第2話 祈りは異世界でも届きます?
ああ、神様。
大変なことになってしまいました。どうやら異世界転移してしまったようなのですが、ここは一体どこですか?
おそらく悪魔みたいな男に召喚されたと思うのですが、ここは異世界でも魔法の国?
ああ、困りました。私は腐ってもクリスチャンです。魔法の国になんてどうやって生きていけばいいですか。どういう事ですか、神様ぁ!
一応あの地下室からスラム街を抜けて、どっかの広場から畑がある地域に逃げました。今は、馬小屋っぽい小屋に逃げたのですが、このマリアの格好で馬小屋にいるのは、笑えないです。
神様、イエス・キリストが地上で生まれた時のメタファーですか? 何が何だかさっぱりわまりません!
私はこれからどうしたら良いでしょうか。イエスさまの御名前によってお祈りいたします。アーメン。
狭い馬小屋で私は、こう祈っていた。藁や糞の匂いもし、最悪な場所だが、生まれたばかりの赤ちゃん馬や小さな子山羊が見えるのは、ちょっとした救い……。
ちゃんとアーメンという事も忘れない。これは万国共通語でクリスチャン同士だったら全員通じる言葉。意味は「そうです」という同意だ。ネットスラング的に言えば「それな」。ちなみにラーメンや素麺は全く関係ない。
逃げる突然で膝を擦りむいたので、足も痛い。マリアのコスプレも微妙に汚くなってきた。とりあえずベールだけ脱ぎ、藁の上に座り込む。
こうして祈ってはみたが、異世界でもそれって通じるのか分からない……。何しろ教会で異世界に行ったことはあるクリスチャンなんて見たことない。祈りが聞かれるコツとか、心構えとかは聞いた事あるが。
「めえ!」
落ち込み絶望している私のそばに子山羊賀やってきた。鳴き声は小さな子供みたいで可愛い。うん、異世界といっても動物は元いた世界と差はない? もしかしたら、キリスト教の全能の神様は異世界なでも見ている可能性ある? だって聖書では世界も動物も人も全部神様が創造したって書いてあった。
まだまだ何もわからない。帰る方法なんてもっと分からない。この世界の事を知るのが先決? 可愛い子山羊を見ていたら落ちついてきた。この子山羊は神様から送ってくれた子だと信じよう。
「可愛い」
「めえ!」
「もふもふ!」
思わず笑ってしまう。こんな状況だったが、絶望だけではないようだ。それに手には聖書がある。この一冊さえあれば、何とかなるだろう。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
(旧約聖書・イザヤ書41章10節より引用)
聖書のイザヤ書を開き、好きな箇所を読んでみた。恐れるな。その一言だけでも、励まされてしまう。聖書には365回ぐらい「恐れるな」とある。つまり、人間は毎日臆病になりがちだから、神様と一緒にいる事を思い出し、強く生きろという事。
そう、恐れるな。私はこれでもクリスチャンだ。異世界でも最強に行こうではないか。
「うん、異世界でも大丈夫。恐れるな。私には超すごい神様がいる。最強の神様がついてみるから、私だって少しは強いんじゃない?」
自分に言い聞かせると、他の子山羊や赤ちゃん馬もやってきて、ちょっとしたは動物ハーレムになってしまった。日本では特に動物好きではなかったが、これはちょっと嬉しい。
「ああ、神様。ありがとう」
涙目になりながら、お礼を呟く。この異世界に送られた事も何か意味があるのかもしれない。絶望して泣いているばかりではいられない。まずは擦りむいた自分の脚を嫌そう。
いつも通り、癒しの祈りをしていると、カッと身体が熱くなり、脚の傷の血が止まった。
こうして見ると、日本では父に禁止されていた癒しだが、ファンタジー風の異世界で使うと違和感は薄れる。確か漫画やアニメでも「ヒーラー」という癒しができる聖女や勇者の話も見た事がある。
こうして癒しの祈りが聞かれるという事は、異世界でも神様への祈りが聞かれるらしい。さすが全能だ。聖書にも全地にその力が満ちていると書いてある。感謝や尊敬の気持ちでいっぱいになってしまうものだ。温くなっていた信仰心も、火が付いて来たようだ。
「さて、次はどうしようか。とりあえず、外に出てみる?」
可愛い子ヤギや赤ちゃん馬と離れるのは寂しい。本音ではスラム街に戻るのも嫌だ。でも大丈夫そう。最強の神様が一緒にいるから。