第26話 信仰心と宗教は別物です
職業病という言葉がある。プロは私生活でも仕事の事を持ち出してしまうのだろう。
私の父は牧師だったが、家族でアニメや映画のキリスト教描写に変な所があると、よく突っ込んでいた。アメリカやイギリスの映画では変なところは少ないが、日本人が作成したエンタメではどうしてもツッコミどころがあった。それだけキリスト教は日本人にとって遠い存在なのかもしれない。
例えばプロテスタント教会に神父がいる描写も変だ。神父はカトリックのもので、男性しかなれない。今は不明だが、昔は結婚もできなかった。また、プロテスタント教会には免罪符や懺悔室やマリア像はない。こういった風習は聖書と反するとルターが宗教改革をし、プロテスタントができた。ルターは歴史の教科書でも覚えている人が多いかもしれない。
プロテスタントの牧師は結婚もできるし、宗派によっては賛否両論だが、女性がなっても問題がない。そんな事をパン屋の厨房で思い出していた。
「聖衣ちゃん! パンの捏ね方が違う! 手はこう、力を入れすぎない!」
ナナさんのパン屋を再建すべく、私とイアンはパン作りの特訓を受けていた。講師はもちろんナナさんだが、この人はプロだ。職人だ。かなり厳しくパン作りの技術を仕込まれていた。もう一週間になるが、私はその才能はなかったらしい。生地が上手く生成できず、失敗ばかり。私はプロのナナさんからしたら、ツッコミどころが満載だったのだろう。
「ナナさん、厳しいよー」
思わず涙目。白いコックコートは汗だけでなく、涙の汚れも染み込んでいた。これが汗水垂らすという事か。
日本にいた頃は、キリスト教の描写がユルすぎるエンタメにツッコミを入れていたものだが、今は他人の事は笑えない。パン作りがこれほど難しいとは、実際にやってみないと分からない。
「イアンのパンは上手ね。今すぐにでもお店に出せそうよ」
「ナナさん、ありがとう!」
イアンはナナさんに褒められ、満更でもなさそうだ。顔を赤くしながら、上手くできたパン生地を私に見せてきた。
「聖衣様、見てください。俺のパンはうまいでしょ?」
ドヤ顔。マウントとられた。最近のイアンは昔より忠犬ではない。対等な友達のようで良かったが、マウント取られると悔しい。ハンカチを噛みたくなる!
「あぁ、悔しい。イアンは手先が器用だね。パン作りの才能があるとは意外だったよ」
そうはいってもイアンのマウントに乗るわけにもいかない。素直に負けを認めた。
「そうだな。聖衣ちゃんはパン作りよりも接客やマーケティングやってもらいましょう。参考に街の中心地にあるパン屋に偵察に行ってきてくれない?」
「いいんですか? ナナさん」
私はこうしてパン作りをするより、偵察に行く方賀嬉しい。すぐにナナさんの依頼通り、街の中心部にあるパン屋に行く事になった。
土地勘が全くなかったガーリア地方だったが、一週間も暮らせば慣れてきた。
ここは宗教都市。街の中心部にある神殿を中心に、商業地区が栄えているようだった。
秋や冬は天候が不安定。地震も多く、農業には向いていない。そのおかげで比較的近代的な街が形成されているようだ。エルフのような人外は少なく、魔族が多い。ただ、先祖が何らかの事情で魔力を失ったものが多く、普通の人間レベルの者が多数という。姿形も人にそっくり。服装も古代イスラエル風で、元いた世界と類似点は多そうな場所だった。ゼレナ村のようなスラム街はなく、治安は良さそう。
「えー、お休み?」
街の中心部にあるパン屋に向かってが、定休日だった。
「パン屋休みか」
「ま、仕方ないけど、うちの職場の近くに来てくれるといいよな」
他の街の人もパン屋が定休日だと知ってがっかりしていた。
「ああ、だったらフードトラック的なもので売るのもいいかも……」
そんなアイデアも浮かんだ。車はまだない土地なので、フードトラックは使えないが、台車や自転車のようなもので売り歩くのも悪くないかもしれない。そうすればナナさんのパン屋の立地的マイナス点もカバーできる。
「帰ったら二人に相談しよう」
目当てのパン屋は定休日だったが、アイディアが浮かんで大満足だ。
私はニコニコしながらナナさんの店に帰ろうとしたが、街の広場の方が騒がしかった。人だかりもできている。
「何、何かやってるの?」
広場につくと、近くにいたおじさんに聞いてみた。
「これから司祭様がやってくるんだ」
「ここの宗教だよ。魔王様を崇めているもので、司祭様が一番偉いんだ」
「へえ……」
一番偉い?
聖書では一番偉い人こそ身を低くして支えなさいと書いてある。偉いとかいう概念は、私は全く分からない。もっとも父は教会で子供や女性達に明らかに舐められていたが……。
「魔王って何? そんなに偉いの?」
「お嬢ちゃんは世間知らずか? この国で一番偉い王だよ。決まってるじゃないか」
「へえ……」
「でも、最近噂があってさ」
「噂?」
「噂だよ。元王宮勤めの人に聞いたんだが、魔王はどこかに雲隠れしているらしい」
「え!?」
騒がしい広場では私の声などかき消されてしまったが、驚いてしまう。
「何でも替え玉を置いて田舎に逃げてるとか」
「何で?」
「さあ。上に立つのも大変なんだろ。お、司祭が出てきたぞ!」
歓声と拍手とともに司祭が現れた。六十過ぎぐらいの老人だ。背も小さく、小柄。金色のガウンや魚の模様が入った聖職者っぽい帽子を除いたら、どこにでもいそうな初老の男に見えたが。
「皆さんは魔王様を信じますか!?」
司祭の声は案外大きく、まるでコンサートのとうに民衆を煽る。一見普通の男だったが、確かに妙なカリスマ性があった。
「魔王様を信じないと、地獄に落ちるのです! その為には魔王様が定めた良い行いをしましょう。特に献金が大事です! 苦行が人を成長させるのです! これをすれば必ず魔王様に認められ、天国に行くことができるのです!」
意味がわからない。献金額で天国に行けるかどうか何て、あり得ない。聖書にはそんな教えはない。救いはイエス・キリストを信じる事のみだ。逆に献金や善行などを誇る事は、聖書の中では痛烈に批判されていた。
司祭の言葉に戸惑っているのは、私だけのようだった。隣にいたおじさんも財布を開き、司祭にコインを投げていた。
司祭は魔力もあるようで、その力でコインを回収。たくさんのコインが司祭の周りに集まっていたた、気持ち悪い。元いた世界のカルトとそっくり。逆に「信じるだけで救ってくる神様」がいる事を話したら、ひどい迫害にあいそう。
「かといって、この人達が悪いわけでもないよね……」
中には盲目の女性や車椅子に乗った少年もコインを司祭に投げていた。藁をも掴む思いのだろう。心が弱っている時は、どうしても献金や善行などで救ってくれると思いがちだ。クリスチャンでも弱っている人は、多額の献金をしようとするらしい。父はそんな人に会うたびに全額返していた事を思い出す。
しかし、この司祭って何者? 人の心の弱さにつけ込んで商売をしているようにしか見えなかった。
「やっぱり宗教っておかしいよ……。誰も幸せにしてないじゃん……」
この異世界にある宗教も変だった。宗教が変なものになるのは、万国共通なのか? かくいうキリスト教という宗教組織も別に正しくはない。
日本では癒しの祈りを禁止されていた事も思い出し、複雑だった。
「何かを信じる気持ち自体は、悪いものじゃない。信仰はお金に出来るものじゃないのに……。信仰でお金儲けしないで欲しい……」
怒りより、悲しみの方が強くなっていた。泣きたくなった。




