038 決着
グレゴリの周囲に紫の煙がただよっていた。
どうやら魔物を召喚しているらしい。
そしてそれは一つの形をとった。
「大灰色猿!三体も……」
背後から悲鳴のような声が聞こえた。
大灰色猿は辺境の密林や北方の魔物地帯に住む魔物である。
初級、中級、上級、超級、魔級、神魔級と、強さによって分類される魔物の中で、最上級の神魔級の次の、魔級の強さだと分類されていたはずだ。
獣の知能に毛が生えた魔物と違い、かなりの知能を持つので、魔族と近いとも言われている。
初級の蛇鳥や中級の鷲獅子とは比べ物にならない。
「どういう対魔法を使っているか知らんが、大灰色猿の物理攻撃なら勝てまい」
グレゴリは勝ち誇った笑い声を上げる。
大灰色猿たちは赤く光る眼で私を見ていた。
その名の通り灰色の体毛に覆われた巨大な猿というべきものであり、身の丈は十メートル以上。
体重もそれにみあうくらいはあるだろう。
「セシル、無理だ。逃げろ!」
「セシルぅううう」
私の背後でマルスとエマの声が聞こえる。
確かにそうだろう。
神器の継承者ならともかく、通常は熟練の騎士や魔術師数人、場合によっては十人単位の集団で立ち向かうものだった。
「大丈夫だよ、マルス、エマ!」
後ろを振り返ってそう言う。
こちらへ向かおうとするマルスを、リーリアが必死にとめていた。
そして再び正面へと向き直る。
私の心は不思議と澄んでいた。
恐怖も戸惑いもなかった。
大灰色猿のうちの一体が前に進み出る。
左手が大きく掲げられ、私目掛けて振り下ろされた。
不思議な力に導かれ、私は右手を顔の前にかかげる。
次の瞬間、周囲から驚愕の叫びが上がる。
「な、なんだお前は。障壁?身体強化?いや、お前には何の魔力も無いはずだ。それに大灰色猿の攻撃を指一本で受け止める身体強化など聞いた事も……」
私は殴りかかってきた大灰色猿の左の拳を指一本で止めていた。
グレゴリが信じられらない物を見た表情をしているのを、視線の隅でとらえる。
私の頭の中には、あの声が響いていた。
『神力無効は常時発動中です。魔物や魔族の攻撃は無効化されています』
私は魔法が使えない。
いくら努力しても無理だった。
物語の聖女のように、癒しの力を使う事も、聖なる光で魔族を浄化することもできない。
だが私にはこの体がある。
この拳がある。
私にできることはあるはずだ。
私にしかできないことが。
私は故郷で何度も母と話し合い、何度も試したのだ。
『あなたには全く魔力というものがない。それだけじゃない。あなたには魔法が効かないの。攻撃魔法も治癒魔法ですら。おそらくは魔族の攻撃も、そして神の加護を受けた力の全てが』
この世界は全て神の理によってできている。
人であろうと、魔物であろうと、魔族であろうと、その理からは逃れられない。
秩序と光を司る神リヤウスの一族と、混沌と闇を司る神デギルの一族。
魔物とただの獣を分かつのは、体内の魔力核である。
その魔力が神の加護によって力としてあらわれる。
リヤウスの民が、リヤウスやダナ、アッシャの力を借りるのと同じように、暗黒魔法の使い手や魔族達はデギルの神々の力を借りる。
その違いがあるだけで、神の力であることには変わりがない。
そして神の力であるかぎり、私には効果がないのだ。
「おまえさ……実は弱いな?」
私の顔に、自然とよくない笑みが浮かんでしまう。
大灰色猿の攻撃に、何らの脅威も覚えなかった。
これなら私が七歳の時に死闘を繰り広げた、黒色熊の方がはるかに強い。
私は大灰色猿の手をつかんで片手で振り回すと、地面に思いっきりたたきつける。
子猫ほどの重さも感じない。
大地がうなりを上げて振動した。
大灰色猿の首はありえない角度に曲がっていた。
絶叫を上げて痙攣し、動かなくなる。
私は残りの二体に目を向ける。
その赤い四つの瞳の中に、かすかな怯えの色を感じ取った。
一体が咆哮をあげて殴りかかってくる。
私は難なくその拳を受け止める。
「聖女アニエス曰く。汝右の頬を打たれれば、左ストレートを打ち返せ!」
私は大灰色猿つかんで引き寄せ、前のめりになった所に、思いっきり左ストレートを叩き込む。
大灰色猿は数十メートルの距離をとんで、木の幹に叩きつけられた。
建物や他の人にぶつかったら大変だったと、私は一瞬あせる。
背後で「アニエス様は、そんな事言ってません」という声が聞こえたが、聞かなかったことにする。
残りの一体の行動は私の予想を裏切った。
なんと背を向けて逃げ出したのだ。
「おいこら待て!」
あんなものに暴れまわられては、思わぬ被害が出るかもしれない。
私は全力でダッシュすると、背後から飛び蹴りをくらわす。
脚がありえない角度に折れ曲がり、最後の大灰色猿は地面に倒れ伏した。
倒れた体の上に駆けあがり、心臓に思いっきり突きを入れる。
大灰色猿は痙攣した後、動かなくなった。
残酷かもしれないが、これはこうしなければならなかった。
この化物に対抗できるのは、今は私しかいないのだから。
「さぁ。大人しくしろ、グレゴリ……ん?おいどこだ?」
遠くに、グレゴリの背中が見えた。
いっそ潔いというべきか、逃げ出したようである。
私は一瞬で加速し、距離をつめる。
彼をとらえようとした、その時だった。
天から降り注いだ雷光がグレゴリの体を貫いた。
地面に倒れ伏し、動かなくなる。
おそらく即死だったろう。
「さて。愚かな輩が迷惑をかけたかな」
私は前から歩いて来る男を見た。
背は私より少し高く、銀髪に白銀の仮面をかぶっている。
「ひどいじゃないか。グレゴリはあんたの仲間じゃないの?」
「仲間?ただの下僕だよ。こいつは感情にまかせて時を見誤った。あの公爵令嬢と皇子を一度に手に入れる、千載一遇の機会に目がくらんだのだろう」
この男がどんな魔法をつかうのか、どれほどの魔力があるのか、私にはわからなかった。
だがその足運びや身のこなしには隙がない。
「あんたがボスってわけ?」
「本来なら、数年かける予定だった。まだその時ではない。愚か者にはそれがわからんのさ。やはり劣等感や憎悪に心が狂った人間は頼りにならん」
私はじりじりと近づく。
男はさりげなく、距離をとる。
「わかった。今までの事は許してやるから、学校の魔法陣だけは片付けてくれ」
「すでにいくつかの魔法陣は破壊されている。もうすぐ帝国の騎士や魔術師たちも到着するだろう。私が何かしなくても大丈夫だよ」
この事件の実行犯は、グレゴリとあの魔術師軍団だけだと思っていた。
だがこの仮面の男という新たな敵が現れた。
「こんな事して、どうするつもりだったの?」
「君たちは何も知らないのだな。この世界の秘密も。真実の歴史も」
仮面の男は私の背後へと視線を移動させる。
こいつには勝てるという確信はあった。
だが相手がどんな魔術を使うのか、他に何人の仲間がいるのかも不明だ。
それに広範囲の攻撃魔法を使われて、エマや皇子や他の生徒たちを守り切れるかはわからない。
その私の迷いを、仮面の男は見逃さなかった。
「では、お嬢さん。また会おう」
仮面の男は一気に後ろに飛びのくと、黒い大鳥につかまって飛び去っていく。
私は追おうとしたが、諦めた。
まだ何処かに敵が隠れてこちらの隙を窺っているかもしれない。
誰かは知らないが、逃げるなら勝手にさせておくだけだ。
とりあえずは学校の安全と、エマたちの命は守れたのだ。
今回これ以上を望むのは、欲張りというものだろう。
「セシル!」
駆け寄ってきたエマが私に抱きつく。
どうやら魔力の檻からは出られたらしい。
「エマ、大丈夫だった?」
「ホントにホントに、ありがとうね、セシル!」
「セシルさん、ご無事で」
「あなたもね、マルス」
「今回ばかりはお礼を言うわ、セシル」
「どういたしまして、リーリア」
いつの間にか、学校を覆っていた黒い霧は晴れていた。
遠くに人影が動いている。
今さらながら、衛兵や魔術師の部隊が到着したらしい。
「セシルさん!」
「セシルお姉ちゃん!」
「ファイーナさん、ロン!、クルト、みんな!」
彼らの姿を見間違うはずもなかった。
全員私の大切な仲間だ。
私達はひとしきり皆の無事を確かめ合い、喜びあった。
そして銀髪の一人の少年が前に進み出る。
「ありがとう。セシル。君は僕の命の恩人……いや帝国の恩人だ」
赤の寮の副監督生、第一皇子のクローヴィスは言った。
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