4 全てが臭い
さて、枕はなんとかなったものの。
俺は鎌倉を甘くみていた。
とりあえず臭い。
風呂がない。
あるといえばあるのだが、週に一度生ぬるい湯に浸かることになっているだけらしい。
武士のトキムネでこれだ。
平民なんて想像しただけでヤバイ。
服もクサイ。
ちゃんと洗ってんのかこれ? っていうくらい、布に汗やら油やら煙やらのなにがしかの臭いが染みついている。
さらにトイレ事情。
トイレは建物の中に無く、公衆トイレのように外にある。
そして水洗ではない。
汲み取り式とかいう意味の分からない構造になっている。
なんと、穴が開いているだけだ。
土に深い穴が掘られているというだけの代物だ。
この穴には入れるようになっており、農作物の肥料として回収していくらしい。
うーん、最先端リサイクルシステム。
しかし、今のような夏場は臭いがやばい。
2025年東京と比べれば秋口くらいの気温な気はするが、それでも、臭いものは臭いのだ。
トイレ、行きたくない……。
告白すると、外出前に一度行こうとしたが、服が重いのとトイレが汚いので断念した。
ついでにパンツがない。
一応巻き布みたいなやつがあるのだが、通気性が良すぎて安心できない。
俺はボクサーブリーフ派なんだよ!
スッカスカの巻き布のおかげで無事、立ちションできたわけだが、いつまでも続かないぞこんなの。
そして、 鎧と兜だ。
金属と汗と湿気と、たぶん血やら何やらと、自分の汗と油と煙とが全て染みついた臭いがする。
剣道したことないけど、防具って臭いって聞く。
しかし、あれの比ではない。
部屋にあったから試しに一度かぶってみたけれど、オエエエェェッとなってやめた。
あれはどうにかしないと、戦死する前に臭気で俺が死ぬ。
会議は締めにさしかかっていた。
「えー、最後に時宗様よりお言葉を」
マジか。
じゃあ、今までずっと気になっていたことを言わせてもらう。
「えー……く」
クサイ、と言おうとする俺の顔を全員が見る。
だめだ!
ここで言いたいことが言える俺ではない!
もしそんな度胸があれば工学部で深夜のシミュレーションなんかしてない! 文系キャンパスで起業とかしてる!
「く?」
「九ですかな?」
「いや、苦しみ。苦ということでは」
「時宗様、どうか我々にお言葉を説いてください」
こんな忠犬ハチ公みたいな目をしたおっさん集団に、クサイなんて言えない。
見た目はそりゃあレスラーだが、この人たち本当に時宗様を慕ってるんだな。
武士ってすげぇ。
俺が言葉に詰まっていると、安達さんが泣き始めた。
「く……躯、は体躯の『躯』……! この世の苦しみは全てこの躯に降りかかる、ということですな!?」
「……そうだ」
「なんと!」
「時宗様!」
苦しいー!
だがおっさんたちはこちらを素直に見て、ウンウンと頷いてくれる。
安達さんの脳内補完パワーがすげぇ。
それに勇気をもらって、俺はさらに苦し紛れに言葉をひねり出した。
「この苦しみを少しでも和らげるための方法です……菜種油を用意してください」
「油を!? 燃やすのですかな?」
「なるほど右手が苦しければ焼き払えと!?」
不穏すぎるだろ、武士。
「いえ、全くなるほどではないです。違います。焼かないでください」
と前置きをして、俺はレシピを伝えていく。
「灰汁を混ぜて、そこにさらに水を少し混ぜてください」
「オイッ誰か書き記せ!」
「それがしが!」
「それがしが!」
ソレガシさんが筆を用意したのを見て、続きをしゃべる。
うわー、すげー達筆。
「火にかけて半日煮込んでください」
「ほうほう」
「どろっとして粘度が出てきたら、冷まして固めます」
「なんと」
「これを数日乾燥させてください」
「かようなことをすると、仏のご加護が?」
清潔になるんだから、まあ間違ってはいない。
俺は頷いた。
「はい、加護が得られるので、これで体や服を洗って、水でよく洗い流してください」
不思議がるおっさんたちは、首を傾げながらも
「承知!」
と言ってくれた。
これで、この試合後のラグビー部&剣道部&野球部の合同部室みたいな部屋の臭いがとれるといいんだが……。
めざせ、クリーンルーム。
会議みたいなやつが終わり、ようやく解放された。
っていうかマッジで臭かった。
これ明日もあるのか……?
マ……?
なんだか疲れた。
ぼうっとしていたら、障子がするするっと開いた。
同席していた侍的な人たちがワッと一斉に顔を緩める。
「朝餉でござりまする」
と、旅館の女将さんみたいな人が言って、膳を出してくれた。
朝ごはん!?
これは俺も、ほころばざるを得ない。
「ごはん、ごはん! ん……えーと……」
本日のメニュー。
白米。
ではなく、
いろいろ粒粒の入った、雑穀粥。
菜っ葉が入った味噌汁。
大根の漬物。
メザシ? イワシ? よく分からんが、小さめの魚の干物。
おお、ヘルスィー。
味は薄いけど、悪くない。
コンビニのおにぎりより、あったかいのがいい。
有難く頂戴した。
「さ、ここからももうひと頑張りですな」
えっまだあるの!?
確かにお日様はまだのぼりきってませんが……。
午前9時ってとこだろうか。
ここは時計がないから、ひたすら外を見るんだな。
雨の日とかどうすんだろ。
それから、俺は政務・訴訟処理・書状確認といった、事務処理的な仕事を座禅を組みながら行った。
行った、といっても、大臣たちがやってくれる中、俺は動物園のパンダのように座禅を組んでは、
「はい」
「そうですね」
「わかりました」
を連呼していただけである。
それからまた昼食を食べた。
粥、干物、野菜の煮物。
朝と変わんねぇじゃねぇか……。
そして、午後はまた会議だ。
もうつらい。
俺の尻が爆発しそうだ。
でも、足を崩してる奴が一人もいない。
しかも動物園のパンダ状態のトキムネの俺である。
崩せるわけもない。
午後は軍事関連の相談らしく、大臣たちも元気になってきた。
「元寇に備えて地方の守備体制を強化すべきです!」
「 将軍・御家人の動員計画はどうなりますか」
「防衛拠点の強化を図りましょう」
分からん……。
そして眠たくなってきた……。
だって朝の4時から木枕で起床だぞ。
無理だろ。
「時宗様? どうなされました?」
安達さんが顔を覗き込んできた。
この光景、2度目だ。
「う……すみません、体調が……」
「なんと! 体調が優れぬと! 武人の誉、時宗様が珍しい。やはり怨霊の類では……」
普通に意識が薄れてきた。
絶対座禅のせいだ……。
「時宗様! 夕方は御家人や寺社との謁見がありまする! 建長寺と円覚寺の僧との面会は……時宗様ッ!」
「任せた……」
「時宗様アアアァッ!」
レスラーがうるさい。
エコノミー症候群じゃないよな……。
俺の足、今どうなってるんだ……。
俺は素直に意識を手放した。