第十話 エレベーターの次なる進化の予感。ダンジョン法的所有者
エレベーターの損傷はその性質上保険の対象とはなりえないため、企業組合からの特別手当の他はエレベーターボーイの自腹による修理となった。
とはいえ、大したことはない。いつかは起こりえた問題に対する解決法を購入したようなものだ。
天井板は取り替え、今回のことを教訓として対策を施すことにしよう。
エレベーターボーイの頭に冒険者が格子扉越しにモンスターを突き刺していた光景が蘇る。籠の中からの操作で天井板を突き破って飛び出す鋼鉄の杭なんて物がいいだろう。二腕長ほどの大きさの射出装置なら、蒸気の力を借りずとも、バネの力のみで相当の威力を示すはずだ。
あるいは、それでも死なない頑強な奴に対しても、天井板から吹き飛ばして、奈落の底である100階層まで落としてしまえば、どんなモンスターであれ以後エレベーターを煩わすことはできなかろう。
エレベーターボーイのエレベーターはどんな脅威に対しても柔軟に適応していかなければならなかった。
ダンジョン・マスターは髪に白いものが混じり始める年齢の男で、ダンジョンの深さに対抗するかのように、天空目がけて育っていく都市の中でも特に高い企業組合ビルの最上階に構えていた。
その高さはそのまま彼の地位を表しているらしく、マスターはこのダンジョンの他にも六つのダンジョンを法律的に所有し、企業組合ダンジョン管理部を完璧に支配していた。企業組合の中での発言力も相当なものだろう。彼の階は難攻不落の上、大勢の警備兵に守られていることもこの推論を支持している。
所有する建物の階数が地位を表しているのならば、ダンジョンの100階層までを行き来するエレベーターボーイは企業組合に関係する人間の中でも、最も底辺に位置するはずだが、マスターは構わず笑顔でエレベーターボーイの肩を叩いた。
「先ほどの衝撃には驚いたぞ。あまりに恐ろしいモンスターから逃げていたのか? それとも居眠りでもしていて地上についたのに気付かなかったか?」
こいつ、俺のことをその程度の人間と思っておるのか、とエレベーターボーイは疑問に思うが、それはないはずだ。これはマスター風の挨拶というわけだ。
「好きに判断するがよい。それに俺のエレベーターはおぬしの仕事と直接関係しないではないか?」
「そうでもないのだ。私はダンジョン・マスター。ダンジョンで起きることは何であれ、ある程度は把握しておきたい」
マスターはそう言うと、巨大な窓の窓際に立ち、眼下の都市を眺めた。まるで窓税の存在などを無視した大きさの窓の向こうで、都市はぼやけて見える。
マスターはダンジョンの遥か上の椅子でふんぞり返っているだけで、ダンジョンとはどういうものか知りさえしないのではないか、と多くの冒険者は想像する。にもかかわらず、ダンジョン・マスターなどというような大仰な名を名乗っているということは、マスターの常人離れした自信のなせる技だろうか。マスターの後ろ姿を見ながら、エレベーターボーイは考える。
「マスター、おぬし、エレベーターという言葉は異国からの由来と知っているか?」
エレベーターボーイが尋ねると、マスターは窓の外からエレベーターボーイへとゆっくりと目を移し、
「エレベートの第二文型所有依存格だ」
「ほう」
「私の理解はそういったところにも及んでいる。ああ、そうだ。企業組合はダンジョンに対する理解を深めていかねばならない。そしていつかは完全な制御下に置くべきなのだ」
マスターは熱意を込めて言うが、エレベ-ターボーイは顔をしかめて首を振る。
「やめておけ。ダンジョンとは人間が簡単に扱える代物ではない。暗黒の世界だ。冒険者はダンジョンへと潜っていき、俺もそこで働いておるが、その実、分かっていることは実に少ない」
「別に今すぐダンジョンを制御できるとは考えていない。だが、だとしても、企業組合ダンジョン管理部が冒険者を統制するのは、それほどの難事ではなかろう」
「冒険者を統制? なんだそれは? 何をせんとしている?」
エレベーターボーイの疑問にマスターは答えず、低い声で、
「例えば、先日の92階層を制覇したギールとシャルナだが、この二人は企業組合にまるで敬意を払っておらんな。ダンジョン管理部への冒険者登録費でさえ滞納が認められる」
突如、二人の冒険者の名が出て驚いたが、意外ではなかった。
望むままを行う、というのがあの二人の行動目標らしいのだから。
おそらくあの二人の興味はダンジョンにのみ向けられていて、企業組合など眼中にないのだろう。
「ギールとシャルナに敬意を払ってもらうための助言が欲しいのか?」
エレベーターボーイは尋ねたが、マスターは今度も返事をしなかった。
「あの二人は以前、企業組合のやり方に反発した地方の団体に雇われ、企業組合に対する破壊工作に関わった疑いがある。そのときに我々が被った被害は、単一の破壊としては最大規模だったものだ。法に照らし合わせてみても、二人の罪は確実だ」
ありえない話ではなかった。
マスターは大きく息を吸い、肩が膨らんで一回り大きくなる。
「だが、都市の治安警察はどう考えているか分かるか?」
「いいや、俺は法律屋ではないからな」
「あの二人を捕らえようと、治安警官を差し向けた場合、警察側の被害は甚大になろうとのことが予想したのだ。治安警察は採算が採れない限りは、二人が都市に迷惑をかけない以上、二人に手は出さないと抜かしてきたのだ!」
「だが、大抵の冒険者は、そういう風に雇われれば傭兵まがいの真似をするものだろうよ。ギールとシャルナに限った話でもあるまい」
「そうだ! 二人だけではない! 冒険者どもは皆、多かれ少なかれ、戦うための技術を習得している。そして、彼らは企業組合には全く敬意を払わないどころか、ときに敵対的ですらありえる。企業組合は足下のダンジョンに、いつ暴れだすとも知れない無法者どもが溜まっているのを気に入っていない。これは我らを不安にしているのだ!」
「無茶苦茶な話に聞こえるぞ。冒険者なしでダンジョンをどうやって経営するのだ?」
「重要なのは、冒険者たちが企業組合に敵対してはならない、という話だ。そして、ギールとシャルナは最高の冒険者。冒険者たちの象徴。あの二人が企業組合に敵対しようと考えてはならんのだ!」
「おぬしが何を恐れているのであれ、杞憂だとは思うのだがな」
エレベーターボーイがエレベーターにしか興味がないように、あの二人は基本的にダンジョン以外に興味はあるまい。企業組合がどうこう騒いでも、煩わしがるだけだ。放っておけば、企業組合にとっては安全なはずなのだが。
「まあ、とにかく、企業組合は近いうちにダンジョン管理の改革に乗り出すつもりだ。おまえの力も大いに借りるつもりだぞ、エレベーターボーイ」
「改革か」
エレベーターボーイは不機嫌そうに吐き捨てた。
「冒険者たちはおまえたちがやることを喜ばんかもしれんな」
マスターは唇に薄く笑みを広げると言った。
「例え彼らが喜ばなくても、企業組合がダンジョンから十分に利益を回収することができれば私は満足なのだ」