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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
6/31

殺せない殺し屋と危険なお茶会

 午前十時。

 太陽が顔を出し、部屋の中を明るく照らし出す時間。

 柔らかな日差しには似つかわしくない重たい空気が、その空間を包んでいた。

「それで?」

 相変わらずモートン卿の発する言葉は短い。

 その言葉の後ろに省略されているのは、《リアと密会している相手はみつけられたか》という問いだった。

「はい、ターゲットは三人に絞ることができました。一人は商売人の男で、もう一人はドレスの仕立て屋、そしてもう一人はピアノ弾きの青年で……」

 レイラは淡々と情報を提示しながら、ルイの存在が目立たないよう気を付けた。

 他の候補を用意し、どの相手も貴族ではない人間を選んだのも、そうすることで彼の存在をカモフラージュできればと考えたからだった。


 商売人もドレスの仕立て屋も、リアが贔屓にしているお店の亭主だ。

 貴族が新しい家具や食器、ジュエリー、ドレスなどをオーダーするときは、他の貴族と被らないよう、陰で隠れて職人たちに依頼することが多い。

 だからリアが彼らと休みの日にこっそり会っていてもおかしくない。

 モートン卿から渡された報告書には、リアは浮気相手と会っているだけでなく、金銭をつぎ込んでいると書いてあった。

 それに関しても、商売人とドレスの仕立て屋なら、特注品を頼んでいたと考えれば辻褄が合う。

 ルイにしてもそうだ。

 リアはバイオリニストであり、大の音楽好き。

 音楽関係の人物と会ったり、コンサートに行く際にお金を使っていても不思議はない。

 また、報告で挙げた三人は貴族ではないが、知る人ぞ知る優れた技術の持ち主だった。

 所有する物は一流を取り入れるのが暗黙の了解となっている貴族社会において、高級ブランドの服を着たり家具を置いたりするのは一種のステータスとなっているわけだが、リアはブランド品より自分の気に入ったものをそばに置きたい、と考える変わったタイプだった。

 だから職人の出身にこだわりがなく、ドレスにしても何にしても、自分が気に入った人物に依頼していた。

 とはいえリアはモートン卿の妻。

 立場をわきまえなくてはならない。

 大公の妻ともあろう人間が、一般市民が仕立ててもらうような老舗の店主がデザインしたドレスを着ていると知られれば、不名誉な噂話の的になってしまう。

 商人の選定や音楽の趣味にしても同様だ。

 だからリアは表立って商人や仕立て屋、ピアノ弾きに会うことができなかった。

 レイラはリアが彼らと密会せざるを得なかった理由について、そのような弁明を用意していた。

 モートン卿がどれだけこの話を受け入れてくれるのか分からなかったが、レイラは卿が浮気は勘違いだと考え直してくれるよう祈りながら、何度も頭の中で繰り返し練習した報告をすらすらと述べた。

 モートン卿は最後までレイラの話を顔色一つ変えずに聞いていので、暗殺の命令を取り下げる気があるのかどうか、読み取ることはできなかった。

「そうか」

 レイラの話を聞き終えると、卿は顎を手でさすり、「では陰で隠れて男と会っていたというのは本当だったのだな」と溢した。

 そのとき、レイラははっとした。

 珍しく歪んだモートン卿の顔に、嫉妬の色が浮かんでいたからだ。

 モートン卿は、恐ろしいほど自分以外の人間に執着しない人間だが、リアに関してだけは別だった。

 大公の地位についたのも、リアを娶るためだったと聞いたことがある。

 モートン卿はリアを小鳥のごとく慎重に扱うが、小鳥を鳥かごに閉じ込める以外、自分のもとに留めておく術を知らない。

「今週末、そやつらを招いて成大にお茶会を開こう。(わし)の目で実際にそ奴らの顔を見てみたい。モルテ。お前も偵察を怠るな。三人の中から密会者をあぶり出し、リアとの逢瀬が続く前に始末しろ」

 冷酷な眼差しでレイラに告げるモートン卿。

 自分の妻に「もう会うな」と言う勇気がないために、相手の男を「殺してしまえ」と命じるあたり卿らしいが、なんて横暴なのだろう。

 人の命を何だと思っているのか。

「承知しました。我が主(マイ・ロード)

 返事をするのは口でだけ。

 心の中でそう反発した。



 *     *     *



 宣言通り、開催されたお茶会は豪華だった。

 社交界でも上流階級に属する貴族たちをはじめ、人気の刺繍職人や作曲家、陶芸家、学士に政治家など、各界の著名人が招待されていた。

 もちろんその中には例の商売人とドレスの仕立て屋、そしてルイの姿もあった。

 特にドレスコードがあったわけではないが、モートン卿が主催していることもあり、貴族たちはここぞとばかりに着飾っていた。

 お茶会の主役であるリアが身に纏っていたのは、白い肌に良く映えるターコイズブルーのドレス。

 その絢爛たるドレスはリアの色香を引き立て、人々の視線を掻っ攫っていた。

 一方で、陰ながら、レイラも密かに注目されていた。

 本人は鈍感なので気づいていなかったが、従者として、シックなスーツの着こなしは様になっていた。

 細身のスーツは華奢な体型に良く似合い、気品ある雰囲気を醸し出していたし、レイラだって十分人の視線を引き付ける容姿をしていた。

 しかしレイラはそれどころではなかった。

 ひたすらに心の中で、何事もなくこのお茶会が終わってくれますようにと祈っていた。

 モートン卿にリアの密会者がルイであると悟られないためにも、ルイにはできるだけリアに接触しないでもらいたい。

 彼はしがないピアノ弾きでありながら、整った顔立ちをしているため、若い娘や貴族のお嬢様たちの心を奪っていた。

 どうにかしてルイに近づこうと、水面下で熾烈な戦いを繰り広げている令嬢たちに取り囲まれ、少し困った顔をしている。

 その様子を遠目に眺めながら、この状態が続けばリアと接触することは出来なさそうだと胸をなでおろす。

 内心ほっとする一方で、ルイが女の子たちの質問に笑顔で応えたり、椅子を引いて座らせてあげたりするのを見ているとなんだかモヤモヤした。


 『そんなに楽しそうにしないで』

 『他の女の子に優しくしないで』


 沸き上がる感情に、レイラは戸惑った。

 意識を逸らすためにルイから目を逸らし、商売人とドレスの仕立て屋の様子を伺う。

 商売人は人のよさそうな顔をした中年の男で、リアよりいくらか年上に見えた。

 顔立ちは良いわけではないが、笑った時にシワが深まる目じりなど、親しみやすい印象を与えた。

 彼は取引先の人間と楽しそうに話し込んでいたが、時折あからさまにリアに見惚れていた。

 とはいえ、リアに見惚れているのはこのお茶会の会場にいる男性の多くに言えることで、商売人に限ったことではなかった。

 だからモートン卿からしても、妻に視線を奪われているからといって、それが浮気相手だという確証にはならなかっただろう。

 一方で、ドレスの仕立て屋は神経質そうな男だった。

 鼻が高く筋が通っており、指先の細さが目についた。

 男にしては肌が白く、日ごろ細やかな作業をしているからなのか、眉間にしわを寄せる癖があるようだった。

 切れ長の目に銀縁の細眼鏡をしていて、どことなく近寄り難い雰囲気があるが、実はシャイなだけなのではないかと、レイラは彼が(おそらく贔屓にしている客の)令嬢や紳士と会話している際、照れたように頭を掻いたり、恥ずかしそうにはにかんだりしているのを見て思った。

 二人ともそれぞれ違うタイプだが、リアは年齢を気にしないし、どちらの男性も彼女が好意を示しそうな人物だった。

 商売人は人との関わりが多いから話題をたくさん持っているだろうし、巧みな話術でリアを楽しませることができる。

 ドレスの仕立て屋は、見た目と中身とのギャップが魅力的だし、ドレスは彼女が身に纏い、身体に触れるものだ。

 彼女のために彼女だけのドレスを仕立てるという行為自体、特別なものといえるかもしれない。

 そしてルイは、リアと《音楽家》という共通点を持つ美男子。

 いまのところ、三人の中で誰が怪しいかと問われたら、三人とも同じくらいといったところだろうか。

 そんな中、モートン卿はといえば、リアと二人でテーブルについて紅茶を口にしながら、さりげなく三人の様子を監視していた。

 モートン卿がテーブルから離れないのでリアも夫を一人にするわけにいかず、きっと他の人とも会話を楽しみたいだろうに席を立つのを我慢していた。

 モートン卿はリアに惚れ込んでいたが、そのことをリアに素直に示すことができなかった。

 だからリアはモートン卿が自分を好いているなど夢にも思っておらず、政略結婚だったこともあり、卿に対して苦手意識を持っていた。

 そのように噛み合わない二人が仲良く会話できるはずもなく、これだけ楽しそうな話し声が飛び交っている会場の中で、二人のテーブルの間にだけ重たい空気が広がっていた。

 ──と、沈黙にしびれを切らしたリアがレイラを手招きし、紅茶を新しいのに変えてくれないかと言った。

「冷めちゃったのよ。温かいのを持って来てくれる? どうせまた、気まずさで味が分からなくなって、飲み切れやしないのでしょうけど」

 レイラはリアのことが気の毒になった。

 モートン卿は浮気相手を見極めようと意識を集中させており、いつも以上に怖い顔をしていた。

 客人たちと関わりたくない雰囲気を醸し出しているモートン卿だったが、しかし招待された客としては、礼儀として二人にお礼を言わないわけにはいかないらしく、入れ代わり立ち代わり二人の元にやって来て、「この度はこのようなお茶会に呼んでくださり……」とテンプレートを口にして去って行った。

 そのように客人たちが律儀なのに対し、モートン卿はぶっきらぼうで、誰に対してもまともに返事をしなかった。

 リアは夫のその横柄な態度が気に食わなかったらしく、だんだん機嫌を損ねていった。

 そしてついに、「私、帰る」とむくれて立ち上がった。

 モートン卿は驚き、引き止めようとした。

「待て」

 強引に、リアの腕を掴もうとしたその時、

「リア様」

 いつの間に令嬢たちの輪を抜けてきたのか、ルイがリアの名前を呼んだ。

 はっとした様子でリアは振り返り、帰ろうとしていた足を止めた。

「ルイ!」

 ルイの顔を見た瞬間、パァッとリアの表情が笑顔に変わる。

「会いたかったわ!」

 リアは無邪気にルイに駆け寄り、彼の手を握り締めた。

 一瞬で機嫌が直ったリアは、ルイの手を引いて嬉々として席に戻る。

 その妻の態度の代わりように、モートン卿は目を見開いていた。

「はい。私もお会いしたかったです。リア様とは音楽のお話ができないままでしたので」

 ルイは丁寧にリアを椅子に座らせると、モートン卿に向き直り、深々とお辞儀をした。

「お初にお目にかかります。ルイと申します。この度は──、」

 しかしルイが最後まで言いきる前に、モートン卿は苛立たし気に差し出された手を振り払った。

 思った以上に強い力で振り払われ、ルイがその場に倒れ込みそうになる。

 (危ない! ピアノを弾く指が……!)

 彼が手をついて尻もちをつこうとしているのを見て、咄嗟にレイラは飛び出していた。

 身を挺して庇う。

「よかった……」

 床に手をつかずに済んで。

「え?」

「いえ、お怪我はありませんか」

 冷静にレイラは尋ねた。

 ルイは驚いた様子でレイラのことを見つめていた。

「君は……」

 ルイは何か言葉を紡ごうとしかけたが、それを遮るようにリアの怒声が響き渡った。

「あなた、なんてことするの! 信じられない!! 指を怪我したらどうするつもりなの!?」

 リアは涙目でモートン卿を睨んだ。

「最低よ!!」

 そう吐き捨ててリアは会場を飛び出した。

 レイラは慌てて彼女の後を追いかけた。



 *     *     *


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