第32話 天国では子供が一番偉いのです
貧困街に足を踏み入れると、生ゴミの匂いに吐きそうになった。とはいえ、ザレナ村のスラム街よりはマシだ。あのスラム街よりは、性産業や酒場は全く無いので、その点は安心だ。また、働いている人も多いのか、路上で酒や薬をやっているものもいない。
あのスラム街へ行った経験も無駄にはなってないようだ。あの経験がったからこそ、この貧困街に入っても恐怖心は薄らいでいた。
「聖衣様、怖くないですか?」
「いや、意外と全く怖くないね」
「そっかー」
私が平然な顔をしていると、イアンは不満顔だった。なぜかわからないが、スラム街に行った時のように怖がっていた方が良かったのだろうか?
「確かこの貧困街には、残飯屋っていうのがあったはず」
「残飯屋って何?」
「飲食店や屋台で売れ残った食品を引き取って、貧困街の人に配っている店」
「そんな店あるの?」
初耳だった。
「まさかそれで儲けている人がいたりしないわよね?」
「聖衣様、性悪説すぎますよ。ほぼボランティアで運営されている店のようです」
「なら良かったわ」
私達は残飯屋まで歩き、売れ残ったパンを引き取ってもらった。手付かずのパンは貴重品のようで、かなり喜ばれてしまった。
「よかったですよ、聖衣様!」
「そう?」
残飯屋を後にしたが、ちょっと複雑。こうして物を施すのも神経を使うのだ。日本にいた時も教会で食品を配ったが、「馬鹿にするな! 偽善者!」と怒られた事もあった。
私達はそんなつもりは全くなかったが、一方的に施してもらう立場も辛いのだろう。以来、そういった奉仕をする時は、トイレ掃除や野菜の洗浄なども手伝ってもらっていた。聖書に書いてある通り、人は受けるより与える方が幸いという事なのだろう。
「聖衣様、日本の教会って場所は、ちょっと息苦しいとこもありそうですね……。たぶん狭い世界で引きこもってるから、ちょっとした事でも面倒になるとか?」
「そうなのよね。日本ではカルト問題もあったし、世間体や空気を読む必要もある。同性愛も聖書的には罪なんけど、今は表立って言えないというか。当事者そっちのけで、一部のクリスチャンが噛み付いてきて超荒れる話題。イアンの言う通り、狭い所で引きこもってるからだろうね」
「めんどくさいですねー。そんなんで神様を信じる人が増えたりします?」
してない。イアンの言う通り。だから日本のクリスチャンは日本人口の1%と言われていた。もっとも日本は教会に行かず、個人で信仰する人も多いので、もう少し数字は高いかもしれない。現代でもあらゆる意味で隠れキリシタンがいそう。
「あれ? 俺、何か子供の頃の事を思い出せそうな?」
「本当?」
いつも脳天気に笑っているイアンだったが、珍しく難しい顔をしていた。
「え、本当?」
「なんか俺も教会って場所にいて、神様と一緒にいたような記憶があるというか……」
「えー? 本当?」
「聖衣様、黙ってて。なんか思い出せそうなんだよ」
とりあえず残飯屋の近くのあるベンチに座り、イアンが何か思い出すか待ってみた。私も余計な事を言わず、黙って待ってみたが。
「思い出した?」
「いや、全く」
「おかしな。この異世界に教会やキリスト教なんて無いはずよね? 何でイアンにその記憶があるの?」
「わからない……。聖衣様はどういう事かわかります? 教会って場所には十字架やガウン来た牧師さんって人もいた。なんかすっごい楽しかった記憶もあるような……。それこそ神様が一緒に居てくれたような?」
そう言われても……。もしかしたら、他に転移者がいて、教会を作った人物でもいるのだろうか。聖書の知識がある者だったら可能だが、異世界でそんな事って可能か? この異世界にも私と同じ転移者がいる?
「わからない」
「そうですよねー」
二人で頭を悩ませている時だった。目の前に子供がいた。小学五年生ぐらいだったが、服もぼろぼろ。顔も真っ黒で痩せていた。それに首や腕が皮膚炎で膿も出ている。痛そう。
「きみ、大丈夫?」
すぐに話しかけた。イアンは止めたが。ここでは、病気は前世や本人のカルマのせいと言われていたが、そうは見えない。
それにイエス・キリストだって病気や盲目の人と積極的に絡んでいた。当時は皮膚病の人は汚れた存在だったが、手で触れて癒してあげたりもしていた。
「大丈夫じゃないよ。僕の皮膚がこうなのは、ママや僕が悪いから何だって。ちゃんと魔王様を信じないから」
「そんな……」
「僕が悪いんだよ」
泣きそうな子供を見ていたら、胸が痛い。
「聖衣様、これはトラブルの悪寒がします。放っておきましょう」
「イアンは黙ってて。聖書では子供が一番偉いって書いてるよ。天国では子供が一番偉いんだから」
私はイアンの言う事など無視し、子供をう癒した。もちろん「この事は決して口外するな」と釘を刺した後に。
「お姉ちゃん、何したの? 肌の痛いのも痒いのも全部よくなった」
子供は憑き物が取れたような表情をしていた。
「わーい、嬉しい! 元気になった!」
飛び回る子供を見ながら、私も嬉しい。やはり、子供が元気なのが一番だ。
「まあ、これも聖衣様っぽいけど、何か嫌な予感がするんだよな。こんなに安易に癒やしちゃって大丈夫か?」
珍しくイアンは渋い顔だった。
「大丈夫でしょ。治ってよかったね!」
「うん、お姉ちゃんありがとう!」
「うーん。特に司祭や宗教の人間に見つからないと良いんだが……」
イアンの悪い予感が当たってしまう事は、この時の私は知らなかった。元気になった子供と一緒にはしゃぎながら、喜びに満たされていた。




