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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
12/31

沈んだレイラと秘密の夜

 レイラに当てがわれたのは、会議室のある通路の突き当りの、一番奥の部屋だった。

 向かいにソフィアの部屋があって、右隣にルカ、そしてその横にサラの部屋と続いている。

 見たところ部屋の大きさや作りは他のメンバーと全く同じで、歓迎されていないとはいえ、一応、他の隊員と遜色ない部屋を与えられているようだった。

 しかし、廊下の突き当りにある部屋だから光が入りにくいし、長期間使用されていないせいか掃除が行き届いていない。

 机などの家具に薄くホコリの膜が被っており、良く見ればカーテンの裾もほつれている。

 仕方がない。

 ため息を吐いてレイラは掃除道具を取りに行く。

 確か、廊下の突き当りを曲がったところに掃除道具置き場があったはず。

 先ほど、メイドたちがそこからバケツや箒を取り出しているのを見かけたのだ。

 レイラは赤褐色の艶々とした掃除道具置き場の扉を開き、中から箒とバケツ、そして雑巾を取り出し、部屋へ戻った。

 自室の扉を開けようとして、手が滑り、箒が音を立てて床に落ちる。

「ごめんなさい……!!」

 周囲に誰もいないのに謝りながら、慌てて箒を拾い、なんだかすべてに嫌気が差す。


 (こんなところに来てまで、私は何をしているんだろう。)


 大きなため息を吐き出して、淡々と床を掃き、家具を拭いてホコリをとり、雑巾を絞ってまた元の場所へ戻しに行った。



 *      *      *


 

 一仕事終えたレイラは服を着替え、疲れた体を乱暴にベッドに投げ出した。

 自分にはもったいないほど厚みのあるクッションの弾みを感じつつ、横になって綺麗になった部屋を見回せば、感じるのは達成感よりも虚しさだった。


 二人掛けの大きなソファ。

 精巧な刺繍が施されたカーペット。

 シックなテーブルに絹のネグリジェ、寝心地の良いベッド。


 庶民であれば誰もが夢見る品々に囲まれているのに、まるでモノクロ写真でも眺めているみたい。

 それは味のしない砂を噛んでいるような、そんな気分。


 『私に話しかけないで』

 『知ってる』

 『──で? いつ第一王子を殺すの?』


 脳裏から消えない、言葉の数々。

 浮かんでは消えて、忘れかけてまた思い出す。


 ──私は、何を期待していたのだろう。


 お姫様にでもなったつもりだったのだろうか。

 笑ってしまう。

 正直、ここに来さえすれば、もう大丈夫なのだと思っていた。

 当たり前のように居場所が用意されていて、みんな自分を受け入れてくれるのだと。

 安直にも信じていた。


 (……本当、馬鹿みたい)


 レイラは薄暗い部屋で一人、見たくないものから目を背けるように月を見上げた。

 夜空では欠けた歪な半月が、寂し気にぽつんと浮かんでいた。


「母様……」


 ベランダからクチナシの香りは香ってこない。

 ここはギブ王国じゃない。


 どうして、と思う。


 (……この国に来てから、)


 ギブ王国にいたときよりもずっと、孤独を感じているの。



 *      *      *



 時計の秒針の動く音が響く薄暗い部屋の中で、『十時に会いに行く』というルイとの約束だけがレイラの心の頼りだった。


 現在、時刻は午後九時半。

 先ほどからレイラは椅子に座ったり、鏡の前で髪を梳かしたり、そわそわして落ち着かない。

 『変なところはないだろうか』と、もう何度鏡を覗き込んだことだろう。

 そしてそれはその後も三十分ほど続くことになる。

 やがて、いよいよ時計の針が午後十時を指し示そうかという段になり、レイラはベッドに入ると、枕に背をもたせ掛けた。

 どうしても、ルイが入ってくるだろう扉の方を意識してしまうが、いつルイが来ても待ちかねていたと思われないように、枕元に置いてあった本を開き視線を落とす。

 しかしあくまでそういうポーズをとっているだけで、文章は読んでいない。

 文字の上を目が滑っていくだけ。

 チクタク……、チクタク……。

 時間の進む音がする。

 ところが、約束の十時を過ぎても、ルイは姿を現さなかった。


 時間に遅れる人ではないのに。

 レイラの胸はざわめきだす。

 不安が波になって押し寄せる。

 何か気に食わないことでもしてしまったのだろうか。

 評判が悪くて失望させてしまった?

 期待に沿えず愛想をつかされたとか?

 それとも急用で来られなくなったのだろうか。

 何か良くないことに巻き込まれていなければ良いのだけれど。


 ──考えだしたら、止まらない。


 それからさらに時は過ぎ、気づけば時刻は午後十一時。

 ベッドに横たわり、おなかの上で手を組み合わせ、寝る態勢をとってはいるが、目は開いたまま、頭の中で時計の秒数を数えている。

 どうしてこう、人を待っているとき、時間の進みは遅いのだろう。

 嫌なことばかり頭に浮かんでくる。


 ルイのことを考えないようにしようとすれば、代わりに思い出すのは昼間のことだった。


 話しかけようとしても向けられる背中。

 突然切り上げられる会話。

 後継者争いの派閥があるとはいえ、あんなに露骨に態度にださなくても。


 (──これから、やっていけるだろうか)


 ここぞとばかりに、見ないふりをしてやり過ごしていた事柄が次々と顔を出す。

 レイラは必死で頭を振ってそれらを追い出そうとした。


 (せめて出て行けと言われないようにしなくては)


 目元まで布団を引き上げ、瞳を閉じて決意する。


 任務を確実にこなそう。

 実力でだけは、周りに引けをとらないように。


 大丈夫。

 一人ぼっちには慣れている。


 心など閉じてしまえばいい。


 大丈夫。

 きっと、できるはず。


 ──これまでだって、そうしてやってきたのだから。



 *      *      *


 

 幾度となく眠りに落ちかけたが、『もしかしたらルイが来るかもしれない』と思えば、レイラはなかなか寝付くことができなかった。


 ──現在、時刻は零時をちょうど回ったところ。

 ゴーン……、ゴーン……と、古い振り子時計が鳴っているのが廊下から薄っすらと聞こえる。


 結局ルイは姿を現さなかった。


「会いに来る、って言ったのに」

 一人つぶやき、瞳が潤む。

「嘘つき」

 レイラは目元の涙をぬぐった。

 今度こそ寝てしまおう、と瞼を閉じる。

 ──と、体の向きを変えたとき、

 ゴン。

 固い何かが、頭に当たる感触がした。


 (なんだろう……?)


 枕をどけて見てみれば、そこには小さな箱があった。

 その箱の下には手紙も添えられている。


 白い封筒の中央に、記されている自分の名前。


 『レイラへ』


 繊細だけれど力強い字。


 そういえば、と思い出す。

 すっかり忘れていたが、ルイが『枕の下を見て』と言っていたっけ。

 跳ねるレイラの心。

 身体を起こして足を横に流して座り、慎重に箱を開く。

「……!」

 箱を開いたのと同時に飛び出してきた懐かしいメロディー。

 どうやらその箱はオルゴールになっているらしく、中には光が散りばめられていた。

 その光が天井に反射して、まるでプラネタリウムのよう。

 音が鳴るたび、中のゼンマイが回り光の色が変わる。

 その光の美しさと、母が生前にピアノで弾いてくれた特別な調(しらべ)にレイラの目頭が熱くなる。

 (ルイ)

 心の中で名前を呼ぶ。

 どうして、来てくれないの。

 祈る気持ちでレイラは手紙の封を開いた。


 『レイラへ』


 君がいつでもその曲を聞けるように、オルゴールを作ったんだ。君が辛い思いをしているとき、眠れない夜を過ごすとき、側にいてあげられないことがあるかもしれない。そんなとき、少しでも君を守れるように、これをお守りとして持っていてほしい。



 ──愛を込めて。ルイ


 

 ちょうど手紙を読み終えたときだった。


 《コンコン》


 控え目に鳴る、ベランダのガラスを叩く音。

 手紙を閉じてベッドサイドの明かりをつける。


「……っ!」


 息を飲んだ。

 窓の外にはルイが立っていた。

 鍵を指さし、『開けて』と言っている。


 慌ててベッドから降りて、ベランダに駆け寄る。


 (どうしてこんな時間に、こんなところから……)


 考えるより先に動く足。

 鍵を開けた途端、待ちかねていたと言わんばかりにルイに抱きしめられる。


「遅くなってごめん」 

 ぎゅ、と腕に力を込めて、髪に頬を()り寄せる。

(まつりごと)のことで父上と揉めていて……。来るのが遅くなってしまった」

 レイラは突然抱きしめられたので驚き、声が出ない。

 つい体に力を入れてしまう。

 するとルイは体を離し、「怒ってる?」と頬に手を伸ばす。

 ごめんね、とそっと撫でる。

 そして「そういえば、」となにか思い出したように、ごそごそとポケットを探る。

「これを、君に持って来たんだ」

 綺麗な瓶を取り出して、レイラの手に握らせる。

「なに、これ……」

 レイラは小瓶を空中に透かす。

「綺麗」

 ガラス細工の施された小さな瓶。

 その中に透き通った液体が入っている。

 ぽん、と小気味のいい音を立てて蓋を取れば、鼻腔を(くすぐ)る香りに目を開く。

「クチナシの香水だよ。生花の香りを閉じ込めてあるんだ」


 ──恋しかった、母様の香り。


 レイラの胸がじんわりと熱くなる。

 嬉しいのに、胸がつかえて言葉が上手く出てこない。

 ルイが不安げな顔をする。

「……気に入らなかった?」

 ぶんぶんと首を横に振る。

「ありがとう」

 レイラはお礼を言って、寒いでしょう、と中へ促す。

 ベランダの窓を閉めながら、「どうして、こんなところから?」と訊く。

「……こんな時間だし、正面の扉から堂々と来て、万が一他の護衛隊の子たちに見られたら良くないかな、と思ったんだ。昼間リア様に釘を刺されただろう? 僕のせいで君がやっかまれるんじゃないかと、心配で」

 ただでさえ緊張してしまうから、距離を取ろうとするのに、ルイはためらいなく距離を詰める。

 自分が座るソファの隣に、手を引いてレイラを座らせる。

「今日は初顔合わせだったよね。どうだった? 嫌なことをされたりしなかった?」

 心配そうに顔を覗き込まれ、その近さに思わず顔を背けてしまう。

「……何かあった? ──それともやっぱり、怒ってる?」

 じっと間近で見つめられ、名前を呼ばれ、やっとの思いで「お、怒ってない」としどろもどろに答える。

「本当に?」

 顔を覗き込まれ、こくこくと頷く。

「……でも、何かはあったんだ?」

「……」

 答えることができなかった。

「そっか……」

 それ以上踏み込んで聞いてこないルイに、何を言えばいいのか分からずにいると、強引に腕を引かれ、再度抱きしめられる。

 先ほどよりも、少し強く。

 頭を片手で優しく包まれ、硬い胸板からルイの心臓の鼓動が伝わってくる。

「辛い思いをさせたね。ごめんね」

 耳元でささやき、なだめるように頭を撫でる。

 泣きそうになるのを堪えていたら、無意識のうちにルイの背中をぎゅっと握りしめていた。

 よしよし、と何度も頭を撫でられていると、そのうち体の力が抜けていく。

 安心して身をゆだね、ルイの肩に頬を寄せて目を閉じる。

 ルイは子守歌のリズムを取るようにレイラの背中をポンポンと、一定のリズムで叩きながら、オルゴールがベッドの上に置かれているのに気が付いたようだった。

「見てくれたんだ、オルゴール」

 抱きしめられたまま、レイラは頷いた。

「……すごく、嬉しかった。素敵な贈り物をありがとう。大切にする」

 ルイが柔らかく微笑んだのが、顔を見なくても肩越しに伝わってくる。

「良かった、喜んでもらえて。……でも本当はこんなものを渡すんじゃなく、いつでも僕が側にいて、君のことを守りたいのに。だけど、それには地位を得たり、父上を説得したり、思った以上に時間がかかりそうなんだ。まったく情けないよ」

 消え入りそうな声。

 どんな顔をしているのか、肩口からは見えなかったけれど、とても辛そうな声だった。

「でもね、レイラ。僕は絶対に諦めない。どれだけ時間がかかっても、君と生きる道を作ってみせる。だから君も諦めないでいてくれ。信じて待っていてほしい」

 決意を込めた瞳で言い切り、レイラの頬を両手で包み込む。

 導かれるように瞼を閉じると、触れるだけのやさしいキスが落ちてくる。


「愛してるよ」


 頬を染めて、レイラは頷き、私も、と小声で返す。

「こんな遅くに来てすまない。そろそろ僕は失礼するよ。ゆっくりおやすみ、マイ・レディ」

 最後にレイラの手の甲にキスをして、ルイはまたベランダから去っていった。


 

 *      *      *



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