第18話 異世界に来た理由を悟りました
いやいや、私は腐ってもクリスチャン!
仏教的な自業自得は聖書にはない。もちろん、自分の蒔いたものは刈り取る事になる。罪も悔い改めたら良いって問題じゃない。一応罪の反省期間という刈り取りはあると言われていた。
だからこそ、神様に赦されている事がありがたいのだ。救いはもう二千年前に完成していた。自業自得や前世のカルマは聖書にはない考え方だった。勧善懲悪的でもなく、人殺しのカインなども意外と罰を受けていなかったりする。神様の憐れみという事なのだろう。こうした罪の赦しの概念は、キリスト教の大きな特徴でもあったりする。
「そう、そうだよ。罪の結果かもしれないけど、私には神様がいるんだ。二千年前に既に許されてるんだ。祈ろう」
絶望するのはまだ早い。私はこの場にしゃがみ、祈り続けていた。
といってもすぐに答えは出ない。すぐに答えなんて受け取ったら、私だったら悪魔からの答えではないか疑う。
それでも祈っていたら、絶望感が消えてきた。そうだ。私には全能で超すごい神様がついているのだ。怖くない。恐るな。神様がついているのなら、私は強くなれる。弱い時にこそ私は強い。
聖書には恐るなという言葉が何回も出てくる。これは自分一人で恐怖に勝てという意味ではなく、神様がいるんだから大丈夫という励ましの意味なのだろう。
それに聖書には、困難な時でも絶望しなくて良い言葉がいっぱいある。
それらを一つ一つ思う出していると、怖く無くなってきた。
「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そうよ、こんなの終末の大艱難に比べたら楽勝じゃん。隠れキリシタンで踏み絵踏まされているわけでもないんだし」
だんだんと元気も出てきた。泣かない。泣くたくもなったが、今は強くなりたい。力も出てきた。こんな状況でも神様が居ると思うと信じる気持ちが強くなっていた。
ずっと異世界に転移してしまった理由が謎だったが、そんな信じる気持ちを強める為だったのかもそれない。
異世界の来た理由がわかった。神様からの試練だろう。
こんな状況で希望がある。神様は超えられない試練は与えない。逃れの道も用意している。
そんな事を思っていると、子供の頃も似たような状況になった事を思い出した。
いじめっ子に騙されて、山に一人置き去りにされた時があった。あの時も家に帰れそうになく絶望したが、讃美歌を歌って乗り越えた。あの時も何故か讃美歌を歌っていたら、心に希望が戻り、運良く通りかかった農民に助けられた事があった。
他にも山で遭難した時、讃美歌を歌っていたら、何とか確かったというクリスチャンの友達の話も聞いた事がある。
聖書にも敵の前へ讃美隊を行かせたら、相手が混乱してしまうエピソードがあった事も思い出した。
喉は少し痛んでいたが、大丈夫だろう。それに異世界に来てから讃美歌は一曲も歌っていない。こんな状況であるのに、讃美歌を歌いたくて仕方ない。
こうして私は讃美歌を歌い始めた。歌っていると、何故か心は平安。落とし穴から見える空は、だんだんと影ってきた。夜も近づいているのに、全く怖くなかった。
声は枯れ、音もズレていたので、歌唱力という視点では最悪だったが、心はむしろ平安だった。讃美歌を歌う事により、かえって精神力も出てくるようだ。
イアンやラーラ、ダナさん、キースさん達の顔も目に浮かぶ。こんな異世界人の小娘にもやさしくしてくれた人達だ。きっと今も心配しているのに違いない。彼らの為にも、こんな状況に負けずに帰りたい。
日本にも帰りたいのが本音だが、神様がくれた試練なら、弱音を吐いている暇などもない。
ちょうど讃美歌を歌い終えた時だった。もう日が落ちピて夜のなっていた。体力は無くなっていたが、むしろ心は満たされ、元気になっていたが。
『ねえ、讃美歌そこで終わり?』
「え?」
一瞬、眩しい光を感じた。もしかしたら、天使が助けの来たのかとも思ったが、違った。まるで違った。
『ねえ、聖衣ちゃん?』
目の前にいるのは、悪魔だった。
『俺と取引きしない?』
ここは魔法国家の異世界だ。聖書では魔法は悪魔からのパワーと言われていた。この世界に悪魔がいても何ら不思議ではない。不思議ではないけど!




