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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
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アントルメの裏側で

 狩りから戻ると、すぐにリアとミアが駆け寄ってきて、どこか遠慮がちにレイラに声をかけた。

「レイラちゃん、その……、なんというか、ジャスミンから聞いたわ。婚約のこと。でも信じられなくて。しばらく会わないうちに、こんなことになっていただなんて……」

 言葉に詰まるリアに、レイラは困ったように眉を下げた。

「良いんです、そのことはもう。仕方のないことなんです」

 そんな、とリアは顔を歪める。

 物分かりの良いふりをしつつ、しかし『仕方がない』という言葉は表面的で、心からそう思っているわけではないのだった。


 『愛しているのは君だけだ』

 『君以外の女性と結婚するなんてありえない』


 先ほどそう言ってくれたルイの言葉を、心のどこかで信じている自分がいる。

 だから口ではどうとでも言える。

 ルイと結ばれる未来はないと、本当に認めていたら、身を引くなんてあまりに辛くて口にできない。

 そんなこと、言おうとするだけで胸が塞いで、声になる前に泣き崩れてしまうから。

 しかしそんなレイラの心の内を知らないリアにとって、レイラの返事は酷く気落ちして聞こえたかもしれない。

「レイラ……」

 ミアまで何か言いたそうな顔をしている。

 リアはいたたまれなくなった様子でレイラの肩を抱き寄せ、まるで悲しい気持ちを引き受けようとするように頬を寄せる。

「良ければ私の屋敷にいらっしゃい。無理してここにいることないわ。いつでも来て構わないから」

 心配そうに顔を覗き込み、念を押す。

「本当に、いつでも歓迎するわ」

 少し前まで、どこを見ても冷たいだけの世界だったのに。

「……ありがとうございます」

 差し出された優しさに感謝して、レイラはリアに深く頭を下げる。

「私にはもったいないお心遣い、感謝いたします」

 柔らかな表情でお礼を述べつつ、しかし彼女の心遣いにあやかるわけにはいかないと、レイラは決意を固めつつあった。


 『君のお母さまのことを……』


 ソフィアに遮られる前、確かにルイはそう言っていた。


 どうしてルイは、母様のことを口に出したりしたのだろう。

 ルイが調べていた足取りを追えば、あのとき言おうとしていたことが分かるかもしれない。


 (ルイが狙われている理由についても、なにかヒントを得られるかもしれないし)


 そうとなれば一刻も早く屋敷に戻って調査を始めたい。

 リアに向き直り、覚悟を決めて告げる。


「リア様がおっしゃる通り、逃げ出したい気持ちがないわけではありませんが、どうやら私にはまだ、ここでやらなくてはならないことがあるようです」



 *     *     * 



 狩りから戻った陛下たちは、帰りを待ち詫びていた貴婦人たちと食事を嗜み、やがて食事の箸休めとして、アントルメが始まった。

 貴婦人たちの歓声や拍手、指笛などに包まれ、腰を上げたのは、宮廷お抱えの吟遊詩人やリア、ジャスミン、ルイだった。

 リアとジャスミンはバイオリンを手に立ち上がり、ルイは末広がりのカーブが美しい、変わった形の角笛を手に楽器隊の中へ入る。

 食事の手を止めて、演奏を聞く態勢に入っている貴族たちの後ろで、レイラも居住まいを正す。

 目配せしてタイミングを計った後、ルイの角笛を合図に一斉に演奏が始まった。

 ルイが奏でる角笛からは、クラッシックではあまり耳にしない珍しい音がした。

 アルプスの自然を彷彿とさせる民族らしい響き。

 その独特な音色は吟遊詩人の唄声と良く合っていて、そこにバイオリンの音色がなじむのが不思議だった。

 さすがにこの湖畔にピアノを持ち運ぶことはできないから、どうやって演奏に参加するのだろうと思ってはいたけれど、なるほど、ルイの演奏技術はピアノだけに発揮されるわけではないらしい。

 どんな楽器でも、場所でも、音楽を楽しむ術を知っている。

 もしかしたら他にも、レイラの知らない、見たこともない楽器を演奏できるのかもしれない。

 演奏が終わり、自然と拍手が沸き起こる。

 レイラの胸の中では、音楽への純粋な賛辞と羨望、そして自分はあの輪の中に入れないのだという切なさとが一様にせめぎ合っていた。


 ──と、ソフィアがレイラに耳打ちする。

「レイラ、悪いんだけど、少し馬の様子を見てきてくれる? それで、ジャスミン嬢の馬にこの栄養剤をあげてきて」

 拍手を止め、ソフィアの顔を見る。

「……栄養剤? 王女様の馬に、私が、ですか」

「ええ」

 いいのだろうか。

 自分などがジャスミン嬢の馬に勝手にそんなことをして。

 彼女の馬の管理はあちらの国の護衛が請け負っているはず。

 許可を得ず手を出すのはいかがなものかと思い、訝しい気に眉を顰めると、ソフィアは先回りして言い訳をするように、「向こうの人に栄養剤が欲しいと頼まれたのよ。もちろん、頼まれたのは私だから、私が行ってきてもいいんだけど、レイラはピクニックに来たの、初めてでしょう? 交流もできるし、勉強になる良い機会だと思って。これを持って行くだけでいいの。行けばロゼッタ王国の護衛がいるはずだから、その人の指示に従って」

 そういうことなら、とレイラは頷き、手渡された小さなカプセルをポケットにしまった。

 演奏に集中している集団からそっと離れ、林の中の、馬たちを繋ぎ止めてきた場所へ向かう。

 到着すると、 馬たちは林の中の木陰で、おとなしく腰を折り静かに休んでいた。

「お前たちは賢いね」

 レイラは呟く。

 どの馬もちゃんと木陰の涼しい場所に寝そべっている。

 その馬の中からジャスミン嬢の馬はすぐに見つかった。

 白い毛並みが美しい、少し小柄な馬がそれだ。

 ジャスミン嬢の馬にはウエスタン鞍が付けられていて、鞍の横腹に当たる部分には繊細な刺繍が施されている。

「綺麗な紋章」

 確かロゼッタ王国の紋章は国花をモチーフにしていて、王族が身に着けている衣服や王冠、王剣、楽器、食器、アクセサリーなど、あらゆるものに刻まれていた。

 静かに呼吸をしているジャスミン嬢の馬に近づき、そっとその紋章を撫でれば、馬はくすぐったそうに目を細め、まるで挨拶でもするように尾を一度だけ振った。

 動物は好きだ。

 レイラは目を細め、爪で優しく掻くように頬から首にかけて撫でてやる。

 思ったより友好的な態度を示してくれるのを嬉しく思いつつ、このまま栄養剤を与えられそうだと思ったが、先ほどからあたりを見回してみても、護衛の姿が見当たらない。

 『護衛の人がいるから』とソフィアは言っていたのに。

 どういうことだろう。

 レイラは首をかしげる。

 レイラの表情が曇るのを感じ取ってか、馬がくしゃみをするように顔を振る。

 その刹那。

「──っ!!」

 不意に茂みの奥に人の気配を感じ、馬の右後方を見やる。

 目を細くしてじっと目を凝らすが、人の姿はない。

「……誰かいますか?」

 気配がした方向に向かって声をかけてみるも、誰からも返事は返ってこない。

 風の音すらしない、静かな空間が広がるだけ。

「……」

 勘違いか、と思い始めたその時、

「そこで何をしているんだい?」

 不意に後ろから声をかけられ、《びくり》と肩が飛び上がる。

 勢いよく振り返れば、そこにいたのは、陽の光で透ける銀髪が美しい──。

「ルイ」

 驚きに息を飲んだのも束の間、

「待って! ルイ様!!」

 ルイの肩口から、息を切らしてジャスミン嬢が駆けてくるのが見える。

「演奏の途中でしたのに、いったいどこへ……」

 そこまで言って、ルイの先にレイラがいるのに気が付いたようだった。

 まぁ、と目を見開き、片目を吊り上げる。

「あなた、そこで何をしていらっしゃるの?」

 レイラに詰め寄りながら、レイラの側に佇むのが自分の愛馬だと気づく。

「ちょっと! 人の愛馬に勝手に何をしているのよ! エルダは私の愛馬よ。私の大事なエルダに何か御用?」

 まるで人さらいから子供を守る母親のごとく、ものすごい剣幕で馬に駆け寄る。

 庇うように()()()に手を伸ばし、レイラを鋭く睨む。

「いや、あの、私は……」

 どう説明しよう、とレイラが口ごもると、ここぞとばかりに

「それとも、あなたが用があったのはエルダではないのかしら?」

 挑戦的な視線を向けられる。

 レイラはただ事実を述べる。

「いえ、あの、違うんです。私はただ、ジャスミン様の馬に栄養剤を持って行くよう言付かりまして……」

「栄養剤?」

 ジャスミンは怪訝そうに眉をひそめる。

「はい。ジャスミン様の馬の管理をしている護衛の方に渡すよう言われてきたのですが、その方が見当たらなくて……」

「それは変ね。エルダは私が面倒を見て管理しているから、そんな人間いないけど。……それとも、そんな下手な嘘をついてまで、ルイ様と話がしたかったということかしら?」

「違います! 私はただ、本当に……。ルイ王子は関係ありません」

 焦って弁明するレイラ。

 ルイの目がわずかに(かげ)るのに気づかない。

「本当ですの? ルイ様。ルイ様はどうしてここへ?」

「僕は馬たちの様子を窺いに来ただけですよ、ジャスミン様。もうピクニックも終わりに近づいてきましたから、皆さんが手際良く帰れるように」

 ルイは淡々と答えた。

「……そうですか。私たちのことも馬たちのことも気遣ってくださるなんて、本当、ルイ様はお優しいのですね」

 不服そうにそう返すジャスミンの視線は、あくまでレイラを捉えていた。

「まぁいいわ、これ以上は聞かないでおいてあげる。貸して、その栄養剤。確かにエルダはこの頃食欲がなくて、栄養不足気味だったから」

 言われてレイラはポケットからカプセルを取り出す。

「どうも」

 ジャスミンはカプセルを受け取り、しゃがみ込んでエルダに与える。

 その様子を盗み見ていたら、不意に顔を上げたジャスミンと視線がかち合ってしまう。

「なによ」

 喧嘩腰に言われ、レイラはへりくだる。

「すみません。──その、紋章が。綺麗だなぁと思いまして」

「あぁ、これ? これはチグリジアの花の紋章でしてよ」

 ジャスミンの表情が少し和らぐ。

 まんざらでもなさそうに馬具を撫でる。

「ロゼッタ王国の紋章は、母様の大好きな花の紋章ですの。チグリジアは別名をタイガーリリーと言って、とても珍しい花なのよ。花言葉は──」

 ジャスミンが花言葉を云おうとした、そのとき!!

「……きゃあっ!! なに!?」

 突然馬が暴れ出した。

 理由は分からないが、前足を高く蹴り上げて興奮している。

 手綱がきしみ、馬の身体を締め付ける。

 いななく声がひどく苦しそうだ。

 馬に視線を奪われて、だからレイラは茂みに潜む影に気づかない。

 暴れる馬の側にジャスミンとレイラがいる中で、本能的にルイの身体が動く。

 一番大切なものを守ろうと、その腕は脇目も降らずレイラに伸ばされていた。


 ──パァ! パァァン!!


 混沌とした空間で、銃声が上がる。

 ルイは音が聞こえる直前に、茂みの中に光る銃口を視界に捉えていた。

 それがレイラに向けられているのに気づき、さらに力強くレイラを腕の中に引き抱き込んだ。

 レイラを庇うように銃口に背を向ける。

 しかし自分の背中に的中すると思ったその弾丸は、どういうわけか腕をかすめるに留まった。

 一方で抱き抱えられた腕の中、レイラはルイが捉えたのとは違う方向に煙が上がるのを見た。

 レイラの耳に、銃声は二つ重なって聞こえた。

 おそらく自分からは死角の方向に潜んでいた誰かが発砲し、抱き込まれたとき見た方向にいた誰かが、最初の弾の軌道を逸らすために発砲したのだ。

 おかげで弾の軌道は逸れ、ルイは重傷を負わずに済んだ。

 頭の中で、それが一体何を意味するのか、理解しようと働きかけるのに、記憶の破片がそれを阻む。

「──母様」

 不意に、自分を庇って死んだ母の姿が蘇る。

 ルイの姿が、母の最期の姿と重なる。

 あの日も確か、こんな風に母様が──。

 《あの日──?》

 (どうしていま……)

 記憶の波が押し寄せる。

「いや……」

 あのとき母様は額から血を流し、レイラに向かって何か言った。

 次の瞬間、背後から撃たれ、鮮血が弾け散る。

 ボタボタと、雨というには重たいそれが、レイラの顔や服に飛ぶ。

「ぃやぁぁああああ!!」

 たまらず叫ぶ。

 喉が渇いて息ができない。

 反射的にフラッシュバックした記憶に飲まれ、レイラは意識を手放した。



 *     *     * 


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