2 おはようがない
賭けてもいい。
世界でいちばん最低な目覚めである。
「……おはよう……ございます」
目の前に両目の入ったダルマがバァァンとアップになっている。
濃いんだよ。
仕方ないので挨拶をする。
敵意がないことを示す行動だって生物の先生が言ってた気がする。
今や遠い記憶だ。
走馬灯とかじゃありませんように。
プロレスラーが無垢な幼児のような瞳で俺に尋ねる。
「おはよう? それはどのような意味にござりまするか」
なんだよ……
おはようが無い国なんて無いだろ……。
こいつなんなんだ……。
教養が無さすぎるだろプロレスラー。
思わず五七五になってしまった。
「朝の挨拶ですよ……」
「はあ。挨拶とは何です?」
横の坊さんがにやりとする。
「挨拶。仏教では挨拶というのは」
と、蘊蓄をたれようとする。
有り難いお話なのかもしれないが、今はそれどころじゃない。
安達さんの鼻の穴が膨らんでいる。
「時宗様、普段とご様子が異なります。やはり」
「えっ」
ギクッとなった俺をにらみつける。
いや、このままじゃやばいかも?
プロレスラーはすくっと仁王立ちになって、呪文を唱え始めた。
えー!
魔法とか使える感じなのか!?
異世界!?
待て待て、ここで俺のチート能力が発動!?
美女に囲まれたハーレム生活が始まってしまうのか!?
「オンコロコロ……」
にやつく俺に向かって、レスラーが何やら呪文のようなものを叫び始めた。
素直にやめてほしい。
ドギューンと期待感が爆下がりしていく。
俺が見たいのは美女とのハーレム展開であり、おっさんのソロ活動では断じて無い。
「おやめくださいッ!」
坊さんが安達さんの袖にすがる。
ドーンと体当たりしたようで、安達さんが尻もちをついた。
よく見ると坊さんも細マッチョだ。
なんだここ、レスラーしかいないの?
「安達様ッ、それは別宗派の呪文にございます! 我らは神ではなく仏に帰依しておりまするゆえ」
安達さんが坊さんを蹴り倒そうとする。
こいつ、容赦ないな……。
暴力的なのってどうなんだろう。
よくない、よくないぞ。
「ええい、ではそなたがやるがいい!」
しかし、坊さんも強かった。
必死に大木みたいな足にすがっている。
「やろうとしているのですが、安達様が邪魔なのです!」
「俺のせいだと申すか! 生臭坊主!」
「生臭とは何ですか生臭とは!」
おい、やめろ。
人の上で口論しないで欲しい。
俺はすかさずガバッと身を起こした。
正直は美徳だ。
「ま、待った! やめて! 俺、悪霊じゃないんです! 悪いもんじゃないです! ただの……その……シミュレーションの実験してただけで!」
「しむれい……そん?」
安達さんの太い眉毛が交差し、
「それは蒙古の妖術か!?」
と唸った。
「蒙古? ってあの、元寇の?」
俺が尋ねると、安達さんはぎょっとして目を見開いた。
「やはり元が攻めてくると?」
えっ、なんかやった気がする。
元寇が2回くらいあって、それを守った……。
ああ、それが時宗か?
時宗って時代劇でやってたよな。
観てないけど……。
とにかくそういう人なんだったら、かなりのスーパーヒーローなんじゃないか?
そんな男にその辺の理系の大学生が入ってますなんて言ったら、ボコされる気しかしない。
「えーと……元って国が日本を攻めるって……」
俺が言った途端、坊さんがヒイッと叫んだ。
安達さんのこめかみにビキビキビキッと青筋がたった。
やばい、安達さんドチャクソ怒ってんじゃん。
俺は必死で言い募る。
「えっとえっと俺、時宗様じゃないんです!」
こんなことなら最初から正直に言えばよかった。
安達さんが眉を寄せる。
「時宗様ではござらんと?」
「時宗様の中に、えっと……俺が入っちゃってるだけで……」
「なんと!? 時宗様に憑依を……!? 」
「ちょ、いや霊とかじゃなくて……え? そうなのか? すみません俺もちょっとシステムが分からないんですけど」
「しすてむ?」
坊主がピクッと反応した。
「……もしかすると……これは、仏の思し召しかもしれませぬぞ。今こそ、時宗様に天命がくだった証では……」
「なっ!? なんと! どのような天命ぞ!?」
「蒙古退ける策を授かりし者とでも申せましょうな」
どや顔する坊さん。
俺を独りぼっちにしないでほしい。
「あの、その蒙古ってのについて教えて欲しいんですが」
坊さんが気の毒そうな顔をしていった。
「記憶があいまいになっておられる……おいたわしい。よろしいですか、蒙古はフビライ率いる異国の民のことですぞ。時宗様はずっと蒙古の手より日本を守ってこられたのですぞ」
エビフライ……じゃないよな。
現実逃避しかけた俺のところに、
「元の皇帝がフビライ。我々は動向を探っておりましたが、いやはや」
坊さんがやんわり話しかけてくる。
いい人っぽい。
「えーと、フビライ……」
「チンギスというのが先祖でございます」
「チンギス……あっ! あいつか!」
見るからに強そうな中国人ぽい人。
赤ら顔のおっさんの姿がぼんやり浮かぶ。
え、俺、あんなのと戦うの?
無理じゃね?
めっちゃ強そうじゃん。
イラストでも分かる驚きの強さって感じだったじゃん。
「なんと! 記憶が蘇って来られた」
「時宗様は大丈夫なのだろうな、坊主!」
「ううむ、先の元の使節を切り捨てておられたゆえ……珍妙な術を使われたかもわかりませぬ」
「むむむ、やはり修行しかないのか」
というかずっと思ってたんだが。
時宗、って……誰?
記憶を総動員しても、ほんとに何も出てこない。
せいぜい「武士」という情報と「蒙古」とかいう敵みたいなやつの知識くらいだ。
というかモンゴルから日本をどうやって攻めるんだろう。
ミサイルなんてないし、やっぱり船で来るんだろうか。
「船?」
えーと、中国。
なんか映画で見たぞ。
めっちゃあの、兵隊とかいて……。
レッドクリフ?
赤壁の……だめだ、それは三国志だ。
三国志の時代ならよかったよな。
諸葛孔明とちゃっかり飲み仲間とかになってさ。
桃の園とかで酒を飲んでさ。
……とはいえ、現実逃避してる暇もない。
「えっと。今、何時代、で、ござるか」
「ござる……?」
「いや、ござるじゃダメなのかよ」
もう俺には武士が分からない。
取り繕うのは諦めて普通に尋ねる。
「今って何時代なんだ? 元号?」
「今は弘長の折」
駄目だ、聞いても分からなかった。
コーチョーってのが何時代か聞きたいのに!
「……紫式部といったら」
「む? それは源氏物語では」
じゃあ、平安時代より後だ。
「徳川家康」
「何ですかそれは?」
家康は江戸時代だろ。
えーと、じゃあ、それより前だ。
なんだ、室町?
弥生……じゃないよなあ、さすがに。
「鎌倉殿にも伝令を入れねば……」
安達さんのつぶやきにピンときた。
さっきも言ってたな。
てことは今は……
鎌倉時代!
俺の頭の中でポーンと雪見大福が飛び交う。
あの雪で作る家みたいなやつだ。
雪見大福のパッケージで見た。
あれ?
ちょっと待て。
待てよ。
俺ら、『蒙古』に負けたらどうなるんだ?
「ねえ安達さん。お坊さん。俺たちさ、蒙古にもし負けたら……」
「負ける、というのは」
「いやだからさ、たとえば船できた大軍に上陸されて、占拠されたりなんてしたら……」
「ここは元となりますな」
「日本が」
「ええ」
「別の国になっちゃうってことか?」
「はい」
もしかして、俺が日本を守んなきゃいけない?
やっべええええ!!
もういい、何でもいいから、本体の俺。
頼むから早く起きてくれ。
目を覚ませ。
この夢から脱出するんだ。
俺が額を押さえたままうずくまっていると、坊主がつぶやいた。
「これはもしや……やはり切り捨てた者たちの祟りでは」
安達さんがうなずく。
「仏道への忠義が試されているやもしれぬ。無学祖元殿のところへお連れし、一刻も早く禅の深い修行を!」
「いやあああぁああああああ!!!!」
やめてくれ、それ絶対、地獄のフラグぅぅぅぅ!!
俺の鎌倉ライフ、波乱の幕開けだった。