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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
13/31

蛇と刻印

 日が変わり、時刻は午前九時、五分前。

 『明日は九時にここ集合だから』

 昨日ソフィアにそう言われていたのに、うっかり寝坊してしまったレイラは大慌てで準備を済ませ、会議室の扉を開けた。

 みんなきっともう待っている。

 どうしよう、とにかく謝罪しなくては、と、扉を開けたのに、会議室にはまだソフィアしかいなかった。

 これはどういうことだろう。

「おはようございます」

 ひとまず目が合ったソフィアに挨拶をする。

「おはよう」

 冷たい視線を向けられるだろうと覚悟していたので、普通に挨拶を返され拍子抜けする。

 会釈をして席に着く。

 あまりに普通に接されるものだから、自室の時計がズレていたのではないかとさえ思えてくる。

 しかし会議室の時計を確認すれば、時刻は九時二分を指していた。

 時計がズレていたわけではないらしい。

 部隊において最低でも十分前には集合しているのが暗黙のルールだろうに、失敗した。

 謝るタイミングを逃してしまったが、それでも謝罪しておこうとソフィアに視線をむければ、ソフィアはレイラの隣の席の椅子をひき、腰を下ろすところだった。

 いつもなら隣に座らないのに、と不思議に思いつつ、息がまだ整いきらない状態で、謝罪しようと口を開きかければ、ソフィアに先手を取られてしまう。

「ちょうど二人きりだし、少し個人的な話をしても構わない?」

 (……個人的な話?)

「はい、大丈夫です」

 わずかに逡巡し、レイラは応える。

 緊張で、空気がわずかに冷えた気がした。

「ここに来る前は何をしていたの?」

 無表情で問われ、息を飲む。

「ここに来る前、ですか」

 ──モートン卿の屋敷で、殺し屋として暗殺を生業にしていた。

 先日、任務をしているときも似たような質問をされたが、信じてもらえなかったのだろうか。

 殺し屋をしていたことは周知の事実なはずだ。

 護衛隊の皆は、レイラが殺し屋をしていたことを知っているから、ルイがレイラを連れてきたのは、王位継承争いをしている第一王子を暗殺するためだと勘違いしているのではなかったか。

 そうだ。

 そのはずだ。

 では、何が訊きたいのだろう?

 質問の真意が見えてこない。

 ここはあえて見当違いの返答をして情報を与えないのが得策だろうか。

 考えていると、答えを出す前に「この部隊に配属される前も、どこかで同じような仕事をしていたの?」と詰められる。

 体感温度が下がっていく。

 頭の奥で警鐘が鳴る。

「──どうしてそんなこと、訊くんですか?」

 どういうわけか、ソフィアは探りを入れようとしているらしい。

 何を探っているのか分からないうちは、むやみに返答をしたくないが、あまりに過去を隠していては逆に怪しまれるかもしれない。

「別に。ただ、仲間として知りたいと思っただけ」

「──仲間」

「そう、仲間」

 なんて、似つかわしくない言葉。

 そう思ってしまうのは失礼だろうか。

 でも、そう感じてしまうほど、ソフィアに心の底では信用されていないのだと、《敵》として認識されているのを感じる。

「……ギブ王国の貴族の屋敷で秘書として働いていました。しかし、その屋敷の主は、裏で行っていた数々の悪業が表沙汰になり失脚したのです。主と職を失い、途方に暮れていたところをルイ王子に拾われ、この国に亡命してきました」

 レイラは本当のことを、都合の悪い部分は伏せて伝えた。

「ふうん」

 信じているとも疑っているともつかない目つきでソフィアはレイラを見る。

「秘書をしていた、ね。──初任務の時、あなた、かなり銃の扱いが上手かった。秘書なのに、本業の私たちみたいに巧に銃が使えるなんて、一体どういう環境にいたのかしら」

 ごくり、と唾をのむ。

「……ええ、まぁ。護衛役もかねていましたので」

 ソフィアは質問の手を緩めない。

「それにしても、一体誰に銃の扱いを教わったの? ずいぶん慣れた手つきをしていたけれど。よほどの手練れか、教えるのが上手な方だったのでしょう? 誰の屋敷にいたのかしら」

 掌に変な汗をかく。

 蛇にでも睨まれているようだ。

「私なんてまだまだです。ソフィアさんこそ、標準を定めるのがお上手で」

「ありがとう。私は幼い頃姉に習ったの。あなたにもそういう人がいた?」

 質問を跳ね返したつもりが、さらに的を絞った質問が飛んでくる。

 レイラは与えて良い情報と悪い情報の選別を、脳内で迅速に行わなくてはならなかった。 「私は先輩の姿を見て、見様見真似で覚えました」

 嘘ではない。

 だが、「先輩……」と口の中で繰り返すソフィアは納得していないようだった。

 彼女が期待している回答は一体何なのか、レイラにはわからない。

「率直に聞くけれど、あなた、私に用があってこの国へ来たんじゃないの?」

「用?」 

 見当がつかず、レイラは素で小首をかしげる。

 その反応でソフィアは見切ったようだった。

「──そう。別にいいの。変なこと訊いてごめんなさいね」

 急に会話を切り上げられ、ソフィアの横顔を見つめる。

 そのときチラリとだが、彼女の襟元から除く鎖骨の右下あたりに、焼印があるのが見えた。

 レイラは目を見開く。


 (その紋章は……!)


 ギイィィィ。


 不意に部屋の扉が開かれ、レイラの注意が逸らされる。

 扉から姿を現したのはサラとルカだった。

 時計を見れば時刻は九時二十分。


「おはよう、あれ、もういたんだ。早いね」


 (──早い?) 


 サラの一言に違和感を抱くレイラ。

 しかしそれを表に出さないよう努めて挨拶を返す。

「おはようございます」

 ルカは無言で席につく。

 レイラを視界に入れないように、遠回りして後ろの席に座る。

「おはよう、資料の確認をしようと思ってね」

 ソフィアは自分の目の前に積まれた書類の山を指してサラに言う。

「うわ、まさかそれ全部私たちにも目を通せっていうんじゃないでしょうね」

 そのまさかよ、とソフィアは苦笑いする。

 ──おかしい。

 集合時刻は九時と伝えられていた。

 遅れて来ているはずなのに、ルカもサラも、そのことを悪びれる様子がない。

 いくら仲間だとはいえ、時間を守るのは基本的なマナーではないか。

 レイラは訝しむ。

 ルカとサラが、時間を守らない非常識な人間には見えない。

 ──となると、ソフィアが仕組んだのか。

 おそらくソフィアはレイラにだけ、ルカやサラと異なる集合時刻を伝えたのだ。 

 二人きりの時間ができるように、わざと。

 レイラはチラリと横目にソフィアを見る。

 (……少なくとも命を狙う素振(そぶ)りはなかった) 

 密室で二人きりになる、それも相手に有利な場所で、というのは、そういう可能性を考慮しなくてはならなかったのに、迂闊だった。

 もちろん、本当に二人きりで話がしたかっただけという可能性がない、わけではない。

 しかしその場合、《話したかった》というより《確かめたかった》のだろう。

 会話から、何かを。

 情報を聞き出したかったのだ。

 他の誰にも聞かれないように。

 先ほどかわした会話の中で、違和感のある箇所はいくつかあった気がする。

 その中でも特に怪しい点となると、やはり……。

 『私に用があってこの国へ来たんじゃないの?』

 レイラの思考がクリアになり、ギアを上げて回り出す。

 (それに、あの紋章──)

 ソフィアはただの護衛隊ではなさそうだ。

 一体何者なのだろう。


「それじゃこの資料を回して。明後日開催される収穫祭エぺル・フェストについて説明する」


 注意しなくてはと留意しつつ、レイラはいったん考えるのをやめる。

 今は会議に集中だ。



 *     *     *



 この国で催される収穫祭の起源はギリシャ神話に由来している。

 女狩人として名を馳せていたアタランテーは、とてつもない美貌の持ち主だったが結婚に対して消極的だった。

 信託で伝えられた「結婚すると不運が訪れる」というお告げを信じていたからである。

 そのような娘の態度を嘆いた父親は、どうにかアタランテーを結婚させようと、ある約束を持ちかかける。

 それは求婚者と徒競走を行い、アタランテーが勝てば求婚者を殺し、アタランテーが負ければ求婚者と結婚するというものだった。

 脚の速さに絶対的な自信があったアタランテーはその賭けに乗った。

 多くの競争相手が現れるも彼女はそれらを振り切って走った。

 しかし、求婚者の一人であるヒッポメネースは、まともに戦ったところでアタランテーに敵わないことが分かっていたので、戦いの女神であるアプロディーテに助けを乞い祈りを捧げた。

 アプロディーテは彼に黄金のリンゴを三つ与え、「それを一つずつ落としてアタランテーの気を逸らしなさい」と策を教える。

 ヒッポメネースはアプロディーテの教えの通り、リンゴを落としながら走った。

 すると、アタランテーは策にはまり、三つのリンゴを拾おうと走るのをやめて立ち止まり、ヒッポメネースに負けてしまう。

 見事アタランテーに勝利したヒッポメネースはアタランテーを妻として手にするが、アプロディーテに感謝することを忘れてしまったためライオンに変えられてしまう。


 この話において黄金のリンゴは勝利の象徴であり、リンゴは他の神話でも、不老不死の源としてや神の食べ物として描かれている。

 そこで、タリアテッレ王国では年に一度赤いリンゴを黄金に塗って祀り、ライオンに変えられてしまったヒッポメネースの二の舞にならないよう、アプロディーテに感謝の意を表明する祭りを催しているのだ。


 この国はリンゴの両産地として知られているが、その中でも特に質の良いリンゴが豊富に取れるヤンマー村は国王たち王族の故郷。

 ヤンマー村は王朝が始まった歴史ある地域なのだ。

 月日が流れ、王都は移ったが、故郷に対する想いは無くならない。

 収穫祭エぺル・フェストは故郷への敬意の念を示すための祭りでもある。


「……と、まぁ、これがこの国、タリアテッレ王国における最大の祭事、収穫祭エぺル・フェストの概要。当日、私たちはそれぞれ与えられた持ち場で護衛にあたる。収穫祭エぺル・フェスト当日は道の一部が封鎖され、辺り一帯が賑やかになる。パン屋はアップルパイや自家製のアップルジャムを売って回り、他にもリンゴ飴やリンゴジュース、リンゴのコンポート、ゼリー、ジェラート、などなど、さまざまな屋台がこれでもかと出店する。封鎖された路上では、花売りの娘たちがリンゴと同じ花言葉を持つゼラニウムの花を売り歩き、道化師やからくり技師たちも旅をしながら磨き上げてきた芸を披露する」

 卓上に広げられた地図の上で、ソフィアは一人一人の持ち場を指でなぞっていく。

「オペラが開演するまでの間、下道(したみち)に詳しいルカは花売りの娘たちがいる道の巡回を、サラは屋台や公園の周辺を、レイラは王族の方々の側について見張りをしてもらう」

 レイラは頷く。

 《王族の方々》ということは、ルイも第一王子もいるのだろうか。

 重要な任務に自分があてがわれていることに、異論を唱えられないのが少し不思議だった。

 ルカあたり、不満を漏らしそうなものなのに、大人しく話を聞いている。

「私は場所を決めずにそれぞれの持ち場を随時見て回る。何かあれば私でなくても近くにいる仲間や他の警備隊に協力を要請して。──いい?ここまでの任務はこれまでと変わらない。ただ一つ例年と違うのは、ロゼッタ王国の王族ご一行が参加するということ。特に王女のジャスミン嬢は祭りの目玉行事であるオペラに参加する。オーケストラの一員として自ら参加を志願したみたい。優れたヴァイオリン奏者として名を馳せているのに相違ないけれど、さすがは目立ちたがりな彼女、コンマスになったそうよ。ソロ演奏が用意されている。そのときの警備が最重要任務になるのは言わなくても分かるわよね。もし彼女になにか危害が加わるようなことがあれば、こちらの責任が問われ、国交に亀裂が生じるかもしれない。全員心して当たるように」

 了解、と皆が一様に頷いた。

「持ち場や広場の位置、経路などを確認しておいて」

 ソフィアは劇場の図面を配り、今度はオペラ中の、各自の役割の詳細を話し出した。

「それじゃ、今度はオペラが開かれる中央劇場での立ち位置よ。劇場の入り口や中の警備は主に警備隊が行うから、あくまで私たちの任務は彼らの補佐。いざというときは警備隊と連携を取ることになる。ルカはウェイトレスに紛れて侵入して。サラは役場の職員たちと聴衆として客席にいてくれればいいわ。それで、私とレイラだけど、私たちはスナイパーとしてそれぞれ左右の二階に分かれて隠れる。ジャスミン嬢や王族、貴族を狙う輩を見つけたらためらいなく撃って。発砲の許可は降りているから。怪しい人物を見逃し、王族を守れなかったとき、私たちにのしかかる責任は重い。少しでもおかしな動きをする人間は徹底排除するつもりで、最後まで気を抜かないで頂戴」

 そこまで一息に話し、ソフィアは三人の顔を見回した。

「当日は全員オペラが始まる午後七時の一時間前、つまり午後六時に中央劇場集合よ。なにか質問ある?」

「……」

 サラは首を横に振り、ルカは資料に視線を落とす。

 レイラも「ありません」、と首を振る。

 ずいぶんソフィアだけ自由に動ける任務体制だな、とは思いつつ。

 なにか別に課された任務でもあるのだろうかと。

 午前中、ソフィアは持ち場がないからどこへでも行ける。

 何気なくソフィアの首元に目をやれば、今日はしっかりとボタンが上までとめられていて、紋章は見えなかった。

「……ないようね、それじゃ、いまから各持ち場に行って。演習を行うわ」

「はい」

 ルカやサラとともに返事をして立ち上がり、気を引き締めて部屋を出た。



 *     *     *



 レイラの役回りは王族の護衛だったが、ほかの警備隊や軍隊との連携も取らなくてはならないため、覚えることが多くて大変だった。

 それでもレイラは与えられた任務を完璧にこなそうと必死にやった。

 ここから出て行けと言われないように。

 足手まといにならないように。

 収穫祭当日の午前中、ジャスミン嬢はじめ、ロゼッタ王国国王、王妃、ルイ、第一王子のリカルド、タリアテッレ王国国王、王妃の王族一同は、宮殿のバルコニーから広場を眺めることになっている。

 レイラは王族と同じくバルコニーに出て、主にルイの側につき、何かあれば身を挺して守らなくてはならない。

 王族の(そば)に立つのは緊張するが、レイラは自分の出る幕はなさそうだと高を括りつつあった。

 なにせこれほど警備が固いのだ。

 宮殿に侵入するには、あの屈強な警備を突破しなくてはならない。

 正面からの侵入はまず不可能と言っていいだろう。

 もしかすると、バルコニー下の広場からルイやジャスミン嬢を射撃しようとする人間がいるかもしれないが、それは高さがあることに加え、硬い石膏で中を攻撃できない造りになっているため困難だ。

 だからレイラの主な仕事は、体を張った戦闘より、広場に怪しい人物がいないか監視することになりそうだ。

 (それよりも──)

 仕事とはいえ、ルイの側にいられると思えばレイラの心臓は早鐘を打った。

 仕事なのに、と頭で心を戒める。

 演習時間はあっという間に過ぎて行き、最後にもう一度、広場の催し物が開かれる場所や、他の警備隊の立ち位置や動き、休憩時間などを教えられ、実際に立ってみて問題がないか、スムーズに交代できるかを確認し、終了した。


 その後、レイラは自室に戻り、念のため他のメンバーや部隊がどこで何をしているのか暗記しておくことにした。

 当日何が起こるか分からない。

 少しでも情報は頭に入れておいた方がいい。

 それに何より、自分はまだ信用されていない。

 もしかしたら、何かしかけられるかもわからない。

 ──特にソフィア。

 彼女の鎖骨に見えた紋章が、頭をちらついて離れない。

 レイラはおもむろに左袖をめくり、手首を見る。

 そこにあるのは、ソフィアの身体にあるのと同じ焼き印。

 視界に入れるのもおぞましい、消してしまいたい過去の刻印。

 (……今日はもう、疲れたな)

 考え事は、今度にしよう。


 レイラは服を着替える気力もなく、そのまま深い眠りについた。



 *     *     *


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