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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
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殺せない殺し屋とセレナーデ

 日が変わり、レイラの即位式が執り行われる日。

 空はこれまでになく晴れ渡っていた。

 まるで嵐が通過した後のような秋晴れ。

 レイラは窓を開けてバルコニーに立ち、外の風に吹かれながら母へ思いを馳せていた。

 少し冷たい、澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込み、鼻からゆっくりと吐き出す。


 (──母様、私ね、ロゼッタ王国の王女として即位することになったよ。母様の地位も名誉も取り戻せた。父様や仲間が助けてくれたおかげなの。……母様が生きていたら、なんて言うかしら)


 不意に一陣の風が目の前を大きく吹き抜ける。

 レイラの髪が、庭の花びらと共に舞い上がる

 突然の強風に、レイラは手で髪を押さえ、目をつぶる。


 まるで誰かが目の前を走り去ったかのように風はすぐに止み、レイラの髪も背中や肩に落ちる。

 乱れた髪を耳にかけ整える。


 ──すると、どこからか。


『おめでとう』


 母の声が、聞こえた気がした。


「母様──?」


 風に問いかけてみても、辺りは静寂に包まれたまま。

 虫一匹の声すらしない。


 それでもレイラの心は軽く、これまでになくすっきりとしていた。


 (こんなに清々しい気持ち、いつぶりかしら)


 行ってきます、と空に告げ、レイラはバルコニーを後にした。



 *     *     *



 ルイの言っていた通り、難しいことや込み入った準備はすべて召使たちが手際よく行ってくれたので、レイラがしたことといえば、身なりを整えて式典に出席し、ロゼッタ王国王女の証であるティアラとブローチ、それからローブを受け取ることだけだった。

 レイラが緊張して階段を上がり、タリアテッレ国王からそれらの品々を受け取る様子を、ルイは満足気に拍手をして見守っていた。

 式典には国内外から貴族が集い、新たなロゼッタ国王女の誕生を祝福した。

 式典が無事終わると、今度はレイラを国民にお披露目するために、ロゼッタ王国内で街頭パレードが行われた。

 屋敷の門が開き、レイラが足を一歩踏み出すと、割れんばかりの拍手が沸き起こり、レイラは腰を抜かしそうになった。

 ロゼッタ王国中の国民が集まっているのではないかと思うほどの民衆が、レイラを一目見ようと押し寄せていた。


 ルイからパレードの話を聞いたとき、レイラは嫌がった。

「パレードなんて! そんな、私、王女らしい振る舞いできないわ……!」

 頑なに拒否するレイラに、ルイは「大丈夫だから」と楽観的に言い切った。

「そんなに心配しなくても、ただ左右を向いて手を振っていればいいだけだよ」

 そう言って取り合ってくれなかった。

 しかし実際、ルイの言っていた通りだった。

 パレードに難しい作法は必要なかったのだ。

 あらかじめ指示されていた通り、大通りを天井の開いた馬車に乗って進み、国民に向けて、ぎこちないながらも笑顔で手を振っていれば、それで大丈夫なようだった。

 民衆は笑顔で拍手をしてくれる。

 歓迎されていることに胸をなでおろしながら、レイラは人だかりの中に、ルカとサラ、それからソフィアとクロエがいるのを発見した。

 ルカとサラはレイラの引きつった笑顔をげらげら笑っており、レイラが軽く睨むと『頑張れ』と口を動かし応援した。

 ソフィアはレイラと目が合うなり頭を下げた。

 隣にいるクロエもお辞儀する。

 レイラも周囲に気づかれない程度に軽く会釈を返す。

 顔を上げたソフィアの表情は、レイラが今朝していたように、清々しいものだった。

 自然とレイラの顔がほころぶ。

 ルカとサラがソフィアと肩を組み、レイラに《グッ》と親指を立てる。

『その調子!』

『うるさいな』

 目線と表情でやり取りしながら、仲間のおかげで、レイラの緊張はほぐれていた。

 息を吸って肩を上げ、吐きながら落とす。

 その後は背筋を伸ばし、堂々と振る舞うことができたのだった。


『綺麗なお嬢さんね』

『さすが王女様、気品があるわ』


 とにかく自分に与えられた仕事を全うしなければと必死だったレイラは、国民が口々にそう溢していたのを知らない。

 レイラに対する国民の評価は、とても好意的なものだった。

 パレードは成功と言っていいだろう。


 外から屋敷に戻り、ダイヤやルビーがちりばめられた美しいティアラを召使に渡して、自分が着るなんておこがましい、と気後れしてしまう高級なドレスを脱ぐ。

 レイラが普段着に着替えて部屋で休むことができたころにはもう、日は暮れていた。

 自分だけ先に休むのも気が引けて、召使たちの後片付けを手伝おうとしたが、『王女様は部屋で休まれてください』と断られてしまった。

 こんなに全部まかせっきりで良いのだろうか、と困惑するほど、周りが甲斐甲斐しく動いてくれて、レイラは申し訳なくなったが、慣れないことをして疲れていたので、お言葉に甘えて休ませてもらうことにした。


 ソファに横になり、腕で目元を覆う。

 疲れているのに眠れない。

 それは良くあることだった。

 こういうときは、抗っても仕方がない。

 眠れなくても横になっていよう。


 どれくらいそうしていただろうか。

 暗闇に広がる静寂に身を任せていると、どこからか、ピアノの音色が聞こえてきた。


 聞き覚えのある、懐かしいメロディー。

 淡くやさしい旋律がレイラの心に沁みわたる。


 (この曲は……)


 目元に乗せていた腕をどけ、そろりと起き上がる。

 どうせ眠れやしないのだ。

 ドアのそばに掛けてあったローブを羽織り、レイラは部屋を後にした。  



 *     *     *



 ピアノの音色は、屋敷の庭の隅にある、離れの方から聞こえてきた。

 レイラはどうしても、殺し屋をしていたときの名残で、足音を立てずにこっそりと近づいてしまう。

 なんとなく、誰が弾いているのか予想できていたこともあり、人目を避けた方が良い気がしたのだ。

 それにもし、自分の存在に気づいたら、ピアノの演奏を中断してしまうかもしれない。

 自分のせいで美しい旋律が途切れてしまうのは惜しい。

 せっかく、眠れない夜が癒される予感がしているのに。


 離れの窓はしっかりと閉められておらず、時折、窓から入り込む風でカーテンが揺れて中が見えた。

 案の定、ピアノを奏でていたのは、透き通った銀髪の──。

 大きく風が吹き込んで、身を隠している茂みの葉が舞う。

 その風は離れの中にも吹き込み、ルイの髪が乱れる。

 それでも構わず、彼はピアノを弾き続ける。

 何にも縛れていない、自由で優雅な演奏だ。


 いつもはどこか切なく響くメロディーが、今日は心なし優しく感じられる。

 レイラは大きく息を吸って吐く。

 目を閉じて音楽に身を委ねれば、すべてが浄化されていくようだ。

 旋律と共に母の姿も脳裏に浮かぶが、苦しくない。

 風に吹かれながら音楽に没頭していると、やがてどこから来たのか、足元にやわらかい毛玉の温もりが。

「ネロ」

 瞼を上げて、レイラはネロを抱き上げる。

 ネロは甘えるように声を出し、すりすりと体を擦りつける。

 そしてレイラの膝の上でくるりと周り、おなかを見せ、にゃぁ、と鳴く。

 毛並みに沿って撫でてやると、満足した様子でゴロゴロと喉を鳴らし、しばらくそのまま動かない。

「ふふ」

 あまりに可愛く甘えてくるものだから、ネロに意識が向いてしまって、いつの間にかピアノの音が止んでいるのに気づかなかった。

 ましてや離れからルイが出てきて、こちらへ近づいてきているなんて。

 だからふわりと後ろから抱きしめられて、「きゃあっ」と悲鳴を上げてしまう。

 ネロがびっくりしてレイラの膝から飛び降りる。

 甘えていたところを邪魔されて、ネロは責めるようにルイに突進する。

「ごめん、ごめん」

 ルイが抱き上げれば、不服そうに猫パンチを食らわせる。

「痛いなぁ、悪かったって」

 ネロに謝りながら、ルイは、「いきなり驚かせてごめんね」とレイラにも謝った。 

「急にネロが外へ行ったなと思って。ピアノを弾きながら注意して目で追っていたんだ。そしたら茂みに人のいる気配がして、探りに来たら君がいた。……前にもこんなことがあったよね」

 レイラがまだモートン卿の屋敷にいた頃、ルイを殺せと命じられ、レイラはこうして茂みに身を隠し、暗殺するチャンスを伺っていたのだ。

 いつまでも訪れることのない、その時を。

「本当は、明日あたりまた、君の部屋に行こうと思っていたんだ。……でも、そうだね。今夜はこんなに月が綺麗な夜だから」

 ルイは一人ぼそぼそとつぶやいて、ネロを下ろすと、ポケットをまさぐりレイラの前に立膝をついた。

 そして四角い小さな箱をパカッと開き、下から見上げる。

「──改めて、レイラ。僕と結婚してほしい」

「……っ!」

 真摯な眼差しと、不意打ちのプロポーズに目を丸くする。

 どきどきと心臓が跳ねる。

 落ち着こうとゆっくり息を吐き、真っすぐにルイを見つめ返す。

 こくこく、と頷きながら、「私でよければ」と返せば、瞬く間にルイの顔が、この上なく嬉しそうなものになる。

 そして勢いあまって思いきりレイラを抱きしめる。

「ちょっと、ルイ! 苦しいって……!」

 もがいてもレイラを離さない。

「ありがとう、レイラ。幸せにするよ」

 ルイはレイラの左手を持ち上げ、薬指にそっと指輪をはめる。

 これでもう、引き裂かれることはない。

 ずっと、一緒。

 レイラは胸がいっぱいだった。

 二人は顔を見合わせて笑った後、ゆっくりと、どちらからともなくキスをした。


 ルイの言う通り、今宵は美しい月夜だった。

 どこからか風に乗り、クチナシの香が二人を包む。

 庭に植えられた色とりどりの草花が満月の光に照らし出され、遠くで鳴くミミズクの声はやさしく、空に浮かぶ星々までもが、二人を祝福しているのだった。





               (終わり)



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