0 枕が固い
えーと。
深夜の大学の研究室。
俺はさっきまでシミュレーション実験をしていて。
まー研究ってのは時間がかかるもんで、良い結果なんてのは100にひとつ出ればいい方だ。
辛抱が肝心、焦っても仕方がない。
特にイケメンでも筋肉野郎でもないが、俺には平和がある。
それなりに勉強して、飯も食えて、バイトもせずに実家にいられて、彼女はいないけど実家に犬はいて、まあ幸せだ。
就職どうすっかなあ。
まあ……まだ考えなくたっていいか。
お目当ての結果を待ちながら、スマホでダービーしつつ、研究室の座面が割れたソファに寝転がっていた。
だんだん、うとうとしてくる。
きっと近くの研究棟を歩けば俺みたいな学生なんて、30人くらいはいる。1人いたら30人はいそうな、平々凡々の男。それが俺。
別に悪いわけじゃない。
それなりに幸せだ。
なんたって平和が一番。
令和の現代でゆっくり生きていく幸せ。
まあ、ぼちぼちいけばいいさ。
あ、やべー、眠い……。
なのに、なんで?
「時宗様、ご起床の刻にございます」
俺の枕元にプロレスラーみたいなやつが座っている……。
夢にしても、美人なお姉さんならまだしも、おっさんって。
睡眠をつかさどる女神様よ。
もうちょっと、需要とか供給とか考えてほしい。
そっと目を閉じた。
「時宗様ァァッ!! ご起床の刻でございまするううッ!!」
もうさすがに無視できない。
鼓膜がビリビリ震える。
誰だトキムネって。
俺は断じてトキムネとやらではない。
トキムネ……。
イケメンが出て歌って踊るゲームのキャラ名みたいだ。
キラキラネームってのか?
つうか後頭部がめちゃくちゃ痛い。
なんだ、感じたことのない痛みなんだが……。
え、まさか、俺、死んでるのか?
転生物のアニメってこんな感じだったぞ。
気付いたら全然違う場所にいて。
いや、感覚はあるし記憶もある。
事故にあったってわけでもない。
競馬で負けてただけで……。
あ、そういや、あの馬の名前。
『イセカイテンセー』だったな。
まるでバカみたいだが、本当に異世界転生してたりして。
じゃあ、まさか現実の俺の身体に、トキムネとやらが?
なんて、そんなまさか、な。
いや、ワンチャンまだリアルな夢かもしれない。
寝よ。
寝よ寝よ。
そうすればきっとまた現実に戻る。
シミュレーションは面倒だが、レスラーの悪夢よりましだ。
よーし、おやすみんみんぜみ~。
スヤァ。
と、目をつぶろうとした俺は次の瞬間。
亀のように布団から顔だけを出し、畳に突っ伏していた。
枕に埋もれたいのは山々だ。
が、いかんせんそれがかなわない。
「かってぇ……!」
枕が『木』なのだ。
き。
樹。
え、木枕?
意味が分からない。
何目的だよ?
寝心地とかそういうレベルじゃない。
なんで人間の頭乗せるとこが木なんだ。
全く合理的じゃない。
アマズンで買ったお気に入りの低反発枕が恋しすぎる。
俺は枕を諦めて畳に寝転がった。
い草の香りがする。
それまで俺の横で銅像のようにじっとしていたプロレスラーが、すうっと息を吸った。
「時宗様ァァ!! ご起床でございます!!!」
うるせええええぇぇぇ!!!!
だが、ここで声を張り上げるような俺ではない。
いやいやいや、見も知らずのプロレスラーにツッコミできるほど、理性捨ててないわ。
だって腕とか俺の五倍くらいあんじゃね?
丸太だろ? 絶対ヤバイ。
俺はゴクッと唾を飲み込んだ。
丸太でぶん殴られるリスクを冒してまでツッコミたくはない。
「時宗様? もはや体がお優れになられないのでは」
暗闇の中でろうそくを持ったレスラーがボソボソと喋る。
いや、そうじゃなくて、人違いです。
「俺は――」
地を這うような低音だ。
夜明け前の部屋にビリビリ響くような、男~って感じの声。
え、誰?
「あ、あー……」
「時宗様どうされました! お気を確かに! 夢見が悪うございましたか!?」
レスラーがカッと目を見開く。
ろうそくに照らされて化け物そのものだ。
白目が多くて怖い。
髭面のレスラーはガタガタッと下がると、
「薬師、いや、祈祷師を呼んで参りまする!」
と戸を閉めた。
ピシャァァァンッとすごい音がする。
近所迷惑だ。
きっとこの建物には朝に騒音のお知らせが貼られるに違いない。
が、原因は俺ではない。
あの筋肉髭面レスラーのせいだ。
管理人さんに怒られたらちゃんと言おう……。
レスラーが置いて行ったのか、ろうそくが皿みたいなのに乗って床にあった。
おい、危ねぇな。
木の床だろ。燃えたらどうすんだ。
にしても、THE和風って感じの部屋だ。
銀縁の楕円の鏡が置いてあった。
その横に刀もある。時代劇かよ。
「ん……」
鏡にぼや~んと浮かび上がる、筋肉モリモリの男。
眉毛がキリッとして、強い視線。
なかなかシュッとしている。
「……誰ですか?」