った。
あれから十年近く。
夢だったと思っていたのに──
⸻
「誰だ貴様! 無礼だぞ!」
王子が怒鳴る。
だが、シオンは目もくれない。私の手を取って、そっと膝をついた。
「……すまなかった。遅れた。少しばかり、神々を説得するのに手間取ったんだ」
「……は?」
「ようやく来た。俺の婚約者を奪いに、な」
会場が凍りついた。
「な、なにを言って──」
王子が剣を抜こうとするより早く、空気が圧縮される。
シオンが、ゆっくりと右手を上げた。
それだけで、王子の剣が跡形もなく蒸発する。
「……っ、なっ……!? 魔法……!? 結界もなしに……!?」
「うるさい。俺の婚約者に泥を塗ったくせに、まだ生きてるだけありがたく思え」
会場の誰もが、声を出せなかった。
魔力が重い。空気を押し潰すほどに。
けれど私は、不思議と、怖くなかった。
「……リリア。俺は、君を迎えに来た」
「…………」
「君を誇りに思う。君を愛している。君以外に、俺の隣はない」
「…………」
「一緒に帰ろう。君のことをちゃんと、大切にしてくれる世界に」
私は──少しだけ、泣きそうになった。
この世界の誰もが否定した私を、ただ一人、認めてくれる人。
言葉が出ない。
代わりに、そっと彼の手を握った。
「──うん、帰ろう」
⸻
その後、王子は全財産を失い、家門は没落した。
私は異世界で“滅界王の妃”として迎えられ、毎日忙しくも幸せに過ごしている。
彼は相変わらず不器用だけれど、毎晩必ず、手を握って「愛してる」と言ってくれる。
だからまあ──
この結末、悪くなかったんじゃない?