第1話 クリスマスイブに異世界転移してしまった件
「は? ここどこ?」
気づいたら、どこかの地下室にいた。地下室だと思ったのは、窓が一つもない部屋だったからだ。
薄暗いが、蝋燭の火はある。少々幻想的な雰囲気。何かハーブかアロマの香りもした。オリエンタル風な嗅いだ事のない香りだったが、変なのはそこだけじゃない。
私はどこかの魔法陣の上に座っていた。アニメや漫画で見るのにそっくりな魔法陣。ホロスコープにも似ている魔法陣だったが、ここは一体どこ?
目の前には翼を背負った男もいた。明らかに人間ではない。頭にツノも生えている。イケメンだったが、どう見ても怪しい。
ゲームや漫画のコスプレ? 安っぽいビジュアル系にも見えるけれど? 明らかに私は混乱してる。
夢か幻なの?
何なのかさっぱりわからない。地下室の魔法陣、翼とツノ持ちのイケメン。何なの、ここは?
一呼吸して、直前の記憶を思い出していた。
私は橘聖衣。日本人の女子大生。ミッションスクール系の大学で英文学を学んでいる十八歳。両親は牧師。日本では珍しいクリスチャンだが、それ以外はアニメや漫画が好きな普通の女子大生。
ふと、こんな状況でも手には聖書を持っていた事に気づいた。新共同訳と言われている聖書で、厚さや重もある。いわゆる鈍器本。
何で今も聖書持っているんだ?
そう、確かここの来る直前、教会にいた。私はクリスチャンといっても、牧師の親に癒しの賜物を否定され、拗らせていた。うっすい信仰のサンデークリスチャンだったが、クリスマスイブぐらいは張り切って教会へ向かった。
そこでクリスマス礼拝でするイエス・キリストの誕生シーンの劇をする事を知ったが、聖母マリア役の信徒が病気になり、急遽私が代役する事になったんだ。
父から台本と聖書を渡され、母からは聖母マリアの衣装を渡され、着替えたところだった。マリアの正確な衣装描写は聖書にないが、白いワンピースにベールという「いかにも清楚な聖母っぽい」衣装を着て、礼拝堂の扉を開けた瞬間だった。
急に地響きのような音がした。大きな地震かと思い、屈んだ後の記憶は無い。気づいたら、この魔法陣の上にいた。
聖母マリアの格好は、魔法陣の上では妙にしっくりしていた。ファンタジー的で、西洋っぽいというか。それぐらいの冷静さを取り戻した時、あの人外イケメンが近づいてくるではないか。
思わず身が震えた。
このイケメン、何かに似てる。そうだ、聖書の解説書で見る悪魔にそっくり。イケメンだが、ツノがあるせいで、全体の雰囲気が悪魔になってしまっているようだ。一瞬ビジュアル系バンドマンの雰囲気も感じたが、やっぱり私はまだ混乱している?
しかし、こんなファンタジーな状況って何だ?
もしかして異世界転移か?
私は漫画やアニメも好きなので、異世界転移がどういうものか知っている。剣と魔法のファンタジー世界に日本人が転移してしまう事。
異世界転生の可能性もあったが、それは腐ってもクリスチャンの私は考えたくはない。聖書では死後さばきに合うと書かれていた。死んだら別世界に生まれ変わるとは書いていない。
生まれ変わりや輪廻転生はスピリチュアルか仏教的な思想だ。そう思えば異世界転生ものも宗教的かもしれない。キリスト教だけなく宗教は基本的に死後の救いや幸福を教えるものが多い。
「ここはどこ?」
目の前の男に聞くしかないが、何も通じない。日本語は通じないようだった。
悪魔っぽいイケメンは何か言っているようだが、英語でもドイツ語でもタイ語でもない様子。
聖書では伝道・宣教という布教活動のために外国語が話せる「異言」というものがあった。「異言」の解釈は色々あるが、その為だったら、ここの言語も話せる?
いや、今はそんな事は関係ない!
この悪魔的イケメンは、牙を剥き出しにし、私に襲い掛かろうとしてきた!
絶対絶命! 大ピンチ! 殺されるよ!
ふと、手にしていた聖書と目があう。
私は信仰ぬるめなサンデークリスチャン。ぶっちゃけクリスマスの劇とかやりたくない。聖母マリアの役もしたくない思っていたが、今は神様にしか頼れない状況だった。
「イエス・キリストの御名で命令するわ! 今すぐ出てけ!」
なぜかエクソシスト風の祈りをした時だった。私に襲い掛かろうとしてきた男は、急に身体が固まった。
「え?」
まさかエクソシストが効いたのか? こういった祈りも誤解を受けるからと父に止められていたが、どういう事か?
この男は本当に悪魔だったのか。だとしたら、エクソシスト的な祈りに効果があった事は辻褄が合うが。しかもこの男は、私が持っている聖書に気付くと、プルプルと震え始め、小動物のようにないているではないか。
今はそんな事を考えても仕方ない。この隙に逃げるしか無い。
私は聖書を両手で抱えるように持つと、一目散に逃げた。
とにかく滅茶苦茶に走って逃げた。あの地下にいたら殺されそう!
階段が見つかると、全速力で駆け上がった。地上に上がれば、もうあの男も来ないだろう。
しかしその予想は裏切られた。
「は?」
地上には、どこかの中世ヨーロッパ風のスラム街が広がっていた。人間らしい者は少なく、ゾンビ、吸血鬼、ゴブリン、竜人などファンタジーなキャラクターが歩いいるではないか。
「な、何ここ……」
しかもスラム街だ。変な臭いもするし、ホームレスらしき者も多い。建物の壁には、悪趣味な落書きだらけ。
「もしかしてクリスマスイブに異世界転移してしまった件?」
そうとしか思えなかった。