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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
15/31

猫と夜明け

 ルカは人指し指に武器庫の鍵の輪をひっかけ、くるくると回しながら前を歩く。

 その足取りはさながら猫のよう。

 初日の刺々しさが少し和らいだことに肩透かしを食らいつつ、思い出すのは照準器のガラス越しに見たルイに抱き着くジャスミン嬢の姿。

 ルカは細い鍵を鍵穴に差し込み、ガチャリと回す。

 キィィ……、という重たい金属音とともに武器庫の扉が開かれる。

 これからここにある武器を使って、命懸けでルイを、ひいてはジャスミン嬢を護らなくてはならない。

 再度ジャスミン嬢が襲われたとき、自分は迷わず身を捧げることができるだろうか。

 自分に問いかけながらレイラは、ルカに(なら)い、拳銃と連絡用の無線機をポシェットに入れる。 

 ルイの部屋への道すがら、厳重な警備体制が取られているのが見て取れる。

 先ほどの襲撃があってからというもの、王宮はこれまでになく万全の警備体制をとっていた。

 もしルイの部屋が襲われるようなことがあれば、王宮中の警備隊が駆けつける。

 それだけジャスミン嬢を守ることは、この王国の命運を左右する重要な任務だった。

 しかしルイとジャスミン嬢の護衛をするといっても、まだ二人は部屋にいないのだから、レイラとルカにできることといえば、部屋の前で見張りをすることくらいのものだった。

 二人の間に会話は生まれない。

 それはルイたちが部屋に来た後も、変わらない気がした。

 夜が明けて任務が完了するまでこの状態が続くのだろうかとレイラは不安になる。

 すると、おもむろにルカの方から話しかけてきた。

「……さっきは嫌味なことを言って悪かった」

「──っえ?」

 まさか謝罪されるなんて、聞き間違いだろうか。

「ルイ王子が犯人かも、って言ったこと、べつにあんたを傷つけたくて言ったわけじゃないんだ。ただ、王子が犯人の可能性もゼロじゃないってこと、それを忘れないで欲しくて。だって、もしルイ王子の仕業だったら、そのとき一番傷つくのはあんただもの」

 レイラは面食らい、黙り込む。

「ルイ王子、あんたをこの国に連れて戻ってくるまで、結婚にも女の子にも興味がなく見えてさ。関心があるのはもっぱら音楽だけ、って感じで。でもジャスミン嬢は違う。はた目にもわかるくらい、幼い頃からずっとルイ王子一筋だった。それに、この国の王様はかねてよりロゼッタ王国との提携を望んでいて、ルイ王子にはジャスミン嬢と結婚してほしいと思っている。だからジャスミン嬢はルイ王子の事実上のフィアンセ、ってことになっていたけれど、それももう数カ月前の話で、ずっと話が進んでいない」

「……そう、だったんですか」

 『フィアンセ』

 なんて、重たい響き。

 ジャスミン嬢とそんな関係だったなんて。

「あんた、第一王子の、リカルド様のことはどれくらい知ってる?」

「リカルド様ですか。ええと、優秀で、経綸(けいりん)の才に富んでいるとお聞きしました」

 そう、とルカはつぶやく。

「私がリカルド様と出会ったのは、忘れもしない、十五のときだった。私の母は娼婦で、誰が父親かなんてわからなかった。あの人はいつも男に殴られて、好き勝手されているのを目の前で見ていた。記憶にある母は、苛立っているかすすり泣いているかのどちらかで、私はろくに食事を与えてもらえず、それでも空腹より母と同じ目に遭う方がずっと怖かった。ある日、空腹も限界を迎え、餓死しそうになりながら家を抜け出した。──勘違いしないでよ。生きるためじゃない、死ぬためだ。あのときの私にとって、一番怖いのは死ぬことじゃなかった。自分が餓死したあと、あの男たちに何をされるか分からないと思うと鳥肌が立って、誰にも見つからずに死ねる場所を探していたんだ。寒空の下を彷徨さまよい歩き、やがて細い路地裏でゴミ捨て場を見つけた。『あぁ、ここでならゴミに混ざって静かに死ねる』と思った」

 遠くを見つめ、目を細めるルカ。

「……それなのに、誰にも見つかりやしないと思ったのに、偶然、リカルド様がその路地を通りかかったんだ。ゴミにまみれて意識が遠のき始めていた私を、リカルド様はためらわず素手で掴み上げた。

 そして、まっすぐに瞳を覗き込み、

『この街では、ずいぶんと美しいものが捨てられているんだな』

 と、そう言ったんだ。

 まったく、笑えるよな。

 《美しい》なんて、服はほつれてボロボロだし肌はかさかさで、泥の付いた体からは酷い匂いがしていたのに。

 だけど、それは私が人から初めてもらった称賛の言葉で、からかっているのかと嫌味を言うには、あまりに深部に突き刺さった。

『君はこんなところで、こんな有様で死ぬべき人じゃない』と、リカルド様は自分の屋敷に連れ帰ってくれた。

 あの日から、リカルド様は私のすべてになった。

 あのお方のためなら何でもできる。

 リカルド様の敵は私の敵。

 だからリカルド様の地位を脅かす、ルイ王子のことが嫌いだった。

 そんなルイ王子がつれてきたあんたのことも、同じくね」

 そこで一度言葉を区切り、ルカは俯く。

「……そのはずだったんだけど」、と小声で呟き、溜息を吐く。

「でもね、今朝、ルイ王子が私の部屋に来たんだよ」

「ルイが?」

 ルカは頷く。

「何しに来たのかと思ったらさ、いきなり頭を下げたんだ。王子が部屋に来るだけでも驚きなのに、どういうことかと呆気に取られていると、一気にまくしたてるから困ったよ。

『朝早くに申し訳ないけれど、これだけは君たちに伝えておきたくて。レイラは僕が好きになって、この国に連れてきた大切な女性(ひと)なんです。僕はいずれ必ずレイラと結婚したいと思っています。しかし兄様の地位を脅かそうなど、そんなことは考えていません。国王の地位などに興味はない。というか、実力や実績からして、僕より兄様の方が向いていると思います。皆さんが王位争いのことで兄様を心配する気持ちは理解しているつもりですし、あなた方がレイラを疑うのは無理もないことなのかもしれません。しかしどうか、レイラを護衛隊の仲間として受け入れてもらえませんか。あなた方の不満や怒りを受けるべき相手は僕であってレイラじゃない。ぜんぶ僕にぶつけて下さい。お願いします』

 もう、言葉を挟むタイミングもないほど必死でさ。

 一国の王子ともあろうお方が、こんな下級の者に頭を下げるなんて……、それも自分を卑下して願い出るなんて、信じられなかった。

 しかもあとで聞いてみれば、どうやらルイ王子は私だけじゃなく、護衛隊一人ひとり、全員の部屋を回って頭を下げたらしいじゃないか。

 本当に驚いたよ、あんなに無気力で無欲だったルイ王子が、こんなになりふり構わず行動するだなんて。

 しかもあのとき、気迫に押されて何も言えずにいると、きっと渋っているように見えたのだろうね、

『あなたが兄様に救われたように、僕もレイラに救われたんです。皆さんにとっての兄様が、僕に取ってはレイラなんです。大切な人なんです』

 これはもう、あんたを仲間として認めない限り帰ってくれないと思ったよ。

 いくら気に食わないとはいっても相手は王子だ。

 無下に扱えるわけがないじゃないか。

 なんだかもう、ただただ本気であんたのこと好きなんだな、って思った」

「……」

 ──知らなかった。

 ルイがそんなことをしてくれていたなんて。

 胸がじんわりと熱くなる。

「でもね、だからこそ厄介なんだ。王子があんたを想えば想うほど、あんたとルイ王子には試練が降りかかる。気を付けな。これから先、あんたが身の程をわきまえず、距離を見誤るようなことがあれば、足元が崩れるのはルイ王子の方なんだから。もとから何もない私たちは、今更足元が崩れたところで失うものはないけれど、ルイ王子はそうじゃない。そのことをよく覚えておいた方が良い」


 (──忠告、してくれているのか)


 数分でルカの印象が変わり、レイラはルカをまじまじと見る。

 ルカは照れたのを隠すように頭を掻き、弁明する。

「こんなことを言うのはさ、あんたが私と似ているからなんだ。リカルド様は十分過ぎるほど私を可愛いがってくれた。この王宮に住まわせてくれて、仕事をくれて、返しきれないほどの恩をもらった。だからひっそりと芽生えた恋情など、死ぬまで誰にも明かさず墓場まで持っていくつもりだった。リカルド様の側で、少しでもリカルド様の役に立てればそれでいいと思っていた。本当にね。だけど、それなのにあるときリカルド様は、私のことを『本気で好きだ』と、『結婚してほしい』と言ってくれたんだ。

 その言葉を聞いたとき、いまこの場で死んでもいいと思うくらい嬉しかったよ。

 でも冷静になってよく考えると、『それはできない』って気が付いた。

 リカルド様を愛していれば愛しているほど、結婚なんてできるはずがないんだ。

 あまりに恐れ多くてね。

 私のような卑しい身分の者がリカルド様と結婚しようなんて。

 そんなことをしたら、リカルド様が非難の的になってしまう。

 私のせいで王宮を追い出されるかもしれない。

 私のためにリカルド様が辛い目に遭うかもしれない。

 そんなの、耐えられない。

 だからプロポーズを断った。

 私は恋人としてじゃなくても、どんな形でもリカルド様の側にいられればそれで幸せだと自分に言い聞かせた。

 たとえ彼が妻をめとっても、子どもができても、彼のために命を使えればそれでいいじゃないかと」

 哀しさと切なさの入り混じったルカの横顔。

 秋の夕空のような哀愁漂うアンビアンスに、彼女の新たな一面を見た気がした。

「……なのに酷いの。リカルド様はそれを許さなかった。どれだけ縁談が持ち上がっても絶対に結婚しないのよ。『心に決めた女性(ひと)がいる』って。あのときから今までずっと。これからも結婚しない、って言うの。私と結婚できないなら、他の誰とも連れ添う気はないと。政治に力を入れるのも、積極的に他国に出向いて国交を深めるのも、結婚で国際間のわだかまりを解決させないためなのよ。国王が結婚で政治の問題を解決しなくて済むように立ち回ってる。──馬鹿みたいでしょう? とんだ特別扱いだわ。そんなことされたら、こっちまで結婚できやしないじゃない。いつまでも心が離れられない」

 大きく息を吐き出すルカの表情が、痛みとやさしさの狭間で揺れる。

「だからあんたを見てると胸が痛むの。やめとけばいいのに、ってずっと思ってた。冷たくあしらって、白い目で見られて、耐えかねて屋敷から出て行ってしまえばいいって」

 ルカは腕組みをして再び溜息を吐く。

「それなのにどうしてこう、辛い道を選ぶんだろうね。あんた、全然引かないし。……でもまぁ、だったら同じ茨の道を歩む者同士、力になりたいのが本音かな。だからね、屋敷の中で居場所を築くためにも、まずは、《襲撃の黒幕が王子じゃない》ってこと、ちゃんと証明しなきゃだめよ。」

 (《ルイ王子の自作自演》なんて、はじめから思っていなかったんだ)

 ルカの心に触れられた気がして、レイラは力強く頷く。

 ルカも頷き返し、思いついたように口を開く。

「ねぇ、ひょっとしてあんたならわかるんじゃない? 黒幕の正体。──暗殺業、やっていたって聞いた。犯人側の視点に立って思考を辿れば、なにか分かるかもしれない。もしもあんたが雇い主だったら、狙いは何? どうしてこの国の軍人を雇った?」

 ──もしも自分が雇い主だったら。

 レイラは顎に手をあてて考える。

 (私なら……、)

 きっと自国の軍人など雇わない。

 もっと足のつかない人物を選ぶ。

 だって、黒幕が王族ならいくらでも金をつぎ込めるだろう。

 わざわざ手近な従者をゆすらずとも他国の優秀な殺し屋を雇えばいい。

 そこでレイラは「はっ」とする。 

 そうか! 

 ──だとすると軍人を雇ったのはこの国の王族ではないのかもしれない。

 ロゼッタ王国の王族に黒幕がいるのかもしれないと考えて、……いや、その場合国王や王妃がわざわざ自分の娘を危険な目に遭わせる意味がわからず困惑する。

 ──あるいは、あり得る可能性は一つだけ。

「ジャスミン嬢の自作自演」

 ルカが目を見開く。

「そんな……、」

 頭の中でそんなはずはないと蓋をしてきた可能性が、口にしてみると現実味を帯びてくる。

 先ほど聞いたルカの話を踏まえれば、点と点が線で繋がっていくようだった。

「ジャスミン嬢はルイと距離を縮めたくて、事件を画策したのではないでしょうか。先ほど長い間フィアンセのまま話が進んでいないと言っていましたし、その状況にしびれを切らしたと考えれば……」

「すべての辻褄が合うってわけね」

 ルカは爪を噛んだ。

 事件を起こす場所に劇場を選んだのは、おそらく自分がソロでバイオリンを演奏するからだったのだろう。

 狙われるとき、自然とルイの近くにいることができる。

 ソロパートに志願してスポットライトを浴びれば、自分の居場所を軍人に知らせることも可能だ。

 国王たちが縁談に乗り気な今のうちに、一気に話を進めてしまいたかったのではないだろうか。


 ──それに何より、あのときガラス越しに見えたジャスミンの表情。


 (ルイにしがみつくジャスミン嬢の口元、かすかに歪んでいた)


 いま思えばあれは、怯えていたのではなく、悪だくみが上手くいった子供が見せるそれだったのかもしれない。



 *     *     * 


 

 その後、ルイがジャスミン嬢と部屋に戻って来たが、ルイは『仕事があるから書斎に籠る』と引き返してしまい、結局ジャスミン嬢はひとりでルイの部屋で夜を明かすことになった。

 ものすごく不服そうな顔をしていたが、散々『ルイ様の部屋でなければ嫌だ』と駄々をこねた手前、今更自分の部屋で休むとは言い出せないようだった。


 ルカとレイラは、白々明け行く夜のほどろ、廊下で床に座り、肩を寄せ合い毛布にくるまっていた。

「……レイラ、もう寝た?」

 体勢はそのままで、ルカが遠慮がちに訊く。

「……寝てませんよ」

 目を開けてレイラが答える。

「もうすぐ夜が明けるわね」

 言われて窓の外を見れば、空の色がわずかに白み始めていた。

「そうですね、まだあと数時間、気は抜けませんけど」

「そうね、でもきっと大丈夫よ」

 優しい声音に、レイラは表情をやわらげる。

 その顔を見て、ルカも微笑む。

「そんな顔もできるのね」

 照れて顔を赤らめるレイラを、いたずらっ子のようにルカが笑う。

 あまりに無邪気に笑うものだから、レイラは「シーッ」と人差し指を立てる。

「まだジャスミン嬢はお休みなんですよ」

「そうだったわね」と、肩を小刻みに揺らして笑いをこらえるルカは、多分、そこまで悪いと思っていない。

 綺麗な三日月型に細められたルカの目を見ていたら、ふと、ルカと二人きりになれる機会はそうないかもしれない、と思い立ち、ずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。

「あの……、気になっていたことがあるんですけど、一つ訊いてもいいですか?」 

 レイラの真剣な表情を受け、ルカは咳払いをして居住まいを正す。

「なによ」

「その……、ソフィアさんのことなんですが。ソフィアさんもルカさんと同じく、身寄りのない孤児だったんですか?」

 ルカは訝し気に眉を(ひそ)める。

「どうして急にそんなこと聞くのよ」

「ええと」

 言及されて言葉に詰まる。

 ソフィアを怪しんでいることを悟られずに、情報を聞き出すにはどうすれば良いのだろう。

「何、ソフィアがどうかしたの?」

 答えあぐねていると、ルカが質問を掘り下げる。

「……いや、ソフィアさんの任務に対する熱量というか、冷静な方だとは思うのですが、リカルド様に対するうやまい具合が他の皆さんと違うような気がして……」

 あぁ、とルカは呟く。

「そりゃまぁ、リカルド様に直接救われた私たちと同等の忠誠心はないでしょうね」

「──じゃあ、どうしてソフィアさんが護衛隊のリーダーを任されているんですか? 普通、一番忠誠心のある人物がリーダーに選ばれるものではないですか?」

「あんたっていやに鋭いところがあるわよね」

 方眉を少し上げて、感心したようにルカが言う。

「それが私にもよく分からないの。実力があることは確かなんだけど、それだけじゃあ、ねぇ。おそらくどこかにコネがあるか、あるいは誰か権力のある人物の計らいか」

「権力のある人物……。それってもしかしてモートン卿ですか?」

「モートン卿……? モートン卿って誰よ?」

 首をひねるルカ。

 レイラはシャツの袖をめくり、左手首にある焼き印を見せる。

「これは一生消えることのない奴隷の証です。モートン卿の所有物の証に焼き付けられる忌々しい刻印。ソフィアさんにもこれと同じものがありました。鎖骨の右下あたりです」

 ルカは驚いた様子で焼き印を見て、次いで眉を寄せ、思い当たりがあるのか考え込む。

「ソフィアさんの焼き印に気づいたときからずっと、ソフィアさんの生い立ちが気になっていたんです。もしかしたら、私と同じでモートン卿の屋敷にいたことがあるんじゃないかって。でも変に勘繰(かんぐ)っていると思われたくなくて、安易に聞くことができませんでした」

「……なるほどね」

 シャツの袖を直すレイラを横目に、ルカが記憶を手繰り寄せて云う。

「そういえば、私もソフィアに焼き印があるのを見たことがあるわ。奴隷の焼き印なんて、貧民街の孤児にとって珍しくないものだったから、目に入っても気にしていなかったけれど。……でも同じものだとよく分かったわね。そんなに小さな刻印なのに」

 レイラは頷く。

 ルカの言う通り、レイラが見せた焼き印は、ほんのひと差し指の爪の大きさほどしかない。

「これはルーン文字で《モートン》と書かれているんです。単なる印ではなく、自分の手で育てた奴隷、つまり専属の殺し屋にのみ与えられる所有印なんですよ」

 レイラの話に、「ん?」とルカは頭を抱える。

「待って、混乱してきた。私は、あなたはルイ王子がギブ王国から連れてきた殺し屋だと聞いたのよ。もしソフィアがそのモートン卿という人に仕えていたことがあるなら、ソフィアにもギブ王国にいた時期があるってこと? ──ということは、あなたとソフィアは……、まさか知り合いだったの?」

「いえ。それが、そうではないんです。──そうなんですよ、私もそこが引っかかっているんです。私はソフィアさんを知りません」

「……どういうこと?」

「私にも分からないんです。彼女は一体何者なんですか? ──彼女と二人きりになったとき、ソフィアさんは小声で、『あなた私の後任じゃないの?』って言ったんです。どういう意味でしょう?」

「後任? ……まさか、ソフィアは《現在進行形で任務を遂行中だ》ってこと? モートン卿から課された、何かしらの」

「やっぱり、ルカさんもそう思われますか。──心当たりはありますか?」

 ルカは爪を噛み、頭をひねるが、やがて項垂れて首を振った。

「ごめんなさい、何も思いつかないわ。……レイラはどうなの? モートン卿がタリアテッレ王国絡みで企むことがあればなんだと思う?」

「……そうですね。……ソフィアさんは護衛隊のリーダーとしてこの国にいるので、普通に考えて、その立場でないとできないことなんじゃないでしょうか」

「政治情報の漏洩とか?」

「あり得ますね。会議に出席できる立場を利用して、さまざまな情報を入手していたのかもしれません」

「じゃあソフィアはスパイで、この国の脅威になる存在ってこと? ……どうしよう、リカルド様の身に何かあったら。私──、でも、そうよ! 私、ソフィアが命を張ってリカルド様をお守りする姿も何度も見たわ! やっぱりスパイなんて、そんなの勘違いなんじゃ……」

「それが仕事ですから。王子の命を守りつつ、必要な情報は流す。そうすれば王子に疑われることはありませんし、信頼が深まればそれだけ情報も入手しやすくなります」

「あんたって……、いや、ううん、なんでもない」

 ルカは言葉にしないほうが賢明だと思ったのか、そこで言葉を切り上げた。

 時計に目をやり、溜息を吐く。

「駄目ね。もっとこの話について掘り下げたいところだけど、もうすぐ見回りの兵士がくるわ。また二人きりのとき話しましょう」

 レイラは頷いた。


 ──と、


 (……っ誰!!)


 不意に視線を感じ、レイラは廊下の曲がり角を振り返る。


 こちらからは死角になり、一人くらいなら人が隠れられそうな場所。


 (もしかして今の話、聞かれていた──?)



 *     *     *


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