第30話 ラーラから大切なものが届きました
リオープンから数日後。高級食パンの味は評判を呼び、店の経営は順調だった。会計士のカイリスさんには、もう少し商品の数を増やしても利益が出るだろうと言われているぐらいだった。
日本の高級食パンは徐々に下火になっていたが、この異世界では物珍しいのだろう。もっともこの異世界でもずっと高級食パン路線が受けるかは未知数だ。市場の様子を見ながら、いろいろと工夫しつつ経営して行こうという方針に決まった。
「あぁ、今日は疲れたわ」
夕方にパン屋の仕事を終えたが、今日は移動販売の方も盛況で、さすがに筋肉痛だった。今日は神殿のある地域にも売りに行った。意外と神殿関係者にもパンが売れた。普段は戒律が厳しく食事の制限もあるのそうで、こっそり買っているようだ。
意外にも神殿関係者はトップにいる司祭に不満が多そうだった。今は司祭はベラという聖女を贔屓し、内部でも不満がたまっているようだった。もっとも生贄儀式などについては教えてくれなかったが、このまな神殿関係者と仲良くしていえけば、何か情報を得られるかもしれない。人間は食べ物にも弱い。パンで胃袋を掴むのは、悪くない戦術だろう。
「聖衣様! ラーラから荷物が届いてますよ!」
部屋に下がって眠ろうとした時、イアンが飛ぶようにやってきた。
「本当?」
ゼレナ村から離れて一ヶ月近くたっていた。ラーラの事も気掛かりだ。まさか劇の最中にガーリア地方に転移してしまいのは、予想不可能だった。
日本だったら電話、メール、トークアプリなどで簡単に連絡できるが、ここは昭和初期の生活レベルの異世界だ。どうしても通信手段はアナログとなり、ラーラと連絡とるのも時間がかかtった。一週間前に手紙を出し、ちょうど返事を待っているところだった。
「ラーラ元気かな。こんな風の離れるとは、思ってもみなかったよ」
イアンも本当に犬のようみついてくるのも予想外だった。おかげでパン屋の再建もうまくいっている。もしイアンと一緒でなかったらと想像するだけでも怖い。
「俺は、聖衣様を必ずお守りいたします。煮るなり、焼くなり好きにしてください!」
久々にい中犬イアンになった。私の足元で跪き、今にも「ワン!」と吠えそうだ。
「いやいや、恥ずかしいから。ナナさん来るよ?」
「ええ。今度は絶対藪医者の件みたいな事にはさせませんからね! 聖衣様を守りますから!」
藪医者の件はすっかり忘れていた。落とし穴に落とされ、殺されそうになったが、今は遠い昔のよう。パン屋の仕事が想像以上に充実してしまっているからだろう。
「いや、そんなパジャマ姿でキザなセリフ言っても残念イケメンだよ?」
「いいえ! 聖衣様ぁ!」
「はいはい、ハウス! 部屋に戻りなさい!」
「はい!」
下らないやり取りをしつつ、部屋に戻った。それにしてもイアンはイケメンなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。その責任の一端は確実に自分にあるので、素直に喜べないが……。
「まあ、ラーラから個包届いたの嬉しい。中見なんだろう?」
私は部屋のベッドの上に腰掛けると、個包の中身を解いた。
部屋にガサガサとその音が響く。この部屋はナナさんのお母さんが使っていた部屋でベットと机だけでいっぱいになるぐらい狭い。音もちょっと目立つ。イアンはパン屋の物置小屋で寝泊まりしているので、それに比べれば上等だが。
「ああ、聖書だ。ラーラが気を使って送ってくれたんだ!」
個包の中身は聖書だった。あの宿場の部屋に置きっぱなしにしていた。ここに来た時は、パン屋の再建の一生懸命だった。宿場に置きっぱなしの聖書はなるべく考えないようにしていたが、こうして手元に戻ると嬉しい。
鈍器レベルで分厚い聖書。正直、難しい箇所も多いが、こうして手元に戻ってくると、ほっとした。
「ああ、良かった。聖書が戻ってきた……」
安堵しながら、ついつい聖書も抱きしめてしまう。やはり、自分は腐っても神様を信じていたらしい。こんな異世界にいても、なぜか信仰心だけが全く消えていなかった。礼拝もろくに出来ない現状でも、見捨てられてはなかったのだろう。
「最後まで耐え忍ぶ人は救われます、か……」
藪医者の件で救われた聖書の言葉を眺めながら、こんな異世界でも頑張れそう。聖書を読んでいたら元気が出てきた。さすが全能の神様が人のインスピレーションを与えて書かせた書物だ。
確かに今は日本に帰る手掛かりは一つも見つけられていないが、たとえこの土地で死ぬ事になったとしても怖くなくなってきた。聖書の言葉をパラパラと眺めているだけでも、そんな気持ちになるのだから、不思議なものだ。
「あ、ラーラから手紙も入ってたみたい」
個包には手紙も入っていた事の気づいた。私はこの国の文字はあまり読めない。まだまだ勉強中で、辞書を引きながら何とか意味をとる。
あの後、劇は大変だったが、そういう演出という事で意外と大盛況だったらしい。しばらく私やイアンの捜索も続けたが、結局手掛かりなし。魔族達が召喚魔法でも使ったのだろうという結論になったらしい。
ラーラやあの村の人達に心配をかけてうたようで、心が痛む。早めに連絡しておけばよかったと思ったが、手紙には続きがあった。
その捜索の過程で、噂を聞いたらしい。エスパ街という所で、私と似たような日本人がいるとか。その人は男性だったようだが、明らかにナロッパ国の住民ではないという。
「もしかしたら聖衣と同じ転移者かもしれないね」
ラーラの手紙にはそんな言葉もあった。
「まさか私と同じような転移者がいる?」
そんな想像すらしていなかったが……。もしかしたら何か知ってるかもしれない。
「まずはその転移者を探してみるかな」
パン屋の仕事は忙しいが、休日もある。その日に転移者について調べてみるか。
まだこの世界の謎について謎ばかり。ガーリア地方の宗教が生贄儀式をやっている事だけでなく、魔王の存在もはっきりしない。
まるで完成形のわからないパズルをやっているような感覚。ピースだけはどんどん増えていくが、どんな絵になるのか予測もつけられない。
それでも新しい目標が決まった。聖書も手元に返ってきた。絶望するのには、今はまだ早い。




