第19話 私に誘惑ですか?
聖書は悪魔は光の天使に偽装すると書かれていた。
元々は賛美隊長だった悪魔。美しく、何でも神様から与えられていたが「自分こそ神様になる」となり、堕天した。その後は人間を誘惑し、堕落させる事を仕事にしていた。その為には光の天使も装おうのだろう。詐欺師がボロを着ていないのと同じだ。今、私の目の前にいる悪魔は、どう見ても綺麗。美しい天使の姿に変装していた。
それでも、悪魔だと分かったのは、私を誘惑してきたから。それに讃美歌や聖書の言葉も嫌い。イエス・キリストという名前を言っただけでも、露骨に冷や汗をかいていた。油断する事はないが、過剰に怖がる必要もない。
『う、うるさいな! 神の名前とか讃美歌歌ったりするなよ!』
見た目は美しい悪魔だったが、だんだと姿も小さくなってきた。このままエクソシストのように「イエス・キリストの御名で命令する! 去れ!」って言えば消えるかも?
しかし悪魔はなかなかしつこかった。
『へえ。最後まで耐え忍ぶ者は救われるってイエスが言ってるけど、本当? 現に今の君に助けは来ないよねぇ。ひひっ!』
しかも聖書の言葉を使って揺さぶりをかけてきた。これは悪魔の典型的手口だった。
「そんな事ないから! 目に見える今の現実は関係ないし。『もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである』って聖書に書いてあるでしょ?」
こういう揺さぶりをかけられた時は、同じく聖書の言葉を引用し、対抗する。悪魔は声も出せず怯んでいた。よっぽど聖書の言葉が嫌いらしい。
イエス・キリストも荒野の誘惑では、同じように対抗していた。私は真似をしただけだったが、悪魔はなかなか執念深かった。
「っていうか、何でこの世界で姿を現しているのよ。ここって魔法国家の異世界よね。どう言う事? 何か知ってるでしょ?」
逆に質問を返すと、悪魔は笑っていた。ケケケと嫌な笑い方だった。
『知りたい? 俺を拝めば全部教えてあげるよ?』
「けっこうです! 誰があんたなんか拝むものかー!」
『まあまあ、聖衣ちゃん。俺と取り引きしようぜ?』
悪魔はこれ以上無いほど、美しく微笑んでいた。この笑顔だけだったら、クリスチャンでも何でもない人は騙されてしまうかもしれない。まさの詐欺師。綺麗なものに化けて誘惑するのは、十八番みたいだ。
『聖衣ちゃん、日本は辛いよね。クリスチャンってだけでカルト信者とか誤解されて、変な目で見られたりして。無駄にいじめられたりね。聖書通りの事言っただけで他の宗教信者に忖度しろとか言われたり。パパからは宗教組織の世間体気にされて自由にできなかったよね? 同じクリスチャンでも解釈の違いで対立したり、裁きあったり、献金額でマウントとる奴もいたよな〜』
「う、それは……」
『戦争ばっかりやってる偏狭な一神教宗教信者って言う割にクリスマスは馬鹿騒ぎされたりな。エンタメも異世界転生、八百万の神や仏教、スピリチュアルや占い礼賛ばっかりだね? 日本では一神教のキリスト教だけは何故かヤベー雰囲気ってあるよな。ねえ、こんな日本は辛いよね?』
油断していたら、悪魔は痛いところをついてきた。特に子供のいじめ、父からの癒しの禁止などを思い出してしまう。確かに日本でクリスチャンは、分かりやすくハッピーでラッキーではない。
『だったら、この異世界で楽しく暮らそうよー。ここでは聖女様ってみんなが優しくしてくれるじゃん?』
心が揺れていた。ここで聖女扱いされるのは、恥ずかしいが、嬉しい気持ちもゼロではない。日本ではこうはいかないだろう。
『俺をお拝み、神を捨てたら、ずっとここで幸せにしてあげる。この世界で一番偉い聖女様にしてあげる。富も名誉はあなたのものさ』
誘惑が激しくなってきた。これはイエス・キリストが荒野で受けた誘惑とも似てる。あの時も悪魔は富や名誉をちらつかせて誘惑していた。
『もちろん、この落とし穴から救い出してあげるよ。ね、俺を拝んで取り引きしない? 単なる等価交換だよ。ね? ねえ?』
悪魔は最高に甘い笑顔。声もホイップクリームのように甘い。
『あはは、最後まで耐え忍ぶ者は救われないね? 聖衣は信じただけ損したねー? あははは!』
さらに揺さぶりをかけられ、私の心もぐらつく。
お腹も減っていた。空はもう暗い。絶望的な状況だったが……。私の心には、聖書の言葉が生きて住んでいる。それと比べたら悪魔の言葉は、すぐに壊れるオモチャのように見えてきた。
「悪魔の誘惑なんて聞かないから! そうよ、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。聖書にそう書いてあるから。私は神様がしてくれた約束の方を信じます。私達には地上で天国を作れる権威ももらってますしね?」
『な、何だと……?』
「イエス・キリストの御名前で命令するわ。今すぐ私の前から消え去れ!」
そう叫んだ瞬間だった。急に悪魔の姿が小さくなり、悲鳴をあげつつ逃げて行った。
「え、本当にいなくなった? エクソシストしちゃった? これってざまぁってやつ?」
あっけなく悪魔が消え去り、安堵で涙が出そうだ。やはり、聖書に書いてある通り、神様が守ってくれたらしい。
「ああ、神様ありがとう。感謝します。悪魔の誘惑から勝利しました」
こんな状況であるのに、悪魔から勝てた事が嬉しい。それにこの異世界は、悪魔が噛んでいそうな事も分かった。ラスボスが悪魔のかもしれない。まだまだ不明な点は多いが、少し前進したかもしれない。
「聖衣様〜!」
「聖衣ここに居たの! 待ってて、すぐに助けるからね!」
イアンやラーラの声が聞こえてきた。これは幻か?
「聖衣様、必ず助けます!」
イアンに助けられ、ようやく幻ではない事が分かった。
「あ、ありがとう。でも、もう疲れた……」
イアンに助けられたは良いが。声はもうガサガサで何も出てこない。肉体的にも精神的にも疲労で、意識が保てなかった。
とにかく助かっただけで良しとしよう。悪魔の誘惑からも勝てた。今はこれ以上望むものは何も思いつかない。




