6.思い
いつもはミアの気が済むまで特訓に付き合ってくれるコウも、この日は様子が違った。
「悪い、今日はここまでだ。」
「…?」
「西の湖の方に盗賊が出たらしい。護衛団はもう出発していて対応しているようだけど、俺も行って様子を見てくる。危ないからお前は連れていけないけど、俺が留守の間のことはマリアに頼んであるから。何かあったらマリアを頼ってくれ。」
そう言い残すとコウはサッとマントを羽織り、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「…。」
コウはいつもミアのことを気遣ってくれる。それはありがたい限りだ。しかし自分の気持ちをなかなか伝えられないコウは、事前に伝えてくれる情報が少なかったり、何も言わずに出て行ってしまうこともあり、ミアとしては心配が尽きなかった。
「コウ様は照れ屋ですよねぇ。」
マリアがふふっと笑いながらミアのティーカップに茶をそそいだ。
マリアはコウの部屋付きのメイドである。年はミアの倍はあるとはじめに伝えられたが、くりっとした瞳とやわらかな栗色の髪のおかげで幾分若く見える。
「ミア様も大変ですよね。うまく言葉を伝えてもらわないと、こちらには何も伝わらないのに。」
「…。」
それはミアも同じだった。声を出す特訓を始めてもう1ヵ月になるだろうか。未だに声が出る気配はなく、掠れた息だけが漏れる。その状態でもコウはミアの思いを読み取ってくれるが、コウに自分の言葉で何も伝えることができず歯がゆい思いをしていた。
いくら夫になる人であっても、コウに甘えてはいけない。ミアの中でその思いが大きくなっていた。
「でも、ミア様も似ていらっしゃいますよね。お声が出ないことを後ろめたく思って、なかなかコウ様に甘えられていないのではないですか? もっとおねだりしてもいいと思いますよ。」
マリアはにやりと笑って、上目遣いをしながら胸の前で手を組んだ。
「(おねだり…ですか?)」
「ええ、あれが欲しいとか、ここに行きたいとか。…もっと一緒にいてほしいとか。」
「…!」
マリアの発言がミアの心に刺さった。
ミアはもっとコウのことを知りたいと願った。それはコウだって同じなのではないだろうか。しかし声が出ないことをいいことに、ミアは自分の気持ちを伝えようとしていなかった。
コウが戻ってきたら、素直な気持ちを伝えてみよう。ミアがそう決意するところを、マリアはやさしく微笑んで見ていた。
◆◆◆
その日の夕方、コウは帰城すると同時に国王に呼ばれ、ミアに会うこともなく国王もとへ向かった。
ミアは決意が鈍らないようにと何度も頭の中で伝えたいことを繰り返し、疲れて帰ってくるコウにお茶をいれようと準備をしていた。
「…!」
その時突然バンッと大きな音がした。どこかの部屋の扉が思い切り閉まったような音。音の方向から察するにミアの部屋の隣のようだった。
―コウ様の部屋に誰かが侵入してきたのかしら…!?
そうだったら大変だ、とミアは覚悟を決めて、恐る恐る隣の部屋の扉を開けることにした。
「…。」
うっすらと開けた扉の向こう。誰かが窓辺にいる。
―でも、あの後ろ姿は…。
少しずつ扉を開けて確信する。窓辺にいたのはコウだった。
とりあえず侵入者ではないと安心したのも束の間、ミアはコウの異変に気がついた。
―コウ様、肩が震えているわ。泣いているのかしら。
「…!」
思わず駆け寄り、コウの肩に手を置く。
こんなとき、話せないというのはなんて不自由なのかとミアは唇をかんだ。何も言ってあげられない。ただ肩をやさしくさすることしかできない。
ようやくコウはミアの存在に気づいたようで、ゆっくりと顔を向ける。
「かっこ悪ぃところ見せたな。」
泣きそうな、いや、もう泣いていたのかもしれない、そんな悲痛の顔。コウはそれでもミアに笑いかける。
「国王に…父さんに怒られんだ。俺があまりにも不真面目だから、隣国から笑われているんだと。なんでもっと真面目にできないのかって言われた。」
軽い口調に反して、コウは悔しそうな顔をしていた。
「今日もどこに行っていたんだって言われた。盗賊の件で西の湖に行っていたと言っても、またふらふらと遊び歩いていたのかと。」
「…?」
コウの手を取り、ミアは首をかしげる。
―どうしてそんなこと言われなくてはいけないの。コウ様は現地に出向いて盗賊の事件の解決のためにご尽力されたのでしょう…?
でも声が出ない。思いが伝わらない。コウが苦しんでいるのに。
「…どうして俺はそんなに自由に生活しているのかって顔だな?」
―違う、そんなことが言いたいわけじゃない!
コウは初めてミアの表情を見誤った。
ミアが大きく首をふるが、コウはまた窓の外に目線を移しぽつりとつぶやいた。
「…俺は兄貴みたいに頭脳明晰じゃないし、立ち回りも上手くない。兄貴と比べると劣るところもたくさんある。父さんも兄貴を信頼しているから、俺の居場所はないと感じてきたんだ。でも俺はなんとか二人の役に立ちたいと思ってきた。だからせめて王族と国民の架け橋になりたかった。だからずっと外の世界を見ていた。触れあってきた。」
コウは居場所を感じられなかったことをずっと1人で抱えてきた。それを誰にも悟られないようにしながら、自分なりに居場所を作ろうと奔走してきたのだろう。それがいつの間にか「好き勝手に遊び回る王子」になり「自由奔放な王子」という悪評に繋がってしまったということか。
―彼に声をかけたい、抱きしめたい。あなたは間違ってないと伝えたい…!
そう思った途端ミアは行動を起こしていた。ふわりとコウの腰に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。
「…!?」
―私の思い、伝わってほしい!