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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
20/31

嵐の前の

 一通りメイドの仕事を終えたレイラは、ルイの部屋を退出し、メイド服を着替え、仲間が待つ護衛隊の会議室へ戻った。

 扉を開くと、ルカが「どうだった?」と心配そうに訊いてくる。

「はい。ルイ王子はソフィアさんの言う通り眠っていました。ジャスミン嬢が付き添っていたのですが──」

 レイラはことの一部始終を話した。

「何よルカ、その満足そうな顔は」

 サラに指摘され、腕を組むルカ。

「別にぃ? ルイ王子、レイラのこと本当に好きなんだなぁと思って。無意識下でまで本音は隠せないものよ。まぁ、私は初めから大丈夫って思っていたけど」

「よく言うわ」サラはルカの言葉を一蹴し、ソフィアもクスリと笑う。 

「レイラが泣いて帰ってきたら、ルイ王子のところに乗り込んでやるって意気込んでいたくせに」

「ちょ……! それは、ジャスミン嬢への当てつけであって……、べつに心配してたわけじゃないというか……」

 ごにょごにょと口ごもるルカに、レイラは「ありがとうございます」とお礼を言う。

「だから違うんだって! ……まぁ、いいんだけどさ」


 (ジャスミン嬢が泣いていたことは、私だけの秘密にしておこう)


 ルイが自分の名前を呼んでくれたことなどは恥ずかしくても話せたのに、そのことだけは言えなかった。



 *     *     *



「さて、みんなちょっといいかしら、話があるの」

 会議室でレイラがルイの様子を伝えたあと、今度はソフィアが「話がある」と、皆を席に着かせた。

 ソフィアから言い渡されたのは、ジャスミン嬢やルイを含む、ロゼッタ王国王室一同と、タリアテッレ王国王室一同が一緒にお忍びでピクニックに行くというものだった。

「そのピクニックの護衛として、私たちも同行することになった」

「……ピクニック、なんて暢気なものね」

 頬杖をつき、ルカが嫌味っぽく独りごちる。

 そういえば、あのモートン卿も、休暇が出来るとリア様とピクニックに出かけていたことがあったっけ、とレイラは思い出す。

 しかしレイラは人が出払った屋敷の警備を任されていたから、ピクニックに同行したことがない。

 だから貴族の行うピクニックがどのようなものか、まるで知らなかった。

「《ピクニック》って、具体的に何をするんですか?」

 レイラの質問に、「あんた知らないの?」と面倒くさそうにルカが答える。

「別に大したことはしないわよ。貴婦人や令嬢にとってはサロンでしているおしゃべりを、外でするみたいなものね。まぁ、違うのは男性が乗馬をしたり、鷹狩をしたりするってとこかしら」

「乗馬や鷹狩……」

「貴族っていうのは面倒でね、ノブレスオブリージュ(高貴たるものの義務)を守らなくてはならないの。乗馬や鷹狩もその一つ。ただ単に貴族の嗜みというだけでなく、権力を誇示する場でもあるのよ」

「なるほど」

 レイラが頷いていると、サラが口を挟む。

「それにあれもあるよね、アントルメ! ルイ様の場合、そっちがメインなんじゃないかな」

「アントルメ?」

 首を傾げれば、サラは頷く。

「料理と料理の間にね、会話を円滑にするために楽器の演奏を挟むのよ。屋敷専属の宮廷歌人が同行して、彼らが作詞作曲した曲や大道芸人の芸当を披露するの。貴族たちはそれを鑑賞しながら食事を楽しむ。彼らのような吟遊詩人のことをジョングルールと呼ぶんだけど、ルイ王子はジョングルールと一緒に音楽の生演奏をするのが好きだそうよ」

「へぇ、そうなんですか」

 ソフィアが咳払いをして、話を進める。

「それで、今話に出ていた乗馬と鷹狩だけど、それに私たちも同行する。もちろんアントルメ含み、お食事中の警護も私たちの役割よ。ただしサラ。あなたには役人の仕事を優先してほしいからここに残ってもらう。それとルカも」

「どうしてよ」

 ルカは腰を浮かせ、口を尖らせる。

「今回は内密に行うピクニックで、王族以外で招かれた貴族はごわずか。護衛もできるだけ数を絞り、目立たないよう少数精鋭で行くことになっているの。各部隊から数人優れた人材を配属してね。そういうわけだから、悪いけど、今回は戦闘能力の高いレイラに来てもらうことにしたわ。それにね、ルカ、今回も第一王子だけはお忙しくて不参加なの。どうやら他国との商談で手こずっていて、交渉材料を欲しがっているみたい。有益な情報が必要らしくて。情報収集はルカの得意分野でしょう? 助けてあげてくれない?」

 ルカは尖らせていた口をすぼめ、浮かせていた腰を下ろす。

「……、まぁ、そういうことなら」

「それともう一つ、ピクニックには客人が来ることになっている」

 サラが訊き返えす。

「客人? ジャスミン嬢だけじゃなくて?」

「そう」

「誰が来るの?」

「それは──、」

 思いがけない名前に、レイラの背筋がピンっと伸びた。



 *     *     *



 ピクニック当日は、不穏な国の気配を写し取ったかのような薄曇りで、お世辞にも《ピクニック日和》とはいえなかった。

 ジャスミン嬢もどこか気落ちした様子で馬車に乗り込む。

 ピクニックという、気の抜けた響きに似つかず、王族も、護衛陣もどこか気を張っており、蟻の這い出る隙もない物々しさを肌で感じた。

 目的地の湖畔に着くまで、あまり馬車内の雰囲気は良くなかった。

 しかしそんな中、レイラの胸は心なしか跳ねていた。

 それもそのはず。


「レイラちゃん!」


 日ごろタリアテッレ国王の王族が乗馬や鷹狩を楽しんでいるというその湖畔には、先に例の《客人》が到着していた。


「リア様!! ミア!!」


 二人の姿を視界に捉えた途端、自然とレイラの頬はほころび、駆け寄りたくて体が疼く。

 しかしルイの側を離れるわけにいかず、その衝動をどうにか抑え込む。

 遠目に深く頭を下げるにとどまった。

「僕は大丈夫だから、行っておいで」

 察してルイが耳打ちする。

「でも……、」と口ごもると、リアとミアの方から駆け寄ってきてくれる。

 喜びの衝動をこらえきれない様子でリアは駆けてきて、その勢いのままレイラを抱きしめた。

 少しして体を離し、しみじみと顔を覗き込む。

「久しぶりね、レイラちゃん」

「はい、お久しぶりです。リア様」

 リアはレイラの頬を両手で包み込み、「元気にしてた?」と微笑む。

「はい、元気です。お二人は」

「この通り、私もミアちゃんも元気よ」

 リアの横でミアが笑顔で頷く。

「ミアちゃん、さらに可愛くなったでしょう? 良く働いてくれているのよ」

 嬉しそうにミアははにかむ。

「少しでも恩返しができていれば良いのですが。今の私があるのはリア様とレイラのおかげなので。本当、感謝してもしきれません」

 リアの横に立つミアはもう、修道院の頃のボロボロなミアでも、モートン卿のところにいたころのやつれたミアでもなかった。

 召使い、というには娘らしく、綺麗なドレスを着て、華奢なのはあいかわらずだけれど健康的な体つきで、可愛らしい笑顔には幸せが宿っていた。

 良かった、とレイラは心から安堵する。

 こちらに来てからずっと張りつめっぱなしだった気が少し緩む。

 (……参ったな)

 目頭が熱くなりレイラは戸惑う。

 髪を払うふりをしてさりげなく目元を拭い、「良かった」と微笑み返す。

 先日話に上がっていた、ジャスミン嬢の他にピクニックに招かれた客人というのはリアのことだった。

 リアに同行してミアも来ているが、こちらも同行者は最低限に絞られているらしく、ミア以外の同行者は護衛の者が数名いるだけだった。

 聞けばどうやら、リアはジャスミン嬢とコンサートを共に行うバイオリン仲間らしく、親しい間柄にあるそうで、ジャスミン嬢の誘いで今回一緒にピクニックをするに至ったらしい。


「……それにしても驚きました。まさかジャスミン嬢とリア様がお知り合いだったなんて」

 そうなのよ、とリアは頷いた。

「ジャスミンは古くからの友人なの。子どものころから顔を合わせてきた幼馴染だけど、ライバルでもあるわね。レイラちゃんは、彼女のバイオリンはもう聞いた? 繊細なのにダイナミックで引き込まれるのよ。彼女、譜面の解釈が緻密でね。あれでいて勉強家なの。譜面を通して描かれるストーリーや感情を理解しているからあんな演奏ができるのでしょうね。まぁ、技術面で負けるつもりはないけれど、演奏家として認めているアーティストの一人よ」

「そうなんですね」と、返事をしたのも束の間、

「リア!! 来てたのね!!」

 ジャスミン嬢の横やりが入る。

 彼女が駆け寄ってくるので、レイラはリアから距離を取らざるを得なかった。

「ジャスミン! 久しぶりね」

 リアは笑顔でジャスミンに向き直り、握手を交わす。

 本当に仲が良いのだなと、その様子を眺めていれば、「レイラ! 行くわよ」とソフィアに呼ばれる。

「はい!」

 大きな声で返事をする。

 名残惜しい気もしたが、遊びに来たわけではないのだから仕方がない。

「すみません、仕事に戻ります」とリアに頭を下げ、ソフィアがいる方へ走る。

 持ち場に戻れば、いつの間にかルイだけでなく王族、貴族の男性陣は狩りの準備を済ませており、もう出発するところだった。

 レイラは慌てて馬に乗りルイの後ろに着く。 

 全員の準備が整ったのを確認すると、タリアテッレ国王は振り返り、一声かける。

「それではご婦人方、行って参る」

 陛下の言葉に、両国の女性陣が一同にお辞儀を返す。

「行ってらっしゃいませ!」

 狩りに行くのは男だけ。

 女は男が獲物を捕らえて戻るのを、食事の支度をして待つのがしきたりだ。

 ピクニックというのはそういうものらしい。



 *     *     * 



 狩りのポイントに到着すると、陛下たちは馬を下り、近くの木々に手綱を結んで固定した。

 そして慣れた手つきで皮の保護具を腕に着け、連れてきた鷲を腕に乗せる。

 どうやって訓練しているのか、鷲は従順で賢く、外に出たからといって勝手に飛び回ったりしなかった。

 差し出された腕へ大人しく飛び乗り、指示が出されるのを待っている。

 そして言い聞かせるように空へ放たれて初めて、その雄大な翼を広げるのだった。

 (ちゃんと帰ってくるのかしら……)

 大空を舞う鷲の姿が、少しずつ小さくなっていくのを目で追いながら、レイラは間近で見た翼の美しさにすっかり魅入られていた。

 鷲を見るのは初めてだ。

 その姿は神々しくて、新鮮で。

 貴族の嗜みであるという鷹狩りは、見ているだけでも十分に愉しめるものだった。

 ひとしきり鷲の荘厳さに感動していると、夢中で狩りに興じている国王たちの傍らで、ルイの様子が他と違うのに気が付いた。

 遠目に観察してみると、籠から鷲を出し腕に乗せてはいるものの、一向に空へ放つ気配がない。

 じっと鷲を正面から見つめ、身体を確認している。

 装具を着けていない方の手で鷲の翼を撫でたり、首筋を撫でたりを繰り返す。

 何をしているのか気になって、歩み寄り、気づけば声をかけていた。

「何をしているんですか」

 聞いてから、声をかけてしまったことに唾を飲む。

 そんなレイラの懸念をよそに、ルイはいたって《普通に》答える。

「体調を見ていたんだ。こいつ、数カ月前は翼の羽が酷く折れていたんだよ。天敵にやられたのか、ぶつかったのか、ひどい怪我をしていてね。地面に落ちて動けずにいるところを見つけて、持ち帰って獣医に見てもらったんだ。……本当は、翼はもう治っているから自由に飛べるはずなんだけど、全然飛ぼうとしなくてね。僕はコイツに自由に生きてほしい。人に使われて生きてほしくない。自然に返したくて何度もここへ連れてきているんだけど、空に放っても飛ばずに戻ってきてしまうんだ」

「そう、なんですか」

 鷲はおとなしく、ルイに撫でられている。

 それだけ心を許しているのだろう。

「まだ全快じゃないのか、それとも飛び方を忘れてしまったのか。あいにく狩りは僕の性分に合わなくてね。だからここへは、コイツのリハビリができればいいと思って来てる」

 慈愛に満ちた微笑みに、レイラの胸は高鳴る。

 耳が熱い。

 権力の誇示だとか、高貴な生まれによる物差しではなく、自分の価値観で行動するところがルイらしい。

 その原動力の根源に優しさがあるところも。

 ルイの人柄を再認識しつつ、レイラはこの状況が意外なのだった。

 (こんなに普通に、話してくれると思わなかった……)

 久々に、言葉を交わした。

 屋敷ではそっけない態度だったから。

 無表情を貫くレイラ。

 しかし早鐘を打つ心臓は、嬉しい、と言っている。

「早く、元気に飛べるようになるといいですね」

 言葉を返しながら、ぎゅ、と背面で手を組み合わせる。

 ルイはまだ、私のことを好きでいてくれているのだろうか。

 ルカの言うように、婚約の話が進んでいても、心の底では、本当は──。

 そっけない態度を取られなくて嬉しいと思うのに、反面、もやもやした気持ちも顔を出す。

 だったらどうして、屋敷では他人行儀なのだろう。

 少し前まで、夜になると部屋へ来てくれていたのに、しばらく途絶えていたのはどうしてか。


 ずっと気になっていた。

 でも知るのが怖くて聞けなかった。 

 ジャスミン嬢のことはどう思っているの?

 婚約は国のため?

 それとも本心?


 あの時してくれた約束は──。


「触ってみる?」


 考えにふけっていたものだから、不意に話を振られて「へ?」と間の抜けた返事をしてしまう。

 ルイは笑い、「大丈夫、こわくないよ」と手を伸ばす。

 優しく手を掴まれ、どうする?と聞くように首を傾げられれば、動けない。

 ずるい。

 何も考えられない。

 熱に浮かされているみたいだ。

 自分の唾を飲み下す音が、頭蓋骨の奥でこだました。

 ぎこちなく、《こくり》と小さく頷けば、重なった手が(とび)色の(かざ)切羽(きりば)に触れる。

 重なった手を、ルイはゆっくりと動かす。

 レイラに触れられた鷲が小刻みにぶるぶると身体を震わし、びくっと、レイラは腕をひっこめる。

「大丈夫、撫でられて反応しているだけだよ」

 無邪気に笑われ、頬が紅潮する。

 ジャスミン嬢の前でも、こんなに無邪気に笑ったりするのだろうか。

 そんなの、きっとあり得ない。

 そう思うほど、目の前にいるルイはレイラの記憶の中にいるルイのままで、心変わりした気配など少しもなかった。

 レイラが気を抜いていると、突然、ルイが顔を近づける。

 周囲にさっと視線を走らせ、声を潜めて言う。

 先ほどまでより、ワントーン低い声色で。

「──聞いて、レイラ。王室で僕は監視されている。原因は多分、僕が調べていることに関係しているのだろうけど、今はまだ詳しく話せない。君を巻き込みたくなくて、だから王室では不用意に近づかないようにしていた」

 ルイは心配そうにレイラを覗き込む。

 レイラの瞳が揺れる。

 風が吹いたあとの水面のごとく。

「君も誰かにつけられたり、視線を感じたりしていない? もしかしたら、もうすでに君も目をつけられているかもしれない。僕のせいで、危ないことに巻き込んでごめんね。僕が守ると言ったのに、側にいることすらできないなんて……」

 目を伏せるルイのまつ毛の影。

 じっとその影を見つめていると、不意にルイの視線がレイラを捉える。

 ルイは想いを指先から伝えようとでもするように、レイラの頬に手を伸ばす

 ゆっくりと数秒、見つめ合う。

 その動作はまるで。


「……っ、」


 (キス、──されるかと)


 ルイはさらに顔を近づけて切なげに目を細め、レイラの両頬を包み込む。

 こんなに間近で見つめ合ったのは、いつぶりのことだろう。

「レイラ。僕が愛しているのは君だけだ。君以外の女性と結婚するなんてあり得ない。家柄なんて関係ないんだ。僕はね、レイラ、君のお母様のことを……「そちらはクマが出るので危ないですよ」

 ──お母様?

 言葉が引っ掛かったのも束の間、ルイの言葉を遮る鋭い声。

 レイラは声がした方を振り返る。


「ソフィアさん……」


 途端にルイの視線が冷たくなる。

 レイラからだらりと手を離す。

 先ほどまでとは打って変わって、張り詰めた空気に包まれる。

「あぁ、もう戻ろうと思っていたところだよ」

 ルイは何事もなかったかのように返事をして、レイラに『同様の態度を』と目で合図する。

「さぁ、戻ろうか。」

 ルイは鷲を籠に戻し、ソフィアに尋ねる。

「父上たちの狩りはもう終わったのかな?」

「はい、早々に獲物を捕らえられて、ご満足のご様子でした。近くにルイ様のお姿が見えないので、探してくるようにと」

「わかった。すぐに行くから、心配しないよう伝えてくれ」

「わかりました」

 ソフィアはお辞儀をし、来た道を戻っていく。

 その後ろ姿を見届けながら、しかしルイはソフィアの姿が見えなくなっても表情を緩めなかった。 

 (そんな、敵を見るような目で見なくても)


 『監視されている』


 (──まさかね)


 レイラの心中を嘲るかのように、風が吹き、木々がざわめく。


 そのざわめきに感化されるまでもなく、レイラの胸もまた、同様にざわめているのだった。



 *     *     *  


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