『Rewriting Object』
「『Underground Struggle』は『Pit Coffin』におけるゲームモードだ」
そこまでは知っていた。
だが、次の言葉からは私が知りえることの出来なった情報だった。
「解放条件はゲーム内階級『General』にまで上げ、尚且つ同ランク帯におけるPVPで40連勝をすること」
前半はネットで出て来た情報であったが、後半は知らなかった。
だが、確かに私の戦績と照らし合わせると昨日の試合が丁度『General』階級における40連勝目だった。
「確認してみればわかると思うが、お前のアカウントには『Underground Struggle』の招待チケットが送られてきているはずだ」
「確かに」
携帯端末を開いて確認してみれば『Pit Coffin』公式からと題してアイテムが送られてきていた。
そう言えば、アカウントまで確認はしていなかった。
「そして正体チケット以外にそろえるべきものが二つある」
端末から顔を上げた私に対してムジムラは二つ指を立てた。
「それは『Pit Coffin』の初期ロットと軍用『AHRM』だ」
その言葉に私は首を傾げた。
提示された二つのものに対しての理解が及ばなかったが、何より後者だ。
軍事兵器たるそれをなぜ必要とするのか。
そんな疑問が湧く私を他所に順を追ってムジムラは説明した。
「まず一つ目だ。『アングラ』の招待チケット自体はどのROMでも受け取ることはできるが、実際にプレイするには開発者である『Clown』が『アングラ』のデータを仕込んだと言う初期ロットが必要になる」
「今では高額な代物だ」と言って見せて来たオープンネットによる情報をつけていたMRデバイスで見る。
携帯端末の安全性の高さというものは存在するが、特に情報を開示することのないギテツ院でも使用されることは珍しくない。
投げるようなスワイプするような動作で飛ばされてきたものを見て私は驚愕する。
「これは……」
そこに移されているのは初期ロットのソフトの高額取引情報だった。
とてつもない値段で取引されているそれらの履歴とそれをめぐっての事件。
これだけでとてつもなく貴重なものであることがわかる。
「ROMの吸出しから何までできない特殊な代物で現物を手に入れなきゃどうにもならん代物だからな」
プレミアなんてレベルでは説明の出来ない値段に驚いているとそんな注釈が入る。
だが、それでも納得の出来る額ではない。
しかし、彼は早々に「二つ目だ」と話を進めた。
「軍用『AHRM』についてだが……。『Pit Coffin』がなぜ作られたのかは知っているか?」
「いや」
その訊き方であればゲームという答えは適切ではないのだろうとそう返す。
「『Pit Coffin』のもとになったシステムは元々軍用機、つまり軍用『AHRM』のシミュレーターとして作られていた」
「軍用?」
「そうだ。そして『アングラ』──『Underground Struggle』は軍用『AHRM』に採用されたVR装置のスペックを想定して後に『Pit Coffin』の開発者『Clown』が設計したものだ」
そして彼は続けた。
「現状『アングラ』をプレイできるエミュレーターと言える代物はこれだけだ」
これ以外に全くの方法がないと言う事だろう。
「『アングラ』の通常の正規版でプレイできるモノとの違いはMMOである点だ」
ムジムラはそう言った。
「そして、世界中の人々がこぞってプレイするのには、オープンワールド内に存在するとあるアイテムの存在が大きくかかわっている」
次の言葉を発するときこの男の目つきが少しわかった気がした。
「ゲーム内アイテムにも関わらず、現実世界にも多くの影響を及ぼすほどの存在『Rewriting Object』だ」
「現実世界?」
その単語の意味が理解できずにそんな言葉を洩らす。
その返答にムジムラは一つ良い話でも聞かせるとばかりの顔をして言った。
「簡単に言えば超高精度のハッキングツールだ。世界一のハッカーなんて揶揄されることもある開発者本人である『Clown』が作ったいわば鍵。用途、回数などが制限されてはいるが、それでも強力なもので、過去に確認されたもので言えば、『某国の特定の『AHRM』一機の遠隔操作権限』なんてものもあった」
「は?」
ゲームのスケールをはるかに超えるその情報に今度こそ私は声を洩らす。
多くの条件を満たさなければいけないとは言え、ゲームで手に入れたアイテムを使って現実世界の軍用機一つを動かすことが出来る?
到底理解できない。
しかし、こちらの理解が及ぶ前にムジムラは切り出した。
「大まかな概要を話したところで。次はこちらからの提案だ」
頭が回ってないながらに彼がこちらにしっかりと目を合わせるのを確認しながら私も無意識にわずかに姿勢を直していた。
「それで、先ほどの条件についてだ。こちらからは、『アングラ』──『Underground Struggle』を快適にプレイできる環境を、つまり、『アングラ』をプレイ可能なソフトとハードとなりえる『AHRM』を無償で提供する。それと引き換えに、お前にゲームをプレイしてもらいこちらが指定する『Rewriting Object』の回収、そしてそれをこちらに渡してもらいたい」
その言葉に、更に理解は追いつかない。
実際、少し考えてはいた。
こちらに態々情報を提供する意味も。
だが、『アングラ』というゲームモードをプレイすると言うことが当初想定していたものとは比べ物にならないほどのモノであると判明した以上、正気ではいられなかった。
「……なんで、私に頼もうと思った?確かに私は最近『アングラ』をプレイできる程度のやっとの戦績を手に入れた。でも、アンタが『Cube』のオーナーと言うのならば、もっと探せば適任はいるだろう。私みたいな小娘じゃなくて──」
「お前が『アングラ』に一番適していると思ったからだ」
その時、不意に発せられた言葉は更に私の頭に疑問符を浮かべさせる。
「それにとても躊躇するような顔には見えんぞ」
そう言われて反射的に自分の顔に手を充てる。
そんな私に構うことなく今度はムジムラが言う。
「俺が聞いているのはお前が引き受けるか引き受けないかだ。すでに、こちらは選定をして声をかけている」
私は小さく息を吐いた。
「わかった。やる」
「じゃあ、こっち」
「うぎょ!?」
背後からの声に驚いて変な声を出した。
「いつ来てたんだ?クモイ」
「さっき。二人が熱心に話してたから気付かなかった」
ムジムラが発したクモイと言う名前を掛けられた少女はひょこっと顔を上げてそう言った。
先の会話に夢中になり過ぎて気付かなかったことを反省していると彼女はこちらに声をかけて来た。
「こっち来て」
私の手を引いて誘導した先は、左手にあった一つの部屋だった。
その部屋は暗く、そしてその部屋の大部分を一つの物体が占拠していた。
「……『AHRM』」
「そ。コックピットだけだけど」
部屋の中にギリギリ収まっていたのは『AHRM』のコックピットだった。
抱いた感情は部屋の中にコックピットがあるような感覚と、先ほど散々入手が難しいと認識しなおしていたその存在がこんなにも近くにあったのだと言う驚き。
そして学生服を着たクモイと言う少女が率先して貴重品であるはずの軍用機をいじっていることへの不思議な感覚だった。
一方でなかなかお目にかかることが出来ない軍用『AHRM』を見る。
コックピットだけとは言ってもこんな間近で見る機会はそうそうない。
それにしてもこいつは……
「気付いたか」
背後から声をかけて来たのはムジムラであった。
そしてその言葉から察するに私の考えは当たっているのだろう。
「こいつは『SAFETY-2』のコックピットだ。お前が使っていた機体と同じだ」
「やっぱりそうか。ですか」
「あ?」
「いや、さっきはナンパかと思って敬語じゃなかったから」
向こうでソヨカが「ナンパって」と言って笑っているのが聞こえて来た。
確かに事情を知った後に考えるとおかしな話だろう。
ムジムラは世界を揺るがしかねない『Rewriting Object』を手に入れるために私に声を掛けたと言うのに。
そして当のムジムラはと言うと「敬語はいい」と私の気遣いを突っぱねた。
まあ、こちらも気兼ねがなくていいが。
「一応、アバターの調整が出来た」
「もしかして、キャラメイクまで?」
「うん」
MRデバイスに飛んできた画像を見れば、私にそっくりなアバターが鎮座していた。
細かなディティールは違うが体の大きさの誤差は感じられない。
こちらがあまりの出来の良さに動きを止めていると「さっきの二人が話してるのを待ってる間に作ったからなんか変だったら言って」と言われる。
その言葉に更に驚く。
てっきり、ムジムラがすでに話を共有していたから承諾される前提でキャラメイクをしたと思ったが、そうではないと言う。
「ああ、そうだ。ゲームにログインしてもらう前にアバターに不具合がないかを一度ダイブして確認してもらうが、初期ロットのプレイヤーネームは変更不可になっている」
思い出したように言うムジムラに耳を傾ける。
恐らく彼らの内誰かが設定したわけではないだろう。
多分だが、『アングラ』は別のゲームモードとして設定されており、疑似的にニューゲームのような形にはなるだろうが、当然購入者が一度くらいはプレイしていると言う事だ。
「元の購入者のものってことか。それで?」
「ナーだよ」
「『NA』だ」
言葉を取るようにしてクモイが「ナー」と言い、ムジムラが『NA』と訂正した。
変な名前でなくて安心した。
少し味気ない気もするが『ナナセ』の『NA』とでも思っておこう。
プレイヤーネームを確認した私はクモイに促されてコックピットに座る。
『AHRM』の搭乗は正面ではなく背からするのだが、本物なだけあってそれは変わらない。
部屋にむき出しになっているのは背中の方で、そこから入れば前面にゲーム内で見慣れたコンソールがあった。
中に入れば後方の搭乗口が閉められた。
シートに座って感覚を確かめる。
ダイブするので関係のないところではあるが、普段『Pit Coffin』でしている癖だった。
操縦かんや適当な操作をしていれば大体の使い方はわかった。
つくづく『Pit Coffin』の完成度は高いのだと思い知らされる。
そして、操作も分かった所でダイブ機能を起動させる。
「さて、やるか」
その瞬間、僅かに残るセフツーの機器から発する音が完全に消えた。
◆
キャラメイクと言うのはフルダイブVRにおいては大きな意味を持つ。
重要なポイントとしてはどれだけ現実の肉体に近づけられるかと言う事。
開発中の最新技術ではアバターとリアルの身体にある体格の差異をなくし自在に動くことの出来るものがあるらしいが、現状は実現されていない技術だ。
そのため、アバターとリアルの身体は同じであれば同じであるだけ良いとされている。
別世界を体験するためにVRゲームを行うのならともかく、勝ち負けにこだわるのならば特に重要視されることだ。
だから、私も『Cube』でプレイするときは出来るだけ自身の肉体に近づけることが出来るように肉体にスキャンを行ってアバターを造った。
しかし、それでも完璧に出来るわけではなかった。
VR装置は専門のスキャン機械ではないのだ。
それほど、アバターの完成度を極めることは難しいのだが……
「これは……」
自身が使用していたものよりもはるかに使いやすいそれに素直に「すご」と洩らした。
その場で身体を動かしてみるも違和感がない。
蹴る、殴るの動作も楽々と出来る。
ものを握るのもまるで現実と同じように容易にできる。
これをあの短時間で作り上げたクモイと言う少女は何者なのだろうかと疑問を抱いた。
◆
「これマジで凄い。やばいって」
「楽勝」
そしてしばらくしてコックピットの前で私たちはグータッチを交わした。
ものすごい出来に興が乗り過ぎてしまい、ここまでできるのならと細かな改善点を見つけて修正しを繰り返していたらすっかり時間が経ってしまっていた。
そこに奥から珈琲片手に出て来たムジムラが口を開いた。
「本格的なログインは明日から頼む」
「今からでも私はいいけど」
「いや、今日はやめておいた方が良い。下手にプレイしてプレイヤーが一度死ぬとそのアカウントごとソフトが使えなくなる」
「マジか」
彼についてくるように出て来たソヨカが私とクモイに珈琲を差し出し、それを受け取りながらそんな声を洩らす。
どんな凶悪なゲームシステムだと言いたくなるのと同時にますます私にこの男が声を掛けた理由が分からなくなる。
「こちらも準備があるから、どちらにしても明日まで待ってくれ」
「了解」
「ああ、それとお前のことはなんて呼べばいい」
思い出したように言うムジムラに今更かよと思うと同時に自分が特段名乗ってないことを思い出した。
私は顎に手を充ててみる。
「そうだな。……『NA』でいいよ。丁度いいだろ」
「わかった。クモイ、『NA』に今日の分を渡してやれ」
「おっけー。はい、ナー」
「『NA』な」と返しながら、むき出しの読み取りリーダーのようなモノを差し出されて悩んだ末に端末を翳す。
すると通知音がなる。
「謎のプログラムでも送り込まれるのかと」と軽口を言いながら、『+100000』の文字を見た。
「こんなに!?」
「『Rewriting Object』を手に入れるのならこんなものはした金だ」
「……さいですか」
金銭感覚がくるってるなと思いながらも、『アングラ』をプレイできる環境を揃えているほどの人物であるを考えればこんなものなのかもしれない。
そんな風に考えていると、不意にムジムラはこちらを見て口を開いた。
「そういえば、それムアトのジャケットだろ?珍しいもの着てるな」
「……そうなの?よく知らない。もらいものだから」
「PX品なら有り得るか」と彼は言う彼を横目にふと私は一つのことを思い出して口に出した。
「聞き忘れてたけど、何で私が『アングラ』に興味あると思ったの?」
「条件の達成くらいはそっちで確認できたと思うけど」と続けてみる。
実際、ギテツ院と言う場所で『アングラ』の情報をチラつかせたからと言ってもノコノコと私が付いて来る保証はなかったはずだ。
「ん、ああ。情報屋の爺さんに聞いたんだよ。『アングラ』について嗅ぎまわってる女はいないかってな」
「あのジジイ!」
まんまと売られてことに私は憤慨した。