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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
24/31

正しくあるより大事なこと

 考え事に耽り、真っ白な天井をぼんやり眺めていると、遠慮がちにドアをノックする音がする。

 顔だけドアの方へ向け、誰だろう、と思う。

「どうぞ」

 入室を促せば、おずおずと扉が開かれ、こぶしほど開いた隙間から覗く顔は古くから見知った顔だった。

「ミア!」

 レイラは半身を起こし、旧友に手を伸ばす。

「レイラ」

 ミアはドアを開けて中に入り、伸ばされた手を掴む。

 二人は手を組み合わせ、ミアはベッドに腰を下ろす。

「リア様にレイラの様子を見て来るよう言われたの。もう体を起こして大丈夫なの? どこか痛いところはない?」

「大丈夫よ、ありがとう」

「急に倒れたと聞いて、心配したのよ。一体何があったの? 馬が暴れたとしか聞いていなくて……」

「──実はね」

 訊かれてレイラは、馬が暴れたのに紛れて銃撃戦があったことや、自分を庇ってルイが怪我をしたことなどを話した。

 誰にも弱いところは見せまいとしていたけれど、ミアの顔を見たらつい、自然とすべてを吐き出してしまっていた。

「ルイは私のせいで怪我をしたのよ」

「そんな……、それは違うじゃない。どうしてこう、レイラは自分を責める方に意識を向けるのかしら」

 黙るレイラ。

 ミアは心痛ましげな顔をする。

「思えばいつも、辛い役回りはレイラばかりよね。代われるのなら私が代わってあげたい」

 レイラは表情を緩め、ありがとう、と返す。

 そして、「そういえば」と、目が覚めてから気になっていたことを尋ねる。

「ピクニックはあの後どうなったの?」

 目を伏せるミア。

「すぐにお開きになったわよ。ジャスミン様もずいぶん取り乱してらっしゃって、とても演奏や食事を楽しめる状況ではなかったから……。倒れたレイラを連れて帰るのは危険だし、ルイ王子も馬の手綱を握れる状態じゃなかったから、この湖畔の小屋にレイラとルイ王子、それからルイ王子と残ると言ってきかないジャスミン様を置いて、他のみんなは一度引き上げたのよ。それで医療従事者と護衛数名がこの小屋へ派遣された。私はレイラが心配で、その医療従事者の団体に混ぜてもらって来たの。でも明日にはリア様とギブ王国の屋敷へ戻るわ。リア様のお父様がリア様の身を案じてらっしゃって、長居せず屋敷へ引き上げて来いと」

「そう」 

 レイラはぎゅっと布団を握り、ミアを伺い見る。

「ねぇ、ミア、明日の朝、リア様の屋敷へ戻るとき、私も一緒について行っていい?」

「え?」

「ほら、リア様が提案してくださっていたでしょう? 屋敷で一緒に暮らさないかと。私、リア様のお言葉に甘えようかと思って」

「それは……」

 本気なの? と。

 瞳で問い掛けられる。

 レイラは目を合わせることができない。

 ミアは表情を曇らせる。

「私は……、私はレイラが望むならそれで……。リア様のお屋敷で一緒に働いて暮らせたら、こんなに嬉しいことないわ。でもそれは、ルイ様と離れてしまうことになるのよ。分かっているの?」

「ええ」

 レイラはどこか諦めたように微笑み、頷いた。

「やっぱり高望みだったのよ。私には不釣り合いな人だった。それだけのこと」

「……」

 何か言いたげな顔をして、しかしそれをぐっと飲み込み、ミアは「リア様に聞いてみる」と部屋を後にした。



 *     *     *



 リアからあっさりと許可が下り、翌日レイラはリアが迎えに送ってくれた馬車に乗り込み、タリアテッレの国を出た。

 久々に戻る故郷の道中、レイラの頭には終始ルイの顔が浮かんでいた。

 国をつなぐ大きな石橋。

 その下を流れる川などを眺めても、心には霧がかかったままだった。 

 リアはレイラのためにメイド用の空き部屋を用意してくれた。

 屋敷に着いてから既に五日が過ぎ、荷解きももう済んでしまった。

 現在レイラは長椅子に腰を下ろし、朝食をとっているときに受け取った、手紙の封を切っている。

 ここへ来たことは誰にも言っていない。

 それなのに、レイラが国を出てリアの屋敷にいることをルイはなぜか知っていて、毎日欠かさず手紙をよこしてくる。

 さしずめリアが、気を遣ってルイに伝えてくれたのだろうが、手紙を読むたび、必要以上にルイが自分を責め、身を案じてくれているので胸が痛む。

 (──……必ず迎えにいくから、か)

 手紙は決まってその言葉で締めくくられていた。

 この前、いつも通り手紙を持ってきてくれたミアに、「ルイ様に返事書かないの?」と聞かれたが、曖昧に微笑むことしかできなかった。

(私は帰らない。大丈夫、きっとこれが正しい)

 その気持ちは今でも変わらない。

 しかしルイからの手紙は捨てられず、目を通しては引き出しにしまってしまう。

 今日もまた、引き出しを開き、まるで想いを封じるように手紙を忍ばせる。

 ──と、部屋に響くノック音。

「レイラ、お客さんよ」

 ミアがドアの外から声をかける。

「はい」

 レイラが返事をすると、ミアはためらいがちに少しだけドアを開き、困惑した様子でレイラを手招きする。

「どうしたの?」

 背後に来客がいるだろうに、ミアはドアを開こうとしない。

「ミア?」

 難しそうな顔をして、口をパクパクさせて何か伝えようとしている。

 腰を上げたそのとき、バン! とミアの後ろから手が伸びてきて、その人物は乱暴にドアの端を掴んだ。

 そしてそのまま力づくでドアを押し開け、つかつかとこちらへ詰め寄ってくる。

「何やってんのよレイラ! こんなとこで!」

 いきなり大声で怒鳴られ、レイラは身体を固くする。

「ルカさん……」

 『どうしてここに』という疑問が声になるより先に、ルカはまたしてもずかずかと詰め寄り、レイラの前で仁王立ちをして腕を組む。

 驚いて声を出せずにいると、ドアの方からひょっこりと「やぁ、久しぶり、レイラ! といっても五日ぶりくらいかな?」と、一緒に来たらしいサラが顔を覗かせる。

「お二人とも、どうしてここに……」

 不機嫌そうにルカが答える。

「別に、任務のついでに寄っただけよ。まったく、あんたがいないと私の仕事が増えて大変なんだから」

 ぶつくさ言いながら、ルカはレイラの向かいにあるソファに腰を下ろした。

 不満を主張するように脚を組む。

 その横にサラも腰をおろし、笑いを堪えきれないといった様子でクスクスと声を漏らす。

「まったくルカは素直じゃないんだから……。『国を出てどうしているのかな』って、レイラの様子を見に来たんだよ。あのね、この国についでで来るような任務なんてないんだ。ルカったら、自分のあたりがキツかったせいでレイラが国へ帰ってしまったんじゃないかって、心配でご飯も喉を通らなくなってしまってね。それで、いてもたってもいられなくて会いにきたんだよ。それなのに、いざレイラを目の前にしたらこの態度。笑っちゃうよね」

「うるさいわね!」

 耳を赤くして、ルカはサラを肘で小突く。

「心配……」

 言葉を咀嚼するように、レイラは小さく繰り返す。

 その様子を見てサラが言う。

「レイラ、まさか、私たちが心配しないとでも思っていたの? そんなわけないじゃないか。仲間なんだから。何も言わずにいなくなってしまうなんてひどいよ」

 まったくだ、とルカも頷く。

「本当よ、私たちのこと、一体何だと思っているんだか」

「……すみません、でも私のことは心配しなくて大丈夫ですよ。ここへ来たのはルカさんのせいではなく、個人的な理由なので」

「心配しなくて大丈夫ってそれ、本気で言っているの? 個人的な理由って……、やっぱり、何かあったんでしょう?」

「別になにもありません。あったとしてもそれは、私個人の問題なので」

「私たちには関係ないってこと? あんたのことを仲間だと思っているのは私たちだけってことかしら」

「ちが……。私はただ、迷惑をかけたくなくて……」

 傷ついたように、ルカは俯く。

「迷惑かどうか決めるのはあなたじゃない。私たちよ」

 レイラは黙り込む。

 固く閉じた貝のように口を閉ざすレイラを、見兼ねてルカが引き下がる。

「……いいわよ、それでも。言いたくないなら言わなくていいわ。──でも私、待っているから。あんたのこと、ロゼッタ王国で。知っているでしょう? 私、案外忍耐強いのよ。……いつでも、本当にいつでも待っているから。朝でも夜でも、気が済んだら戻ってきなさいよ」

 優しい言葉にレイラの胸は締め付けられる。

 だけど、それでも。

「……私、帰りませんよ」

 不服そうな顔をするルカ。

「どうしてそこまで、頑ななの?」

 口を挟んだのはサラだった

「納得できる理由がないなら、私たちも帰らないよ」

 食い下がられて、レイラはどうしたらいいのか分からなくなる。

 二人を巻き込みたくないけれど、もう、正直に胸の内を明かしてしまおうか。

 二人の優しさが身に染みるほど、心が苦しくて仕方がない。

 レイラの中で、滴る雨水のように時間をかけて、少しずつ溜まっていた何かが、いっぱいになり零れ落ちようとしていた。

 ぎゅっとこぶしを握り締める。

「……だって、」

 顔を上げれば、二人の真剣なまなざしとぶつかり合う。

 ポタリ、もう限界だった。

「だって仕方がないじゃないですか……! 私がいると、みんなを危険な目に遭わせてしまうんですから! 巻き込みたくないんですよ! 私のせいで誰かが傷つくところなんてもう見たくない。私が身を引いてそれで丸く収まるのならそれでいい」

 堰を切ったように流れ出るレイラの言葉を、少し驚きつつもルカとサラは真摯に受け止める。

 サラは肩で息をするレイラの背を撫で、何度か頷く。

 話してくれて、ありがとうと。

 そしてルカが訊き返す。

「──本当にそれでいいの?」

 数秒間をおいて、言葉を紡ぐ。

「丸く収まると言うけれど、レイラの気持ちはどうなるの? 身を引くって、この屋敷で暮らすってこと? それはルイ王子を諦めるということでしょう? これから先、ルイ王子の隣にいるのはレイラじゃないってことなのよ? 病める時も健やかなるときも、ルイ王子の隣で一緒に苦楽を共にするのはレイラじゃない。ねぇ、レイラ。レイラは何のためにタリアテッレ王国に来たの? ルイ王子と一緒にいるためじゃないの? 王子と抱きしめ合ったりキスしたり、そういう恋人だけに許される触れ合いが他の人のものになってしまうのよ。自分以外の人間が王子の恋人になるだなんて、そんなの、レイラは許せるの?」

「……っ」

 短く息を吸い、レイラは言葉に詰まる。

「これだけは言わせて。もしあんたが誰かのために身を引こうとしているなら、それは優しさでも愛でもない。ただのエゴだよ。だってルイ王子が好きなのはあんたなんだから。ルイ王子ね、あんたがいなくなってから必死だよ。あんたと一緒に生きる道を探すために一生懸命頑張ってる。それなのにあんたは、その思いに応えようとは思わないの? いまレイラがしているのは、ただすべてから目を背けて逃げているだけじゃない。そりゃそうよね、誰かと共に生きるのは茨の道だもの。身を引く方が簡単よね」

「──簡単?」

 言葉の棘が耳に引っ掛かる。

 感情を上手く抑えられない。

「簡単なわけないじゃないですか! 私がどれだけ悩んで、葛藤しているか知らないくせに……!!」

 思わず声を荒げてしまう。

 悔しくて涙目に力が籠る。

「知るわけないじゃない!! そんなもの!」

 レイラの訴えをルカは突っ返す。

 怒鳴っているルカまで涙目だ。

「分かるわけないのよ! どれだけ知りたいと願っても、私はレイラじゃないんだから!」

 ルカは俯いて一つ息を吐く。

 レイラの横に腰を下ろし、レイラの手をそっと包む。

 言葉とは裏腹に、優しい手つき。

 レイラの様子を見て、ゆっくりと語りかける。

「でもね、レイラ、どれだけ悩もうと、その顔がもう答えなんだと思うよ。そうやって叫んで、泣くほど嫌、ってことじゃない。自分の気持ちに蓋をすると、後で取り返しのつかないことになる。自分を偽って選んだ正解は、結局見せかけの正しさにすぎないから。後になって、自分の選択を後悔して苦しむんだよ。私には分かる。私なんて、レイラ以上に低俗な身分なのに、レイラより長いことリカルド様のことが好きなんだもの。大切にされていることが伝わってくればくるほど苦しくて、何度《リカルド様のため》と言い聞かせて身を引こうとしたことか……」

 手を組み合わせて吐露するルカの、細くて長い睫毛をレイラは眺めていた。

「でもその度に引き戻された。きっとあんたもおんなじよ。初めて会った頃、あんたのこと毛嫌いしてたのは私と似ていたからだって言ったわよね。昔の自分を見ているみたいで辛かったって。でもね、同時に嬉しくもあったのよ。そう、柄にもなく、嬉しかったんだわ。私と同じ苦しみの中で戦っている子がいるんだって。一人じゃない、私も頑張りたい、って、そう思った。だからさ、レイラ。自分がルイ王子にふさわしくないなんて、あんただけは言わないでいてよ。身を引こうなんて考えないで。私のリカルド様に対する気持ちを笑わないでいてくれたあんたが、ルイ王子にふさわしくないなんてあり得ないんだから」

 レイラは顔を上げることができなかった。

 涙で顔がぐしゃぐしゃだったから。

 手元にあったティッシュを持ち、サラがレイラの隣に腰を下ろす。

 そして足を組んで肘をつき、足跡の上を辿って歩くようにゆっくりと口を開く。

「私はレイラが、母様、ってうなされていたのが、ずっと気がかりだったんだよね。私も大事な人を失った経験があるから……」

 レイラは会釈してティッシュを受け取り、鼻をかむ。

 もう一枚とって涙を拭きとり、サラに顔を向ける。

「私ね、一時期、自分には幸せになる資格はないんだって思っていたの。これから先、私の人生はユタを救えなかった償いと、ユタの夢を代わりに叶えるためだけにあるんだって。それ以外の生き方は許されないと、疑いもせず生きてきた。でも、あるとき気づいたんだ。『この夢に生かされて、私はいま、ここにいる』って。いつの間にかユタと見た夢は、償いや身代わりなんかじゃなく、それを超えて自分自身を生きるために欠かせないものになっていたんだよ。レイラにとってそれがルイ王子との未来なら、簡単に手放しちゃいけない。だってそれは、レイラを苦しめるものではなく、挫けそうになったとき、レイラを奮い立たせてくれるもののはずだから。レイラは間違ってるよ。レイラがすべきなのはレイラのお母さんを殺めたやつらと戦うことで、責任を感じることじゃない。大丈夫、戦うと決めて腹さえくくれば、大抵のことは乗り越えられるさ。なによりレイラは一人じゃないじゃない。私たちがいるんだから」

 ねぇ? とルカに目で問いかける。

「そうよ。戦うと言って。私も一緒に戦うから」

「一緒に……」

 バシッとルカがレイラの背中を叩く。

「いい加減頼りなさいよ。仲間でしょう?」

 ルカの言葉にサラも頷く。

「だいたいあんたねぇ、仲間のピンチに駆けつけない人間がどこにいんのよ。仲間の一大事に蚊帳の外なんてごめんなんだからね」

 ほんとほんと、とサラが笑って続ける。

「私たちはそれを伝えたくてここに来たんだ。戦うなら加勢するって。レイラのためならなんでもするってね。私たちにできることがあれば、どんな小さなことでも教えてほしい」

「サラさん、ルカさん……」

 こんなやさしい温もり、知らない。

 再び涙がこみあげてきて、ありがとうございます、という言葉は、ところどころひっくり返ってしまったけれど、ちゃんと伝わったに違いない。

 ──と。

 屋敷の外で馬のいななく声がする。

 執事たちが客人を出迎えているのか、門の方が少し騒がしい。

「おや、誰か来たみたいだね」

 サラが立ち上がり、窓から外の門を見る。

 そしてにっこり笑顔で振り返る。

「レイラ! 王子様のお出迎えだよ」

「えっ……、」

「もう来たんだ。早いじゃん」驚きを隠せないレイラの横で、ルカが意外そうに言う。

「ほんとだね」とサラも笑う中、レイラだけが状況を飲み込めない。

「よっぽどレイラのことが気がかりだったんだろうね。予定ではレイラのところへ来るのは一週間後になりそうだとか言っていたのに。まったくどれだけの速さで仕事を終わらせたんだか」

「それは、……邪魔しちゃ悪いわね」

 ルカが立ち上がる。

「そうだね」

「それじゃ私たちは、先に帰るとしましょうか」

「え、ちょ、帰っちゃうんですか」

 ルカとサラは顔を見合わせ「だって用は済んだしね」と。

「とにかく早く帰っておいで。みんな待っているから」

 笑顔で手を振るサラに、レイラは頷くが心の準備ができていない。

 二人に励まされて、もう自分の心を偽ってまでこの屋敷にいようとは思わないけれど、ルイに何をどう伝えたらいいのか……。

 レイラの頭は静かにパニックに陥る。

 すると、サラと一緒に部屋を出て行こうとしていたルカが、不意に何かを思い出したように振り返り、戻ってくる。

 レイラの前にかがみ込み、耳元で囁く。

「そうだ、一つ助言をしてあげる。いい? ──怖くても、とにかく自分の気持ちを正直に伝えること。不格好でも不器用でも構わない。難しく考えず心のままに」

 私も人のこと言えないけれど、とルカは肩をすくめる。

「言葉に詰まっても大丈夫。ルイ王子なら、きっとちゃんと聞いてくれるから。自分の言葉で、ゆっくりね」

 レイラは頷き、頭を下げて二人のことを見送った。

 (自分の気持ちを、正直に……)

 しなやかな足取りで後ろ手にひらひらと手を振るルカは、やはり猫のようだった。



  *     *     *



 どうしよう。

 『自分の気持ちを正直に』なんてルカは言っていたけれど、そんなこと、慣れていないのにできるだろうか。

 そわそわして立ち上がり、無意味に部屋をうろついてしまう。

 ずっと、心は邪魔だと思っていた。

 押し殺して見えないふりをして生きてきた。

 そうやってやり過ごしてきてしまったから、『自分の気持ちを正直に』が分からない。


「レイラ!!」


 バン!!と勢いよく扉が開き、びくっとレイラの肩が跳ねる。

「ルイ」

 思わず後ずさるが、そうしようとしたところで後ろはベッド。

 逃げ場などない。

 こちらへ迫ってくるルイの気迫に押され、じりじりと後ずさるが、ついにかかとがベッドに当たり座り込みそうになる。

 しかしそうならなかったのは、ルイが後ろ手でレイラの腰を支え、自分の方へ引き寄せたからだった。

 久しぶりに見る端正な顔立ちが鼻先に近づき、レイラの心臓はバクバクと早鐘を打つ。

「会いたかったよ、レイラ」

 艶っぽい声に、耳がピクリと反応する。

 ルイは少し顔を離し、レイラをじっと見る。

「ごめんね。両親のこととか、色々なことが分かってきっと混乱しているよね。それにあれだけ酷い目に遭わせてしまったんだ、出て行かれてしまっても仕方がないのかもしれない。でも君がいなくなってしまってから、僕がどんな気持ちでいたか分かる?」

 哀し気な顔で見つめられ、動揺する。

「リア様に叱られたよ。『好きな女の子を危険な目に遭わせるなんてあり得ない』って。本当、その通りだと思う。これまで必死で自分にできることをしているつもりだったけど、君が去ってから僕は、本当にするべきことは他にあったんじゃないかって、反省する毎日だった。君のことを大切にしたかったのに、結局はすべて僕の独りよがりで、大切にできていなかったんじゃないかって。嫌われるのも無理ないよなって……」

 ──嫌われる?

 ──私に?

 ルイはレイラの手を取り撫でる。

「それでもね、レイラ。僕は君との未来を諦めたくない。諦められるわけがないんだ。だから迎えに来たよ。一緒に帰ろう」

「……」

 言わなきゃ。私も、自分の気持ち。

「もう一度だけ、チャンスをくれないか」

 言いたいのに、言葉が上手く出てこない。

「……」

 耳を赤くしたまま固まっているレイラを、ルイは心配そうに覗き込む。

 自信なさげな表情で問いかける。

「……僕とは口もききたくない? 顔を見るのも嫌?」

 まるで捨てられた子犬みたい。

 演技ではなく、本当に不安なのだと伝わってくる。

 こんなにも『違う』と思っているのに、どうして声にならないの。

 黙っていたら、嫌われたと勘違されたままになってしまう。

 そんなの嫌。

 少し傷ついた様子で、ルイは

「本当に紳士的な人間なら、たとえそれが『離れたい』という要望でも、君の意志を尊重するのだろうね。……分かっている。これは僕のわがままだ。──だけどごめんレイラ、僕には無理だ。他の願いならなんだって叶えてみせる。でも手放すことだけはできない。それだけは聞いてあげられない。だからね、代わりに誓うことにしたよ。僕のわがままを振りかざす代わりに、これから君にさせる選択を、絶対に後悔させないと」

 力強く言うくせに、ルイは無理やりレイラに触れようとも、連れて行こうともしない。

 呆れられても、レイラとの未来を諦められないのだと。

 実直に胸の内を吐露しながら。

 ルイだって、傷つくのは怖いはずなのに。

「僕のことが嫌いでも構わない。それでも側にいてほしい」

 こんなにも真っすぐに、本音でぶつかってくれているのに、私は何を怖がっているのだろう。

 レイラはきゅっと唇を閉じる。

 それでも尚、言葉が(つか)えるのがもどかしくて、自分を縛る鎖を振りほどくように、気づけば思い切りルイの胸に飛び込んでいた。

 抱き着くというにはしがみついているのに近かったかもしれない。

 言葉では表しきれない、熱量がしたことだった。

 驚いたようにルイはレイラの名を呼んだけど、その腕はしっかりとレイラの身体を抱き留めていた。

 全身で表した言葉の中で、レイラは深く息を吸う。

 この腕の中で迷いはない。

 何にも代えがたいと思う。

 覚悟なら、とっくに決まっていた。

「好き」

「……え?」

 すとんと零れ落ちた言葉。

 澄み切っていて混じりけのない、純粋な心の言葉(けっしょう)

「ルイ」

 名前を呼んで、顔を離し、真っすぐに瞳を見つめる。

「私、ルイのことが好き。ずっとルイの側にいたい。ルイと結婚したい」

 やっと、言えた。 

 心の言葉を、そのままに。

 どうしてだろう。

 私、いま生きている、って泣き出しそう。

 こんな気持ち、初めてだ。

 言葉では昇華しきれない熱の欠片かけらが、涙となって溢れ出る。

 すると、どうしたの、と。

 泣かないで、と。

 戸惑いがちなルイの手が、そっとレイラの頬に伸びてきて、瞳から零れる雫を拭いとる。

「良かった。僕のこと、嫌いになったのかと……」

 ルイは目じりに皺を寄せて微笑む。

「違うわ、守りたかったの。遠ざけて危害が加わらないようにしたかった。でも、そんなことをしても、私の心はずっとルイを求めていた。離れるなんて無理だったのよ」

 レイラは涙を拭ってくれるルイの手を両手で包む。

「私、ルイと一緒にいるためなら戦える。ルイが私を守るために戦ってくれるなら、私だってそうするわ。自分の気持ちに正直に生きると決めたの。どんなことがあっても、最後まで」

 包み込んだ手に力を込めて、決意の固まった爛漫(らんまん)とした瞳で。

 確認するが如く、小さく頷きながら。

 レイラの瞳に宿る炎がルイの瞳を揺らし、ルイはぎゅっとレイラを抱きしめる。

 髪を撫で、頬を寄せ、そっと耳にキスを落とす。

「愛してる、レイラ。僕も一緒に戦うよ」

 レイラは肩口から息を吸い、大好きな人の香りに満たされた心地良さに身を委ね、背中に手を回す。

「──帰りたい。ルイのところに。私の居場所に」

 顔を離して見つめれば、どちらからともなく瞼を閉じ、唇を寄せ合う。

 唇から伝わる熱量が、腰を引き寄せる手に籠る力が、首に回している自分の腕が、もう止められないと言っている。


 外で木々を揺らす秋風の哀愁は影を潜め、このときばかりは二人を違う世界に匿うように、静かに靡いているのだった。



 *     *     *


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