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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
19/31

胸の奥にしまった本音

 翌日、レイラはジャスミン嬢が大慌てで廊下を走っていく場面に遭遇した。

 ちょうど朝食をとり終え、服を着替え、いつものように護衛隊の会議室へ向かおうとしたときだった。

 開け放たれた窓の外に、ドレスを持ち上げて渡り廊下を駆けていくジャスミン嬢の姿があった。

 透き通る美しい銀髪に、肌の白さが際立つブルーのドレス。

 後姿でもジャスミン嬢だと分かる華やかさ。

「お嬢様! お待ちください!」

 後からメイドたちが何人も追いかけて来るが、ジャスミンは振り返らず大急ぎで走っていく。

 何をそんなに慌てて──。

 ハッとした。

 ジャスミン嬢が駆けていく方向は、ルイの部屋がある方向。

 なんだ、と思った。

 ただの逢瀬。

 『会いたい』と、ルイに呼び出されでもしたのだろうか。

 それで嬉しくて、階段を駆け下りるシンデレラのように駆け足で。

 食事会以降、ルイがレイラの部屋を訪れることはなかった。

 昨晩だって、夜遅くまで窓のノック音が聞こえるのを、耳を澄まして待っていたのに。

 待てど暮らせどその音が聞こえることはなかった。

 ──見放されたのかもしれない。

 しかしそんな危機感を覚えても、だからといってどうしたら良いのか分からなかった。

 それにレイラは、ルイの《調べ事》の内容も気になっていた。

 昨晩ルイは、ジャスミン嬢に、『何よりも大切なことなんです』と言い切っていたから。

 あるいはもしかするとそれも、ジャスミン嬢に関することなのかもしれないが。

 レイラは自分自身を嘲笑し、足元を見つめて溜息を吐く。

 そして三秒、天井を見つめてから、護衛隊の会議室へ向かった。



 *     *     *



 会議室の扉を開けるなり、「レイラ聞いた?」とルカが立ち上がり近づいてくる。

「ルイ王子、今朝倒れたんだって」

「えっ」

 思いがけない言葉に、喉の奥がひゅっと閉じる。

「なんでも根の詰めすぎなんだとか。体を冷やしたのが直接の原因らしいけど……。夜な夜な仕事でもしていたのかしらね。それか、ピアノの練習とか」

 サラも頷く。

「さしずめそうなんじゃないかしら。ここ数日、特に夜は冷え込んでいたからね。寒さがたたったんでしょう」

 ズキリ。

 レイラの胸が痛む。

 (あの晩、私がルイに気づかないふりをしていたから──)

 そうだ、きっとそのせいだ。

 思えば長いこと、窓を叩く音がしていた。

 ノックが止んだとき、てっきりルイは自室に引き上げたのだと思っていたけれど、まさかその後もずっと、その場にいたなんてこと……。

 ──ああ、私はなんてことを。

 レイラは強い罪悪感に駆られた。

「ルイは、大丈夫なんですか? 容体は?」

 思いつめて訊けば、

「大丈夫よ、ただの風邪だそうだから。大病じゃないわ」

 ソフィアが淡々と答えた。

「今は薬を飲んで眠っているみたい。でも熱がなかなか下がらないらしくてね。それを聞きつけたジャスミン嬢が一目散に駆けつけて、片時も離れず看病しているそうよ」

 それで、さっき。

 レイラが駆けていくジャスミン嬢の後ろ姿を思い出していると、ルカがとぐろを巻く。

「なによ、べったり看病? すっかり恋人気取りね。レイラも様子を見に行ってくる? ルイ王子の護衛役なんだし、その権利はあるはずよ」

「だめよ」

 間髪入れずソフィアが否定する。

「それはできない」

「どうして?」

「ジャスミン嬢が酷く取り乱しておいでで、彼女に近しい人間しか入室を許されていないの。もちろん、部屋の外では兵士が護衛をしているから安全性に問題はないわ」

「なによそれ。問題大ありじゃない。取り乱してるって、それならうるさいんだから部屋の外に出て行きなさいよね」

 ルカは腕組みをしてレイラを見る。

「レイラ、王女相手だからって遠慮することないのよ」

 遠慮。

「でも、私なんかじゃ王子と釣り合わないですし、ジャスミン嬢との婚約も正式に発表されたじゃないですか」

 ルカが目を丸くする。

「レイラ……、あんたまさか、婚約の発表を真に受けて弱気になっているんじゃないでしょうね? ──いい? ジャスミン嬢との婚約はルイ様の意志じゃないはずよ。というか、そんなの初めから分かっていたことじゃない。ルイ王子が自分で結婚相手を選べる立場じゃないことくらい。今更問題ですらないって感じ。だって、それでもレイラと一緒になりたいって、必死でもがいてくれているんでしょう? 倒れるくらい、死に狂いでその方法を探してくれているんでしょう? レイラが彼を信じてあげないで一体誰が信じるというの? ルイ王子が可哀想よ」

 まあまあとサラが苦笑してルカをなだめる。

「王子がここまで必死になるのは、それだけレイラへの思いが強いってことだもんね。だからまぁ、私もルカと同じ意見かな。様子くらい、見に行ってきたらいいじゃない。レイラも心配なんでしょう?」

 サラに訊かれ、レイラは項垂れる。

 素直にこくり、と頷く。

「正直に言うと、私、本当は怖いんです。ルイに会って、別れを告げられるんじゃないかって。……もう必要ないって言われたら、そのときはどうしたらいいんだろうって」

 ルカが呆れた顔をする。

 そしてレイラの頬をつまむ。

「いたっ」

「あのねぇ、そんなもん、そうなったときに考えればいいの! 気持ちは分かるけど、今はまだ起こっていないことで悩まない。万が一、傷つけられることがあればここに帰ってらっしゃい。私がレイラのこと待っていてあげるから。思い切り泣いくのも、憂さ晴らしするのも、全部全部付き合ってあげるからさ」

「私も!」サラが笑顔で手を上げる。

 ソフィアも頷く。

「みんな……」

 レイラはソフィアに言う。

「ソフィアさん、お願いです。どんな形でも構いません。ルイの様子を見に行かせてください」

 ソフィアは腰に手を当ててため息を吐き、ポリポリと頭を掻く。

「どんな形でも、ねぇ。……文句言わない?」

「はい!」

「絶対?」

「言いません! ありがとうございます!」

 レイラは強く頷いた。



 *     *     *



 ……確かに文句を言わないとは言ったけれど。


 メイドの服を着せられ、レイラは慣れないスカートの動きにくさに若干の苛立ちを覚えていた。

 ソフィアは部屋の掃除を担当しているメイドを別の仕事に回し、代わりにレイラが掃除係として部屋へ入れるよう根回しをしてくれた。

 ベッドメイクやタオルの交換、カーテンの開け閉めなど、ルイの身の回りの世話をするのが主な仕事だ。

 ただし、ジャスミン嬢の前でルイがレイラに親し気に声をかけ、王子とメイドが懇意であると疑われるような事態は避けなくてはならない。

 ジャスミン嬢にいらぬ疑念を抱かせないためにも、レイラはルイに正体がバレないよう立ち回る必要があった。

 ルイの身の回りの世話はルイが眠っている間に行うため、顔を見られる可能性は低いが、念のため眼鏡をかけて変装している。


 (緊張する……)


 ルイの部屋の前に立ち、レイラは深く呼吸する。

 よし、と心の中で意気込み、ノックした後、扉を開ける。


「……っ!」


「ルイ様、大丈夫です。(わたくし)がお側におりますわ」

 額に濡れタオルをのせ、苦しそうな表情を浮かべるルイの横で、ジャスミン嬢はルイの手を両手で握りしめ、涙目になって声をかけていた。

「失礼します」

 レイラは音を立てずに扉を閉め、部屋のカーテンを開ける。

 そしてベッドサイドにある水を持ってきたものと交換し、額に載せられている濡れタオルを交換しようと手を伸ばす。

 しかし、

「さっき交換したばかりだから」

 ジャスミン嬢に睨まれ、阻止される。

 ソフィアは取り乱していると言っていたけれど、眠っているルイを気遣ってか、ジャスミン嬢は声を荒げたりしなかった。

 表情は険しいものの、幾分冷静そうに見える。

「申し訳ありませんでした」

 レイラが頭を下げれば指示を出す。

「それより主治医を。熱がさっきより上がってきている気がするの。まだ薬が効いていないのかしら……。呼吸をするのも苦しそう。早く呼んできて」

「はい」

 命じられるまま医師を呼びに行こうとする。

 ──と。

「……」

 熱に浮かされながら、ルイが何かうわごとを呟いている。

「……レイラ、そばにいて、レイラ……」 

 言葉を聞き取ろうと、ルイの耳元に頬を寄せたジャスミン嬢の顔が途端にこわばる。

 そのルイの声は、はっきりとレイラの耳にも聞こえた。

 それだけではない。

 上ずった言葉とともに、ルイはレイラの服の裾を掴んでいた。

 まだ夢の狭間にいるようで、目は開いていないが、強い力で掴んで離さない。

 レイラは困惑する。

 このまま額に手を当てて熱を確認したい。

 もっと声が聞きたい。

 名前を呼んで、《側にいるよ》と、手を握ってずっと見守っていたい。

 衝動を抑え込み、どうするべきか迷っているとジャスミン嬢が声を上げる。

「早く出て行って! ──もう嫌。さっきから誰なの、《レイラ》って……。こんなときに浮かぶ名前が私じゃないなんて」

 ベッドサイドに顔を伏せてジャスミン嬢は泣き出した。

 『大丈夫ですか』と声をかけそうになり、しかしいま彼女に何を言っても、苛立ちを助長させるだけだろうと思いとどまる。

「主治医の方、呼んできます」

 レイラはルイの手をほどいてそっとベッドに置いた。

 そのときでさえルイは、最後まで離れるのを拒むように、レイラの小指に自分の小指を絡ませていた。



 *     *     * 



 ルイが診察を受けている間、レイラはジャスミン嬢と部屋の外で待っていた。

 レイラをタリアテッレのメイドだと思っているジャスミン嬢がおもむろに尋ねてくる。

「あなた、タリアテッレのメイドよね。《レイラ》という名前のご令嬢をご存じありません?」

 自分の名前が出てきて、レイラは言葉に詰まる。

 口ごもって答えられずにいると、ジャスミン嬢の小間使いが口を挟む。

「お嬢様、その《レイラ》というお方、失礼ながらご令嬢とは限りませんよ。メイドや踊り子、──もしかすると売女かもしれません。」

「まっ……! 売女だなんて、なんてことを言うの、ララ。」

「申し訳ありません。しかし男性などそのようなものです。お嬢様は世間を知らなさすぎます」

 《ララ》と呼ばれた小間使いは憤慨している様子だった。

「──そこの者」

 《ララ》は顔をレイラに向けて言う。

「ルイ様は先ほども目を覚ますなり、お嬢様を抱きしめて『レイラ』と呼びました。朦朧とする意識の中、抱きしめたのがお嬢様だと分かると、『──ごめん、間違えた。忘れてくれ』と言ったのです。……これは一体どういうことでしょう。これほどの屈辱があるでしょうか。ララは許せません! お嬢様を他の女性と間違えるなんて。ルイ様と親しい間柄にある女性がいるのであれば教えてください」

 レイラは困り、狼狽える。

 まさか自分のことだとは言えまい。

 かといって適当な人物を指定すれば、罪のない誰かに火の粉が飛んでしまう。

 レイラは嘘をつくことにした。

「……申し訳ありません。恐れながら、そのような方は存じ上げません」

 無益な返事にララは苛立たし気な表情をして、「そうですか」と、ちっとも納得していない様子で言った。

「ではこちらで調べるしかありませんね」

 どきり、とレイラの心臓が跳ねる。

 《レイラ》を探して、ララはどうするつもりなのだろう。

 ジャスミン嬢はまた感情が込み上げてきたようで、ぽろぽろと泣き始める。

 しゃくりあげながら胸の内を吐露する。

「──ララ、私、馬鹿みたい。私、やっと……、やっとルイ様が私のことを見てくださるようになったのだと思ったのに。でも勘違いだった。一人で浮かれて、本当、馬鹿みたい」

「そんなことありませんよ」

 ララはジャスミン嬢の背を撫でる。

「……でもどうしよう。ルイ様が私との結婚を破棄したら。そしたら私、母様が選んだ別の相手と結婚させられてしまうわ。それだけは嫌。もう母様の言いなりになんてなりたくない。飾り立てられて、良いようにつかわれて、そんなのまるで操り人形よ。幼い頃からずっとそう。誰も私を見てくれない。抑圧されて生きてきた。だからこそせめて、……せめて結婚相手だけは自分で選ぶんだって、自分の好きになった人と結婚して、幸せな家庭を作るんだって、それだけを支えに耐えてきたのに。どうしてそれが叶わないの。聞き入れてもらえないの。私、本当に幼い頃からルイ様をお慕い申し上げてきたのよ。ずっとそばで、一緒に育ってきたのよ。それなのに、どうして……。どうして、急に割り込んできたどこの誰かも分からない女に、こんな惨めな気持ちにさせられなくちゃならないの。頑張って頑張って、ようやく手が届きそうになったところで、搔っ攫われなくちゃいけないの。ルイ様だけが心の支えだったのに……。どうしてよ。どうして本当に欲しいものは全部、私の手から零れ落ちていくの」

 華奢な肩を震わし絞り出される声。

 なんだかすごく悪いことをしているような気にさせられた。

「酷いわ、あんまりよ」

 そう言って涙するジャスミン嬢は、きらびやかで恵まれた王女ではなく、どこにでもいる、愛されたいと願う、繊細で傷つきやすい一人の女の子に過ぎなかった。

 キリキリとレイラの胸が痛む。

 ルイが自分の名前を呼んでくれたこと、抱きしめようとしてくれたこと、指を絡ませてくれたこと。

 そのすべてが嬉しかった。

 しかしその裏で、こうして泣いている人がいる。

 その姿を目の当たりにして、レイラは素直に喜べなかった。

 そしてふと、何も感じなかったあの頃のままだったら、などと考える。

 モートン卿の元で暗殺業に勤しんでいた頃のまま。

 あのまま心を殺して生きていたのなら、こんな気持ち、知らずに済んだのだろうか。



 *     *     *


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