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殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)  作者: 尾崎遙香
殺せない殺し屋と小夜曲(セレナーデ)
11/31

レイラと護衛隊

「医務室」

「調理場」

「庭」

「客間」

「大広間」

「会議室」

「武器庫」

「あなたの部屋」


 ルカは名詞しか口にしなかった。

 それも廊下を歩きながら通りすがりにつぶやくだけで、わざわざ扉を開けて中に入ったり、誰がどんな時に使うのか説明したりしなかった。

 淡々と、歩いて単語を口にする。

 レイラはその冷たい態度に戸惑ったが、後姿に『話しかけるな』と書かれているようで、声をかけることができなかった。

 仕方なく黙って後ろをついて歩き、屋敷の全体図を脳内で組み立てながら、頭の中に叩き込んでいった。

 暗記は得意な作業なのだが、前を行くルカの声が小さくて、少しでも気を抜くと聞き漏らしてしまいそうだったから、気が気でなかった。

 加えて歩くのが速い。

 まるで一定の距離以上、近づいてくれるなと牽制しているかのよう。

 レイラも歩くのは速い方だが、彼女はそれ以上だった。

 案内、というにはおざなりなそれに、レイラは必死で付いていき、どうにか屋敷の構図を覚えきった。

 大きな屋敷であるだけに、主要な場所を一通り案内してもらうだけでかなりの時間がかかった。

 街の中央にある市場に出かけて帰ってくるくらいの距離は歩いた気がする。

 しかし、一時間以上共に過ごしているというのに、ルカの警戒心は解かれない。

 こういうとき、不要に傷つかないためにはどうしたらいいか。

 レイラはその術を知っていた。

 他のことを考えるのに集中してしまえばいい。

 レイラは屋敷の部屋の作りから、そこで暮らしている人の生活パターンや人数を推測することにした。

 ──と、

「これ、屋敷の地図」

 不意にルカから一枚の紙を渡され、面食らう。


 (地図を持っていたのなら、初めに渡してくれたらよかったのに)


 そう思ったけれど、もちろん口には出さなかった。

 いじわるで渡さなかったのか、それとも最後に渡そうと初めから思っていたのか、眉一つ動かない彼女の表情から読み取ることはできなかった。


 やがて薄暗い廊下の突き当りで立ち止まる。


 気づけばレイラは、護衛隊の集合部屋の前に連れてこられていた。

 中に人はいるのだろうか、と聞き耳を立てるが、厭に静かだ。


「私からの頼みは一つだけ。話すのは仕事の必要最低限の会話のみにして。それ以外で私に話かけないで」

 唐突にルカに制され、冷や水を浴びせかけられた気分だった。

 モートン卿の屋敷でも陰口を言われたりしたことはあったが、ここまで露骨に、それも面と向かって『話しかけないで』と言われたことはない。

 まだ会ったばかりだというのに、何がそこまで彼女の癇に障るのか。


 ルカは扉に手を伸ばす。


 事前確認もなく、勝手に扉が開けられる。

 こっちの心の準備などお構いなしだ。


 ギィィイイィ。


 少し錆びた扉の音が、やけに重たく響いた。


「……っ」

 開かれた先に広がる空気があまりに冷たくて、レイラの喉がひゅっと閉じる。


 ──殺気。

 ──殺気。

 ──殺気。


 そこは殺気で満ちていた。

 鋭い視線に()てられ、手汗がにじむ。

 緊張と焦燥。

 そして沸き起こる恐怖心。


 息を吸うのも忘れそうになるほどの敵意を向けられ、しかしその理由がレイラには分からないのだった。


 その中の一人が立ち上がり、レイラの目の前にやってくる。

 肩まである銀色の髪。

 ハスキー犬のような淡い水色の瞳は、上手に心を隠している。

 その瞳に吸い込まれそうになりながら、レイラはごくりと唾を飲む。


「タイミングの悪いときに来てくれたね。私はソフィア。この部隊のリーダーだ。突然で悪いが急用なんだ。これから任務に出向かなくてはならない。君が危険人物か否か判断できていない以上、屋敷に置いておくわけにはいかない。だから君にはついてきてもらう。説明はあと。五分後に出発だ。」


 こうしてレイラは息をつく暇もなく、初任務に向かうことになった。



 *     *     *  



「──それで? いつ第一王子を殺すわけ?」

 ソフィアはまるで明日の予定を尋ねるみたいな調子でレイラに問いかけた。

 不躾なやり取りをしている二人がいるのは、タリアテッレ王国の関所のすぐ脇にある林の中。

 隣国へ続く橋の境目である関所の横には小高くなった林があり、二人はその中に身を隠していた。

 レイラは前の屋敷で殺し屋をしていたときから使用している銃を構え、隣では同じようにソフィアが片膝をつき、遠距離射撃用のスナイパーライフルを構えている。

 現在、護衛隊の一人であるサラが、関所の金貨を横領している疑いのある役人の家に忍び込み、証拠となる資料を探している。

 ソフィアと共に、サラが無事に屋敷から出てくるのをサポートするのがレイラに与えられた役割だ。


「……どういう意味ですか?」

 先ほどの質問に、レイラは質問で返す。

「質問に答えてくれる?」

 一蹴して返される。

 レイラは一呼吸置いて答えた。

「いつも何も、殺すわけないじゃないですか」

 ソフィアはこちらを見ない。

「質問を変える。この国に来た目的は何」

 声のトーンが低い。

 レイラの銃を構える指先に力が籠る。

 (信じられる回答でなければ、この場で殺されるかもしれない)

 レイラは本当のことをそのまま話した。

「私はルイ様に助けられたんです。以前雇われていた屋敷から解放されて、いまはただ、ルイ様のお役に立てたらと」

 ソフィアは鼻で笑う。

「だから信じられない、って言っているの」

 風が吹く。

 頬を一瞬切るような鋭い風が。

 葉が揺れて、木々のざわめきが不穏。


 敵意を向けられている理由が、レイラは掴めつつあった。


 この国の第ニ王子であるルイは、第一王子と次期国王の座を競っている。

 本人にその気はなくても、自然と権力者や従者たちはどちらに着くか分かれるものだ。

 さしずめ護衛隊のメンバーは全員、第一王子派なのだろう。

 そのような第一王子を支持する人間が固まっているところへ、第ニ王子に肩入れされているレイラがやってきたのだ。

 目の敵にするのも無理はない。

 そしておそらく、レイラが暗殺を行っていたという情報も知られていて、護衛隊一同は、第一王子を殺すためにルイがレイラを隣国から連れてきたと思っているのだろう。


 ──参った、とレイラは思う。

 弁明したところで、立場上、敵ではないと信じてもらうのは難しいだろう。


 そんなやりとりをしている間に、サラが上手いこと資料を抜き取り戻って来た。

 ペール・ブロンド(色素の薄い金髪)の長髪を後ろで一つに束ねているサラは、関所役員にのみ与えられる、中央に銀のエンブレムの付いた筒形のドゴール帽をかぶっている。

 その帽子をかぶっているだけで、普通なら足止めされる道も難なく通れるようになるらしい。

 小脇に茶色い封筒を抱えている。

 横領の証拠を無事見つけたのだろう。

 レイラに課せられた初任務は成功したようだ。

「どうだった?」

 ソフィアがサラに問いかける。

「この通り」

 サラは分厚い封筒をソフィアに差し出す。

 ソフィアは資料を受け取ると、小さな懐中電灯を口に加え、わずかな明かりで文面を確認した。

 最初のページに記載されている『記録 NO.3244(□年○○月××日)』という一文を指でなぞり、それが必要な調書であることを確認する。

 それ以降のページもパラパラと捲って目を通し、「よし」と頷く。

「確かに。任務完了」

 サラに資料を返す。

 『任務完了』の一声を受け、レイラは拳銃を使わずに済んだことと、無事任務を終えられたことに安堵した。

 《サラ》と呼ばれるその人も、護衛隊の一員であるが、屋敷へ潜入する前に会議室でちらりと顔を見ただけで、まだちゃんとした挨拶もできていない。

 しかしこうも暗くては、顔の細部まで分からない。

 身長は三人の中で一番高く、平均より細身だった。

「……で、どうだった? ──その子は敵? それとも味方?」

 レイラが暗闇に目を凝らしていると、資料を鞄にしまったサラが品定めでもするみたいに腕組みをして言った。

 視線がじろりと下へ行き、ゆっくりと上へ戻る。

「さぁ」

 ソフィアはかぶりをふり、返事を濁す。

 いくら敵対している派閥の王子が連れてきた人物とは言え、対応が酷すぎるのではないだろうか。

 (自己紹介くらいしてくれても)

 しかしソフィアはそれ以上レイラと会話をする気がないらしく、さっさと背を向けて歩き始めてしまう。

 サラも歩き出す。

 慌ててレイラは追いかける。

「あの!」

 二人はこちらを振り返らない。

 聞こえているはずなのに、立ち止まってくれない。

 レイラは足早にサラに近づき、横顔に向かって話しかけた。

 どこぞの商人が、旅人に品を売りつけようとするみたいに、懸命に。

「あの、これから同じチームとして働かせてもらうレイラです。隣国の……」

「知ってる」

 ぷつん。

 そんな、ハサミで糸を切ったみたいな。

 わざとかぶせられた言葉はまるで。


『──だからこれ以上話しかけないで』


 短い言葉の残滓まで、レイラの耳には聞こえた気がした。



 *     *     * 



 三人はタリアテッレ王国の門をくぐり、入手した書類を手に護衛隊の集合部屋に足を運んだ。

 ソフィアが扉を開ける。

 他の隊員が──、といってもルカ一人だけだが、腕組みをして三人の帰りを待っていた。

 ルカの顔を視界に捉えると、レイラは屋敷を案内してくれたときの冷たい態度を思い出して、つい身構えてしまう。

「ただいま」

 ソフィアが言えばルカは頷いて「おかえり」と返す。

 サラはそこが定位置なのか、ルカの後ろの席に座り、ソフィアは座らず机の前に立つ。

 レイラがどこに座ればいいかわからず立尽くしていると、三人の視線がレイラに集中する。

 逡巡した挙句、慌ててルカの隣の席に座った。

「さて」と、ソフィアが報告を始める。

「サラが入手してくれた資料によると、やはり関所の門番数名が高額な税金を取って横領していた。これがその証拠。これを第一王子のリカルド様に渡す。みんなお疲れ様。今回の任務はこれで終わりよ。──ということで、この任務に関することでも、そうでないことでも構わない。何か気懸りや不審点があれば今ここで。何かある?」

 サラは『ない』と首を横に振り、レイラも首を振った。

 しかしその横で、ルカが手を挙げた。

 ソフィアに指され、口を開く。

「これは、下町の孤児たちが言っていたことなんだけど、鍛冶職人たちが内密に依頼を受けて武器を作っているらしいわ。──何か良くない予感がする。内密に武器を作らせて、一体何に使うつもりなのかしら? まさかとは思うけど、反乱を企てている勢力の仕業だったりして。例の祭典も近いし、引っかかるのよね」

「──祭典、か」

 ソフィアがつぶやく。

 話についていけないレイラ。

 溜息を吐き、仕方なくといった様子でソフィアが補足説明をする。

「来週末に収穫祭が開催されるのよ。この国の主、タリアテッレ国王や王妃の出身地である、ヤンマー村を尊崇する伝統行事。王族一同も国民も参加する大規模なイベントなの」

「そういえば、今回は隣国の王族たちも参加するって言っていたよね」

 サラが思い出したように指摘する。

「えぇ、その通りよ。いつもは他国と収穫祭を共同で行うことはないのだけれど、珍しく今回は隣国、ロゼッタ王国の方々を招くようね」

 ソフィアが答える。

「ロゼッタ王国ってことは、フィガロ様ご一行が来るわけか」

 ルカが怪訝そうに眉をしかめる。

「私、あの国の王女様、苦手なのよね」

「ジャスミン嬢のこと?」

 サラに訊かれてルカは頷く。

「フィガロ様の娘だからって、傲慢さが鼻につくのよ」

 サラは笑う。

「ルカは貴族はみんな苦手じゃない」

「うるさいな、文句ある?」

「そう怒りなさんなって」

 サラは笑って受け流す。

「まぁ、ルカの気持ちも分かるけどね。でも私は王妃様の方が苦手かな」

「分かる」

 ルカが大きく頷く。

「まるで世界の全てを自分のものにしないと気が済まない、みたいな」

 苦虫をかみつぶしたような顔をする。

 そこへすかさず、「いいから、脱線しないで」とソフィアが窘める。

 ごめん、と二人は話をやめる。

 (──ジャスミン嬢)

 ロゼッタ王国とタリアテッレ王国のいざこざについてレイラは何も知らないが、しかし国内で不穏な動きがあるらしいことは理解できた。

 会話は続く。

「でも確かに怪しいね。ジャスミン嬢も母親のマリア王妃もバカじゃない。むしろ頭の切れる曲者だ。きっと祭典に参加するには意図がある」

 サラの言葉に頷くルカ。

「その意図って、何かしらね」

 ソフィアが口を挟む。

「一応形式上では交友関係を深めるため、ということになっているけど」

「交友関係、ねぇ」

 ルカが鼻で笑う

「そんなの、別に収穫祭じゃなくても良いはずでしょう? わざわざ収穫祭に出向いてくる意味が分からないわ。収穫祭より、もてなしに適した行事は他にもあるし。言ってしまえば、べつにわざわざ収穫祭に参加しなくても、国交を開けば済む話じゃない。なにか理由があるはずよ。収穫祭に参加したい理由が」

「うん、これはちょっと──、」

 ソフィアが眉根を寄せる。

「要注意だね」

 三人は目配せをして頷き合った。

「当日、王子たちの護衛を強化するよう願い出てみる」

 ソフィアの言葉に全員が頷く。

 分からないなりにレイラも頷いた。

「じゃあ、その連絡は追って明日以降伝えるよ。他に何か情報がある人はいる?」

 ──沈黙。

 それが返事だった。 

 ないようね、と見渡してソフィアが締めくくる。


「では、今日はこれにて解散。」


 サラとルカが出て行った後、レイラも立ち上がって部屋を出ていこうとしたのだが、ソフィアが歩み寄ってきて、「伝え忘れたけど、明日は九時にここ集合だから。忘れずに」と言った。

「はい」

 返事をして、レイラはその場を後にした。



 *     *     * 



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