意味不明な理由で婚約破棄と追放を言い渡されたので、かつて恋していた幼馴染と共にやり返します
自然豊かな森の中に佇む壮大で落ち着いた雰囲気を醸し出す美しき館の一室。
私――――エリス・ヴェルディはこれからの生活を想像し、楽しみなソレを心に植え付けながら自室を掃除していた。
ふう、埃はだいぶ少なくなった。私はよく可愛いとは言われるけれど、いわゆる掃除が大の苦手で、本来綺麗な寝室は汚部屋状態だった。
でも、もうじきあの人とくっつくから、こんなみすぼらしいお部屋を見せるわけにはいかないと、最近はずっと張り切っている。
まあ、その、私には俗に婚約者が存在する。
私は貴族の令嬢ということもあって、結婚はお見合い形式となった。
親が勝手に決めた相手だし、私には大好きなガチ恋をしている幼馴染の男の子がいる。
だから最初は「誰が知らない男と結婚するか!」と頻繁にお母様やらお父様やら……挙げ句の果てには全く関係のない使用人にまで怒鳴り散らしていた。
しかし、いざその婚約者とやらと会ってみると、中々のタイプだったわけ。
見た目はフツメンだけどスタイルはいいし、何より性格が面白い。お金だってこの家より沢山あるらしいし。
金目当て――――と言ったらイメージは悪いけれど、私は昔から金が好きな女なの。好きになった理由として、多少はそういったこともある。
ま、でも、本当に惹かれたのはやはり中身だ。彼ことアレンさんは私が悲しんでいたらお笑いを披露してくれるし、欲しいものがあったらすぐに買ってくれる。
あの男の人は、底から上まで善なのだ。
お見合い結婚は色々と偏見を持たれがちだし、私も前まではそうだったが、今は違う。
もちろん人によってはそれが最悪なこともあるかもしれないが、私はとても幸せな気分だ。
だからこそ、お嫁さんになったら掃除も料理まちゃんとやらないといけなわねと思いながら再び箒を握った時、扉がノックされた。
ドアが開き、現れるは白いワンピースを着た銀髪の女性……自分の母親だ。
笑顔だけれど、ちょっと険しい気も。
自分の勘違いならそれでいいことだが、どうも裏があるような……いや、まずは話を聞こう。
「お母様? どうしたの?」
「……話があるの。ちょっとこっちに着いて来なさい」
「え、うん……?」
断ることもできず、渋々背中を追いかけるしかなかった。
辿り着いた先は、食堂。
ここはいつもだと明るい雰囲気に包まれるが、今日はどんよりとしている。
何というか、違和感があるというか、気分が悪い。まるで心霊スポットに訪れた感覚だ。
「さあ、出て来ておいで」
お母様の一声と共に、一つの影が浮かんだが。
それは、あまりにも、想定外な人だった。
「え、えっ? あ、アレンさん……!?」
そう、私の愛する婚約者だ。
アレンさんは普段の眩しい笑顔を絶やさず、その微笑みを向けて来る。
一体もう……何なのよ!?
ムカムカするんだけど!?
しかも二人共、めっちゃニヤついてるし。気持ち悪いな……。
……いや、そういうことか。
二人の意図を理解した途端、不意に緊張が解けた。
今日は、私の誕生日。
これはきっと、サプライズだ。
多分、でっかいケーキとかが出てくるんでしょう。
粋な人達だ。
そう思うと、何だか笑えて来た。
人は、他者の本質を理解できると心底安心するものだ。
そして、アレンさんが指パッチンすると、ついにサプライズが訪れた。
が、そのサプライズは、私が想像する展開とは大きく異なった。
コツコツ、と足音がどこからか響き、メイド服を着た女の人がアレンさんの後ろより姿を現す。
あの人は確か、メイド長のアヴァカンさんだったわね。エルフの美人だ。その彼女が、何故ここにと疑問に感じていると、信じられないことが起こった。
「ちょっ、何して――――」
これ、映画とかの撮影よね? そうであってほしいと必死に願う。
何とアレンさんはアヴァカンさんを抱き寄せ、そのまま熱い接吻を交わしたのだ。
う、浮気サプライズってやつだよね!? うん、多分そういうことよ! 口元にガーゼとかを挟んでる……ない。生だ。本当にありのままの状態でキスを互いにしたのだ。
これは、創作でも夢でもなく、ただの冷たい現実。
非情が、心を蝕む。
どうして……どうしてなの。
確かに私は令嬢だけど家事のスキルはゴミだ。
けど。
だからと言って、こういうのは違うでしょ?
酷いよ、アレンさん。ずっとニヤニヤしているお母様もそうだ。
私は思わず、膝の力が抜けてしまい、跪いた。
「な、何で……意味分かんないわよ!」
そう叫ぶと、お母様が前に立ち、私のサラサラ状態を保つ髪を強引に掴んだ。
「エリス。あなたはアレンさんに満足していたようだけれど、向こうは違うの。第一、何もできない令嬢と誰も結婚したくないでしょう? それにアレンさんだって、アヴァカンちゃんのことが好きみたいだし。ねえ?」
アレンさんに視線を送り、彼は頷く。
「ええ、お母さん。そうです、僕はこのエルフの女性と結婚したいのです。顔もいいし、家事だって何のその。そこのアホな女とは比較になりません。アヴァカンも嬉しいだろ?」
「はい、アレンさん。はっきり言って、私はエリスのガキが嫌いなので嬉しいです。あいつは部屋が汚いせいで、どれだけこちらが苦労したことか……」
揃いも揃って、私の悪口を好き放題言って……! 腹が立つわ。
「それで」
「ひいっ!?」
お母様は懐から折り畳みナイフを取り出し、刃を私の顔に向けた。
「エリス、あなたはもう娘じゃないわ。邪魔なの。掃除もロクにできないし、顔もあんまり可愛くない。性格もまあまあ。貴族の恥なの! さあ、とっとと出ていきなさい!」
「そ、そんな……! 酷い! 酷いわよ!」
「酷いのはそっちよ! エリスのブス!」
「さ、サプライズだと思ったのに……卑怯者!」
誕生日にこんなことをするなんて、こいつらはどんな神経をしているのか。
人をいじめるのが、そんなに楽しいのか。
娘をいじめて楽しいか。
婚約者をいじめて楽しいか。
やかもの……若者をいじめて楽しいか。
こんな単純な罵詈雑言を心の中で繰り返す。
するとここで、アヴァカンが口を開けた。
「サプライズ? それならありますよ」
「はえ? ど、どこに? まさかこれは嘘なの……?」
私は一瞬、希望の光が瞳に宿ったが、それは呆気なく砕かれた。
「これですよ、サプライズとやらは」
「なっ……!? こ、この……!」
アヴァカンが指を見せ付ける。
薬指だろうか、銀の輪っか――――指輪が通されていた。
アレンさんも同じタイプのを装着している。
ギギギ……くやしいのう、とまたもや心の中で暴れ回る。
「さあ分かったならさっさと出て行って!」
お母様から受けた最後の言葉は、惨めで、哀れで、許せないものだった。
◇
私の考えていた、華やかな暮らしって何だったの。
土砂降りの雨が大地を強く打っては濡らす中、公園に生える大きな木の下に身を寄せていた。
確かに、私は不完全な女だが、あれは、酷すぎないか。
でも、過ぎ去ったことはどうもこうもできない。
いくら文句を言ったところで、今の私はホームレス同然。一応お金はあるけれど、二日も経てば使い切ってしまうだろう。
我が国の法律では、人を殺せば執行猶予なしで刑務所に収監される。あと、一人だけなら死刑は免れる。
囚人になって、もう一度人生をやり直そうかしら――――いや、それは絶対にやっちゃいけないラインだ。倫理も法律も、全てにおいてタブーだ。
殺人なんて犯せば、その人の命も、私の人生も、実家にも、全部にどす黒いものがのしかかる。
まあ、さっきの一件でお母様やアレンさんは嫌いになったが、それでもお父様と首都に出稼ぎに行っているお姉ちゃんは大好きだ。無関係な人まで自分の鬱憤に巻き込むのはやめよう。
「というか、ここ」
この公園は、懐かしい。
ふと思い出すは、小学二年生の頃。三年だったかもしれないが、この際どっちでもいい。
あの時はお見合いとか婚約とか堅苦しいことなんか一切なくて、自分の思うがままに生きていた。
それで、当時の私は……恥ずかしい話だけれど、初恋を奪われた。
名前は、ルイス。茶髪の陽気な男の子で、乱暴で、女好きで、ロクデナシだった。ただ、ルイスはアレンさんと比べれば遥かに男前な奴だった。
低学年を蜂から避難させたり、セクハラされている女教師を身を挺して守ったり、その上頭もいいんもんだから、非の打ち所がなかった。
そして私が彼に恋した理由は――――小二の終わりの頃。
貴族出身ということもあってか、平民の子達によくいじめられていた。肥溜めに突き落とされ、真っ白なワンピースは茶色に変わったこともあった。今となっては悪戯で済む話だが、あの時代の私は本気で自殺を考えていた。
二年生の終業式間近、ついにその瞬間が巡って来た。
いわゆる集団リンチを受けて、あの時ばかりはもうこの世から消え去りたいという思いが脳をよぎった。
しかし、虐げられる私の前に、ルイスが颯爽と現れた。
彼は本当にかっこよかった。
複数人に単独で飛び掛かり、私が怪我をこれ以上しないように端へ蹴ってくれて、見事に守り抜いてくれた。
ルイスは血だらけだったけど、真っ先に私を心配した。
彼は苦しかっただろうに、表情は爽やかな笑顔だった。
これこそ、惚れた理由である。
我慢できなくなった私は、きっと成功すると信じて、あのあとこの公園に彼を呼び出して、「好きなの。だから付き合って欲しいな」とはっきり言ったのを今でも覚えている。
けれど、ルイスからの答えを聞いて、失恋どころではなくなった。
エリス――――俺は王都に引っ越すんだ。悪いな。
あの言葉だ。忘れるものか。いや、忘れちゃいけないのよ。
普通に断られることが、どれだけ嬉しかったか。
引っ越すのだ。ということはもう二度と会えない。恋人になるのはおろか、友達としても遊べなくなる。
だから私は、絶望と失望に蝕まれた。
で、成長して、アレンさんと出会って、嬉しかったのに、このザマだ。
私の人生は恵まれているのに、不幸だ。
それとも、そもそも貴族の家庭に生まれたのがいけなかったのかもしれない。
もう生きてても意味ないじゃん、と近くに置いてあった石を拾った。
この石を頭にぶつけたら、死ぬだろう。もう旅立とう。
きっと、来世があると信じて。
石を握った瞬間、ひんやりとした死への冷たさが伝わった。
死ぬのはやっぱり怖いけど、死ぬしか道はない。
決意を固めて、頭に強打しようとした瞬間、腕が止まった。
恐怖から本能的に固まったのだろうか。
――――違う。温かい感触がある。
一本一本が独立した、細長い感覚も。
正気になって、顔を上げてみると、茶髪のロン毛を靡かせる男の人が私の腕をがっしり掴んでいた。
服はチュニックにジーパンと質素だが、左手首に高級メーカーの腕時計が。結構富裕層なにかも。
金はどうでもよくて、この人は、私の命を救ってくれたのか――――余計なことしないでよと立ち上がった時、彼の顔には見覚えがあった。
髭が薄く生えていて、髪だってお洒落に伸ばしてあるし、身長もデカくて体格も良い。
でも、私には分かる。
その人と目が合った瞬間、思わず叫んでしまった。
「あなた、ルイスじゃない!」
まさかの、大好きな幼馴染との再会であった。
◇
雨が止んだあと、雫が残るベンチに二人揃って座った。
彼――――ルイス・アサドも私が誰なのかすぐに分かってくれて、引っ越しのその後も詳しく説明してくれた。
ルイスは親の都合で王都へ住み移ったあと、両親が営む会社のビジネスが大成功を収め、大金持ちになったとのこと。しかし両親は不慮の事故により他界し、彼は孤児院を買収してそこにて大人に育つまで過ごしたそうだ。
まあ、ここまで聞くと波乱万丈だなで済むのだが……耳が壊れるようなことを彼は教えてくれた。
「へ? 今なんて?」
「だからエリス、俺はマフィアの幹部だよ」
はあああ!?
ま、マフィアって、いわゆるヤクザみたいな人だよね!?
ナイフとか鉄砲とかで人殺してる人達のことだよね!?
「……っ!」
私は逃げようとした。
だってルイスはマフィアだ。下手なことを言えば殺されるだろう。
だがしかし、ルイスは微笑みながら私を引き止めた。
「エリス、そんなに怖がないでくれよ。そんな無差別に殺してるわけじゃないし」
「ほ、ほんと……?」
涙ぐんだ声の私に、ルイスは自信満々といった様子で頷く。
「うん、当たり前だよ。というかそもそも勝手に殺したら、こっちが上から殺されるからさ」
軽く笑いながら言ってるけど、さらっととんでもない発言したわね……。
ただ、ルイスはあの頃からあんまり変わっていなくて、ちょっと微笑ましくなった。
任侠ってやつなのかな。
それにしても、こんな場所で、こんなお喋りをしていれば、あの頃を思い出す。
長年彼とは会っていなかったけれど、気持ちはずっと同じだ。揺らいだこと……ないはず。
偶然の再会でいきなりこれを言うのは失礼かもしれないが――――やっぱり、ルイスとは一度でいいからくっつきたい。
いや……やめておこう。まずは友達から、だ。そりゃ突拍子もなく「私と付き合って―」なんて言ったら、どんな顔をするかは予想がつく。
少し息を吸って、
「ねえルイス、これからはここにいるの?」
「ああ、あっちにはもう戻らないと思うよ」
お、これは案外……まだ早まってはならない。
再度の深呼吸をして、
「ルイス……マフィアなのは分かったけど、あなたのことは好きなの。あ、友達っていう意味でね。それで、今からとりあえず遊ばない?」
「ん、別にいいよ。何して遊ぶ? 金なら腐る程あるぞ」
マフィアの大金――――やはり、麻薬とか人身売買とかで稼いだのかと思ったが、
「普通にボランティア活動とかで稼いだんだ。大体、麻薬売買なんてリスクしかないよ」
何というか……普通だ。むしろヒーローじゃないの。
マフィアと知った時はどうなるかと思ったけれど……嫌いにはなれない。この人が婚約者だったらどれほどのハッピーエンドが待っていたことか。
……そうだ、いいことを思い付いたわ。
虎の威を借りる狐になるのよ!
マフィアの幹部である彼の力は強いはず。そして私は家族の野郎共に一矢報いたい。
私はプライドなんて捨てて、泥の地面に土下座。
「ルイスお願い! 手伝ってほしいことがあるの! お金ならいっぱい渡すから!」
「ちょ、おいおい……エリス、どうしたんだよ」
彼からの優しい言葉に、頭を上げて説明を始める。
事情が複雑なので、要点だけを伝えた。
アレンという婚約者がいたがそれを破棄された挙句、エルフの女と結婚し、さらには母親に追放されたことなどなど。話すのも辛いが、全てを打ち明けた。
最後に、「復讐してほしい」という考えもきっちり言った。
しかし彼はマフィアのお偉いさんだ。対して、奴らは外道だけれど一応は一般人。そんなルイスが貴族に手を出せば政府を巻き込む大混乱となる。
断られるだろうと、覚悟を決めたが――――
「そりゃ許せんのう……本当に許せんのう……わしゃもう怒ったわい! ええぞ、やったるけえ、わしに任せんさい!」
即答。それも了承された。しかも謎の広島弁で。
独特の方言が気になったが、それはあとで触れるとしよう。
「え、えっと、ありがとう……それで方法はどんな感じにするつもり?」
「なに、殺しは流石にしないよ。ただ……ちょっとした凌辱だよ」
「は、はあ?」
ルイスはあの三人をリョナしようって考えてるの? マフィアらしいといえばそうなのだけれど、何か不安ね。
「まあ、エリス」
彼は懐から、俗に言うチャカを取り出し、それを見せつけた。
鉄砲はあまり見たことがなく、動揺を帯びた。
「こ、殺すんじゃないわよね……!?」
「銃はあくまでも脅しの道具さ。そうじゃなくて、その三人は生殺しだよ」
ますます意味が分からない言葉だ。
でもまあ、彼に期待してみようかしら。制裁を下せたら、それでいいんだから。
◇
実家の近くにある宿。
ルイスの金によって泊まらせていただいたわけだが、彼の姿がさっきからない。散歩に行くとは言ったが、もうかれこれ二時間は経っている。マフィアといえど人間。事故にでも遭ったのかもしれないと、私は外に出た。
爽やかな風が吹く道に、驚きの光景があった。
「はっ?」
貴族の娘らしからぬ素っ頓狂な声が漏れ出た。
視界の中央。
鎧を纏い、街の治安の維持に務める騎士の集団と遭遇したのだが、その真ん中に、涙で顔面がぐしゃぐしゃになった母親が縄で縛られて歩かされていた。
嫌いだが一応は肉親なので、慌てて騎士団に近寄った。
部隊のリーダーらしき男が前に立つと、事情を話す。厳つい風貌だけど穏やかな笑身を浮かべる。
「む、この服装……もしかしてあなたがエリスさんですか?」
「え? そ、そうだけど……それよりもどういうことなのこれは?」
涙ぐむお母様を指差しながら問う。
「ああ、これはですね……つまり逮捕というものですよ」
「た、逮捕? 何でそんなことを?」
「ん? エリスさん、あなたは小学生の頃からそこの醜女に虐待を受けていたのでしょう? 先程、あなたの恋人を名乗る男性から教えてもらったのです。もちろん証拠もありました」
そう言って、騎士のおじさんは懐から血が滲み付いたメリケンサックや棍棒を取り出す。
……あの、これ。
血じゃなくて、ケチャップじゃん! 誤認逮捕じゃん! ……まさか、まさか、ルイスがわざやざやってくれたのかしら。
でも相手は本気で信じてるし……。
決めた。真実ということにしておこう。
虐待の事実はもちろん嘘だが、お母様は私の大切な将来を粉々に変えた犯罪者だ。どれに転んでも悪人だし、コイツは刑務所に送ろう。
「エリス! エリス! 助けなさいよ! あなた私の子供……」
「いいえ、違うわ。確かに血は繋がっているけど、心は絶たれた。さあお母様、塀の中で反省してください。私を虐待したことをね」
意地悪っぽく言ってやると、踵を返した。
そして、お母様は連行されていく。
奴は虐待なんてしてないと叫んでいるが、私はある意味虐待以上の苦痛を与えられたのだ。死ねとまでは思わないが、きちんと反省しやがれ。うん、報復は気持ちいいわね。
◇
これはもう、私の勝ちだと確信し、あの忌まわしき屋敷へと帰った。
使用人達は私の姿を見るなり母親について尋ねて来たが、無視し、軽く挨拶だけして中へ入って行った。
食堂がやけに騒がしい。一人の女の声と、荒々しい二人の男の声、ね。
なるほど、もうやってくれてるのね。
食堂のドアを豪快に開けると、やはりあの三人がいた。
エルフのババア……じゃなくてアヴァカンはアレンさんの背中に隠れて野次を飛ばし、ルイスはマフィアを象徴する険しい口調で相手を追い詰める。
彼らは熱中しすぎて、私の存在に気が付いていない。
趣味が悪いのは分かってるが、見るのはおもしろい。だから椅子の裏にそっと隠れた。
「お前達はあの人に何をしたのか分かってるのか!」
ルイスはイケメンだ。痛烈ながらも正論を飛ばす。
「ああ分かってますよ! 俺はただ、好きな人と結婚したんですよ! それの何がいけない!」
「そうよそうよ! 私もアレンさんが好きだから……」
アレンさんとアヴァカンのエルフババアは結託し、抵抗を続けるがマフィアの彼は怯まない。
「大体ね!」
アヴァカンがアレンさんの背中からゆっくり抜け出し、腰に手を当てて生意気そうな眼でルイスを睨み、啖呵を切った。
「私達の普通で、素晴らしい愛を、何で人殺しのあなたに言われなきゃならないのよ! そもそもここは貴族のお城! 分かったならあなたみたいな極悪犯罪者は出て行きなさい!」
「よく言ったぞアヴァカン! 流石は俺の見込んだ女だ! もっと言うとついでにエリスもくたばるべきだ! あんな女、自殺でも何でも――――」
アレンさん、見損なったわ。あそこまで嫌いだっただなんて。なら早く言ってくれればよかったのに。勇気のない男よ。
その時、ルイスの顔に許せないものが迸った。
それは、彼の信念とも言える部分。
バシーン!
痛々しいが肉の弾かれる爽快な音が食堂に響き渡った。
同時に、アレンさんは鼻血を噴き出しながら床に倒れた。気を失ったのか、痙攣を起こした。
「ギギギ………」
ルイスは鋭い眼差しで横たわるアレンさんと怯えるアヴァカンを見た。
彼の拳は固く握られている。あの拳が、アレンさんの顔面に直撃したのか。そりゃ気絶するわけだ。
「おどりゃ汚い夫婦じゃ、本当に卑屈な夫婦じゃ!」
広島弁混じりの怒声と共に、さらに睨む力を強めた。
「な、何よ……!? 乱暴するわけ!? いいわ、やりなさい!」
メイドだが柔道や剣道、空手などを習得しているアヴァカンは独自に編み出した構えを取る。ああ見えても彼女はとても強く、警官を返り討ちにしたこともある。
しかしルイスは鼻でフッと軽く笑うと、一歩前に進んだ。
「くっ……! もう本気のようね! 覚悟なさい! 今なら通報はしませんわ!」
アヴァカンの右脚が飛び出し、ルイスの肩を的確に捉え、彼は姿勢を崩したが、全く痛みを感じていない。
それどころか――――
「いっ……!」
痛がっているのはアヴァカンの方だった。彼女は右の太ももを手で押さえ悶え苦しむ。
「お前は、馬鹿な女だ。マフィアなんだぞ。普通の状態で来るもんか」
ルイスは上着を脱ぎ去ると、その下から薄い鎧が現れた。武器を使えば楽勝だろうが、徒手格闘でそれを壊すのは厳しい。
「そんなものを……! しかし負けませんわよ!」
アヴァカンはどこか間抜けな格好でありながらも今度は拳を突き出す。
が。
「ひゃあああ!」
プレートに肉体が激しく衝突したから、その拳は大きく腫れ、たちまち赤く染められた。
アヴァカンは汚い悲鳴を上げながら一歩退く。
利き手と利き足を潰されたが、それでもまだ闘志を失っていないようだ。
嫌いなおばはんだが、強い意思だけは認めてやろう。
まあでも、もう逃げた方がいいとは思うけどね。こんなの負け戦だ。
「ギギギ……」
アヴァカンは涙が滲んだ眼で、鋭い視線を向ける。これだけ見れば悲劇のヒロインだ。実際は極悪犯罪者といって差し支えないが。
……いやもうね、ほんとにすごいと思うの。
何と、アヴァカンはまたもや彼に反撃した。負け確だけれど、何だか貶すことはできない。メイド長なだけあって体力はパワフルなのだろうか。
「ヒー! アワアワ……ギギギ」
だが、アーマーへの攻撃は無謀極まりない。
昔、鍛冶職人の友人に聞いたが、鎧はもちろん戦場で扱われることを想定して作られており、素手如きではヒビすら入らない頑丈な代物だ。
そんな要塞じみた物体に残りの腕と脚を捧げたアヴァカンは、間抜けな断末魔を出しながらとうとう跪く。
ルイスは頭がいい。
マフィアだからどんなに憎い相手でも、命令がない以上下手に暴力を加えられない。もしもやったら、破門とのこと。あっちの世界は恐ろしいね。
けれどルイスは、己の力を使役することなく、相手を屈服させた。幹部ともあろう者なので、頭は冴えている。
ルイスは銃を引き抜き、銃口を二人に向けながら前へ歩いた。
「ヒー! やめろやめろ……!」
「ギギギ……や、やめてください!」
趣味が悪いと指摘されるのは承知済みだが、実に愉快だ。
アレンさんとアヴァカンは互いに抱き合い、許しを乞う。するとその誠意が伝わったのか、ルイスは銃を懐に戻した。
「……謝罪はたっぷり受け取った。もう謝らなくていいぞ」
「ほ、本当か!?」
殺されないことに安心したアレンさんは痛みなんて忘れ、ルイスの肩に強く掴まった。だが、ルイスは嫌そうな表情でその手を払いのけた。
そして、あまりに非情な一言を二人に刺した。
「お前ら二人は、刑務所行きだ。さあ来い!」
ルイスが叫ぶと、扉が開き、街の冒険者さん達が沢山入って来た。色々いる。
「ちょっ、何よこれ!?」
アヴァカンは圧巻の光景に慌てふためくが、ご自慢の体術はもう披露できず、すぐにアレンさんと一緒に捕縛された。
さて、ずっと隠れているわけにもいかないし、そろそろ出て、こっちも反撃してやろうじゃないの。
椅子の影からそっと離れて、捕縛された二人の前に立つ。両方共、まさしく満身創痍といったところ。アレンさんは顔面が陥没しているし、アヴァカンのクソババアは手足がふにゃふにゃだ。ちょっと可哀想だけれど、こうなったのが自業自得ね。
「エリス! 助けてくれ! 婚約者だぞ!」
「は、早く助けなさい! 私はあなたを沢山お世話したんだから!」
二人は冒険者に前へ突き出されると、惨めで傲慢な頼みをして来たが、バッサリ断る。
許せるはずない。いや、許してはならない。こいつらを許せば、新たな被害者が増えるかもしれない。
だから私は。
「二人は早う屁をこいて死にんさい!」
ルイスに影響を受けすぎたのか、なんちゃって広島弁と共に二人の頬を何回も、何十回も、もしかすると百回以上のビンタを食らわせた。
肉が打たれる度にアレンさんとアヴァカンは苦痛の声を上げるが、こちらはそれ以上の痛みを味わった。本当ならもっと痛めてやりたいが、他の冒険者から強制的に止められた。
だがしかし、ルイスの反応は違った。
彼は上着を羽織り直すと、銀の武具――――メリケンサックを渡して来た。
「エリス、隠れていたのか。まあいい、満足するまでこれ付けてぶん殴りまくれ」
「え、でも……」
「大丈夫。俺を誰だと思っている?」
そう言ってルイスは懐から分厚い札束を取り出し、私に見せる。
「大体、この冒険者らは俺が買収した。あと、エリスの母親を逮捕した騎士団にも適当な罪状を言って、賄賂渡して逮捕させたんだ。心配は無用だぞ」
コワい男だが、有能な男でもある。
そこまで言うなら遠慮はいらないわね。
メリケンサックを受け取って装着すると、拳を奴らに向けた。
二人は互いに抱き合い、雫に覆われた目で私を見るけれど、もう容赦はしない。
殺さない――――でも、それ以上の苦しみと罪悪感をしっかり与えてやるんだから。
◇
あれから数週間が経過し、私は実家を出て、紆余曲折あってルイスと二人で田舎の一軒家に暮らし始めた。
まあ、単刀直入に申し込むと、同棲である。
あの復讐劇を終えたあと、私は勇気を振り絞ってもう一度好きだと告白した。マフィアだし流石に厳しいと思っていたが、何と快諾されたのだ。何でもルイスも私のことが好きだったらしく、いつかはこうやって一緒に住みたいと考えていたとのこと。
何というか……こうなるなら、最初からルイスと婚約した方がよかったかも。彼は途中で王都に移ったからそれは難しいかもしれないけれど。
「ただいま、エリス」
「おかえりなさい、ルイス」
愛しの男性が仕事から帰って来た。今日は敵組織のボスを暗殺した……というのは嘘で、貧民にお菓子を配ったそう。もはや犯罪組織じゃなくて慈善団体ね。
そう言えば、お母様の罪は知ってるけど、あの二人の罪は何なのかしら。ちょっと聞いてみよう。
「ねえルイス」
ソファに座り、お茶を静かに飲む彼に声を掛ける。
「あの二人は何て言って捕まったの?」
「ああ、アイツらか。確か冒険者の連中には……エリスへの詐欺と殺人未遂って言ったかな。まあそんなの置いといて、今日はパーッと飲もう」
「ああちょっと! 全くもう強引なんだから……」
ルイスにぐいっと引き寄せられ、ソファに座らされた。彼の腕が肩に回り込む。
罪をでっち上げるとは本当に恐ろしい男だ。
けれど、そういう怖い部分も好きな箇所である。
というか、私には何もしないでしょう。
今の生活は、貴族の頃と比べるとやけに質素だが、こっちの方が合っている。
ルイスは私の最愛で偉大な婚約者だ。
もう自分の幸せは誰にも壊させない。
お読みいただきありがとうございます。わたくし田中田中は色々と投稿しておりますので、次回は代表作でお会いしましょう!代表作はこれです→https://ncode.syosetu.com/n9470jv/
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