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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
28/31

邂逅

 (──ルイ?)

 不意に名前を呼ばれたような気がして、レイラの耳がピクリと動く。

 それにしてもいま、鍵が開いた音がしたような……。

 レイラは腰にある拳銃に手をかけ、じっと入り口を見つめる。

 扉が開く気配はない。

 (聞き間違い……、だったのかしら)

 ルカとサラがくれたこのチャンス、絶対無駄にはできない。

 とにかくいまは作戦を成功させることに集中しなくては。

 拳銃から手を離し、態勢を元に戻した、そのとき──。

 待ちかねていた音が、レイラの耳に響き渡る。 


 《コン、コン、コン》


 (──っ来た!!)


 しかしその音は、予想とは違う方向から聞こえてきた。

 ロゼッタ国王の部屋に繋がる壁側ではなく、入り口の扉から。

「ルイ?」

 どうして、入り口をノックするのだろうか。

 もしかして、ルイじゃない?

 でも──、とレイラの心は揺れる。

 (ちゃんと三回、ノックされた。三回ノックする作戦は、仲間しか知らない)

 不信感は拭えないながら、レイラはゆっくりと入り口の扉の前へ行き、壁に手を当てる。

 耳を澄ますが、反応はない。


 ──と。


 不意に押し開けられた扉。


「ごめんね、レイラ」

 刹那、泣きそうに顔を歪めたソフィア。


「っ!!」

 驚きで喉が絞まる。


 謝罪とともに、拳銃のトリガーに指がかけられる。

 ソフィアの無駄のない一連の動作が、レイラの目にはスローモーションで見えていた。

 しかし見えているからといって、回避できるわけではない。

 ただ見えているだけ。

 (──私、死ぬの?)

 こんなところで?

 ようやくここまできたのに?


 あぁ、と瞼を閉じる。

 でも、もしも──。

 もしもあのまま、モートン卿の屋敷で殺し屋として生きていたら。

 任務に失敗し、命を落としていたのなら。

 誰が悲しんでくれただろう。

 命を賭して共に戦ってくれる仲間に出会えるなんて、まさか思いもしなかった。


 それだけで私──。



「諦めるな!!」


 諦観しかけたレイラの意識を、誰かの(かつ)が突き破る。

 レイラは大きく目を見開く。

 そうだ、と頬を叩かれ目が覚めた気がした。

 意識が、気力が、体の表面に戻ってくる。


 (私はこんなところで死ぬわけにはいかないんだ)


 約束したではないか。

 必ず助けに戻ってくると。


 向けられた銃口に、全神経を集中させる。


 (っ嫌だ、死にたくない!!)


 パァアアアン!!


 弾をかわそうと必死で体を(ひね)る。

 しかしギリギリ動きが間に合わない。

 それなのに、ぎゅっと閉じた瞼を開けば、どういうわけか、当たるはずだった弾は軌道を逸し、頬をかすめるに留まっていた。

 (どういうこと?)

 めぐる思考。

 目の前で構えられているソフィアの銃にはサイレンサーが付いている。

 それなのに銃声がした。

 ということは、先ほど叫んだ人物が射撃したということか。

 理由は分からないが、『諦めるな』と叫んだその人は、ソフィアが放った弾にタイミングよく自分の弾を当て、軌道をずらしてくれたらしい。


 (射撃で私を助けてくれた──?)


 ドクン。


 既視感が背筋を駆け抜ける。

 全身の毛が逆立つ。

 脳裏に蘇ってくるのは、ピクニックでのときのこと。


 (あの時と同じ──?)


「誰だ!?」


 レイラより先に声を上げたソフィア。

 周囲を警戒しつつ、レイラの背後に広がる、無人のはずの暗闇に銃を構える。


「出てこい! そこにいるんだろう!」


 レイラはごくりと生唾を飲み込む。


 (後ろにいるのは、一体誰──?)


 振り向いて正体を確かめたいが、ソフィアに向けられた銃口から視線を逸らすわけにはいかない。


「出てこないならコイツを撃つ!」


 拳銃の安全装置を外し、ソフィアは強い口調で脅しをかける。

 拳銃を握る手がガチガチだ。

 緊張のせいか力が籠っている。

 ソフィアらしくない。

 そこでレイラは気が付いた。

 ソフィアの頬。

 光の具合で分からないけれど、あれはきっと涙の痕。


 震える手を抑え込むように力を込め、そうしないと銃を持てないほど、ソフィアは──。


 レイラはぎゅっと、こぶしを握り締める。


 (大丈夫。私はもう、一人じゃない)


 上げた視線は、まっすぐにソフィアを捉えていた。


「ソフィアさん、どうしてっ。どうしてこんなことするんですか。私、ソフィアさんと戦いたくありません」

 レイラの言葉に、ソフィアの顔が歪む。

「黙れ! あんたいまの状況分かってる?」

 向けられた銃口。

 トリガーに掛けられた指。

 しかしレイラはひるまない。

「質問に答えてください。私は、《誰かに雇われているソフィアさん》ではなく、《私の仲間のソフィアさん》に訊いているんです」

 ソフィアの唇がわなわなと震える。

「やめて!! 知っているでしょう? 私、どうしてもお姉ちゃんに会いたいの。小さい頃生き別れてしまったお姉ちゃん。そのためならなんだってする!」

 自分に言い聞かせるみたいな台詞。

 レイラの顔に影が差す。

「本当にそれがソフィアさんの望みなんですか?」

「そうよ!」

「私を殺してでもお姉さんに会うことが?」

「そうだと言っているでしょう!」

「嘘つき」

「嘘じゃない!」

 レイラは眉根を下げる。

「だったらっ、だったらどうして泣いているんですか? そんなに苦しそうな顔をしているんですか!」

「うるさい!!」

 ソフィアはレイラに銃口を突きつける。

 いつでも殺せるだろうに、ソフィアは引き金を引かない。

 ぽろぽろと涙を流し、金切り声で訴える。

「だって、仕方がないじゃない! こうするしかないんだもの! ジャスミン嬢に言われたの。あなたを殺せたら姉に会わせてやると。散々耐えて生きてきたのよ。どれだけこの日を夢見てきたことか!!」

「そんな、きっと他にも方法はあります。一緒に探しましょう」

「うるさい! うるさい! うるさい!! 事態は一刻を争うというのに、何も知らないくせに知ったような口訊かないで!!」

「どういうことですか」

「あなたには関係ないでしょう!!」

 懸命に差し伸べられる言葉を払いのけるように、声を荒げるソフィア。

 大粒の涙を流す姿にレイラの胸は締め付けられる。

 (まるで少し前の自分を見ているみたい)

 モートン卿の屋敷にいたころの。

 自分の心に嘘をついて。

 したくないことをして。

 あのときの苦痛を、いま目の前で、大切な仲間が味わっている。


 ──助けたい。


 知っている痛みだから、どうしても。

 あのとき私は、どうして欲しかっただろう?

 黙り込んでいると、ソフィアの顔がぐしゃりと歪む。

「もう嫌。私、どうしたら……」

 ソフィアはレイラから銃口を外し、自分自身を嘲笑する。

 そして自暴自棄になったかと思うと、震える手を持ち上げ、自分の頭に銃口を突きつける。

「ごめんなさい、レイラ許して──」

「っ!! ダメ!!」

 突然のことに驚き、咄嗟に拳銃を払おうと前のめりになるレイラ。

 (間に合わない!!)

「ソフィア!!」

 後ろから絶叫に似た声が上がり、黒い何かが飛んでくる。


 カァアアン!!


 背後にいたその人は、とっさに持っていた拳銃を投げてソフィアの手にぶつけ、銃口を逸らした。

「な……、ど、して……」

 しかしそのズレた銃口は、不幸にも()()の肩を打ち抜いた。

 考えなしに突っ込んだレイラは、四つん這いになり倒れ込む。

 傷んだ床がミシッ!! と音を立てて軋んだ。

 弾が当たり、衝撃で尻餅をついた()()()は、よろよろと起き上がり、カツ、カツと、レイラの背後から歩いてくる。

 打ち抜かれた左肩を右手で抑えて歩き、ソフィアの前で立ち止まる。

 そこに殺気は微塵もない。

 レイラは体を起こし、手元に転がっていた懐中電灯で()()()の姿を照らし出す。

 浮かび上がった顔を見て、ソフィアは声も出せずに固まる。

 ()()は、そんなソフィアのことを、ふわり、まるで花束でも抱えるみたいに片腕で優しく抱きしめた。

「会いたかったわ、ソフィア。私の世界でたった一人の大事な妹」

 大人しく抱きしめられるソフィアの瞳に、じわじわと涙が溢れてくる。

「そんな……、どうし、て」

「何年振りかしら。ずっと、側にいてあげられなくてごめんね」

 切なげにソフィアの顔を覗き込むその人の瞳には、本物の悲しみが宿っていた。

「──やっと見つけた」

 ソフィアの頬を両手で包み込み、瞳を潤ませる。

 再会できた喜びや、埋まらない過去の悲しみや、色々な感情が複雑に混じり合っているようで、しかし彼女から一番強く感じられるのは、間違いなく《愛》だった。

「クロエ、おね、ちゃん」

 《クロエお姉ちゃん》と呼ばれたその人は、この上なく嬉しそうに微笑んだ。

 そしてなぜか。

 レイラはその笑顔を、知っているような気がするのだった。

「ご、ごめ、なさ……」

 弾が当たって血が滴り落ちている肩口を、ソフィアは、どうしよう、と触れかけて惑ってやめる。

 クロエは痛みのせいか、浅い呼吸を繰り返す。

「大丈夫だから、そんなに泣かないの」

 言われてソフィアは、涙を堪えようと唇をぎゅっと横に結ぶが、逆効果だったようで、顔を両手で覆い、わんわん泣き始めた。

「私、ほんとは、誰も、こ、殺したくなかったのに。みんなを、裏切るなんて、心が、ひ、引き裂かれそうだった。でも、どうしても、どうしても、お姉ちゃんに会いたくて」

「ソフィアさん……」

 レイラはいつもよりずっと小さく見えるソフィアの背中を見つめる。

「私に、レイラは、殺せなかったよ」

 ぽつりと溢された言葉に、知ってます、と心の中で返す。

 ソフィアは仲間思いで正義感の強い、心根の優しい人だから。

 先ほどのレイラを殺そうとして放たれた一発目の弾。

 結果的に弾が当てられて軌道が逸れたけれど、それがなくても死にはしなかった。

 だってソフィアは、はじめから急所を狙っていなかった。

 あの距離で、ソフィアの腕前で、急所を外すなんてありえない。 

 《仲間を殺めてでも姉に会いたい》なんて。

 本気じゃないこと、分かっていた。


 抱きしめられて、幾分ソフィアは落ち着きを取り戻した様子で、ぎこちない手つきながらクロエの背に腕を回す。

 その様子を眺めていると、二人の間に割り込むのは気が引けたが、クロエの怪我が気にかかり、レイラは自分の服の裾をやぶいて、さらに歯でちぎり、適当な長さにして歩み寄った。

「失礼します」と、肩を抑えるクロエの手を避け、きつく布を巻く。

「うっ」とうめき声を上げるクロエ。

 ソフィアまで痛そうな顔をする。

「ありがとう」

 処置してくれたことに対して、クロエがお礼を言う。

 頷くレイラ。

 これでひとまず大丈夫だろう。

 ほっと肩をなで下ろすと、ソフィアが不思議そうに口を開く。

「でも、どうしてお姉ちゃんがここに? 私、ジャスミン嬢に言われたの。『お前の姉に会わせてやる』って。ジャスミン嬢が知っている奴隷の中に、私と同じ修道院出身で、同じ苗字の女がいるって。お姉ちゃんに会う条件として突きつけられたのは、レイラを殺すことだった。私、はじめはお姉ちゃんに会えるか半信半疑で、だから従うつもりなんてなかった。でも、指を見せられて──」

「指?」

 ソフィアは頷く。

「クロエお姉ちゃんの指には痣があるでしょう? 奴隷の証である焼き印が。二人で貧民街で暮らしていたとき、私を庇ってつけられた印」

 俯くソフィア。

 確認するためにチラリとクロエの指を盗み見れば、確かに、何やら模様のような痣があった。

「私、だからてっきり本物の指だと思って。『お前の姉は地下牢に閉じ込められて拷問を受けている。早くしないといつ息絶えるか分かない』その言葉を信じてしまったの」

 クロエがソフィアの髪を撫でる。

「そうだったの。卑怯なやり方。でも私はジャスミン嬢とも、彼女の手の者とも接触したことはないわ。おそらく見せられた指は良くできたレプリカでしょうね。どうして私の指に焼き印があることを知っていたのか気になるけれど、いまはそれどころじゃないわよね」

 クロエはレイラに視線を移す。

「説明すると長いから省くけど、私がここにいるのはレイラを守るためよ。あなたたち、やるべきことがあるんじゃないの?」

 瞬間、レイラは、思い出したと言わんばかりに慌ててソフィアを問いただす。

「そうだソフィア! ルイは? ルイはどこにいるの? ルイはどうしたの?」

「それは……」

 ソフィはきまり悪そうな顔で頭を下げる。

「ごめん。謝罪は後でしっかりさせて。ルイ王子は薬のせいで気を失っているわ。でも本当に気を失っているだけで身体的な影響は何もない。謁見の許可を取る算段は実行できていないけれど、警備隊の心配はしなくていい。行って、レイラ。このまま扉を開けて、フィガロ陛下に会うのよ」

 ルイの状態が心配だったが、いまはそうも言っていられない。

 ソフィアの言葉に、レイラは自分を奮い立たせるように強く頷く。

「分かった。私、行ってみる。自分でロゼッタ国王に、──お父様に話をつけてくる」

 ソフィアは頷き、力を託すようにレイラの背を叩く。

「大丈夫。レイラならきっとできる。ルイ王子のことは私に任せて」

 頷くレイラ。

 不安じゃないと言えば嘘になるけれど。

 それでもここから先は自分一人で進まなくてはならない。

 懐中電灯をソフィアに渡し、レイラは王室へ繋がる扉に手を当てる。

「行ってきます」

 ソフィアに別れを告げて、レイラはその小さな扉を押し開けた。



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