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第七話 64階層(行)

 エレベーターボーイはエレベーターの籠を走らせ、シャフト壁面に敷かれているレールの具合を確かめていた。レールはダンジョン内を高速で駆け回るのに不可欠なもので、レールが考案される前の高機動エレベーターはたびたびシャフト壁面にぶち当たり被害を出した上に、横方向へ移動するために大変な労力を要した。

 ジーッと音がしてブザーが鳴った。籠の中の円形表示板には0から100までの数字がびっしりと描かれているが、今、針は0を指している。

 次の冒険者が地上でエレベーターを待っているのだ。

 エレベーターボーイの指示に従い、籠はがたごと上昇を始めた。

 高度計の針がぐるぐる回転する。

 いささかスピードがつきすぎたことをエレベーターボーイは認めた。籠の、レールを掴む力を強め、ブレーキをかけた。

 火花がやたらめったらと散り、騒音は百人の狂った僧が金切り声でなにかを詠唱しているようにひどいものになった。だが、エレベーターボーイにとっては慣れたもので、毫も動じない。

 衝撃とともに、エレベーターの籠は0階層、つまり地表へとたどり着いた。

 ダンジョンの中の作られた光ではない、白い陽光がもやの向こうからエレベーターボーイの目を貫きにやって来た。冷却水が灼熱したブレーキに吹き付けられ、もうもうと湯気が上がる。

 エレベーターボーイは計器の上、エレベーターの停止とともに動きを止めた刻時機を指で叩いた。

「三分八秒。ふっ、そう悪くないタイムよ」

 格子扉を開けて外に出ると、客たちが唖然としながら立っていた。

 金属の閃光とともにともに地底の底から雷のように出現した籠。スピーディーな現代であってさえ、これほどの速さで上下する乗り物はそうは存在しない。

「で、何階へ?」

 エレベーターシャフト内に立ち入るべからず、と書かれた床板を踏みながらエレベーターボーイは尋ねた。

 客は二人組で、新顔だった。

「64階層で」

「……まあ、構わぬが」

 この二人はお世辞にも64階層ほどの深みで通用する腕利きには見えなかった。だが、こういう時代だ。エレベーターボーイは客の行きたい階層へと運んでやることにしている。

「切符を」

 二人がさっとエレネットを見せたので、今度はエレベーターボーイの方が驚いてのけぞる。

「俺以外にも、まったく偶然に似たようなお得な切符システムを始めたエレベーターボーイが他にもいるわけか?」

「エレネットは先日、技術関連の雑誌にあるプランナーが投稿した案で、それが色々なエレベーターで採用され始めているのですよね」

 女の方の客が言った。

 ホロンはエレネットのアイディアを街中にばらまいたわけか。

 奴がエレベーターボーイへ直々に導入を勧めに来た理由も明白だ。エレベーターボーイもそれを始めたのなら、それはエレネットにとってこの上ない宣伝となることだろう。

 利用されたことを知ったが、自身にとってもそれなりの利益をあげるだろうことから、エレベーターボーイは怒りをおさえた。

 客の、男の方はケラルムでウォーリアー。女の方はシフィエラでプリーストと名乗った。二人とも異人種のようだった。おそらくは、海の向こうの東洋のなんとかという大帝国からの移民か、旅人だろう。

 エレベーターの籠が降下を始めると、シフィエラは種らしきものをざっと床にまいて、それを手にとった。

「噂できいたけど、ダンジョンの中で植物栽培の実験が始まったんですってね?」

「実験? あれがか?」

 エレベーターボーイは顔をしかめた。ボンダーのタマネギ栽培のことを指しているのか?

「……まあ、そういう噂も聞くな」

「で、私たちは今日、ダンジョンにトマト、キュウリ、セロリ、その他食用の野菜を数種類植えてみるんですよね」

 エレベーターボーイがよろめいた。

 このダンジョンで作物を育てようと考えること自体、驚きで、常軌を逸していると思えた。たしかに、ボンダーの件以外にも、ダンジョン内でタマネギや食べれる地衣類などが育つことがあることを、エレベーターボーイは知っていたが、そういったタフな植物でさえ、この闇の中では虚無に取り込まれてしまいがちだ。

 虚無に堕ちた存在は動物であれ、植物であれ、我々光の生物とは異なる場所に属するものへと変化を遂げる。ダンジョンに済むモンスターも、その祖先が虚無に堕ちるまでは人間の家畜だったとしても、あるいは人間そのものだったとしても不思議ではない、とダンジョン関係者の間で考えられていた。

 そのため、冒険者はあまり長くダンジョンに浸るのを避けたし、エレベーターボーイもまた然りだった。

「……せいぜい頑張ることだ」

「我々の種はチェンホー大学の農学部から借りて来たもので、長年の交雑の結果、驚くべき品種改良がなされているそうだ」

 ケラルムが低い声で言った。

「きっとダンジョンの中でも十分に育っていってくれるはずですね」

 シフィエラが東洋人特有のさえずるような物言いをした。

 肝心な点は、ダンジョンがただ薄暗い小部屋などではなく、歴史の始まる以前の大昔になんらかの禁じられた主題のために掘られた、なかばこの世と異なった世界であることにある。

 タマネギやニンニクは古来より魔を遠ざける作用があることを知られているが、トマトやキュウリにはそれがない。そういった野菜を手に狼男や吸血鬼と戦う英雄の物語は聞かない。トマトやキュウリはダンジョンの闇の影響をもろに受けるのだろう。

 そう遠くなく、落胆が二人を襲うことを予想できた。

 だが、エレベーターボーイはいちいち説得してまで、二人を止めようとはしなかった。

 エレベーターボーイのことをよく知らない人は、彼を無口で不親切な人間だという評価を下しがちだ。実際には、それに加えてエレベーターボーイには無意識のうちに、酔狂な試みから生まれる、ある種の芸術を賛美する傾向があった。

 よかろう、ダンジョンにトマトやキュウリを植えるがよい。

「データのためにはなるだけ多くの階層に植えなければいけないわね。とりあえず、手始めに64階層にお願いしますね、えーっとーー」

 シフィエラはエレベーターボーイの胸の名札を見ようとした。エレベーターボーイは名札なんかつけていなかった。

「俺のことはエレベーターボーイと呼ぶがよい」

「でも、エレベーターボーイってのは職業名ですね」

「うむ。だが、俺以外のエレベーターボーイは皆、名を名乗るゆえ、俺がエレベーターボーイと名乗ることにはいかほどの問題もない」

 エレベーターボーイは断言した。

「でも、おまえ、ボーイって年齢にゃ見えないぜ」

 ケラルムが薄く笑って言う。

「エレベーターアダルトってところか?」

「エレベーターミドルエイジマンの方が的を射ていませんかね、ケラルム先輩?」

「おお、うるさい」

 エレベーターボーイは普段より大きな音をたててエレベーターを操作して、客の声を耳から閉め出した。

 60階層を過ぎたところで、エレベーターボーイは籠の落下のスピードを落とした。ここでエレベーターの籠のつかむレールを変え、地上からつながるケーブルを切り離した。

 そこからは横穴の、緩やかに傾斜したレールを滑っていくのだ。

 ダンジョンは非常に複雑な形状で、主シャフトの他にこういった横穴はいくらでもあった。

「落下の角度が変わってるぜ」

「横穴にはいった。俺のダンジョンのシャフトは蜘蛛の巣のごとき複雑さで、俺はいつも最短の道を選ぶ。一本道のシャフトしか持たぬエレベーターなんて物はエレベーターと呼ぶに値せぬな」

「すごいな……単にエレベートするだけじゃないのか」

 ケラルムは表情を変えなかったが、その声は驚きを表していた。

「ああ、エレベートってのはエレベーターの語源の言葉ってのを知ってるか? エレベーターはエレベートの第二文型所有依存格でな。二世紀ほど前に共通言語が伝わってくるまでは、この大陸の誰もがそういった雅な言葉を話していたのさ」

 ケラルムが知識の一端を披露したが、エレベーターボーイの反応は冷たい。

「そんな事を知っていてなんの足しになる」

「ケラルム先輩は言語学科で学内有数の成績を収めたんですよね」

「くだらぬな。ダンジョン内にてそういう知識は無意味だ。モンスターの爪と牙を防ぐのに必要なのは、勘に運や判断力、素早さであろうよ」 

 ケラルムは挑戦的にくっくと笑った。

「我々は知識で常識を覆さんというわけだ。まあ、見てな。我々はモンスターを分析して、弱点を見つけ出す」

「そして、階層にトマトやキュウリを沢山植えて、そこからさらに大量のデータを手に入れますね」

 妙に自信にあふれた二人組は64階層に下り立った。全ての階層同様、ここにも壁に巨大な64という数字がある。

「トマトやキュウリを植え終えて満足したら、そこのエレベーター呼び出しボタンを押しな。数分で来てやる」

 シフィエラが、過去に64階層を制覇したマッパーが作ったに違いない地図を取り出した。

「それから、地図をあまり信用し過ぎぬことだ」

 エレベーターボーイが忠告した。

「マッパーだってプロだろう? いい加減な仕事はしないはずだ」

「だが、ダンジョンは成長しておる。少しずつだが、常にその形は変わっていく」

「馬鹿言え」

「信じる信じないは勝手だ。だが、俺もプロだからいい加減なことは言わぬぞ」

 二人は半信半疑の表情だが、すぐに気付くはずだ。

 エレベーターは冒険者たちを置き去りにして、新たな横穴をおりて、主シャフトを目指した。

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