3 笛未子と金髪碧眼の女
「ふぅ、さっぱりした」
その夜、笛未子は大学での仕事を終えた後、フェミニスト仲間との会合に参加していた。
アパートに帰宅した頃には、すでに夜更けの11時を過ぎるところだった。
会合の目的はもちろんフェミニストの活動報告であるが、小料理屋の個室であるため、もはやただの飲み会に近かった。
しかも、冒頭でそれぞれがチョロっと報告し終わると、待ってましたと言わんばかりに、飲み会が開始される。
酒の肴はもっぱらSNS『Zet』に投稿されている炎上ネタばかりだった。
笛未子も先日投稿した“女子マネ反対”のノート(投稿)が、思いの外、盛り上がったため、仲間たちからも称賛を受けた。
会合後は鼻歌が自然に出てしまうほど、心地良い気分で帰宅したわけだが、アパートの階段で、隣の住人の男と鉢合わせしてしまい、一気に酔いが醒めてしまった。
風呂から出た笛未子は、タオルで頭を拭くと、ベッドを背もたれに、座布団に腰をおろした。
発泡酒の缶を開けると、ゴクゴクと勢いよく流し込み、喉越しがゆっくりと広がった。
「ぷはぁ〜風呂上がりに飲む一杯は最高だわ。……それにしてもあいつのせいで、せっかくの気分が台無しよ」
隣人の中年男の姿を思い出しながら、愚痴をこぼしていると、いつの間にか、2本目の発泡酒も空っぽになっていた。
飲み終わった空き缶をテーブルの上に転がし、畳の上に積み上げられた本の山から、一冊の文庫本サイズの漫画を手に取った。
パラパラとページをめくり、読み途中の場所にたどり着くと、そのままベッドに横になり、“BL本”を読み始めた。
笛未子は根っからのBL好きである。
なぜかと問われると、それは女性が登場しないから、だそうだ。
女性が出てこなければ、被害者は生まれない。なんともヘンテコな理屈なのである。
アルコールのせいかわからないが、ほんのり頬を染めて、真剣にBL本を読み耽る笛未子。
「はぁ〜やはり“男同士”は捗るわぁ」
熱い吐息に恍惚とした表情を浮かべながら、胸の上で本を抱きしめ、そっと目を閉じた。
頭に浮かぶのは、先日訪問したメイドの家。
いや、正しくはメイドの家で起きた、“あの男”との出来事。
(硬くて大きい手だったなぁ……腕も逞しかったし……)
(あの時ーー)
「笛未子!あぶない!」
男の手が力強く、笛未子の二の腕をガッシリ掴んで、引き寄せた。
「まぁ……! いけませんわ……」
現実とは程遠い妄想を膨らませると、自然と下腹部に手が伸びていた。
そして、夜は静かに更けていくーー。
***
ーー数日後の夕方。
手にはやはりチラシの束を抱えて、笛未子は駅のロータリーを、肩を落として歩いていた。
自分たちの思想を広めるため、炎天下の中、駅前で布教活動を行っていた。
が、今日は手応えが全くなく、チラシを配っては押し返され、しまいにはゴミ箱に捨てられてしまう始末だった。
夕方になったころ、「こんな暑い日にそもそも誰も出歩かないわよ」と、仲間の一人が半ば投げ槍に呟くと、それもそうね。とようやく解散したのだ。
「わたしたちは間違っていないのに……」
笛未子のブラウスには、大きな汗ジミが作られ、そのうなだれた後ろ姿が、痩せぎすの体型をさらに強調させた。
大人しく帰ろうと、笛未子がバス停でバスを待っていると、ロータリーの向こう側に見覚えのある人影を見つけた。
「は!?」
鞄を持つ手に力が入った。
その人物の顔を確かめるべくバス停の列を離れると、脇目も振らずにロータリーの反対側を目指した。
息を切らし、近くまで行くと柱の陰に隠れて、チラリと顔を出す。
やはりそうだ。先日のあの男だった。
瞬時に“あの光景”が脳裏で再生され、熱を帯びる。
男はというと、スマホを見ながら時折り、キョロキョロと辺りを見回していた。
その姿は、どこか疲れた様子と、放っておけない雰囲気を匂わせていた。
もしかしたら、男のこういうところが、あの家の女たちの母性をくすぐり、彼女たちを惹きつけているのかもしれない。
(気づかれないように近づかないと……)
笛未子は物陰に隠れながら、男の方へ更に近づいて行く。
ゴクリと唾を飲み込み、こちらを振り向いてくれないか、淡い期待をした。
(あの声がもう一度聞きたい……)
ーーその時だった。
「ダーリン!お待たせしました!」
見事なまでの金髪をふんわりと揺らした、若い白人の女性が、男の腕に絡みついたのだ。
長い金髪は夕陽を反射しキラキラと光り、白磁のような肌と湖のように透きとおる碧い瞳は、まるで妖精のような美しさをまとっていた。
突如現れた白人女性のその仕草を見て、笛未子は直感した。性を武器にするような女だと。
自分の容姿がどれだけ優れていて、どう振る舞えば男に“ウケる”かを知り尽くしている。
まさに計算高いのに天然を装う、笛未子がもっとも嫌悪するタイプの女。
しかし、それは言うなれば、ただの嫉妬や劣等感の裏返しであるということに、本人は気づく由もなかった。
「サーシャ!あまり人前でくっつくな」
「ふふ、ダーリン!何を言ってますか!私たちは“夫婦”なんですよ!恥ずかしがらないでください!」
白人の女は流暢な日本語を喋りながら、シャツの上からでもわかる大きな胸を、男の腕にこれでもかと押し付けた。
「いや、だから夫婦じゃないだろ!サーシャは留学生!」
「恥ずかしがるダーリンは可愛いです。さぁピロシキの材料も買ったので帰りましょう。祖国の味をご馳走してあげますよ」
「夫婦!?」
その言葉に笛未子は眼鏡がずり下がり、膝から崩れ落ちた。
まるでハンマーで脳を殴られたような衝撃が全身を駆け巡った。
大きく目を見開き、体を震わせる。
「あの男は、結婚しているのにも関わらず、何人もの若い女性をこき使い、しまいにはわたくしにまで色目を使って、取り込もうとしたんですね……」
ずり下がった眼鏡を指の腹で持ち上げた。
「ゆ、許せない!許さない!やはり男は悪!!」
「舐めじゃあぁないわよぉぉぉ!!」
地面も揺るがしそうなその叫びに通行人は振り返り、街路樹のムクドリたちが一斉に飛び立った。
男は訝しげな様子で、声の方を振り向いた。
「ダーリン、どうしました?」
「ん? いや、なんでもない」
二人は仲睦まじく夕方の街に消えていったのだった。




