004 私の力
村長の家からの帰り道、村の様子が自然と目に入る。
洗濯場、水車、土埃の舞う田舎道に、広がる畑と農民達の家。
ほとんどが木組みに漆喰、茅葺屋根だ。
「あれなーに」
と聞いてみると、村の共同のパン焼き窯の建物だった。
私の家は村長の家と同じ瓦屋根である。
共同窯よりは小さいがパン焼き窯もある。
室内にはお風呂もある。
そういえば村の人達の入浴は、大きな桶に布を敷いたものに入っていた気がする。
だんだんと今の意識と、セシルの記憶が馴染んできた。
やはり、私の家は裕福なのだろう。
村長の家と比べても、広さや内装はともかく設備的には見劣りしない。
帰宅するとそろそろ夕食の時間だった。
その時ふと気付いた。
「お母さん傷がもう消えてる」
私は手を差し出す。
「そう、よかったわ。さっきの薬がきいたのね」
母はそっと私の手をとると、そう言って微笑んだ。
私は少し釈然としない思いだった。
いくら薬を塗ったとはいえ、そんなに早く治るものだろうか?
今まではこんな事はなかった気がする。
だが母が言うからにはそうなんだろうと、納得することにした。
馬のヴァレリーに餌をあげてから、いつものように食事の準備を手伝う。
今日は朝から仕込んでいた野菜のスープとパン、塩漬け肉だ。
食事の前は必ずお祈りをする。
この世界の信仰についてセシルの記憶をさぐってみたが、はっきりしない。
こういう事も、今後学ばなければならないだろう。
「大変だったわね。でもよかった、何もなくて」
食事の話題は、当然ながら今日の闇猪の事だった。
「うん。よくわからなかったんだけど……」
村長やみんなには、あの場では詳しくは話していなかった。
私に起こった事は、どう考えても普通ではない。
多分何らかの魔法の力なのだろう。
この世界は魔法が存在するし、身近な人間で母ほど魔法に詳しい人間はいない。
私は思い切って相談してみる。
頭の中に不思議な声が響いたこと。
そしてパメラの前に飛び出したこと。
なぜか私に闇猪が跳ね飛ばされたこと。
「そんな事が……」
「それでね」
私はさらに神力無効についても話す。
さすがに赤ん坊の頃に聞いたとは言わなかった。
前世の日本人であったときの記憶の事は黙っておく。
「そうだったの。神力無効と鉄の体か……」
母は何か考え込む様子だった。
しばらくして、首をふってこたえた。
「お母さんにはわからないわ。聞いた事もないの。ごめんね」
「ううん。私ってやっぱり変なのかな?」
「そんなことないわ」
母はいつになく強い口調で言った。
「神様はきっと、あなたに特別な力と使命をお与えになったのだと思うわ、セシル。何があっても、母さんはあなたの味方よ」
「ありがとう、おかあさん」
私の心は暖かいものに包まれていた。
私の体の中には、不思議な力が眠っているのは確かなようだ。
それに母には話せないが、あの赤ん坊の時の記憶。
あの魔術師達は何だったのだろう?
とはいえ魔法が使える上に、知識や教養もある母にわからないとなれば、この世界でわかる人はいないのかもしれない。
だがせっかく生まれ変わって新しい人生を得たのだ。
今はこの力でできることを……いや、やりたいことをやろうと思った。
「それでねお母さん」
「なぁに、セシル」
「私、前にも言ったかもしれないけど、お母さんみたいな聖女になりたい」
「まぁ」
母はにっこりと私に微笑みかける。
私の記憶にある母はいつも笑顔だ。
もちろん怖い顔もするし、怒られることもある。
そういえば、神様にお供えするという揚げパンをこっそり全部食べてしまった時は、さすがに怒られた。
いくら子供のやることとはいえ、あれは確かに私が悪い。
「セシルなら、きっと立派な聖女になれるわ」
もう知っている事もあったが、母は聖女について少し説明してくれた。
この世界における聖女とはある種の役職で、大半はリヤウス教団に所属している。
魔法を使い、呪いを解き、人を癒し、知識や技術を授けるといった事を、いわば仕事として行う。
なぜ聖女というものが特別な存在となったのか。
それは大聖女と言われるアニエスの力が大きい。
三千年の昔、聖女アニエスの祈りにより神の力を持つ神器を得て、魔神ザイターンは倒され平和が訪れた。
それがルディア帝国の建国伝説であり、大げさに言えば今のこの世界を作った神のような存在であった。
「聖女様ってみんなお母さんみたいな力を使えるの?」
「魔法が使えなければ聖女になれないって事はないのよ。元々聖女というのはそういうものではなかったの」
本来は偉大な業績を上げ、優れた人格をそなえた女性に与える称号だったらしい。
だがいつのころからか、魔法を使えなければならないという、いわば不文律のようなものができてしまったという。
母は簡単な言葉で色々と五歳の子供にわかるように話してくれた。
「聖女になるには、帝都の高等学院にいかなければいけないの」
高等学院は、聖女アニエスが作った学校が元になっているという。
それはすなわちアニエスの意志と教えを受け継ぐという事である。
「じゃぁわたし、そこへ行く。そして聖女になる!」
「あらあら、頼もしいわね。そうね、まずは来年の小学校からかしら」
そういえばそうだった。
六歳になれば、学校へ行く事になるのだ。
身近な人が、私の希望や夢を認めて応援してくれ、背中を押してくれる。
それがこんなにも心が浮き立ち、嬉しくなる事だとは知らなかった。
『もっとしっかりしなさい』
『別にいいでしょ。あなたは女の子なんだから』
『どうせ飽きてすぐやめちゃうのに』
前世の記憶が蘇る。
いつも叱られ否定され、まともに聞いてもらえなかった。
褒められた記憶なんてなかった。
前世の母はなぜあんな事を言っていたのだろう。
「ねぇ、お母さん。魔法教えて!」
私の目には母の姿が焼き付いていた。
せっかく魔法が存在する世界なのだから、私も魔法を使ってみたい。
「簡単な魔力の訓練方法ならいいわ。本格的な魔法は十歳になるまではだめなの。ごめんね」
十歳になれば、人の体に魔力の通路が完成するという。
翌日から母は、魔法について教えてくれた。
人には神が与えた魔力があること。
魔法とは神々との契約によって使う力であること。
多くの種族は秩序と光のリヤウス神たちの力を、魔族や魔物は闇と混沌の神デギルの力を得ていること。
火水風土光闇といった属性。
一見物理攻撃に見える強力な魔族の力も、竜のブレスも、神の力を借りた魔法の一種なのだそうだ。
とはいっても、全員が実用レベルの魔法を使えるわけではないらしい。
数時間かけてやっと小さな火をともせるくらいの魔法では、使いようがないわけだ。
私は魔力石という半透明の石を渡された。
神の加護を祈りながら念をこめると色々な色に光るという。
魔力を強化する初歩的なトレーニングだが私が念じても何も光らない。
「おかしいなぁ」
「最初は何も変わらない人もいるから。そのうちね」
それから一日も欠かさず、訓練を続けた。
そして時はたち、私は小学校に通うことになった。
私の家から歩いて一時間くらいのところにある。
いくつかの村での共同の学校だった。
蝋板という、四角い木の板に蝋を敷き詰め、鉄の筆で文字を書く筆記用具を買ってもらった。
教科書は質の悪いわら半紙を束ねたようなものだった。
この世界で紙は高級品ではあるものの、存在はするらしい。
まぁ、紙なんて地球では紀元前からあったわけだが。
これでもこのあたりの地域では、大変恵まれた状況だという。
以前は小学校へ通えない子もいたそうだ。
地方では十歳にならないうちから働き始める子供もいるらしい。
元々母から簡単な計算や文字は教わっていた。
さらに前世の記憶がある私にとっては、この世界の小学校の授業は簡単すぎた。
先生がやたら褒めてくれるのは恥ずかしかった。
この頃から私は、母の蔵書を読み始めた。
歴史、地理、リヤウス教の教典……
『聖女アニエス言行録』は何度も読み返した。
たまにこっそりと母が所蔵する魔法に関する本を読んで勉強もした。
相変わらず私は毎日魔力石に向けて祈りをこめていた。
だが私に魔法を使える兆しは、いつまでたってもあらわれなかった。
具体的に魔法を使う技術ないし発現する魔法を魔術というが、魔法と魔術という言葉の使い分けは曖昧なように感じる。
小学校では、具体的な魔法についてはまだ教えてもらえないが、簡単な魔法の基礎理論や魔力の強さを測る試験も行われた。
その時も何の魔力のかけらも感知されず、先生が首をかしげていた。
十歳になれば、自分の得意な属性や魔力量の検査を行い、本格的な訓練を行うのだという。
一方で、私はどんどん大きくなり、力も強くなっていった。
数十キロはある小麦袋を何袋もかつぎ、自分の背丈の何倍の高さも飛ぶことができた。
時に力の制御がうまくできず、物を壊してしまうこともあった。
ここでは母から習った意識の集中方法や呼吸法が役にたった。
私は次第に自分の力に慣れ、コントロールできるようになっていった。
母は折に触れ、初歩の医学や薬草の知識、パンやお菓子の作り方も教えてくれた。
言葉の違和感も慣れた。
話すときは自然とこちらの言語をあやつり、思考は日本語で行っている事が多い。
自分の力を見せつけたいわけではなかったが、それが役に立つこともあった。
溝に落ちた馬車をひっぱりあげたり、おばあさんが引く重い荷車を押してあげたり、といった力仕事だ。
村人たちはお礼を言うだけでなく、後に色々自宅までお礼の品やいくばくかのお金を届けてくるようになった。
母は最初は丁寧に断っていたが、そのうち断り切れなくなったようだ。
「これはセシルのものだから、いざという時のためにとっておくわね」
母からそう言われたが、私は特に興味もなかった。
私にとってはあまりに簡単すぎる事なので、特に人助けという意識もなかった。
私の力に関しては、聖女様の娘だからだろうということで、村の人間たちはあまり不思議には思わないようだった。
この力は私の種族によるものなのか。
それとも神力無効や鉄の体とやらの力なのだろうか。
私は時々、目を閉じて、自分の頭の中に語りかけてみた。
だが闇猪の事件以降、あの不思議な声が聞こえる事はなかった。
この世界には、長耳族や矮人族、鬼人族などがいる事は学んでいた。
中には人間にはあり得ない身体能力を持つ種族もいるらしい。
(多分私って、人族じゃないよね)
日々は飛ぶように過ぎていく。
カンブレーの村の季節感は、日本とさほど変わらなかった。
そして十歳の頃には、私はそこらの成人男性並みの背丈になっていた。
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